鳴り響く鐘の音。窓の外を羽ばたく白鳩を背に、クリスがユウキのベールを取り払う。
 表情を映さぬ青い瞳が伏せられる。
 彼の唇が頬に軽く触れる。冷たい儀式的なキスを、ユウキはどこか他人ごとのように冷めた目で見つめていた。


 *


 おめでとうおめでとうという祝福の嵐にもまれ、壊れたおもちゃのようにありがとうと繰り返す。仮面のような笑顔はいつしか顔に張り付いてしまっていた。笑顔が剥がれるとどこからか冷たい視線を感じたからだ。殺気とでも言えそうな、そんな鋭い視線を発しているのはリーベルタースの王。ユウキを替え玉に仕立てあげた張本人だ。この縁談を絶対にまとめたいのだろう。
 城の部屋を連れだされた時に予想したとおり、あのあと、ユウキは花嫁の役をこなすこととなってしまった。
 教会に連れて行かれ、あれよあれよという間に儀式が終わった。逃亡を恐れたのか、何か薬を飲まされていたようだった。動かぬ体と頭では策もなく、どうすることもできないまま、船に乗せられ――今は船上パーティーの真っ最中なのだ。

「ちょっと風にあたってくる。疲れちゃって」

 そうハンナに告げると、彼女はくたくたのユウキを見て気の毒そうに頷き「お部屋に戻りますか」と尋ねた。すると、少しだけ離れた場所に座っていたクリスもこちらに視線を向ける。彼はなにか腹を決めたように頷いた。
 聞けば、彼はオフィーリアとの縁談を、二つ返事で受けたらしい。
 あっさりと結婚を承諾したということは、前回同様、ユウキに協力してくれているのかもしれない。ありがたいはずのことだけれども、どうしても素直に喜べない。

『おまえは、ここにいるべきじゃない』

 きっぱりとした声は何度でもよみがえる。早く早くと急かされているようで、落ち着かない。

(わかってるよ。さっさと帰るから)

 だが、帰るからと言いつつも、具体的な方法はまだ練れないままにここまで話が進んでしまった。
 というのも、クリスとエミーリエがハッピーエンドを迎えるためには、誤解を解くだけでは足りないようなのだ。
 クリスをちらりと見やる。どうやら彼も退席するようで、併せて宴は散会になるようだった。クリスが挨拶をしている――が、その言葉はユウキには理解できない言葉だった。パンタシア語というやつだろうか、と思いつつユウキはぼんやりとクリスを見つめた。
 クリスの花婿衣装は、黒の燕尾服だった。服自体は何度か目にしたことはあるけれど、衣装に負けずに着こなしているのを見たことはない。クリスが着るととんでもなく美麗で、迫力があった。赤い髪は燃え盛る炎を思わせ、青い瞳は海をそのまま湛えているよう。ユウキは最初目にした時には時と場合を忘れて惚けかけた。
 だが、今、彼の表情はどこか切なげだ。
 人魚姫――エミーリエへの裏切りを悔いているのだろうか。
 ハンナが船が出港した後に、だまし討ちを謝罪し、同時にユウキにクリスとの結婚の継続を懇願した。この結婚は大国二つを結びつける、重要な政略結婚らしい。だから、リーベルタースとしては断ることはできないのだと。国のためにも身代わりとしてやり過ごしてくれと。
 そして結婚の重要性はクリス――パンタシア側にも当てはまる。彼には愛するエミーリエと結婚せず、お姫様(オフィーリア)と結婚する正当な理由があるのだ。
 政略結婚というものはそういうものなのかもしれない。個人の意志など関係ないところで、利権のための駒になるのだ。
 だが、

『じゃあ、今ここでしてしまう?』

 得体のしれない自分に対して結婚を持ちだしたクリスの顔が鮮やかに蘇り、鼻の奥がツンとする。
 無茶な約束が、彼の立場を知ることで、重みを増した。だからこそ、余計に変化が辛い。

(今回は、エミーリエよりも、国を取るってわけ。大人みたい――そっか。三年で、大人になったってこと?)

 だんだん、腹が煮えてくる。彼の立場を理解しようと思うけれど、どうしても割り切れない。

(だって……そんな風に自分の立場がわかっているのなら、最初から手を出さなければよかったんだよ。それなら、期待しなかった)

 不実な男はどうしても責めたくなってしまう。だが、途中で矛先がエミーリエのことではなく自らへ向けられた約束にすり替わっていることに気がついて、ユウキは慌てて首を振った。

(――! だから、違うって!! あれは……約束にもなってなかったんだし……!)

 彼から目をそらすと、会場を見渡す。エミーリエの姿はない。彼女も国に帰らなければならないだろうから、船に乗っているはず。今一体何を思って何をしているのか。
 好きな人が――相思相愛の恋人が他の女と結婚してしまったのだ。気が狂いそうなほど、苦しんでいるに違いない。確か、人魚姫が泡になるのは、結婚した翌朝。それまでに――彼女が海に身を投げる前に、なんとかハッピーエンドにこぎつけなければ。

 広間から出ると、ふらふらと人気のない船尾へと向かう。一人でゆっくり考える時間が欲しかった。ハンナは後ろめたさもあるのだろう。「ご就寝の準備もありますので、少しだけですよ」とユウキが一人になるのを見逃してくれた。
 空には大量の星が様々な絵を描いている。だが美しさに感動している場合ではない。凪いだ水平線を眺め、ため息を吐いた。一歩、二歩と船の縁へと歩くと手すりにもたれかかる。そしてハッピーエンドで終われる方法を考え始める。
 まずは王子の誤解を解かなければならない。エミーリエが彼を救った恩人なのだと。王子が好きなるべきは女性は人魚姫エミーリエなのだから、彼女と結婚するべきだと。

(そうだ……わたしが話せばいいのかも?)

 それが一番早いのだ。言葉の通じないエミーリエの代わりに、真相を知る、ユウキが誤解を解いてあげればいい。

(だけど、それはさすがにストーリーをはみ出しすぎ、かも?)

 オフィーリアとの縁談が破談になったとしても、大国の王子であるクリスが人魚姫と結婚できるとは限らない。他国のお姫様と結婚するかもしれない。
 そして、縁談が破談となった場合、ユウキがオフィーリアの身代わりをする理由はない。もし偽物・・としてユウキがつまみ出されてしまえば、ユウキはここで物語から追い出されてしまう。となると、物語に干渉することが難しくなるだろう。
 その間に――もしも悲劇で幕が下りてしまえば――
 行末を想像してユウキはブルリと震える。

(……どうしよう)

 妙案が浮かばずにユウキはぐったりと手すりにもたれかかる。身をかがめ、頬を手すりにつけるとひんやりと心地よい。

「童話本の文字が読めたらなあ……」

 ストーリーを完全に覚えているわけではないのもまた、考えがまとまらない原因だと思った。
 王子様がお姫様と結婚した。このあとは、人魚姫の恋が破れ、人魚姫が泡になる――くらいの記憶しかないのだ。よくよく考えると、お姫様と結婚するところから唐突だと思っていた。間に他のイベントが挟まっていたような気がするのだけれど、白雪姫ほど読んでもらっていないせいで、強烈な印象のイベントだけが色濃く焼き付いてしまっている。それが飛び石のように頼りなく完結ゴールまでをつないでいるだけなのだ。
 わからないことだらけの世界ではやはり浅慮な行動は控えるべきだろう。

(だけど、このままだとわたしがクリスと結婚してしまうんだよね……)

 オフィーリアでもなく、エミーリエでもなく。
 その未来はひたすらに甘いが、底が見えない昏さがあった。ユウキは黒い海を覗き込む。海は船上のきらびやかな光を跳ね返していた。ゆらゆら、ゆらゆら。ユウキの気持ちも波のように揺れていた。
 と、そのとき、

「――まぁた性懲りもなく!!」

 がつん、と横からタックルされてユウキは船のデッキに転がった。

「――……え!??」

 事態を把握しようと辺りを見渡すと――そこにはエミーリエが目を怒らせてユウキを睨みつけていたのだった。
 彼女はユウキに向かってがなりたてた。

「おまえな! いくら好きでもない男と結婚させられようとしたからってな! 早まるなよ!! 生きてりゃ、おまえの好きな男にも、会えるかもしれないだろ! おまえが死んだらそいつがどれだけ悲しむと思ってる! そいつのためにも逃げるな。生きてあがけ!!」

 まるで火山の噴火だと思う。一方的に罵られてユウキは唖然とする。

「え、あの、いや――わたし、」

 別に死のうとは思ってないんだけど……! と言おうとした時、何かが頭の隅をかする感覚があった。だが、ひらめきそうなのに、ひらめかない。もどかしさに気を取られたところで、第二弾の雷が落ちてきた。

「あとな! いくらなんでも、ドレスのまま夜の海に落ちた女は助けられないからな! というかアタシだって命は惜しいんだ。目的も遂げずに死んだら、国の家族が――……」

 そこまで叫んだエミーリエはハッとしたように口をつぐみ、胸のあたりをギュッと掴んだ。そこで、異変に気がついた護衛が駆けつける。そしてデッキに倒れたままのユウキを見ると血相を変えた。

「曲者か! ――って、この女、例の……」

 護衛がどよめく間にエミーリエは踵を返すが、すぐさま取り押さえられて、羽交い絞めにされる。ユウキは慌てた。

「――ねえ、ちょっと、この方、わたしを助けてくれようとしたの。害意があったわけじゃなくて――だから離してあげて!!」

 だが、さすがに王女・・への体当たりは不敬が過ぎたのだろう。羽交い絞めは解かれたものの、代わりに腕を後に捕縛されて連行されていく。
 ユウキはそれを半ば呆然と見送っていたが、ふと頭をむしばむ違和感に目を細めた。

(あれ?)

 エミーリエの叫んだ言葉に触発され、童話の一節が蘇りかけていたのだ。

(家族? 人魚姫の――家族・・?)
(童話の中で、人魚姫の姉さんたちは、いつ登場したんだっけ? っていうか、人魚姫にお姉さんがいるって、わたし、どうして知っていた?)

 ユウキは強烈な不安にかられた。
 震えが足元から上ってくる。ユウキは「姫様、大丈夫ですか?」と肩を貸そうとするハンナを振り切ると、与えられた船室へと駆け出した。今すぐに童話集の挿絵が見たかった。何か重大なものを見落としている気がしたのだ。

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