06

ブリュッケシュタットへ

 夕暮れを待ったレオナルトは、ルルディアを伴い、王都を離れることとなった。

 ブリュッケシュタットは王都からさほど離れていない。馬車で往復半日の距離ならばうまく行けば朝までに戻れる。それならばルルディアの不在を誤魔化せると思った。
 変身事件が明るみに出れば、婚約に確実に響く。下手すれば白紙になる。レオナルトは、それだけは避けたかったのだ。

 秘密裏に話を進めるため、まずレオナルトはルルディアの侍女に、

「今宵はルルディア姫と月を愛でるから、朝まで邪魔が入らないようにしてくれ」

 と頼んできた。侍女は頬を染め、意味ありげに頷き、誤魔化してみせますと張り切っていたが、ルルディアは

「誤解を招くようなこと言わないで! あとで訂正してもらうから!」

 と憤慨して鞄の中でふて寝をしている。良い言い訳だと思うのに、この姫は妙なことでへそを曲げる。

 三年続いた文通でもよく怒らせたと思い出す。ある時は「イゼアとラディウスを結ぶように虹が出ていて綺麗だった」と書いてあったので、虹が出る仕組みについて便せん三十枚を費やして説明した。だが「長過ぎるの。そしてそういう事は聞いていないの」と怒られ、ロマンについて熱く語られた。

 そしてある時は「手紙の内容が暗い」と苦情が来た。悩み事があるなら話せと言われ、便せん二十枚を費やして開発中だったノイ・エーラが軍事利用される懸念を書いた。出来るだけ短く易しくしたのだが、まず「長いし、難しい」と文句。そして「もう作っちゃったんでしょ。それなら、あなたが責任を持って正しく使わせるようにすればいいんじゃないの? それが上に立つ者の仕事なんだから」となんでもない事のように返した。

 そんな風に多少の噛み合なさはあったけれど、ルルディアは律儀に返事を書いてくれていた。話を聞いてもらえてレオナルトは楽しかったし、何よりノイ・エーラが悪用されそうで悩んでいたレオナルトを、ルルディアは明るく励ましてくれた。だが、レオナルトが友達から一歩踏みだそうとしたのを最後に、文通は突然途絶えた。

 彼はルルディアに、当時の精一杯の気持ちを伝えたのだ。だから、返事が無いのは遠回しな拒絶だと思った。柄にもなく、拗ねて荒れたりもした。でも結局諦めきれなくて、こうして求婚出来る立場を手に入れた。国が力を持てば態度も変わるのではと思ったのだ。

(でも、先日のあれも無視されてるし、単に嫌われていただけかな? 一体何が悪かったんだろう)

 過去に思いを馳せ、考えこんでいると、

「うーん……うーん……喉乾いたぁ……」

 しわがれた声が響き、レオナルトは鞄を覗きこむ。指先で肌の乾き具合を確かめると「どこ触ってるのよ! 変態!」と罵られるが、無視して霧吹きで水をかけてやる。カエルは皮膚呼吸をするので、干からびれば息ができずに死ぬのだ。

 潤いを取り戻したルルディアは、多少気分が良くなったのだろう。黄金の目をぱちくりとさせたあと、恥ずかしそうに狸寝入りをし始めた。どうやら誤解して怒ったことを恥じているらしい。だが自尊心が邪魔をして素直に謝れないのだ。

(とんだ意地っ張りだな)

 やれやれとレオナルトは話題を変えようとする。

「もうすぐ着くよ」

 だが気遣いは無視される。レオナルトはため息を吐くと、機嫌を取るのを諦めて目線を窓から見える石橋――クストス橋へと移した。

 ラディウスとイゼアを行き来するには、荒れ狂うシュプルングを渡らねばならない。船を使い海を回る手もあるが、ブリュッケシュタットのクストス橋を渡るのが最短だ。御者には「イゼアへ戻る」とだけ言ったが、彼は当たり前のようにブリュッケシュタットへ向かってくれた。

 薄闇の中、篝火に照らされた水面が揺れると、まるで橋が燃えているようにも見えた。人間の傲慢さをあざ笑うように荒ぶっていた河は、下流になってわずかに穏やかさを見せる。だが、時折クストス橋を飲み込んでは自然の脅威を見せつけた。見ると遠くの海の嵩が増している。月が太っていくのに合わせて、潮も満ちていくのだ。

 窓からなんともなしに眺めていると、御者がクストス橋への到着を告げた。レオナルトは昏々と眠り続ける従者達を一瞥すると、彼らに借りた簡素なマントを身につけ、鞄に蓋をする。

「少し酔ったみたいだ。止めてくれるかい」

 小窓から頼むと、御者は「珍しいですね」と不思議そうにしながらも馬車を止める。
 御者が内部の異常に気づく前にと、レオナルトは構える。そして扉が開くと同時に左手中指の指輪をこすり「ユーバファル」と囁く。赤色に輝く石を突き出したとたん、御者は従者達と同じく睡魔に襲われ、崩れ落ちた。

「これで朝まで自由だな」

 レオナルトは息を吐くと、両手の指、すべてにはめられた指輪を見下ろした。指輪には、様々な魔法を込めたノイ・エーラが埋められている。これがあれば大抵の危険から身を守れるのだ。

 御者を中に引っ張り上げると、レオナルトは馬車を降りた。鞄を覗きこむと、ルルディアは今は緑色のハンカチに包まれて、同色に変色している。カエルらしい姿をしばしじっと見つめる。のんきな寝顔に口元を緩めると、レオナルトはブリュッケシュタットの街へと足を踏み出した。