ギブアンドテイクというユウキの案が気に入ったらしく、少女は頷いた。
 契約は成立し、ユウキは左足を引きずる少女を支えて森をさまよった。
 足をぬかるみに取られ、疲労度はどんどん増していく。最初に頭上にあった太陽はじわじわと傾いていく。陽光を追いかけながら西へと向かう。
 ぬかるみがなくなったかと思うと、今度は岩が増えて足元が悪くなり、足に疲労がどんどん溜まった。
 お腹が空いたけれど、食べ物など何も持っていない。ペットボトルの水も残り少ない。水は綺麗に見えるけれど、お腹を壊すことを考えると、迂闊には手が出せない。寒くないこととだけが不幸中の幸いだった。

 疲れと空腹をごまかすために、ユウキはノートに書かれていたルールについて考えていた。
 書かれたルールには「出会ったすべての人物に意味がある」とあった。つまり、この少女もこの物語の世界で役割を持つということになる。
 何も考えずに助けたけれど……急に不安になる。

(もしこの子がここでのたれ死ぬ運命だったとしたら? それを邪魔してしまったとしたら、わたしはもう既に現実に戻ることは出来ないかもしれないよね)

 致命的な手違い(エラー)は、すなわち現実での死を意味すると書かれていた。不安で足がこわばる。けれど、すぐに頭を切り替える。

(いや、でもそんなに簡単に死ぬ登場人物というのは、いなかったと思う。なんといってもここは、こどものための優しいはずの童話の世界。作中で人が死ぬとしても、悪役がお話の最後に非業の死を遂げるくらいだ……ったと思う……けど)

 ちらりと少女を見る。

(この子が悪役?)

 愛らしい少女というのはたいてい悪役ではなく、主役級のはず。

(主役となると……)

 少女が森のなかで迷子になる有名な童話と言えば、なんだろう。
 ユウキの読書歴は小学生高学年で止まっているようなもの。そのため、うろ覚えだった。
 ユウキにあるのは、昔、母が読み聞かせてくれた本からの知識、それとアニメーション映画からの知識くらいだ。
 ぼんやりとぼやけた輪郭の物語を必死で掘り起こす。
 迷子と聞いて一番最初に思いついたのはヘンゼルとグレーテル。二人の兄妹が親に捨てられて森をさまよい、お菓子の家で魔女に囚われるお話だ。だけどこの子がグレーテルとしたらヘンゼルはどこだろう。お菓子の家からグレーテルだけ逃げてきたのだったら、二人で魔女を倒して家に戻るというハッピーエンドには程遠い。

(もしそうなら、送り返さなければならないってこと? こんな怪我をしてるのに?)

 怖くなってユウキは名を尋ねたくなったけれど、青白い顔をした苦しげな少女に問うのはためらわれた。
 とにかく話はどこかで落ち着いてからだ。そう思った。


 *


 いつしか日暮れが近かった。このまま行くと野宿だろうかという焦燥感に押しつぶされそうになりながら、あてもなくさまよっていたけれど、やがて少し幅の広い小川に行き当たった。今までは肩幅もないくらいだったけれど、この川はたぶん一メートルはある。少し迷ってから、道の険しくなさそうな下流に向かおうとしたところ、

「こっちが、いい」

 少女が上流を指差す。

「道、知ってるの?」
「迷った時は下流に向かえばいいけど、今は人のいない方向に逃げたいから」

 下流に向かうということは平野に出る。平野にはきっと人がいる。なるほどと思いながらユウキは彼女に従った。この世界ではユウキは確実に異邦人だ。ユウキの知らない常識があってもおかしくないから、現地人の言うことを聞いたほうがいいと思ったのだ。
 しばらく歩くと、ユウキは木々に隠れてひっそりたたずむ建物を見つけた。ログハウスとでも言うのだろうか。木を組んだだけの古く小さな建物だ。

(こんなところに人が住んでる?)

 期待したけれど、それはすぐに裏切られる。周りの雑草は伸び放題。道もない。しばらく使われていないのは明らかだった。
 まさかお菓子の家じゃないよね? とおそるおそる壁を触ると腐った表面がぽろぽろと崩れた。

「わ――」

(お菓子ではないみたいだけど……別の意味で危なそう……)

 そう思いながらそっと揺すってみるが、見かけの古さの割に案外頑丈にできているようだ。
 中を覗く。部屋は一部屋のみだ。誰も居ないのを確認すると、昔庭だったらしい場所を見つめていた少女をひとまず中に入れる。
 埃はすさまじいものの、建物はしっかりしている。よほどひどくないかぎりは雨風を凌げそうだと思った。
 古いタンスが端にある。椅子が二脚。暖炉もあり、錆びた鍋が置いてある。薪などはないけれど、一時的に避難する場所には充分に思えた。
 少女はからっぽの暖炉をじっと見つめながらポツリとこぼす。

「昔の森番の小屋だ。井戸もある」
「……助かった……」

 井戸という言葉に心底ほっとする。ペットボトルはもう空だったのだ。少女が埃だらけの建具を漁ると、中から古い毛布が二枚見つかった。一枚をユウキに渡すと、少女は自分も毛布をかぶって壁に背を預けながら、大きくため息を吐いた。

「ありがとう。すっげえ助かった。ここまで来たらそうそう見つからないと思う」

 あどけない笑顔にユウキもほっとする。
 そして夕日に浮かび上がる彼女の顔を見て、目を見はった。今の今まで苦しげな表情で気づかなかったけれど、これは……相当な美少女だ。
 少しだけつり上がった大きな目は猫を思わせる。鼻筋は通り、唇は花びらのように可憐なカーブを描いている。
 首まで詰まったドレスに包まれた身体の胸はな――いや、発達途上といった感じだけれど、それが中性的でしなやかで、魅力的だと思った。
 歳はおそらくは十代中盤だろうか。
 あいかわらずモノクロで色がついていないけれど、もし色が見えたら、輝くばかりの美少女に見えるだろうと思った。
 そんな感じで、ユウキが慎重に観察を始めると、少女は顔をしかめた。

「何ジロジロ見てんの? 気味わるいんだけど」

 しかし、言葉遣いは乱雑で、口も悪い。

(お姫様っぽくないんだけど……そうだ。この子、ほんとにお姫様……?)

 疑いの眼を向けると、逆に同じような目を返された。

「あんた……外国人か? 珍しい髪の色してるし、言葉もなんかたまに変」

(あ…………! そういえば言葉、わかる!)

 今の今まで必死過ぎて頭が回らなかったユウキは、言われてハッとした。
 本は読まないけれど、異世界トリップものの映画なら見たことがあるし、有名な猫型ロボットのアニメはユウキもファンで弟とよく観ていた。彼らが異世界に行くたび、翻訳するアイテムを出して、別世界の住人と意思疎通を図っていた場面は、ユウキがワクワクするシーンの一つだった。
 今の今まで、グリムが何か細工をしてくれたのだろうか――くらいの感覚で深く考えずにいたようだ。そもそもここは創作の世界なのだから、どうとでもなるような気がする。そんなことを考えつつも、ユウキは気になった事を尋ねる。

「言葉が変、って――わたしの言っていること、分からない?」

 すると、少女は困惑した顔になった。

「大半は分かるけど、たまにわからない言葉を喋ってる。んーと、ハショウなんとかとか」
「破傷風? 病気の名前なんだけど……聞いたこと無い?」

 頷かれる。この世界に破傷風という病気がないのか、それともまだ発見されていないのか。どちらかなのだろうけれど、説明が難しい。
 ここは異世界から来たとでも説明すればいいのだろうか。だけどどう考えても信じてもらえなそうだし、ユウキ自身がまだ信じきれていない。
 悩んだユウキは、質問に答えず、落ち着いたら聞こうと思っていた事を、思い切って聞いてみることにした。

「あの――ここはどこ?」
「シュトライテンの森」
「えっと、それって国の名前?」

 少女は右目を細める。

(わあ、何を聞いてるんだって言う顔してる……。そりゃそうだよね)

 ユウキがもし地元で地名を聞かれても「日本」なんて答えないし。東京、とも答えないかもしれない。言うとして市町村名、もしくはその後に続く地名だろう。
 少女は訝しげにしながらも答える。

「いいや、領地の名前」

 領地ってなんだろう――と頭が混乱する。領土ならわかるけれど。領地と聞いて、ぱっと思い浮かぶのはイギリスなどでの貴族制度なのだけれど、今の時代でも領地という制度があるのかどうか――勉強不足でわからない。

「ええと……じゃあ、ここってなんていう国?」
「パンタシア王国だけど……?」

 そんな国の名前は聞いたこと無い。単にユウキがさほど興味を持っていないからかもしれない。けれど、ニュースでも、地理の授業でも欠片も聞いたことがない気がした。はっきりしているのは、日本の近くにそんな国はないということだ。

「あんた、記憶喪失かなにか? 相当やばいと思うから、ちょっと医者に診てもらったほうがいいと思う。あー……だけど、ちょっと今は立て込んでて連れて行ってやるのは無理なんだよなあ……」
「あ、あの、医者は行かなくても大丈夫! ちょっと迷っただけだし!」

 ユウキは焦る。

「迷ったって言っても、ここって国境から結構あるぞ? どうやって外国人が迷いこむっていうんだ」

 少女の顔の、疑いの色が随分濃くなってきた。でもごまかすしかない。こんな荒唐無稽なお話、話して理解してくれるわけがない。医者に連れて行かれたら、それこそ頭がおかしいと言われて現実に戻れなくなりそうだとユウキは思った。
 とにかく医者から話を逸らそうと、ユウキは逆に質問をした。

「でも――じゃあ、あなたは、どうしてこんなところにいるの? その格好――お姫様なんだよね? 殺されるって一体どういうこと」
「…………」

 少女はぎくりと顔をこわばらせる。

(やっぱり、何か訳あり?)

 よく考えると、お姫様ならば童話では主役級だ。訳ありお姫様ならなおさら。物語の匂いを嗅ぎつけて、ユウキは身を乗り出した。
 少女は服をギュッと握る。その手が汚れているものだから、意匠を凝らしたドレスがどんどん台無しになっていく。

「クソババア――王妃が、美しさで負けたからって、ブチ切れやがった」

 似合わない「クソババア」に顔をしかめる。だが、ふと今の言葉が頭の隅の物語にかする。今得ている手がかりは、森で迷子の女の子。そして追加されたのは、追っているのが王妃であるということ。

(そして――)

 ユウキはまじまじと目の前の美少女を見つめた。このお姫様は誰もが認める美しさだ。もしかしたら――国一番と言っていいくらいの。

(……ただし、どうにも中身が伴ってない気がしないでもないけれど……)

 残念な美少女を前に、それでもユウキは半ば断定気味に問いかけた。一刻も早く手がかりが欲しかった。だからそうであって欲しいという願望だった。

「あなた、もしかして白雪姫・・・……!?」

 だが、静かに興奮気味のユウキに返ってきたのは、病人を憐れむような視線だった。

「…………はぁ? 俺の名前はクリスだけど? クリスティン=オスヴァルド」
「くりすてぃん?」

(……日本人じゃないよね、やっぱり。うん、知ってた――ってってさり気なく聞こえたけど、すごく似合わないからやめて欲しい……)

 ユウキはがっかりしつつも、食い下がる。

「愛称でそんなふうに呼ばれたりしない?」
「まさか。そんな名前で呼ばれたら全力で拒む」

 あっさり否定される。諦めきれずに手がかりを求め、質問を繰り返す。

「ここにはどうやって来たの。一人で来たの?」
「供の者が途中まで連れて来てくれたけど、撒いた。あいつも絶対ババアの息がかかってるからな」
「あなた、お母さんと不仲なの」
「まあな。血がつながってないんだからしょうがないっていうか」
「…………!」

 突如現れた大きな手がかりに思わず言葉を失う。

「実の母に似てるってのもあるんだろうけどな。それが気に入らないんだろうよ」

(これは絶対白雪姫だ。間違いない――!)

 森に逃げてきた、継母に殺されそうになるほどに疎まれる美しい娘――有名な童話の中で白雪姫の他には、たぶんいない。
 一気に結果が出たような高揚感に、心臓がバクバクと音を立てる。興奮して頭に一気に血が上り、めまいがした。
 と、あぐらをかいていた少女はよっこらせ、とやはり似合わない口調で立ちあがる。ぱんぱん、と今更どうにもならないドレスの泥を払ってドレスのレースを一つちぎると、それで豪快に長い髪を縛り上げる。

(え、でも、ちょっと待って……なんだろ……この不安)

 野性味溢れるお姫様らしからぬ所作を見て、ユウキは興奮がすっと冷めていくのがわかった。

(そうだ。話がうますぎない?)

 そう思ったのだ。

「腹減ったな」

 クソババアから続くらしからぬ言葉。極めつけの腹減ったに思わず口から質問が飛び出る。

「……あの、その口調っていつもそうなの?」
「あ? こうするとババアが機嫌悪いから嬉しいんだよ。それに美人は何をしても許される。父上もイチコロだよ」

 少女はにやりと笑う。そんな小憎たらしい表情さえも綺麗で魅力的で、羨ましく思いながらも、反抗期かと呆れつほっとする。

(いわゆる中二病ってやつか。どの世界でも反抗期はちょっとイタイんだ)

 美しいお姫様の側面もきっと持っているはずで、成長すればきっと直る――そうに決まってる。かすかに見えかけたゴールを逃がしてたまるかと、ユウキは不安をなんとか理屈で上書きした。

「あなた何歳?」
「十五歳――ってあんた、質問ばっかだな。あんた、名前は? 何歳なの」

 弟のタクヤと同じということに、妙にほっとする。あの年頃の子なら多少扱いがわかるような気がしたのだ。

「わたしは、ユウキ。十七歳・・・よ」

 二つの歳の差を強調すると、クリスはムッとした。

「ユウキ……ねえ。どんな字を書く?」

 まさか異世界人にまで、そう言われるとは思わなくて、驚いた。言葉は通じているけれど、まさか使う文字も同じなのだろか。ユウキは地面にそっと漢字を書き込む。クリスはふうん、と特に驚くこともなく文字を見つめた。

(読めるのかな……?)

 漢字が読める異世界人って本当に変だと思う……けれど、その可怪おかしさが、ある意味この世界が《日本語で書かれた本》の世界なのだと裏付けているようで、その現実の重みに押しつぶされそうになった。

「随分変わった字を当てるんだな」

 あぁ、どうかあまり突っ込んで考えないで欲しいとユウキはひやりとする。生まれた日に因んでこの字を当てられたことを、昔は誇りに思った。だけどごく平凡に育ってしまったユウキにとって、この優美な字面と含まれる意味は重荷でしか無いのだった。
 だけどクリスにとっては、その字がどういう意味を持つのかまでは理解できなかったらしい。ならば、どこまで通じるのだろうと首を傾げるユウキの前で、彼女はさらりと流して言った。

「……ふうん、それにしても、年上か」

 お行儀悪く舌打ちをするクリスをみて、ユウキはひそかにため息を吐いた。
 もしこれが白雪姫だったとしたら――と考えて、先の苦労がよぎってしまったからだ。

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