「かえらなきゃ――帰らなきゃ」

 ぶつぶつとつぶやきながらユウキはベッドの上で考える。働かない頭を叱咤しながら。
 熱を持った頭はまったく役に立たない。それでも現状を把握するため、ノートを取り出すと思いつくままにシャープペンシルを走らせた。
 中断が入る度に、考えることを放棄した。だが、今度こそは突き止めなければならないと思った。
 この苦しみから逃れられる場所は一つしか無い。母に会いたい。弟に会いたい。縋る想いだった。

「どうすればいいんだっけ……まずは……」

 ユウキは

『1.この世界がどの童話の世界なのか』

 と記す。
 何度もここで躓いた。これがわからないとどうにもならないからだ。ヒントを持っているのは登場人物だとルールには書いてあるし、前回の旅でユウキもよく知っていた。

「登場人物を整理してみないと」

 浮かされるように呟くと、ノートの空欄にユウキは出てきた人物の名前を連ねていく。
『オフィーリア、ハンナ』
 どんどんペンの動きが鈍っていく。
『クリス』
 一息つくと、
『エミーリエ』
 と記す。書いた途端、どっと疲れが出る。クリスに抱きついた彼女の姿がちらつき、思考がいちいち停止する。
 だけど母達の顔を思い浮かべ、自分を奮い立たせる。

『2.誰がどの登場人物なのか』

 タイトルを据えると、そこに名前を書き直す。名前の隣に役割を振っていく。彼らの持つ属性がなにかヒントになるのではと思った。

「オフィーリアはリーベルタースのお姫様だよね? で、クリスはパンタシアの王子様……ハンナは?」

 召使いとかなにかなのだろうか。クリスの傍にルーカスがいつもいるのと似ていると思う。ひとまず「召使」として空白を埋めるとユウキは次を書こうとして手を止めた。

「エミーリエ……は?」

 言葉が通じないようなことを言っていたからパンタシアでもリーベルタースの人間でもないのだろう。愛人と言っていたけれど、その役割自体が童話にはふさわしくない気がした。子ども向けの童話に愛人など出てくるわけがない。
 それでも何か引っ掛かりを感じる。一歩踏み込んで考えようとするけれど、どうしても拒絶反応が治まらない。愛人という関係は、もしかしたらこの世界ではふつうの事なのかもしれない。だけど日本育ちで高校生のユウキには免疫がなさすぎた。不潔――そんな言葉が湧き上がりかける。ユウキは必死でこらえると、胸で暴れ狂う感情に蓋をして天井を見上げた。

「考え方……変えてみよっかな」

 呟くと切り口を変えることにする。登場人物から導き出せないのならば、話の中の要素から何か手がかりを得るしか無い。
 ノートをめくり、前に書きなぐったエピソードを見直す。
 教会、オフィーリアとの衝突、行き倒れの男――
 そこまで読みなおして、ユウキはふと引っかかりを感じた。

(なにか、見落としてる気がする。重要な要素があった気がする)

 ユウキの視界には波の模様が映った。それはリーベルタースの紋章かなにかなのだろうか。城のいたるところで見ることができるのだが……

「そうだ。行き倒れの男……!」

 ユウキは思い出す。当時は彼だと気が付かなかったけれど、クリスは浜辺・・で倒れていた。そしてユウキと出会っている。

「浜辺……、海……?」

 海の出てくる有名な童話はさほど多くない。さらに幾つかの情報が頭のなかで結びつく。

「エミーリエが船が沈んだとか、言ってなかった?」

 そのエピソードは、確か。頭のなかの映像がユウキを駆り立てる。

「あ、そうだ――もしかしたら、あれ、読めるかも!」

 はっと起き上がると、ユウキはリュックを漁って童話集を出す。
 期待に顔を輝かせて本を開くユウキだったが、童話集はなぜか相変わらず文字化けしていて読めなかった。

「え、欠損、また直ってないの?」

 一体どういう仕組なのか。眉をしかめるが、ユウキはひとまず逸る心に急かされページをめくる。油断するとひらめきが消えそうで怖かった。
 記憶を頼りに童話集の中ほどにあるページにたどり着くと、ユウキはどくどくと音を立てる胸をぎゅっと押さえた。
 美しい挿絵の中では船が嵐にのまれようとしている。そしてそれを見つめるのは水の中から上半身をのぞかせた一人の少女だった。
 ユウキは目を見開いてつぶやいた。

「もしかして…………人魚、姫?」



 人魚姫と口にした時から、頭の中では警鐘が鳴り響いていた。全身にも震えが走り、今もまだ止まらない。

(もしもこの世界が《人魚姫》の世界だとしたら?)

 額の冷や汗を拭い、耳鳴りを堪え、ユウキは前回の手順を思い出して、ひとまずあらすじを書くことにした。人魚姫についてはあまり良く知らない。というのも、好んで読み聞かせてもらわなかったからだ。うろ覚えの記憶を頼りに話の筋をひねり出す。

(確か――)

 ――船に乗った王子様に一目惚れをした人魚姫は、海で溺れていた王子様を偶然助ける。だけど、人魚という異形の者であることから彼の前に姿を現せないでいるうちに、他の娘が王子を助けてしまい、王子はその娘を恩人だと思って恋に落ちる。人魚姫は王子への恋を諦めきれずに、人間になる薬を魔女にもらうのだが、代償に声を失う。そのため、人魚姫は王子を助けたのが自分だと伝える手段も失ってしまう――

(それからがちょっと曖昧なんだよね……王子様は王女様と結婚することになったような? だけど変じゃない? じゃあ、王子様が恋した、恩人の娘ってどこに行ったんだっけ……)

 いまいちつながらない。だが、その部分を保留にしたまま、ユウキは続きを書く。

 ――人魚姫は王子様と結婚できないと海の泡となってしまう。そしてついに誤解を解くことが出来ずに、王子はお姫様と結婚し、人魚姫は泡と消えてしまう――

 有名な悲しい結末にたどり着き、憂鬱になりつつ登場人物を順に抜き出していく。

(人魚姫、父や姉、人魚の家族。王子様に魔女、恩人の娘にお姫様――)

 それらには誰が当てはまるのだろうか。
 考えているうちに、いつしかユウキの全身はびっしょりと汗で濡れていた。
 ずっと震えが治まらない理由は、結論を既に知っているからかもしれないとユウキは思った。
 小さく首を横に振る。
 これ以上考えたくない。そう思った。だがここまで来て逃げてもしょうがない。奮い立たせるように口にする。

「……じゃあ、まず、人魚姫は?」

 溺れる王子を助け、岸まで引きあげた少女。王子に叶わない恋をして、苦しむ少女。

(『つい最近だよ、海で溺れてるあの人を助けたの』って言ってた。あと船が沈んだって教えてくれたのも)

 あの人というのが誰のことかは、もはや考えるまでもない。そして彼女・・は言っていた。

『アタシの国の言葉がわかる人間がいないから退屈してたんだ』

 言葉が通じず、

『さんざん弄んだくせに、アタシを捨てて王女様と結婚するって言ってるんだよ。大事だけど結婚はできないって。ひどいだろ?』

 叶わない恋をしていると。

 印象はまるで違う。だけどこれだけ要素が揃えば、否定出来ない。
 ユウキはめまいを感じながら、その役割を記す。
 エミーリエという名前の隣に、人魚姫と。ミミズのように不安定な文字がノートに踊った。
 ユウキはブルブルと震える手で、クリスの隣に王子と書き記す。そして。

「ねえ、わたし、これ、この展開、すごく嫌なんだけど――」

 吐き気がせり上がった。泣きたくなりながらもユウキは手を動かす。
 オフィーリアの名前の隣に書いた『お姫様』を、『王子様の結婚相手』と書き直す。そして力尽き、そのままベッドに突っ伏した。


 ユウキは幼いころ、この人魚姫というお話が嫌いだった。子供心に理不尽さを感じたのを覚えている。王子を助けたのは人魚姫なのに、王子は別の人に恋をしてしまうのだから。あまりに悲しい、納得の行かない結末だと思ったのだ。
 ノートの最初のページをめくると、ユウキはルールを確認する。

『物語がその物語の色を失わない程度の脚色アレンジは可能だ』

 最後に付け加えられた言葉を凝視すると、ユウキはつぶやいた。

「アレンジが、可能……でも、色を失わない程度……か」

 ハッピーエンドで完結させる方法があるのではないかとユウキは思った。幸せな結末にアレンジされた人魚姫だって存在するのだから。前回の件でも、グリムは言っていた。『死んだふりでもしておけばよかったんじゃないの。僕ならそうしたね』と。

「だけど、ハッピーエンドだったら人魚姫じゃないし――。だって、ハッピーエンドだったら普通のすれ違いの恋愛物だし――!」

 あのお話はハッピーエンドじゃないからこそ印象的なのだ。自分を助けた娘は人魚姫だと王子様が知り、誤解は解けて、二人は幸せになる――それは既に人魚姫ではない。

 ユウキはそこまで考えて、自分がむきになっていることに気づく。とたん、急激に湧き上がった恥ずかしさで顔を赤くした。

(うわあ……、わたし……! 最低)

 うつ伏せになって枕に顔を埋める。

(わたし――ハッピーエンドだったら、クリスがエミーリエと結婚するから、それが嫌なだけなんじゃないの? 自分が、彼と結婚したいから――)

 ユウキの役割はまだ空欄のままだった。ユウキは視線をずらすとオフィーリアの名前と隣の《王子様の結婚相手》という文字を見つめた。

 ユウキは今はただの身代わりだけれども、オフィーリアは未だ見つからない。このまま見つからなければ、ユウキはオフィーリアの姫という身分を手に入れて、クリスと結婚できるかもしれない。
 そして、そんなユウキにとって・・・・・・・のハッピーエンドは、人魚姫を完璧な完結に導く。――だが、それは人魚姫エミーリエの命を引き換えにしてのハッピーエンドであり――同時に現実世界での・・・・・・自らの死を意味していた。

 気づかなければよかった。気づいていないふりをしたかった、ユウキは思う。

 二つの結末の間でユウキは揺れ動く。

 いつしか耳鳴りはグリムの言葉に変わっていた。

『僕が言えるのは、君の選択が、最初から最後までこの世界の行く末を握っているということだけだ』

 このまま、何もかもに目をつぶり、偽りと犠牲の上に築かれた自分の幸せを選ぶのか。
 それとも、全く別の、新たな物語を描くことを選ぶのか。  

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