母と真山医師に「いい加減にして下さい」と苦情を訴えられたその後も、三浦さんと山田さんは度々病室に顔を出した。
 仕事だから仕方がないのだろうけれど、さすがにしつこいと鬱陶しく感じて、彼らが病室に来るとユウキは狸寝入りを決め込む。母もタクヤもユウキの気持ちがわかるのか全面的に味方をした。刑事という敵の前に家族がひとまとまりになったような感覚があった。

「――すみませんね、さっき眠ったばっかりで」

 母の申し訳無さそうな声をユウキは目を閉じて聞きながらやり過ごす。何度か繰り返すうちに、二人を見かける頻度は激減し、諦めたのかなとユウキはほっとする。

 だが、ユウキは程なくが場数を踏んだ強者だと思い知ることになる。


 背中の傷が癒えて軽い運動を許されると、退屈を持て余したユウキは病院内を散策することにした。
 本当はどうしてもが欲しかったのだが、母にユウキが読めそうな本を持ってきてくれと頼んだのだけれど、疲れるから寝ていなさいの一点張り。
 以前はしつこいほどに読めと言っていたのに。心配しているからだろうけれど、散歩はよくて読書はだめだというのが何か腑に落ちない。

(うーん……ないなら、買ってくるしかないかぁ)

 所詮高校生のお小遣い。財布の中身は心もとない。だが結局、リハビリがてらの散歩だと偽ってユウキは病室を出る。本を読みたいという欲求が、まるで食欲と同じくらいの強さで湧き上がっていたのだ。

 大きな病院なので売店も充実していて、雑誌だけでなく本もたくさん置いてあった。一般文芸や文庫本ばかりだけれど、欲しているからなのか妙に目について、ユウキはフラフラと書棚に引き寄せられた。
 平積みされた本は新刊や人気の本。
 棚差しされたところには母の本もある。
 何気なく誇らしい気分で背表紙をなぞっていて、ユウキはふと首を傾げる。

(あれ、わたし、本ってあんまり好きじゃなかったような……?)

 むしろ嫌いだった。それどころか、反発心から嫌悪まで感じるほどだったのに。なぜか母への反抗心共々、悪感情がどこかに消えてしまっている。
 代わりに身体に巣食っているのは物語への強い興味だった。
 ユウキは目についた本を一冊取るとレジに持っていく。それは読書慣れしていないユウキでも読めそうなグリム童話の原作だった。
 早く読みたいという想いがユウキを急かす。
 だが、エレベーターを降りたとたん、病室の前にひとつの影を見つけたユウキは、青い顔で足を止めた。
 それは刑事の片割れ、三浦さんだったのだ。

(――うわああ! また、いた!)

 狸寝入り対策で、油断したユウキが病室に戻るところを捕まえる気だったのかもしれない。

(だから……本当に何も覚えてないってば……!)

 とにかくあの二人と話すのが怖くて仕方がないのだ。思い出したいという気持ちはある。だけど同じくらいの大きさで、思い出すなと誰かが訴える。そのちぐはぐさが気持ち悪い。
 そろそろと後ずさりをしたところで、病室と反対側の廊下から声がかかる。

「ユウキちゃん。話を聞かせてほしいんだけど」

 それは片割れの残りの山田さん。挟み撃ちか! と飛び上がりそうになったユウキは、今降りたばかりのエレベーターに乗り込み、必死で閉じるボタンを連打した。
 足音とともに「病院では走らないで下さい!」という看護師の怒鳴り声が響く。タッチの差でエレベータの扉が勝利を収めてユウキはほっとする。
 エレベーターは上階へと向かっていたが、逃げるのが先だと上へ上へととにかく逃げる。
 そして、たどり着いたのは最上階の七階。廊下に並ぶ扉の数が、他の階よりも少ない。ここはいわゆるVIPの患者さんが入院しているとタクヤが世話話にしていたことを思いだす。
 勝手にうろついては怒られるのではないかという気がした。しかし、エレベーターに乗り込んだとたんに捕まりそうな気がしてしょうがなくて、ユウキは廊下を奥へ奥へと足を進めた。
 しん、とした廊下には人の気配がなかった。VIPな患者さんなど、そうそういないのかもしれないと傍の部屋のプレートを見ると、ユウキの予想通りに無記名だった。空室なのかとホッとしつつも、あまりの静かさになんだか異次元に居るようで別の恐怖が湧き上がる。看護師一人いないというのは、不気味だ。

「そ、そろそろ、戻っても大丈夫かな……」

 独り言を言って目を泳がせたユウキの視界に、しかし、突如として黒々とした文字が飛び込んでくる。

《真山》

 真山という姓は、この総合病院につけられた名前で、そしてユウキの担当医師真山先生と同じだ。ユウキは眉をひそめる。

(何かの偶然?)

 気になってフラフラと記名のある部屋のドアに近づく。だがやはり人の気配がしない。単にプレートの外し忘れで空室かもしれない。
 いけないと思いつつも引き戸の取っ手に指をかけた、その時だった。

「だめだよ、一人で院内をうろついては」
「――っ!?」

 ユウキは手に握りしめていた本を取り落とす。
 どこから現れたのだろうか。追っ手だろうかと振り返る。
 だが、視界にに広がるのは壮年の男性の穏やかな笑顔。ユウキの背後には、真山先生・・・・が立っていたのだった。

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