「おれ、ずっと待ってたのに。こんな、こんなのはいくらなんでもあんまりだろ……! おれのユウキ。おれの眠り姫・・・――起きてくれ――!」

 薄く開けた視界は赤かった。なんだろうと思って、すぐにわかる。燃えるような赤。それはクリスの髪の色だった。
 同色の長いまつげが頬に触れそうな位置にある。唇に温かい息吹とともに言葉が降りかかる。かと思うと幾度も塞がれる。その度にユウキの冷え切った唇は熱を持ち、体中に血が巡り始める。
 氷のように冷え切って麻痺していた指先がピクリと動く。干からびた喉が、潤いを取り戻し、言葉を紡ぐ力を取り戻す。

「……ク、リ……ス……」

 クリスの瞼がピクリと震えたかと思うと、海のように青い瞳が見開かれる。唇が浮いた直後、

「ユウキ……?」

 とかすれた声が耳に届いた。

「え……ク、クリス……!? 今、なにを――」

 意識がはっきりしだした途端、クリスが自分に何をしたのかを理解してパニックに陥った。
 唇だけがおかしなくらいに熱い。
 その熱を分けてくれたのは――。
 考えた途端顔から火を噴く。
 彼はみるみるうちに目を最大限見開く。クリスの目の中に真っ赤に熟れた顔をした自分が映っているのを見つけた直後、ユウキはものすごい力で抱きすくめられた。

「ユウキ――――おれ、の」

 体がぐいと引き寄せられて、ユウキの半身は棺から起き上がった。息ができないくらいに強く抱きしめられる。冷え切った体に彼の体温が染み込んでくる。
 ユウキの体をすっぽりと包み込む大きな体は、前回別れたときよりも更に大きくなっているような気がした。
 あまりの違いに、驚きが全身を駆け巡る。

(これは、誰?)

 戻ったのは一瞬だったけれど、こちらでは一体どれだけの時が流れたのだろう。前回が三年だったことを考えると、もしかしたらもう二、三歳、年を取っていてもおかしくない。
 ユウキの知っている、少女のように華奢だった少年のクリスはもうどこにもいないのかも――と実感するとなんだか急に不安が全身を覆う。
 酷い息苦しさを感じた。だが、それはどうやら不安のせいではなさそうだった。

「く、くりす――くるし、」

 たまらず身動ぎすると、クリスが慌てたように僅かに腕を緩める。顔をあげると、切なそうな眼差しが降ってくる。
 青い瞳の奥には熱が渦巻いていた。

『もう、二度と、離さない』

 そんな声が聞こえた気がして、あまりの熱さにくらりとした。激情に流されそうでめまいがしたユウキは、状況を忘れて思わず目を閉じそうになった。

 しかしその直前に、「どういう、ことだ――?」という声とともに、息を呑む音が耳に届き、我に返ったユウキは再び目を開いた。
 すると、クリスの肩越しに周囲の光景が目に入り、見覚えのある人物と目が合う。

(ひえっ――ルーカス!)

 悲壮感の漂う顔をしていた彼は、ユウキと目が合うなり、ぎょっとしたように目を瞠った。

(っていうか、――ルーカスだけじゃないし!!)

 一気に靄が晴れ、視界が開ける。周囲に人がたくさんいる事に気がついて、そしてその面前でクリスにしっかり抱きしめられていることに気がつく。

(うわあああああ)

 ユウキは卒倒しそうになり、へなへなとそのまま棺に沈み込む。

「ユウキ!?」

 クリスがユウキを引き上げようとするけれど、ユウキはブルブルと頭を振って抵抗する。

(だってだってだって――!)

 まさか人前でキスや抱擁を披露することになろうとは思いもしない。
 確かに白雪姫にそういうパターンがないわけではない。キスで目覚めるというふうに、ロマンティックにアレンジしてあるものを知らないわけではない。
 だが、ユウキの知っている原作の《白雪姫》では、運搬中にガラスの棺が割れて、その拍子に林檎が口から飛び出して姫が生き返る。
 ガラスの棺に賭けようと確かに思ったけれども、そちらの通常バージョンを想定していたのだ。

(決してキスを望んでいたわけでは――!!)

 誰に対しての言い訳かもわからないが、そこまで考えたユウキはふと思い出す。

(あ、あれ? さっきクリスは『眠り姫』って……言ってたような?)

 記憶はおぼろげだが、たしかに言った気がする。
 どうしてその物語が出てきたのだろうと不思議だった。彼は白雪姫も人魚姫も知らなかったというのに。こちらの世界にそんな物語があるのだろうか。
 首を傾げたところを強引に棺から引っ張り出される。
 足が床につくと、周囲の視線が突き刺さるようで膝が震え、思わずうつむく。
 冷え切っていたのが嘘みたいに、全身が燃え上がっていた。口から魂が抜けそうになるユウキだが、恐る恐る顔を上げるが、周囲の人たちは予想外の顔をしていた。驚愕、恐怖、そういった色しか映っていなかったのだ。

(え?)

 一番顕著だったのは――

(ええと、だれだっけ……あ、リーベルタースの!)

 ユウキを身代わりに抜擢した張本人。オフィーリアの父親であるリーベルタース王だ。
 彼は顎が外れんばかりに口を開けて、呆然とつぶやいた。

「生き返った…………!?」

 そしてぐるりと後ろを振り向いて「どういうことだ!?」と、そこに居た人をガクガクと揺すぶった。
 それは、ユウキに遺体の身代わりを頼んできた御者だった。彼はひどく青い顔で震えている。入れ替わりがバレたのだ。進退窮まったというところだろう。

「一体どういうことなんだ!? 海から引き上げた時、あの娘は息をしていなかった! この目で確かに確認したのだぞ!?」
「そ、それが――ええと、あの」

 御者は目を白黒させて、ユウキを見る。どういうことだとパニックに陥っているようだ。

「じ、実は、一度、遺体が消えまして。なので偶然見つけた別人を身代わりに……」
「なんだと!? でたらめを言うな! あれはどう見ても、あの死んだ娘、本人だろうが!?」

 リーベルタース王のヒステリックな声を聞いてクリスがふ、と微笑んだ。
 あまりにもきれいな笑みに、ユウキが見とれていると、彼はそのまま王に問いかけた。

あの娘・・・あれ・・・とはどういう意味でしょう? 他人行儀ではありませんか。なぜ愛する娘をオフィーリアと名前を呼ばないのでしょうか、陛下。しかも――この奇跡を、娘の蘇りを全く喜ばず怒っておられるとは。悲しみに暮れていらした方の態度とはとても思えませんが?」

 ぎくり、とリーベルタース王の顔がひきつった。
 それをじっくり確認したあと、クリスはユウキに向き直る。

「おまえはオフィーリアじゃないよな?」

 ユウキには何を言ったらいいのか、どう行動すればいいのか判断がつかない。だが、彼の目は「おれを信じて」と言っている。前にユウキに林檎を食べろと言ったときと同じく聡明そうで、真摯な目で。

(ああ、やっぱりクリスは……変わらない)

 いくら外見が変わろうとも、このまなざしだけは変わらない。信じていいのだと、寄る辺を与えてもらえたようで安心する。
 ユウキは息を吸い込むと、頷く。そして一息で言った。

「わたしは……ユウキ。賀上夕姫、です」

 広場に響き渡るように大きな声で偽物宣言をする。

「わたしを覚えておられるでしょう? リーベルタース王」

 王の目を見据えて尋ねると、彼はまじまじとユウキを見つめ返し、やがて顔を青くする。
 そして「だ、だが! あの娘は口がきけなかったし、確かに海に落ちて、そして死ん――」悲鳴のような声を上げ、ややして慌てたように口をぐっとつぐむ。

「いや、さきほどうちの者が言っておっただろう? に、偽物が棺に入っていたんだ……! いつの間にか入れ替わって――おい、娘。オフィーリアをどこにやったのだ!?」

 いきなり矛先が自分に向いてユウキは目を剥く。この王は、戦局に応じて駒を次々に置き換えるらしい。オフィーリアの失踪時にユウキをあっさり身代わりに立てた時もそうだったと思い出す。
 どう答えようかとクリスを見ると、彼は相変わらず落ち着いた顔をしていた。

「もう無駄なあがきはやめませんか」
「なんだと?」

 クリスはくすりと笑うと、

「いえ、もしそういうこと・・・・・・にされたいのならば、この娘が生き返った・・・・・ことよりも、オフィーリアではない・・・・・・・・・・ことに最初に驚くべきですよ。娘を愛してやまない・・・・・・・・・リーベルタース王陛下ならば、すぐに別人だと気づくはずです。さて――お次はどんな手を打たれますか?」

 と、理論の穴を確実に突いた。
 ぐっとリーベルタース王は詰まる。さらなる言い訳を考えていたようだったけれど、万策尽きたようだった。
 そこに顛末を静かに見守っていた王妃が近づくと「大人だけで話をしましょうか」と般若のような笑顔で笑った。


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