ステンドグラスの光が磨かれた床を照らしている。
 普段は祈りを行うはずの場には、今、どこから運び込んだのか豪奢な円卓と椅子が並べられていた。
 目の前にはカタラクタとリーベルタースの王が等間隔で並んでいて、クリスの両隣には父と母が座っていた。
 口火を切ったのはリーベルタースの王だった。

「オフィーリアを返してくだされ」

 つい、と王の目から涙が溢れ出る。
 その涙は本物なのか偽物なのか。だが、予想の範疇の反応だった。

(やっぱり海に落ちたのが偽物だと認める訳にはいかないだろうな)

 リーベルタースは自国の非を認めない。あくまでオフィーリアは本物だと言いはるつもりのようだ。
 と思っていた次の瞬間、さらに叩きつけられた言葉にクリスは目を見開いた。

「クリスティアン王子。あなたは愛人が可愛いからと、共謀して娘を突き落としたのではないのかね⁉ ――あの、平和を愛する娘を!」

 涙声で訴える。全ての責任をこちらに押し付けるつもりのようだ。

(って、おい。嘘を吐いた上に、さらに賠償までさせるつもりなのか?)

 あまりの厚顔さにクリスは憤る。
 隣で「黙って聞いていれば――」と母がすごい形相で立ち上がりかけたが、それを制して冷静に返した。

「あれは事故です。それに私は彼女を助けるために海に飛び込んだのですが、どうやら間違った情報が流れているようですね。そもそも共謀して突き落としたのならば、私はどうしてカタラクタの愛人に突き落とされることになるのでしょうか?」

 矛盾を突くと、リーベルタース王はすっと真顔になる。

「私は痴話喧嘩の内容などに興味はない。その後、心中でもしようとしたのではないのかね? ――ともかく、あなたは生きていて、そしてオフィーリアが死んだのは事実だ」

 まともに話をするつもりがないようだ。とにかく逃げ切れることができればいいという姿勢が垣間見える。
 クリスはため息を吐く。オフィーリア――ユウキが落ちたところを見た人間が自分とロシェルのみというのが痛いとクリスは思う。

(……このままでは話が進まないな)

 クリスは最初から話を整理することにする。

「死んだのが事実と仰せですが、まず、まだ諦めるのは早いのではないですか? オフィーリア王女の遺体は見つかっていない」

 認識が違うのだ。死んだ・・・という前提で話が進んでいる。海に落ちた・・・・・なのに。そこがまずおかしいとクリスは思った。
 すると、リーベルタース王は眼光を鋭くし、家来に目配せをする。
 小さく礼をした彼らが合図をすると、後ろの扉が大きく開いた。

(え……!?)

 クリスは目を見開く。
 家来が慎重に運び込むのは、黒いベールがかけられた、透き通った直方体だった。透明に思えるのに中がはっきりとは見えない。目を凝らすと、どうやら白い花が埋め尽くされているようだった。

(ガラスの棺? ――まさか見つかった――!?)

 思わず我を忘れかける。クリスは駆け寄ろうとしたが、リーベルタース王が行く手を遮るように体を割り込ませた。

「これでも、まだご自分に非がないと仰るのかね? オフィーリアの前で、私は悪くないと言えるのかね!」

 赤い目が演技だとすると大したものだと思う。
 非を認めるまでは見せないとでも言うような態度だと思う。クリスはもどかしさに苛立つ。

「まず、遺体を確認させてください」

 そう言うと、王は小さくため息を吐いて、家来に「ベールを取れ」と言う。
 だが、家来がなぜか慌てて言い募った。

「溺死体がどうなるかはご存知でしょうか? 酷い有様なのです。オフィーリア殿下のあのような姿を人目に晒す訳にはいきません」

 クリスは反射的に首を横に振る。

「そんなはずはないんだ」

 クリスには確信がある。ユウキの体は三年もの間、まったく朽ちなかった。あれは、《容れ物》だ。いくら海に落ちようとも、酷い有様にはならないと思った。だから、もしそのように酷い有様であるのならば、それはユウキではない・・・・・・・
 また、身代わりを用意しているのかもしれない。クリスはそう思い当たる。
 溺死体ならば、オフィーリアかどうか判別不可能だし、死人に口なしで、身代わりのことも有耶無耶うやむやになる。そういう策だろうか。

「見せてください。私の妻・・・です」

 そうはさせないときっぱりというと、王の顔が僅かにゆがむ。
 理解できないという顔だった。

「妻と言っても……出会って数日の娘にそれほどの愛を抱けるものなのか?」

 王が不思議に思うのも仕方がないかもしれない、そう思う。クリスとオフィーリア・・・・・・は顔を合わせてすぐに政略結婚を決めてしまったのだから。

「理解していただけないとは思いますが、私は……ずっと彼女を探していました。ずっと彼女に会いたかった」

 そう言うと、王はしばし渋い顔をしていたが、やがて、

「死体愛好家という噂は、どうやらほんとうのようだ」

 そんな理由で納得したらしい。
 反吐が出る。そんなつぶやきが王の口から溢れる。だがその程度の言葉で、クリスはひるまない。
 何を言われようと、言い逃れなど、させない。

「確認しないと、また・・身代わりを用意していらっしゃらないとも限らないですから」
「クリスティアン王子、あなたは――」

 王の顔に初めてはっきりとした動揺が走った。
 だがはっと口をつぐんだ王は、

「何を根拠にそんなことを。失敬な」

 と憤りを顔ににじませ、臣下に命じる。

「オフィーリアを見せて差し上げろ。そうすれば、殿下も納得されるだろう」

 先程割って入った臣下の顔が青ざめ、ゆがむのがわかった。
 一歩近づくと、ガラスだと思っていた棺は、氷でできていることがわかった。床にぽたぽたと水滴が落ちている。

(……腐敗を防ぐため?)

 急に可能性に思い当たる。
 それほどひどいのだろうかと思うと、確信が揺らぐ。
 朽ちなかったのは前回だけだったとしたら? 不安と焦燥が同時に立ち上る。
 棺にかけられていた布が取り払われるのと同時に、クリスの目は大きく見開いた。
 そこにいたのは――青ざめた顔で横たわる黒髪の少女。

「……嘘だろ?」

 見間違えようがなかった。紛れもなく、ユウキだった。


 *


 御者の頼みは死んだオフィーリアの遺体の《身代わり》。事故の後国中に触れを出して回収し、厳重に保管していたというのに、忽然と消えてしまったそうだ。

 涙ながらに訴える御者に案内され、空の棺を見た時、これは賭けだとユウキは思った。


 御伽噺奇譚の終わらない白雪姫がずっと気になっていた。
 リンゴを食べて、眠りにつき、ユウキはあちらの世界で目覚めた。だというのに、なぜ物語が終わらないのか。
 そして物語が修復し終わっていないのに、どうしてグリムはユウキを元の世界に返したのか。
 少し考えれば答えはあまりにも明白だった。
 だって、ユウキの王子様は、クリス以外にはいないから。
 そんなこと、別れるあのときにわかっていたではないかと呆れてしまう。
 だからこそ、グリムはあの不出来な仕上がりでもユウキを元の世界に戻した。王子様を求めてユウキが再び戻ってくるのを待っていた。

(――だけど)

 そのままグリムの思惑通りに物語を終わらせてしまう訳にはいかないと思った。
 王子様とのハッピーエンドで物語が終われば、ユウキはこの世界に飲み込まれてしまう。
 だけど、ユウキにはあちらの世界に未練がある。帰らなければならない。母と弟の居るあの世界へ。
 だからといって、クリスを諦めたくはないし、諦めるつもりもないのだ。
 もう、二つの望み、どちらを手に入れるかで葛藤しない。欲しいものはどちらも手に入れる。入れてみせるのだ。
 その鍵をユウキはもう手にしているような気がしていた。

(真山先生の息子――《大知さん》)

 ユウキには彼がどうしてもクリスなのではないかと思えて仕方がないのだ。
 根拠はいくつかあった。
 一つめは、他の被害者との違いだ。彼が亡くなっていないことと、御伽噺奇譚が壊れていなかったこと。
 二つ目は真山先生との会話の中にヒントがあった。
 真山先生の奥さん、つまり《大知さん》の母親の『なんでもやってみなさい、あなたの世界が広がるから』という言葉。以前クリスが、実の母親がそう言っていたと誇らしげに話していたのを覚えている。
 そして――なによりも、三つ目。御伽噺奇譚の奥付に真山大知という名前があったことだった。
 奥付に名前が載るということは、御伽噺奇譚の作成に関わっているということ。作成に関わる、つまりそれはユウキと同じように――今も登場人物として世界に紛れているということだ。
 だからこそ、クリスがユウキが思っているとおりに《大知さん》ならば、壊れた物語を修繕する方法――終わらない物語を終わりに導くための正解を一緒に導き出せるような気がしたのだ。

 今、ガラスの棺の中で眠る黒髪の娘は、長い間、王子様の訪れを待っている。

(クリス)

 目を閉じて、彼の顔を思い浮かべる。
 読者を完璧に騙せればいい。そう言っていたのはグリムだ。だから、今度はユウキは騙してみせる。死んだ姫のふりを、してみせるのだ。


 ――と、棺に入ったときには、思っていたのだけれども。

(……寒い……寒すぎるんだけど!!)

 しばらく棺の中に居たユウキは、ブルブルと震えていた。
 まさか棺が氷でできているなど考えもしなかった。白雪姫という物語を知っているのも手伝って、きれいなガラスの棺だと思いこんでしまったのだ。

(ガラスの棺に見えるんだから、それで通すしかないけど! だけど――つめたい……!)

 棺に入ってからの時間は、どれほどだろう。十分位かもしれないが、体感ではもう一時間ほど経っているような気がした。
 氷と体の間に花が詰めてあるのでまだマシなのかもしれないが、すでに寒さで限界が近かった。

 棺の蓋は重く、とても持ち上がらない。隙間はあるようで、かろうじて空気はどこからか入ってきているようだけれど、とにかく寒い。

 眠気に飲み込まれそうになるが、これはもしかして、「寝るな、寝たら死ぬぞ!」とかいうシチュエーションだろうかと思って恐ろしくなり、腿をつねる。死んだふりのつもりが、本当に死ぬとか、間抜けもいいところ。

 だが、一瞬覚醒はするものの、まどろみは波のように訪れ、その度にユウキは自分を叱咤する。

(――ウキ……ユウキ!)

 夢の中で、誰かがユウキを呼んでいる。帰ってこいと、戻ってこいと叫んでいる。
 逆光で顔がわからない。母だろうか。弟だろうか。それとも。

(クリス……?)

 どこかで彼の声が聞える気がするけれど、夢と現実の境目が曖昧で現実味がない。瞼は重く、このままだと本当に凍死してしまうかもしれないと思い始めたときだった。
 みしみしという嫌な音が遠くで響いた気がした。
 暖かい空気がほわりと頬を撫でるとともに、人の声が耳に流れ込む。

「ユウキ――!! 起きろ! 起きてくれ――」

 鋭い、切羽詰ったような声が、恋い焦がれた声に重なる。
 ユウキは目を開こうとするが、瞼は重く持ち上がらなかった。
 だが、暖かい空気が体を包むと同時に、頭の中の靄はだんだん薄れ、意識がはっきりし始める。
 これは夢か、それとも、現実か。

(あれ、今、わたしって何をしてたんだっけ――?)

「とにかく…………これで信じていただけましたな?」

 この声にも聞き覚えがあったけれど、どこで聞いたのかがおぼろげだ。誰だろう? どこで聞いたのだろう……と記憶を探っていると、

「オフィーリアを返して下さい……え、な、何を、クリスティアン王子!? それは紛れもなく死体・・ですぞ――」

 声の主が明らかに慌て、最後は悲鳴になった。なんだろう? とユウキが目を開けようとしたその時、

(…………!?)

 唇に温かい感触が落ちてきた。

(………は?)

 ユウキは目をあける。

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