12

君は僕のもの

 ぷはあ、と水面から顔を出すと、二人はゼイゼイと息を整える。

 風はぴたりと止み、中天には満月が浮かんでいた。見事な満潮。川の流れが海からの潮の流れと押し合って、ちょうど流れが淀んだところだった。

 手を伸ばして橋脚にすがりつく。そこには窪みが掘られていた。足をかけて欄干へと登ろうとしたルルディアを「待って」とレオナルトが阻む。「どうしたの?」と尋ねると、僅かに頬に朱をさした彼は、ルルディアから目を逸らしながら自分の上着を脱いだ。

「とにかくこれを着て」

「え? なんで?」

 びしょ濡れの上着を手渡され、きょとんと首を傾げるルルディアに、レオナルトは気まずそうに言った。

「ええと、……君、服を着ていないんだけど」

「え、ええええええ!?」

 見下ろすと、闇色の水が胸から下を隠しているものの、確かにそうだった。

「ど、道理で身軽――って見たの!?」

「必死だったし暗かったから見えてない!」

 レオナルトは否定したが、先ほどまで光っていた彼の指輪のお陰でルルディアには彼の顔が見えていたのだから、逆もまた然りである。卒倒しかけて再び水の中に落ちそうになったルルディアをレオナルトが支える。大きな服でルルディアを包むと、自らに掴まらせる。そして見た目を裏切る力強さで橋脚を登り切った。

 地上では門番が仲間を従え、真っ青な顔で二人を出迎えた。

「レオナルト殿下、ご無事で何よりです! え、そ、そちらの女性は」

 レオナルトは「それは君達の主人がよく知っていると思うよ」と冷たく言うと、門番の差し出す毛布を奪い取るようにして、まずルルディアを包んだ後、自分も毛布をかぶる。

 誰何を続ける門番の視線からルルディアを背にかばうと、彼は毅然とした態度で命じた。

「とにかく、彼女に暖を取らせてくれ」

 こんな時までルルディアを優先してくれる彼を見て、ルルディアは感激と同時にひどく恥ずかしくなる。

(私、今まで彼の何を見ていたんだろう)

 特に先ほどの言葉は胸に深く刺さって、もう抜けそうにない。

(あれは、つまり私と結婚したいから、だから、国に力を蓄えるために研究に打ち込んでたってことよね? 私の事、好きだってことよね?)

 何よりルルディアの呪いが解けたのが愛の証だ――そう思い当たった途端、

「うっわああ、『愛の証』とか!」

 ルルディアはきゃあと小さく叫び声を上げる。ひとりで大騒ぎをしはじめるルルディアの前で、レオナルトは顔に手をやり、眼鏡を持ち上げかけたが、それは既に流されて消えている。照れ隠しが出来ない彼はじわじわと顔全体を赤らめ、ルルディアにげんなりとした顔を向けた。

「あのね、ルル。恥ずかしいからそのくらいにしておいて」


 ***


 橋のたもとにある小さな宿屋で、二人は暖炉に当たらせてもらっていた。

 町娘の着るような服を着て、銅色の髪を乾かす。香辛料の入った熱いスープを飲むと、体がぽかぽかとして、顔色も元のバラ色に戻っていた。

 レオナルトも着替えて顔色もましになり、短い銀髪はルルディアの長い髪とは違って既に乾いていた。眼鏡が消えて、彼の端正な顔を遮るものは何もない。素顔をしっかり見るのは、それこそ五年ぶりだろうか。ルルディアはどぎまぎする。

 レオナルトと目が合ったルルディアは、灰色の目で心の中を読まれたような気になり、酷く動揺する。追い打ちを掛けるように、レオナルトはルルディアをじっと見つめた。

「元に戻って本当に良かった」

 ええ、とルルディアは頷く。そして取り戻した元の姿を見下ろした。手を開く。そして閉じる。この手が水をかき分け、その後鍵を外して彼を救った。何か一つでもうまく行かなければ、レオナルトは死んでいた。思い返して、しみじみと言った。

「でも、変身したのがカエルの姿で本当によかったわ。こうしてあなたを助けることができたんだもの」

 するとレオナルトは、複雑そうな顔をした。

「君は、なんていうか……やっぱりどこまでも真っ直ぐで前向きだね。昔からそうだった。僕がもしノイ・エーラが悪用されたらって悩んでいた時も『正しく使えるようにすればいいのよ。それがあなたの仕事でしょ』って、背中を押してくれた。だから僕は頑張れたし、僕は君のそういうところがずっと、す――」

 そこまで口にしたレオナルトは、口を抑えて赤くなる。

 続きを予測してしまったルルディアは、つられて赤くなりながらこほんと咳払いをした。

「あなたのお陰で、アルフォンスとの縁談はなくなりそうですけど」

「元々彼が横槍を入れたんだよ。それどころか――そうだ、手紙のことなんだけど」

「手紙? 手紙って……」

 レオナルトはむすっと眉を寄せると、アルフォンスがサンダント=タクシスに働きかけて手紙を握り潰していた事実を語る。

「多分、彼が君に近づき出した頃からだろうね」

「ひどい。私、てっきりあなたが私に興味をなくしたって思っていたのに」

「僕だって、振られたんだなって結構落ち込んだ。そうだ。配達屋への法規制、急いだほうがいいな。橋の通行料をまけてもらって、あの安さを実現してたみたいだけど、あれじゃあ駄目だ。いくら私信といえども、そのせいで僕達の仲は割かれるところだった。……まぁ、本当に重要なものには手間とお金を惜しんじゃ駄目だっていういい勉強になったけど」

 サンダント=タクシスへの不平と己への反省を漏らすレオナルトにルルディアは笑う。

「アルフォンスの処分はお父様に任せることにする。でも個人的にもお仕置きが必要ね。あ、そうだ。ひとまず大量のカエルを送りましょう」

「カエル?」と首を傾げるレオナルトに、ルルディアはアルフォンスの強烈なカエル嫌いの事を話す。だが、

「――あ、でも、お仕置きって言うなら、私にも、よね?」

 実行犯である自分の身の上を思い出して慌てるルルディアの頬を、レオナルトはそっと撫でる。

「僕はラディウスと戦争する気はないよ。お仕置きが必要だというなら、今後僕以外が目に入らないような魔法でもかけようかな?」

 顔を固定されたまま甘く見つめられて、ルルディアはにわかに混乱した。

「ちょっと待って。何、その気障な台詞。あなた本当にあの口下手なレオナルト!?」

 思わず問うと、レオナルトは眉を寄せた。

「今は君の顔がはっきり見えないから緊張しないだけだ。ただでさえ女の子と話すのは苦手なのに、君は昔よりずいぶん綺麗になった。顔を見たらまともに話せない」

 意外な事実に驚き、素直な褒め言葉に顔が熱くなる。

「……え、もしかして、緊張するからカエルがいいとか言ってたの?」

 他にどんな理由があるんだとでも言いたそうにレオナルトは頷く。その様子に、一面だけを見て本質を判断するのは愚かだと、ルルディアはつくづく思った。

 じっと見つめ合っていると、レオナルトの親指が焦れたように唇を撫で、ルルディアは重要な事を思い出す。

「そういえば、責任取ってもらえるのよね? 姿が戻ったってことは、キスのことは知られちゃうし、誤魔化せないわ」

「責任取るって最初から言っていたと思うけど? 五年前から君は僕のものだって決めていたんだ。誰にも譲るつもりなんかない」

 不機嫌そうなレオナルトの顔が近づき、ルルディアの唇に彼のそれが重なる。

 水の中では、ただただ驚くだけだった。だが、今度は違う。彼の体温が溶けこむような甘い甘い感覚に、ルルディアはぼうっとなる。

 一度離れると、彼は満足そうな笑みを浮かべた。それはまるで花が溢れるようだった。

「君が好きだ。僕と結婚してくれるかい?」

 あれだけ嫌がっていた政略結婚も、愛があれば、ルルディアが望み続けた恋愛結婚だ。

「――ええ、もちろん」

 湧き上がる多幸感にルルディアは微笑んだ。


《完》


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