「どうして」

 それはユウキがまるで予想しなかったことだった。
 きぐるみの中からどうして、この顔が出てくるのかわからなかった。だって、このきぐるみの中にいるのは、いるはずなのは――。

「あなたは……誰」

 呆然とユウキは問いかける。

僕がグリムだ・・・・・・

 クリスは――いや、クリスの顔をしたグリム・・・は微かに笑った。
 クリスが笑っているようにしか思えなくて、ユウキの混乱はますます深まっていく。

「ちがう。ちがうよね!?」

 ユウキが否定すると、彼はのろのろと立ち上がる。

「納得いかないかい?」

 その顔はクリスのもの。その声はクリスのもの。だけど、姿形は同じだというのに、性格が――性質がまるで違うのだ。
 クリスは光を背負っているように思えたけれど、この人は闇を背負っている。属性がまるで違う。

「あなたは、クリスじゃない」

 ユウキは首を横に振りながら言った。だが、彼はユウキを真似るように首を振ると、ユウキの言葉を否定した。

クリスは・・・・僕だ・・
「どういうことなの」

 不安が心に影を落とす。
 納得いかない。どうしても納得いかなかった。

「僕が、この本を作ったから。僕がこの世界の創造者なんだよ。国も、そこにすむ人も、すべて」
「創造者?」

 グリムは頷いた。

「僕は物語が好きで、昔から作家になりたかった。だけど、書くうちに才能がないと気がついたんだ。それでも、僕は諦めきれなかったんだよ。僕は物語を愛していたから、関わることをやめられなかった。だから……僕は、童話で物語の形を学ぶことにしたんだ」
「童話……?」
「ああ、王道を学ぶには童話が一番だった。物語には形があるけれど、誰にでも好まれる形が童話には簡潔に示されている。だけど、それを学んでいると、次はどうしてもキャラクターの行動原理がわからなくなった。童話には《どうして》がないことがある。それが気になって仕方なくてね」

 一体何の話をしているのだろう? ユウキはふと我に返った。
 どうして・・・・と言うならば、今問いかけているのは、どうして・・・・グリムがクリスの姿をしているのかということだ。

「……私が聞きたいのは行動原理がどうとかじゃなくって、どうしてあなたがクリスの顔をしているのかっていうことで――」

 だけどグリムはユウキの質問を無理矢理に遮った。

「《かえるの王様》のかえるは、《どうして》壁にぶつかって元の姿を取り戻したんだ?」
「私には、わからないよ」

 ムッとしつつもユウキは物語ごと放置してきてしまったフリッツ王子のことを思い出した。
 あのあと、彼はどうしたのだろうか。ちゃんとオフィーリアを手に入れられたのだろうか?

「あ、あのっ、あのあとってどうなったの? フリッツ王子はオフィーリアと結婚できるの? そもそも本物のオフィーリアは一体どこに居るの?」

 だが、グリムは質問に答えなかった。

「《人魚姫》の王子は人魚姫を愛していたはずなのに、《どうして》他の王女と結婚したのか?」

 問われて、今度はエミーリエのことを思い出す。彼女はユウキが海に落ちた後、どうなったのだろうか? クリスのことばかり気にして頭から飛んでしまっていた。パンタシアとカタラクタが戦になろうとしていたと聞いたけれども、もしかしたら捕らえられたのだろうか?

「ねぇ! エミーリエはどうなったの?! 捕まっちゃった!?」

 思いついてしまうと、気になって仕方なくなる。だというのに、グリムはユウキの質問をまたもや無視した。
 そして、彼は、心の中に踏み込むようにユウキを見つめ、言った。

「《白雪姫》の王子は、《どうして》会ったばかりの死体に恋をした?」

 眼差しに一突きされたようで、息ができなくなる。

「……それは」

 初めて出会った森。二人で命をつないだ逃亡劇。王妃との対峙。別離。――そして目覚めのキスと再会。
 クリスの顔で見つめられて、記憶が一気に溢れ出した。
 やがてユウキは気がつく。

(あぁ、私、今の問いの答え、全部わかるかもしれない)

 王子さまが白雪姫に恋をしたのには、主流の物語(メインストーリー)の裏で動いていた伏流の物語(サブストーリー)があったから。
 王子さまが人魚姫と結婚しなかったのは、生きる世界が違うことを突きつけられたから。
 かえるの王様であったと思われるフリッツ王子だけは、最後まで物語を見とどけていないけれども、なんとなく想像はついた。

(私があの物語を書いたなら、私の役割はきっと――)

 再び物語を紡ぎかけた時、グリムは続けた。

「僕は彼らが何を思って動いているのかを知るために、物語のキャラクターを作り出した。そして彼らを通して実際にその世界を見ることにした。だけど、一人ではどうしてもできなかった。僕の魂はただ一人を作るだけでほとんど枯渇してしまったんだよ。見てきたんだろう? オールドーや、パルマの惨状を」

 ユウキは頷いた。役者のようにストーリーをなぞるだけの人たち。あれは、ユウキが予想したとおり、本当に魂が欠けていたのだ。

「だけど……ユウキ、君が、物語を生き返らせたんだ。君が――生きた君が魂を削って物語を紡いだから。君は、誰もなし得なかったことをやってのけた」

 グリムが熱に浮かされたように言ったが、ユウキにはその・・フレーズを聞き逃せなかった。

「ちょっと待って。誰もなし得なかった・・・・・・・・・って、今までに物語に入り込んだ人は?」
「あの世界に絶望している人間を引き込んだ――というより、自ら引き込まれた。彼らは現実から逃げ、幸せを求めてここに飛び込んだ。けれど、物語を動かそうとはしなかった。与えられた役目に満足してしまって、帰りたがることもなかった」
「ハッピーエンドという罠にはまったの?」

 グリムは答えなかったけれど、それが正解なのだろうとユウキにはわかった。ユウキも罠に掛かりそうになったことが何度もあったから。流されて、クリスと幸せになりたいと願ったから。
 あの物語の中の誰かが、現実からやってきた人だと思うとぞっとした。
 それが王妃やルーカスだったと思うと、余計にだ。

「君だけだったんだ。決して罠にはまらず、物語のあるべき姿を見失わなかったのは。だけど、そんな君の魂だからこそ、この世界には必要なんだ。だから――僕と一緒に、ここで物語を生かしてくれ。まだ完成させていない物語がいくつもある。僕は、この本を完成させたい。完成させて――……」

 グリムがそこで言葉を飲み込んだ。
 夢から覚めたような顔だった。
 濁流のような言葉がやっと止み、ユウキは息継ぎをするかのように小さくあえぐ。
 ここでまた飲み込まれてはいけないと、ユウキは堰を築く。
 たとえこの人がクリスであったとしても。いや、クリスだったなら尚更だ。
 目的を忘れてはいけない。

(私は、飲み込まれない。だって、帰るんだから!)

「完成させてどうするの」

 ユウキが反撃を始めると、グリムが目を瞠った。

「御伽噺奇譚を完成させて、あなたは、それからどうするの・・・・・・・・・
「どうも……しない。物語は、完成しなければいけない。ただ、それだけだ」
「だけど、完成した後、あなたはどうするの。あなたは、ずっとここにいるつもりなの」

 一瞬迷った後、ユウキはそう呼びかけた。

「ねぇ、クリス」

 グリムは目を閉じ、ため息を吐いた。

「僕はクリスじゃない」

 からかっているのだろうか? ユウキは思わず声を荒げる。

「さっき自分で言ったじゃない!?」
「『クリスは、僕だ』と言った。数学の集合の問題だ。あいつは僕の一部であるけれど、僕ではない」
「意味がわからない。じゃあ、なんで、あなたはクリスと同じ姿をしているの!」
「あいつは――僕がああなりたいと思った、理想の自分だ。だから、僕ではないんだ。だって……僕は、もっと、ずるいし、弱くて、卑怯だ」

 ユウキには彼がもうクリスに見えなかった。

(じゃあ、これは、誰?)

 言葉を失っていると、グリムが膝を抱える。

「逆か。僕が――搾りかすみたいなもの、か。あいつから欠点を取り出した残り物」

 彼はひどく傷ついて、疲れた様子を見せた。

「だから、もう物語を紡げないのだろうな。僕は、いつまでもここで一人だ。誰にも認められることなく、ここにずっといる」
「誰にも、認められることなく……?」

 復唱したユウキははっとした。

(あぁ……そうか……そうだ!)

 ユウキには、今の言葉でやっと全てが繋がり、全貌が見えた気がした。
 今の今まで、クリス・・・が、御伽噺奇譚に名前の書かれたあの人・・・だと思っていた。
 だけど、表紙にはユウキの名前しかなかったのだ。それがどういう意味なのか。今、繋がった。

「帰りましょう」
「え?」

 彼は何を言っているのだ? という顔をしていた。
 自分がどこの誰なのかも忘れるくらいに、この人は取り込まれてしまっているのだ。それだけ魂を削られてしまったのだ。
 痛ましく思いながらも、ユウキは思った。

(でも、まだ手遅れじゃない。忘れているのなら、思い出させてあげればいい)

 その鍵を、ユウキはすでに手にしている。
 手を差し伸べると、グリムは戸惑った顔をした。

「帰りましょう。真山大知さん・・・・・・


 
 クリスが物語に飲み込まれた一人だと思っていた。だけど、大知さんは死んでいない。それが不思議だった。
 グリムの話を聞いて気がついた。
 矛盾のない答はこれしかないような気がした。
 グリムは――真山大知。
 そして、この本の製作者なのだ、と。
 ユウキは母が本を作り上げるところを幼いころから見ていたが、本は著者一人では作れない。編集者や校正者。イラストレーターやデザイナー。印刷所。本の奥付に書かれている、出版に携わる多くの人がいなければ作れないのだと、母がよく言っていた。
 彼はきっと、その中のひとり。いや――著者を含めすべての役割をこなしていたのではないだろうか。
 そして続きが書けなくなって……ユウキを含め、他の著者を探し、取り込んだ。

「まやま、だいち?」

 グリムはつぶやき、そして顔をこわばらせ、目を見開いた。

「そうなんでしょう?」

 言いながら、ユウキは胸が刺されるようだった。

(そうだとしたら)

 グリムがクリスは自分だと言ったときに浮かび上がった不安が、現実になりかけていた。

(もし、本当にそうだとしたら――私の好きになったクリスはこの世には存在しない。作り物の、人物だということ)

 認めるのが怖くて仕方がなかった。
 ならば、このままこの世界にとどまれば、ユウキの好きになったクリスとハッピーエンドを迎えられるのかもしれない。
 だけど――。

(それは、本物のハッピーエンドなの?)

 ユウキはじっと目の前の人物を見つめた。
 クリスの顔をしたグリム。だけどきっとこの姿だって、物語の中にいるからこその、彼の抱く理想の姿なのだ。
 あちらの世界に帰ったら、この顔も、この声も、きっと失ってしまう。
 だけど。

(だけどなに? クリスは、グリムが生み出した。それならば――きっと)

 あの清廉さ、強さ。それはこの人の中にあるものなのだ。
 創作者の中に無いものは、生み出せないのだ。

(だから、私は信じるよ)

 あちらの世界で、きっとクリスにまた会える。

「……君はクリスを失うよ? それでも、いいのか? 僕と一緒にここに残れば、君は、君の愛したクリスと幸せになれる」

 グリムは泣きそうな顔をしていた。
 だけどユウキは力いっぱい頷く。

「私はクリスを失ったりしないよ。だって、クリスは、大知さん――あなたの中にいる」

 だから。
 ユウキが差し出した手をグリムが握ったときだった。

 世界が、
 真っ白に輝いた。
 

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