「あのバカ息子の居場所について、情報提供者が現れたというのは本当?」

 伝令の侍従が「はい」と頭を下げる前で、王妃――アンドレアは扇で口元を覆う。笑みがふつふつと湧き上がり、高笑いをこらえるのに必死だった。
 思えば長かった。アンドレアが嫁ぐと同時に勃発した冷戦は八年に及んだ。冷戦状態に耐え切れず、本格的な宣戦布告をしてみれば、表面だけ美しく繕った家族は崩れ去った。だが、早くこうしてみればよかったのだ。いくら繕ってみても、虚構は虚構でしかないのだから。
 失敗した――と部下から聞いた時には腸が煮えくり返る心地だったけれども。見つかればこちらのもの。ようやく。これで、ようやくあの忌々しいを葬り去ることが出来る。

「伝えてくれた者を案内しなさい」

 彼女は命じるが、伝令を受け取った侍従は「直接はお会いできないと申していまして」と首を静かに振るだけだった。

「それから、情報を渡すには条件があるとのこと」
「懸賞金は出してあるでしょう」

 王妃に条件などと不遜なこと。――王妃は片目を細める。

「いえ、要らないとのことです」
「足りないとでも言うのかしら?」

 だんだん苛立ちが増してくると、同時に侍従の震えが増加していく。カタカタと歯を震わせながら侍従はようやく口を開いた。

「いえ――その……交換条件だと申すもので……」
「交換条件ですって?」

 私の口からはこれ以上は伝えられません――震えて歯切れの悪い侍従の言葉に目を丸くする。

「面白いわ。誰なの、その情報源は」

 彼の口から密やかに一つの名が告げられるなり、王妃は顔を緩ませた。

「いいでしょう。話に乗りましょう」

 そう言うと、王妃は長い裾をさばいて、侍女を呼び、着替えを命じる。


 *



 それ・・はある日突然現れた。

 その日、ユウキはきのこを採るために小屋から離れて作業をしていた。
 きのこ狩りに際し、あらかじめ毒性のあるきのこと、そうでないきのこを教えてもらって、違いを叩きこまれた。ユウキの手には採っても良いきのこの二つのサンプルがある。鮮やかなオレンジ色のきのこと、紫色のきのこだ。食用だと言われて驚いた。一方、しめじやしいたけ、まいたけにとても良く似ているきのこがそこかしこに生えているけれど、それらは食用ではないらしい。こちらの植物は、現実世界のものと似ているけれど、少しずつ違うようだった。
 クリにしても、ユウキが食べたことのあるクリのように粘り気はなく粉っぽいし、魚だってスーパーなどでは見たことがない形をしているものが多い。と言ってもユウキも食べ物にそれほど詳しいわけではないため、なんとなくの印象だけれども。

 つ、と足元を冷たい風が吹き抜けた。だるくなった足には気持ちが良いけれど、その冷気は心を一緒に冷やしていく。
 小屋に居ついて十日。徐々に夏が過ぎ去ろうとしているらしい。クリスが言うには、パンタシアという国は大陸の北部に位置していて、過ごしやすい夏は一月ほどで終わってしまうそうだ。ここに迷い込んだころには、既に夏は終わりに近づいていたらしい。
 あとひと月もすれば森の広葉樹は一斉に葉を落とし、そのあとは雪が降り始めるとのこと。川の水は途絶え、生き物は植物も動物も眠りについてしまう。
 時折交じる秋風を爽やかだと思うのもあと少しの間だと聞くと、寂寥感が増してくる。
 昔から秋は嫌いだった。金木犀の香りを、寂しくなるからと嫌うユウキを母はよく笑った。詩人みたいね? と。さすがわたしの娘ね――と。
 そんなことを思いだせば、どうしても涙がにじむ。
 ユウキがいなければ、掃除に洗濯、料理と誰がやるのだろうか。絶望的にまずいご飯を食べて「ねえちゃん、ご飯が不味い」と泣いているタクヤの顔が思い浮かぶ。

「お母さん、タクヤ――ちゃんとやっていけてるかな」

 家事など好きでやっていたわけじゃない。なのに、ひたすらにあの本だらけの家が恋しかった。
 がさり、と後ろでヤブをかき分ける音がして、ユウキは慌てて涙を拭う。クリスには余計な心配はかけたくない。今の姿を見られたくないと思ったのだ。

「――あら?」

 だが、そこには一人の快活そうな女性が立っているだけ。
 その人は、背が高く、しなやかな体つきをしていた。目鼻立ちがくっきりとして、妙な眼力があり、口がぽってりと色っぽいのが個性的だ。ハリウッド映画あたりに出ていそうな――つまりはすさまじい美女だった。
 女性は黒いフードをかぶっている。長いスカートは、最初にクリスが身に着けていたのと同じく裾を引きずるほどだけれど、彼がまとっていたのとは違って、装飾を抑えた地味な灰色のものだった。

「あなた――どなた?」

 先に訝しげに尋ねられてユウキは面食らう。

「え、あ、あの」

 あなたこそ誰ですかと問いたかったけれど、迫力のありすぎる女性に気圧されて、ユウキは何を言っていいのかわからなくなった。

「この辺りに森番の小屋があるって聞いたのだけれど。あなたが森番なのかしら?」
「え、ええと……。あの、どちらさまでしょう?」

 ようやく質問が口から飛び出すが、

「行商人なの。近道をしようとして、ちょっと迷ってしまったのだけれど、煙が見えたから」

 女性はニッコリ笑って手に持った大きな荷物を見せると、小屋のある方角を指をさした。

「確かにあちらに小屋はありますけれど――、ご案内しましょうか?」
「いいえ、いいの。あなた忙しそうじゃない。あと――一人になりたかったみたい」

 女性はユウキの頬に残る涙の跡を見逃さなかったらしい。ユウキはかっと赤くなる。女性は持っていた大きなかごからハンカチを出すと、ユウキの頬の涙のあとをそっと拭った。

「あ、これ、売り物ですか!?」

 綺麗な花の刺繍が入ったハンカチは新品に見えて焦る。財布はあるけれど、こちらで夏目漱石の描かれたお札が使えるとは思えない。

「売り物だけれど、売れ残りだからあげる」

 女の子を泣かすなんて――やっぱりまだまだコドモねえ……そう呟くと、女性は小屋へ向かって歩いていった。

(……綺麗な人だったなあ)

 ユウキはしばし呆然と見送ったが、やがて静かに目を見開いて、小屋の方へと駆け出した。
 見間違えかもしれない。だけど、よくよく思い返してみると、女性の瞳にがついていたような気がしたのだ。


 *


(次に来るのは王妃って、ちゃんとわかっていたはずでしょ!)

 ユウキは自分の迂闊さに歯噛みする。
 童話の挿絵のせいだろうか。王妃は老婆に化けてくる――その印象が強すぎた。王妃は白雪姫には及ばないけれど、美女なのだ。そして、人当たりのよい美女だからといって、善人だとは限らない。美少女に見えて男だったクリスのことで懲りたはずなのに。どうして同じ失敗をしてしまうのだろうか。

(馬鹿。わたしのバカ!!)

 転びそうになりながら、泥だらけのローファーで森を駆けた。
 だが女性はあんなに長い裾のスカートを履いているというのに、それを苦にすることもなく岩の上をひょいひょいと器用に渡っていく。追いつくつもりが却って差がついてしまって焦った。あれが本当に王妃だとしたら、不可解なほどの運動神経だ。
 足音に気づいたクリスが小屋の前で振り返っている。かごの中から飾り帯のような紐を取り出した女性は、彼が気配に気がつくとほぼ同時に、彼の首に紐を回した。それは日本の武道を思わせる、鮮やかすぎる技だった。

「クリス!!!!」

 クリスまで、あと三十メートルほど。距離をたぐり寄せるようにユウキは叫び、そのまま転ぶ。だが、すぐに起き上がる。目の前でクリスが首を押さえて、ぐったりと倒れこむ。ユウキにはまるで時が止まりかけているかのように思えた。
 女性はこちらを見てニタリ、と笑うと風のように去っていく。追いかけようという気にもならずに、クリスにすがりつくと、首に食い込んだ紐を必死で解こうとする。だが、紐は硬く結ばれていて、とてもじゃないけれど指で解くことは無理だった。
 ユウキはナイフを探す。だが焦っているせいか見つからない。小屋に飛び込むと、リュックサックを漁る。それでも見つからない。

(だれか、だれか――! クリスを助けて!)

 泣きながら外に出ると、異変に気づき、駆けつけたルーカスが紐を切っているところだった。

「げほっこほっ――」
「大丈夫!?」

 クリスが大きくえづく。だが、息をしている。ひとまず命に別状はなさそうだ。
 ほっとして涙ぐむと同時に、猛烈な怒りが湧いてくる。腹の底が煮えくりかえる。すさまじい衝動が堪えきれずに、ユウキはそれをぶちまける。

「何してたの! ルーカス、あなた親衛隊で、クリスの護衛なんでしょ――どうして守れなかったの!」

 一瞬固まったルーカスは、だが、すぐに「すみませんね」と謝る。
 ルーカスは一切言い訳しなかった。申し訳無さそうな表情に、冷水を浴びせられたようだった。はっと我に返ったユウキは、かあっと羞恥で全身が赤くなるような気がした。
 今のは完全に八つ当たりだ。ルーカスには全く非がなかったというのに。
 ユウキが女性の正体に気づいていたら。あっさり小屋を案内しなければ、こんな事にはならなかったというのに。

(なにやってるの、わたし――)

 自分が小人になりたかったのになれなかったことに対する憤りを、ルーカスにぶつけてしまっていたことにユウキは気がついた。
 さんざん悩んだ末、クリスを裏切れない、《鏡》にはなれないと、そちらの可能性を塗りつぶした。役割を自分で選べるのであれば、小人になって、彼を守りたいと願った。だけどできなかった。――やっぱり自分は鏡でしかないのかもしれないと思うと、辛くてしかたがないのだ。

「ごめん、なさい――わたし」
「なにがです?」

 ルーカスは、ユウキの八つ当たりをさらりと流していた。軽くあしらわれたようで、恥ずかしくて悔しくてしょうがない。彼が大人な対応をすればするほど、余計に自分のこどもっぽさが浮き彫りになってしまう。

(よりによってクリスの前で――)

 いたたまれなくて、さらにルーカスを恨みたくなる。そんな自分が嫌いでしょうがなくて、自己嫌悪は膨らんだ。
 ルーカスは訝しげにクリスを見た。

「今のは王妃陛下だったと思いますが……ええと」

 クリスの首を見つめるルーカスの顔には、珍しく戸惑いが現れている。物言いたげな彼の言葉を、クリスは遮った。

「とうとうここが知られたか……いい隠れ家だと思ったんだけどな」

 細く目を開けたクリスを見て、ユウキはひっと息を詰めた。
 彼の目には色がついていたのだ。
 深海を思わせる青。宝石のように美しい瞳に見とれたのも一瞬だった。足元から這い上がる恐れで、ユウキは震えた。

(――物語がまた進んでいる――?)

 最初に色がついたのはいつだっただろうか。ルーカスが来て肌に色がつき、そして今、王妃がやってきて、瞳に色がついた。残る色は髪だが、それはいつ色がつくのだろうか。
 呆然と見つめるユウキの前で、クリスとルーカスは会話を続けた。

「王妃陛下のご実家の領地というのは確かに盲点ですが……大胆すぎます」
「近いし、まさか自分の懐とか絶対ありえないと思うだろ? 灯台下暗しってやつ?」

 へへとクリスは笑って誇らしげだけれど、肝が冷えきってしまっていたユウキは笑えない。

「……でも、見つかっちまったみたいだし。さて、どうするかな」
「里に降りるという手はいかがです。わたしにも多少は伝がありますし、なにより、ユウキ殿はそろそろ家に帰るべきです。女性に無理をさせてはいけないというのは、殿下の御信条でもあられるでしょう」

 ルーカスにちらりと流し見られて、ユウキはぎくりとした。それで初めて知ったが、ルーカスの瞳は青みがかった灰色だった。予想通り、氷を思わせる冷たい色をしたその目が、「おまえは足手まといだ」と言っているのがすぐに分かってしまう。いつもなら反論し、張りあうところだったけれど、ユウキにはその資格がまるでない。おんぶにだっこのお荷物で、ろくに守りもできない。それどころか、まんまと案内までしてしまう始末。ルーカスの主張は、正しかった。
 だけど、はいそうですねとは言えない事情もある。森から出てしまえば、クリスを守るという名目を失う。城ではユウキは必要ない。そうなると――ユウキは、この世界に居場所がない。
 七人の小人の役割を演じると決めたとき、ユウキはある意味自分の人生を空に放り投げた。鏡になるのが、きっといちばんの近道だったはずなのだ。そうすれば王妃がクリスを見つけ出して殺し、小人が助け……物語は正しく進むはずだ。――正しいのはきっとその道だった。だけど、どうしてもクリスを裏切ることはできなかったし、結末を無責任に放置する勇気がなかった。
 ……おそらくユウキは魔法がないことが怖いのだ。
 魔法があるというのは、少しの不可思議もそれで解決するような寛容さがあるということだと思う。
 それがないということは、物語のつじつま合わせが難しいのだ。不思議を不思議で処理してはいけないというのは、案外難しいと思った。
 白雪姫でも不思議要素はいくつかあるけれど、小人はこじつけで処理したし、魔法の鏡もおそらく人が代替品になれると思った。

(だけど……一番の不可思議要素はどうすれば)

 それはもちろん、このお話のクライマックス――白雪姫の蘇りだ。
 死んで生き返るなんて、神様でもいないかぎり無理だと思う。だけど登場人物には神様もいない。医者もいない。
 ユウキは考えに沈みこむ。
 白雪姫は毒りんごを食べて死んでしまう。死んだと小人が信じてしまうほどには死んで・・・いたのだ。それが喉に詰まったりんごが飛び出したことで生き返る。

(……あれ?)

 改めて考えて腑に落ちないとユウキは思った。毒で死んだのに、喉に詰まったものが飛び出して生きかえる。

(つまり窒息死で、毒は関係なくない? っていうか毒って入ってたの、それ)

 そう思ったとたんユウキは思い出した。昔、母に白雪姫の死因について突っ込んで尋ねて困らせたことを。

『ねえ、お母さん。毒って、りんごから染み出たりしないの?』

 あのとき、苦笑いして母は『ロマンがないわねえ。お父さんに似たのかしら』と言った。だがその後、何か納得の行く言葉をくれたような気がした。母はあのとき何と答えたのだろう? 思い出そうとするけれど、思い出せない。どうつじつまを合わせるのだろうと母に頼りたい。だけど今はそれができない。ユウキは自分の力だけで進むしかないのだった。


「……――おまえの伝? 義母上ははうえもその辺は掌握してるだろ。なんたって王妃だぞ。欺くには頭使わないとだめだ」
「頭を使うと言われても……」

 クリスとルーカスは議論を続けていた。それを耳半分で聞きながら、ふとユウキは考えた。
 こうして王妃がやってきたということは、誰かが密告したということだ。の役割は別にいるということになる。それは誰なのだろう。
 この場所を知っているのはユウキとルーカスだ。だからユウキでなければルーカスになるのだが……。

(だけど、彼が密告したのなら、助けるのはおかしい。助けたという事実があるのだから、やっぱり『ルーカスは小人だ』って考えないと……)

 疑う理由に嫉妬が混じっているとユウキは知っていた。悔しいけれど、きちんと客観的になって、認めないといけないのかもしれない。

(だけど、やっぱり、悔しい)

 ユウキは自分の気持ちは置いておこうと、頭を切り替える。
 ……間違いないのは、《鏡》が新たに現れたということだ。
 鏡にぴったりな配役はユウキだったが、ユウキが放り出すと、空いた配役は補われた。欠けた部分を修復していくのを感じると、物語が生きていると実感する。人と同じく、致命的な不具合がおこならないかぎり、物語は死なない。形を変えながら生きようとするのだ。そのことに安心はするけれど……。

 じゃあそもそもユウキはなぜここにいるのだろうか。ユウキが入り込まなくても、物語はちゃんと結末にたどり着いたのではないのだろうかと思えてならない。

『君次第だ』

 グリムの言葉を信じて小人になろうとした。だけど結局小人はルーカスのようだ。じゃあ、残りの登場人物にはユウキの役はない。つまり、その辺りの草とか木とか、そういった端役中の端役なのだろう。
 いてもいなくても良い程度の存在ならば、彼に負担をかける前に去った方がいいに決まっている。きっと次もルーカスが彼を守ってくれる。それは先程の件で証明された。
 覚悟を決めようとしたユウキだった……のだが、

(だけど……わたし、クリスのそばにいたい。自分の役割でなくても、守ってあげたいんだよ……!)

 驚くほどに強い願いが芽吹き、身体を突き上げる。草でも木でも、そのへんのイモムシでもなんでもいいから、傍にいたい。抗いがたいくらいにそう思ってしまって、ユウキは動揺する。

(ちょ――っと、往生際悪いよ! わたし! だから――わたしは、端役なんだから、いてもしょうが無いんだってば!)

 と、そのとき、クリスがきっぱりと宣言した。

「――だからさ、森に残ろう」

 どこか覚悟のこもった声にどきりと胸がはねて、我に返る。見ると、クリスはユウキをじっと見つめている。まるでユウキの心をすべて知っているかのよう。その上で諭すような眼差しだった。

「それは、どうしてです」

 ルーカスが問うけれど、クリスは先ほど締められた喉を押さえながら「決まってるじゃないか」と不敵な笑みを浮かべる。

「ババアは俺が死んだと思ってるんだからさ。下手に動かないのが得策だって。なあに、今度来たら、返り討ちにしてやるよ」

 青い目を細めた柔らかな笑顔は、色がついたせいで余計に綺麗だった。慌てて目を伏せる。ユウキは必死で守っていた胸の鍵が壊れるのを感じていた。

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