食い入るようにユウキを見つめていたクリスは、やがて「人の気も知らないで」と言うと大きなため息を吐いた。

「諦め悪いのは俺もだよ。本を見る限りはラストまで間はないな。じゃあ、……わかってることを教えてくれ」

(ああ、やっぱりクリスだ)

 姿は変われども、彼は相変わらずユウキの力になってくれる、頼もしい彼のままだった。愛人エミーリエのことや、オフィーリアとの政略結婚のせいで、別人にでもなったかと思っていたけれど……違った。
 これならば、きっと誠意のある行動をとってくれるはずだし、選択を間違うこともないと思った。

(きっと、幸せになってくれる、はず)

 真剣な眼差しで頷くと、ノートを取り出した。

「ええとまず、クリスは王子様の役ね」
「そのままだな」
「うん。だけど、根拠になったのは、海で溺れて浜辺に打ち上げられたってところ。そして、今、お姫様と結婚したところ」
「じゃあ、ユウキ、お前は?」
「わたしは……お姫様なんだと思う、一応」
「一応って?」
「だって、わたし、本物のオフィーリア王女の身代わりだもの」
「身代わりってどういうこと?」

 ユウキが本物のオフィーリアとぶつかったあと、身代わりを務めることになってしまった経緯を告げると、クリスは難しい顔をした。

「じゃあリーベルタース王は、身代わりの姫を俺と結婚させたってこと? それ、国際問題なんだけど」

 いまさら頭を抱えるクリスに、ユウキは首を傾げる。クリスはユウキがこの世界の人間ではないことを知っているのだから、当然入れ替わりのことも理解して、その上で了承したのかと思っていた。
 だが、よく考えると、それもおかしな話だ。身代わりの姫と結婚する理由が全く思いつかないのだ。

「クリスはわたしが何だと思ってたわけ?」
「ええと、こっちの世界でオフィーリアっていう別の容れ物が用意されてるのかなって」

 ユウキが考えもしなかったことを、クリスはいろいろと考えていたらしい。
 なるほどと納得する。

「相変わらずクリスって頭が柔らかいよね」
「っていうかおまえの周りで常識にとらわれたら馬鹿らしいから。あー……じゃあ、ユウキは身代わりなわけ? 本物は?」
「行方不明」
「じゃあ、このまま見つからなければ……」

 クリスが思案に沈み、ユウキも考えこんだ。このままオフィーリアが見つからなかった場合は、政略結婚が成り立たなくなる。パンタシアとリーベルタースは婚姻によっては結ばれないということ。成り立たない政略結婚の意味を考えこんだ時、クリスが次の質問をして、ユウキは我に返った。

「じゃあ、さ。エミーリエの役は?」

 彼の口からその名を聞くと、胸がぎりりと締め付けられた。痛みを飲み込むようにしてユウキは答えた。

「……人魚姫だよ」

 ユウキのしかめっ面に釣られたように、クリスは「物語の主役?」と神妙な顔になった。

「根拠は? 言葉が話せないからか?」
「話せない?」

 ユウキは通じないの間違いじゃないかと引っかかりを感じながらも頷く。

「あとは、彼女が海で溺れたクリスを助けたらしいってことと……それから」

 ユウキは言葉に詰まる。

「なによりも……エミーリエは、クリスのことを好きで、クリスの妃になりたいって思ってる」

 クリスが「あー……だな」と赤い髪をかき上げる。気まずそうな表情に、クリスの葛藤が見えて、エミーリエの言葉が胸を刺した。

『さんざん弄んでおいて』

 その意味を考えると、口の中が苦くなる。
 さっき、クリスはユウキにキスをしようとしたけれど……あんなふうにエミーリエにキスをしたのだろうか。
 ――いや、それ以上のこともしているのかもしれない。

(嫌だ)

 心が叫ぶけれど、彼のことを批難できる立場に、ユウキはいない。それが切なくて仕方がなかった。湧き上がる醜い感情に蓋をしようと、ユウキは必死で言い募った。

「わたし、エミーリエとクリスのこと応援してる、よ」

 心にもないことを言っているという自覚はあった。それでも、ここを去る前に変にしこりを残したくなかった。自分のことなど忘れていい。クリスには幸せになってほしい。

「今なら、本物のオフィーリアがいないし――」

 だが、何気なく口にした言葉で、ユウキはふとひらめいた。

「そっか、そうすればいいんだ。配役交代だよ」
「配役交代?」

 前回も使えた手だとユウキは僅かに興奮する。クリスは魔法の鏡と王子様、二つの役割をこなした。
 今回、その手が使えないはずはない。まったく見えなかった未来が、目の前の靄が晴れたおかげで顔を出した。

「今から、エミーリエとわたしが入れ替われば、全部丸く収まるんじゃない?」

 自ら発した提案が凶器のようにユウキを斬りつける。だけど、それがハッピーエンドにたどり着ける唯一の道だと思った。

「どうしてそう思う?」

 クリスが問い、ユウキは必死で頭を働かせて、ひらめきをつなぎ合わせる。

「リーベルタースはパンタシアと繋がるために、オフィーリアの入れ替わりを隠したがってる。だから、クリスさえオフィーリアの入れ替わりに気づかないふりをすれば、この結婚は継続されると思う。で、姫の身代わりは、つまるところ、誰でもいいはず。だって、わたし、容姿が似ているからという理由で選ばれた。だから、リーベルタースにバレなかったら、結婚相手はエミーリエでも問題ないと思うんだよ」
「……騙されたふりをしながら、逆に俺がリーベルタース側を騙せばいいってこと、か」

 どうやらリーベルタースとは面倒なことになりそうだな。と難しそうな顔でクリスが話をまとめ、ユウキは頷いた。
 この作戦がうまくいく条件としては、唯一オフィーリアが偽物だと知るハンナが黙っていてもらう必要がある。だが、ユウキが逃げるためだと協力を促せば、きっと彼女は目をつぶってくれる気がする。
 そして、クリスとエミーリエが事実上の結婚をし、訪れるハッピーエンドの中、ユウキは現実に戻るのだ。

「こうすれば、みんな、幸せになれるよね?」

 唯一幸せでないのは、きっと人魚姫の失恋――実らなかった恋・・・・・・・を背負うユウキだけだ。
 胸の痛みを必死で堪えながらユウキは説明し終わる。ストーリーをうまくなぞれるのではという自信だけはあった。
 だが、クリスは「幸せ?」とつぶやき、不機嫌そうな、全く納得行かない顔をしている。

「確かに話は纏まりそうだけど……俺の気持ちはまるで無視?」
「え?」

 そもそもこのストーリーは、クリスとエミーリエの恋物語として構成したのだ。根本も根本の部分に触れられてユウキは頬を張られたような気になった。

「俺、別にエミーリエと結婚したいとか、思ってないし」

 ぼそっと彼は言い、ユウキはさらに衝撃を受ける。
 それはどういう意味だろうか? まさか、エミーリエのことは遊びだったとでも言うのだろうか。
 思わずユウキは顔をしかめる。そうだとすると、諌めないといけないと思った。思わず拓哉にするような口調で、ユウキは説教する。

「だめだよ。クリスは、エミーリエと結婚しないと。手を出したからには責任取らないと」

 クリスは「やっぱり誤解してるんだ」と小さくため息を吐いた。

「責任取らないといけないようなこと、俺、何もしてないけど」

 思ってもみない話にユウキは目を見開いた。

「え? でもエミーリエが、あの、弄んだって――」

(じゃあ、それは体じゃなくて、心のこと? 思わせぶりなことを言ったとか、そういうこと?)

 考えているとクリスが鼻で笑う。彼の怒りを感じ取って、ユウキは体をこわばらせる。

「っていうか、責任取らなけりゃいけないんだったら――責任取れって言われるんだったら、俺、」

 クリスが目を伏せる。視線の先を見ると先ほどのページを開いたままの童話本が鎮座している。
 幸せそうなお姫様と王子様。それを見つめる人魚姫。ユウキはいつの間にか、人魚姫と同じ目線で二人の姿を見つめていた。

(わたし、お姫様になりたい。このお姫様――オフィーリアに成り代わりたい)

 心の奥から叫び声が上がり、鼻の奥がツンとする。

「ユウキ」

 クリスがまつげを持ち上げる。目と目が合ったとたん、ユウキは自分がとんでもない誤解をしていたのではないかと思いあたった。
 だって、この目は、訴えている。ユウキが・・・・欲しいと言っている。目は口ほどに物を言うとは、こういうことではないかと思ったのだ。
 ユウキは怯む。反応するかのように、ベッドが軋む。討論している場所を思い出し、急に落ち着かなくなる。怯えたユウキが後ずさろうとしたときだった。

(え――??)

 腕を掴まれた、と思った次の瞬間、ユウキはクリスの腕の中にいた。

「ちょ、っと、クリス!?」

 驚いてもがくと、まるで逃さないとでも言うように、彼はユウキを抱きしめる。

「俺さ、」

 クリスはユウキの肩に顔を埋めると、呻くように言った。

「こんな風にしたらいけないってわかってる。この世界は、おまえが生きる世界じゃないってこともわかってる。だけど――我慢できない。もう、あんなふうに待つのは耐えられない」

 背にかかるクリスの声は震えていた。

「眠ってる時さ、おまえ、ずっと冷たかった。動かないし、しゃべらないし、目さえ開けない。本当に人形みたいだった。だから、おまえがこうして動いているのを見ると、失うのが耐えられない。俺、この温かさを、手放したくない。声だってもっと聞いていたい。――目を開けて、俺を見て欲しい」

 血を吐くように訴えられ、ユウキは、彼の待った三年の重みをはじめて理解したような気がした。
 ユウキにとってはほんの数日だった。だけど、クリスは三年、いつ目が覚めるかもわからない、人形のようなユウキを見ていたのだ。それは、どれだけの苦痛だっただろう。
 クリスはユウキの肩の上に伏せていた顔を上げる。碧い目が、ユウキを食い入る様に見つめていた。

「ユウキ、俺、……もう、一人は嫌だ」

 彼の言葉からは、まるでこの世界に一人で残されたかのようなひどい孤独を感じた。

(わたし、これじゃあ、残していけないよ……!)

 もしクリスの言うとおりにこの世界に残るとしたら。決心が鈍り、ユウキはもう一つの未来に思いを馳せた。
 ユウキがオフィーリアの居場所を奪い、この世界に居座れば――世界はどう変化するのだろう。
 クリスの行く末が気になる。エミーリエの行く末が気になる。二つの国の行く末が気になる。
 ――そして、あちらの世界の自分も、一体どうなるのだろう。
 母と拓哉がどこかで、戻っておいでと叫んでいる気がした。けれど、ユウキは揺れに揺れていた。
 それでも、どうしても選択を口にできないユウキに、クリスは、何か覚悟したかのように口を開く。

「……、………………!」

 ユウキは目を瞬かせた。言葉を聞き取れなかったのだ。

(あれ、今の、リーベルタース語?)

 動揺するユウキに、クリスは耳を赤くして真剣な眼差しを向ける。どうも返事を待っているように見えた。ユウキは小さく首を横に振る。

「ごめ、ん、今の、なんて言ったかわからなかった……」

 正直に言うと、クリスは首まで真っ赤になる。

「欠損、か。……悪い、つい、パンタシア語が出た」

 それでユウキは忘れていた欠損のことを思い出す。

(あれ、欠損……って、まだ全部は直ってない……んだ?)

 欠けている残りはパンタシア語だろうかと考えて、ユウキは眉をしかめた。ユウキが獲得した言語は現在二つのはず。エミーリエにしか通じなかった言葉。それから今、クリスと話している言語――リーベルタース語だ。となると最初に獲得した言語は一体何だったのだろうか。

 上の空になっていたユウキは、肩を掴まれてはっとする。その時だった。

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