「了承、した? ユウキ――じゃなくて、オフィーリア姫が?」

 報告を受けたクリスは目を見開き、中腰になり、あげく、手に持っていた茶器を取り落とす。

「ええ」

 ルーカスはあっさり頷くと、「あーあ、これ高いですよきっと」と言いながら割れた陶器を淡々と片付ける。

「え、でも、彼女、エミーリエとのこと誤解したままで、あと、帰るって――」

 驚きが喜びに変わった頃には、思わず頬が緩みかけた。だがそんなクリスに、ブルーグレーの冷たい視線が刺さった。

帰る・・ってどこにです。また眠るんですか? 今度は何年? 私はあんなのはもうまっぴらですが」
「あ」

 クリスは思い出す。ユウキがあちらの世界に帰るためには、特殊な条件があったことを。
 前回は《白雪姫》という物語を紡ぎ上げ無ければならなかったという。ということは、今回も同様なのではないかと思い当たった。
 そして、『帰る』と言ってクリスをしっかり拒絶した彼女が結婚を呑むということは、きっと、話を作り上げ、あちらの世界への扉を開けるために必要だからなのだろう。

(確か――『ばらばらになった話の特徴的な要素をかき集めて、再構成し完結を目指す』だったか)

 記憶を漁り、ユウキの手帖に書かれていた該当文言を思い出して、クリスは脱力した。
 前回、彼女は白雪姫や小人や王子など、物語の登場人物をこの世界の人物に当てはめていた。つまり今回も、クリスは何か役を振られることになるのだろう。

「登場人物として……俺を利用するってことか?」

 腑抜けになったクリスは再び椅子に沈み込む。ルーカスに新しい茶を渡されるが、とても飲む気になれなかった。

「で、どうされるんです? 結婚されるんですか? あの得体のしれない娘と? 私には彼女が本物の王女にはとても思えませんが」

 やめたほうがいいんじゃないですか? 目で問いかけるルーカスはオフィーリアがユウキであると知ったときから、地味に、しかしはっきりと反対の意思表示をしている。
 よほどのことでないと動揺しないルーカスだが、さすがに先ほどユウキを目にした時は驚いたようだ。死んだように眠っていた彼女を知っているから余計だろう。りんごを食べて死に近い深い眠りに落ち、三年の時を経て蘇った――ユウキにまつわる不思議をクリスと同じくらいに知っている彼は、彼女を怪物のように思っている。
 ユウキのせいで、クリスが道を踏み外すのではないかと心配している。
 だが彼は単なる護衛だ。口を出せない立場だから、目で訴え続けるのだ。

(馬鹿げてるっていいたいのか? 俺だってそう思う)

 彼女が目覚めるまでの三年間を無為に過ごした自覚はある。
 だが、それでもどうしても放っておけない。理由は――わからない。いや、理由に気づくことが怖い。

「結婚は――する。彼女が望むなら」

 諫言を込めた視線を撥ね付け、きっぱり言い切ると、ルーカスは呆れたようなため息をつく。そして無言で部屋の外へと出て行く。手続きをするために国の両親に報告を入れるのだろう。そして正式に決まれば、誕生祝いにもらった船で、王女を国に連れ帰るのだ。


 一人になったクリスは窓辺によると、オフィーリアの――ユウキのいる部屋をじっと見つめた。

「利用するならば、すればいい」

 駒として、好きなように動かせばいいと思った。
 それで彼女が自分の世界に帰れるのならば、一番いいはずなのだ。
 たとえ彼女が再び眠りに落ちてしまったとしても。クリスはもともと、目覚めない彼女をずっと見守り続けるつもりだったのだから。

 だが胸の中にはほぐれないしこりが残っている。

「これで、良いんだろ?」

 誰に問うでもない言葉は、いつしか部屋に差し込んだ夕日の上にひっそりと落ちた。


 *


 オフィーリアの部屋の壁には、ドレスが何着もかけられていた。桃色、水色、黄色、橙色――白と黒以外の大抵の色が揃っているが、ハンナはいつもどおりに桃色のドレスを手にとった。ただ、今まで着ていたものとは違い、新しく誂えたものだった。上等なレースを使い、クジラの骨でつくったパニエでスカートを大きく膨らませたという最新の意匠には、年甲斐もなく心が華やぐ。しかし、娘――どうやらユウキと言う名らしいが――は美しい衣装に目もくれない。ただただだんまりを決め込んでいる。

「もうちょっと嬉しそうにしないかね。こんなに綺麗なドレスなのに。最新型だよ。こんなもの、庶民じゃ一生着ることはできないんだよ」
「…………」

 確かに話ができるようになったはずだった。だがそれもあの一瞬のことで、彼女は再び口を開かなくなってしまった。――いや、心ここにあらずといった様子がずっと続いているといったほうがいいかもしれない。
 先日、クリスティン王子と出会ったあと、急にこうなった。
 どこでどう知り合ったのかは分からないが、二人は顔見知りだったように見えた。
 そして、少なくともハンナには、王子の方にユウキへのただならぬ感情があるように見えたのだが……、それにしては、腕に愛人をぶら下げた王子の態度は、あまりにも煮え切らなかった。
 ユウキが落ち込んでいる原因は、あの愛人についてのことだろうか。二人に追いついた時にはすでにあらかた会話が終わっていたのが悔やまれる。聞いていれば励ましようもあったような気がするのだ。

(と言っても……アタシがこの娘の気持ちを思いやるのは、お門違いだね……)

 顔色をなくし、沈み込む娘を見ていると、ハンナは気が重くて仕方がない。
 これからユウキを騙して教会に連れて行く。そして先に教会に届けた純白の花嫁衣装に着替えさせる。そして、”意志を持たない人形として”、儀式を済ませたら、そのまま船に載せるのだ。――パンタシア行きの船に。
 オフィーリアが見つからないというのに、王は縁談を強行しようとしていた。本人の意志を無視し、勝手に了承の返事をしてしまったのだ。死体愛好家で、求婚するための旅に、愛人を連れてきたというとんでもない王子との結婚を。
 パンタシアとの関係を思うと、この政略結婚が重要だからだろうか。

(学がないわたしにはわからないが……)

 身代わりがばれたらただでは済まないと思うのだが。それがわからない愚かな王ではないとハンナは思う。どちらかと言うと策略家なのだ。だから恐ろしい。なにかとんでもないことを企んでいるのではないかと。
 不穏な気持ちを消したくて、ハンナはユウキをひたすらに飾り付けることにした。
 黒い豊かな髪を梳く。淡い桃色のドレスが映えるように、髪に白い花を編みこんでいく。顔立ちは地味だが不細工ではない。むしろ化粧を施すとオフィーリアの姉姫たちとも張り合えるほどに磨かれた。
 紅を引き終わると、ハンナは仕上がりに満足する。

「ほら、似合うじゃないか。笑いなよ」

 だが、ハンナはがっかりする。鏡に映るユウキは死んだ魚のような濁った目をしていて、それがすべてを台無しにしてしまっていたのだった。

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