03
やってきた婚約者
それから数日後に、はかりごとを実行する絶好の機会が訪れた。レオナルトが婚約の儀式のために、ラディウスを訪れたのだ。応接室に入ると、すでに来客は肘掛け椅子に腰掛けてくつろいでいた。ルルディアの入室にも気づかずに持ち込んだ書物に没頭している。信じられないくらいに分厚い本だった。
侍女が茶を運んでルルディアに気づかせようとしているが、全く反応がなく途方に暮れている。ルルディアは侍女を下がらせた後、声を上げる。
「お久しぶりですわね、レオナルト殿下」
無視したら一発殴ってやろうと手を握りしめたが、レオナルトは銀髪をさらりと揺らすと顔を上げた。整った怜悧な顔立ちは昔とさほど印象が変わらないが、頬の線が柔らかさを失っている。本の読み過ぎで目を悪くしたのだろうか。銀縁の眼鏡が鋭く光って、あどけなさを消していた。奥の灰色の瞳は辛うじてルルディアを捉えたらしい。だがすぐに目を逸らされる。よそよそしい態度は、彼がルルディアに興味や好意を持っていないことを如実に表していた。
眉を吊り上げるルルディアの前で、レオナルトは眼鏡を親指で押し上げて位置を直すと言った。
「いつ以来かな。大きくなったね」
らしいといえばらしい台詞。だけどこういう時は綺麗になったくらい言えないものだろうか。相変わらずの朴念仁だ。うんざりしつつルルディアは息を吐く。
「私がじゅうさ――いえ、十の時以来かしら」
つい最後の手紙を受け取った十三の時と言いそうになった。気を抜くと「どうして返事をくれなかったの? 私の事を無視したの?」などとまるで拗ねているような言葉までもが漏れそうだった。
物欲しげな言葉は、かしずかれるのが当たり前の大国の姫としての自尊心が許さない。
(もうあなたのことはどうでもいいの。あなたのことは忘れたの)
ルルディアは念じると、当たり障りがない言葉を吐いた。
「あなたもずいぶん背が伸びたみたいだわ」
レオナルトは本を閉じて立ち上がった。予想以上に背は伸びていて、ルルディアより頭一つ分大きい。肩幅も広くなっているせいで妙に大きく見えた。彼はルルディアの前まで来ると、胸元から取り出した目録を広げる。そして感情のこもらない冷ややかな声で読み上げを始めた。
「これよりイゼアからの贈り物百点の目録を陳ずる。魔術師により雨乞いの魔法を込めたノイ・エーラ三百個、晴れ乞いの魔法を込めたノイ・エーラ三百個、それから、治癒の魔法を込めたノイ・エーラ三百個――」
単調な言葉の羅列は、まるで呪文にも聞こえて、ルルディアは思わず遮った。
「あ、あなた、なにしてるの」
レオナルトは眉一つ動かさないで説明した。
「王に献上しようとしたら、『ルルディアへの贈り物なのだから、直接会って渡してくれ』とおっしゃったんだよ。だからこうして直接目録を渡そうと思って。品は一応高級品だし、宝物庫に入れてあるから、後で確認してくれ」
ルルディアは渡された目録にさっと目を通すと言った。
「……って、つまりあなたは贈り物の選定に全く関わってないってことよね?」
「なんでそう思う?」
レオナルトはきょとんとした。「なんでじゃないわよ」ルルディアは目録にずらりと並んだ〝実用品〟を見て苛立った。
「婚約者への贈り物って言ったら、普通は〝石〟じゃないと思うけれど!」
レオナルトは一瞬言葉に詰まった後、ため息を吐いた。
「……まあ、随分前のことだから、忘れていてもしょうがないか」
「なに? 忘れているって?」
「別にいいよ、わざわざ思い出すほどの事でもない。悪かったね、好みの品ではなくて」
レオナルトの表情が曇っている。彼を傷つけたのを感じ取るが、何を忘れているのか見当もつかなかった。気まずくなったルルディアは、動揺を隠そうと居直った。
「だって、普通、贈り物って言ったら花とかドレスとか、そういうものでしょう?」
少なくとも、アルフォンスは花にドレスにチョコレート、ルルディアの好みの可愛らしく華やかな贈り物をしてくれた。そう予想していたから、戸惑っただけなのだ。
ルルディアの訴えにも、レオナルトは言い訳一つもせずに涼しい顔のままだった。
「僕には女性の好みはさっぱりわからないからね。まあいい。ひとまず、贈り物は届けたし、お暇することにする。国に仕事が残っているんだ」
あっさり部屋を出ようとしたレオナルトをルルディアは焦って引き止める。ここで帰られては、計画が台無しだ!
「ちょっと待ちなさいよ!」
地を這うような声にレオナルトが訝しげに振り返る。機を計ってルルディアは握りしめていた緑石を投げつけ、手紙に書かれていた呪文を叫んだ。
「リーヴェラティオ!」
緑石がレオナルトの胸にぶつかり跳ね返った。淡い緑色の煙が上がり、レオナルトが「ノイ・エーラがどうしてここに?」と目を見開き、ルルディアが「やった!」と歓声を上げた――直後の事だった。
そのままレオナルトの体に吸い込まれるはずの煙は、彼を覆っていた透明な膜に跳ね返される。そして、行き場を失った緑煙は、無防備なルルディアへめがけて流れてきた。
レオナルトが血相を変えて叫ぶ。
「ルルディア――逃げるんだ!」
「逃げるってどこに!?」
慌てて逃れようとしたルルディアだったが、足がもつれて床に倒れこむ。煙は上に昇るもののはず。とっさに顔を伏せたルルディアのあがきは無駄になる。生き物のように動く緑煙は重力に逆らってルルディアの体を包み込んだ。
「きゃあああああああああああ!」
目を見開くルルディアの視界で、レオナルトが同じく驚愕した表情を浮かべている。そして彼の体が縦に横にどんどん膨らみ大きくなっていく。
(なに、なによ!?)
全身を覆う違和感、倦怠感に、ルルディアの意識は押し潰され、とうとう暗転した。