07

こうなったのもきっと運命

 異邦人であるレオナルトは、もちろんどこにザフィア家があるのかなど知らない。だが道行く人に尋ねればすぐにわかった。クストス橋を下流に少し下った小高い丘の上には、高い大理石の塀に囲まれた白い邸宅があった。それはまるで揃いで造られているかのように、彼らの誇りであるクストス橋によく似た雰囲気を持っていた。さながら小さな王宮のようでもあり、彼らの夢が詰まっているように思えた。

 門扉を叩くと白銀の鎧を纏った兵が現れる。レオナルトは力を開放して抜け殻となった石を差し出し、屋敷の主人に面会を求めた。


 ***


「ルル――ルルディア殿下!」

 扉が開くなり響いた大きな声が、ルルディアの体を跳ねさせる。レオナルトに話しかけられたくなくてしていた狸寝入りをやめると、ルルディアはアルフォンスに飛びついた。

「アルフォンス、私、失敗してしまったの。ごめんなさい」

 アルフォンスの胸に縋り付きながら、ルルディアは密やかに懺悔をした。

(許してくれなかったらどうしよう)

 不安に震えるカエルの姫をアルフォンスは柔らかい笑みで迎えてくれる。そしてハンカチを敷いた手のひらへと誘った。

「大丈夫です。姫。すぐに元に戻せますよ」

 ルルディアは手に飛び乗ると涙ぐみ、アルフォンスに熱視線を向ける。だが二人の間には、レオナルトの不躾な質問が割り込んだ。

「ザフィア伯爵。どうやってこの呪いを解けばいいんだ?」

 アルフォンスはおや、と初めてレオナルトの存在に気づいた顔をした。それはそうだろう。彼は今、簡素な服を纏っていて、一見王子には見えない。

「もしやイゼアの王子殿下でございますか?」

 レオナルトはアルフォンスの問いを無視し、不愉快そうに問う。

「貴殿は一体何を企んでいる?」

「だ、だから! アルフォンスは関係ないのよ! レオナルト、いいかげんにして!」

 ルルディアの必死の否定は聞き入れられない。だが、レオナルトの疑惑もアルフォンスはさらりと流す。

「何も企んでなどおりません」

「僕をカエルに変身させて、縁談を破談にさせようとしたのでは? それはブリュッケシュタット――ラディウスがイゼアに喧嘩を売っていると解釈していいのかな?」

「まさか、ご冗談を。私が何をしたとおっしゃるのです」

 金の前髪の隙間から覗く青い目が笑う。おどけた様子でアルフォンスは肩をすくめた。レオナルトは追及を続けた。

「ルルディアは、石の送り主が貴殿だと認めたけれど?」

 ルルディアは体の色を青ざめさせ、「認めてなんかないわ」と大慌てで首を横に振る。

「認めてなんかないのよ」

 アルフォンスにも訴えると、彼は大丈夫とでも言うように頷いた。

「証拠でもございますか?」

 レオナルトは、ルルディアを一瞥する。

「彼女がここにいることが証拠になるだろう」

「ここに来たのは、『呪いを解く鍵が愛する人にある』ってあなたが言ったからよ」

 焦ったルルディアが訂正すると、レオナルトは大きなため息を吐いた。

「まだ誤魔化す気? じゃあ、これならどうかな? 僕はさっき石を門番に渡しただけで、僕の名前もルルディアの名前も出さなかった。なのにどうしてザフィア卿、貴殿はそんな不審者に会おうと思った? どうして彼女の名を呼んだ?」

 ルルディアは心臓が止まるかと思う。

(うっわあ、鋭い……! どうしよう!)

 ハラハラするルルディアの前で、アルフォンスはやはり穏やかに返した。

「私は領主として、どのような者の意見でも汲もうとしていますし、姫のお名前をお呼びしたのも、門でお姿を拝見したからですよ」

「そうかな? 彼女が鞄から顔を出す前に、貴殿の声が上がった気がしたけれど? 大体、こんな小さなカエルの姿なのに、どうしてすぐに彼女だとわかるんだろうね」

 レオナルトはどんどん矛盾を指摘していく。さすがに賢い。理屈では敵わない。これ以上追及されては危ないと思って、ルルディアが対話を遮ろうとした時だった。

 アルフォンスはやれやれと肩を竦めると、幼子を諭すように言った。

「直感ですよ。どうやら王子殿下は最初から私のことを黒だと決めつけられている。曇った目で見れば何もかも疑わしく思えるもの」

「そうよ、言いがかりはやめて!」

 ルルディアがアルフォンスを援護すると、レオナルトは苛立たしげに眉を寄せた。

「埒があかないな。わかった。ひとまず石の出処については問わないことにする。とにかく僕は彼女の婚約者として、早く呪いを解除したい。知っていることを話してくれ」

 レオナルトが折れ、話が進むと、

「それならば、喜んでご協力いたしましょう」

 アルフォンスはにっこりと微笑んだ。

「どうすればいいの?」

 場の空気が緩む。ルルディアは金色の瞳でアルフォンスを見上げた。彼は優しく頷くと、あくまで伝聞の形を取りつつ慎重に答えた。

「呪いを解くには愛の力が有効だというのは昔から有名な話。魔術に造形の深いイゼアの王子殿下ならば既にご存知でしょう。つまり」

 アルフォンスはどこか勝ち誇ったような笑みをレオナルトに向けた。

「姫を愛し愛される者からのキスで、きっと呪いが解けるでしょう」

 ひとまず壁にぶつけられることはないとわかってルルディアはホッとする。だが、別の懸案事項が浮かび上がってルルディアは急に怖気づいた。

「え、でも、キスは――誓いのキスが最初でなければならないでしょう。だから――」

 今の今まで必死過ぎて忘れていたが、淑女の中の淑女で、厳格さを求める教会の熱心な信者でもあるラディウスの王女は、軽率な異性との交流を禁じられている。異性との接触は、それがたとえささやかなくちづけであろうとも、結婚と隣り合わせなのだ。

「……つまり、呪いを解いてくれた人と結婚するってことよね?」

 これではまるで催促しているようだ。ルルディアは瞬く間に赤いカエルになり、もじもじとする。それを見て、レオナルトは眉を寄せ目を冷たく細めた。

 一方、アルフォンスは満足そうに頷いた。

「姫。こうなったのもきっと運命です。私と結婚の約束を。――誓いのキスをしてもよろしいですか?」

 アルフォンスの青い瞳が柔らかく緩んだ。あまりの甘さに、後先考えずにルルディアが頷こうとした時だった。

「ルルディア。軽率な真似をするな。駄目に決まってる」

 レオナルトがルルディアとアルフォンスの間に割り入った。そして彼女を手で掴むとじっと彼女の目を覗き込み、

「僕は、カエルの君と結婚しても構わない。君と結婚するためにどれだけ僕が苦労したと思っている? 姿形が多少変わっても君の価値は変わらないだろう」

 と真面目な顔で言い放った。ルルディアとアルフォンスは同時に目を見張った。

(あれ、今、なんだかすごいことを言われた気が――)

 真剣な眼差しを向けられ、ルルディアは甘い夢から覚めた気になる。アルフォンスは、たちまち華やかな顔に怒りをにじませた。

「確かにカエルに姿を変えられても、ルルディア殿下は変わらずラディウスの王女であられます。あなたはそれほどまでにラディウス王家との結びつきがほしいのですか。愛するものと結ばれたいという、姫のお気持ちを汲んでくださろうとは思われないのですか。そのような打算で横槍を入れるなど、恥ずかしいとは思われないのですか!」

「貴殿にだけはそんな説教をされたくないな」

 アルフォンスの訴えをレオナルトは鼻で笑うが、それはつまりアルフォンスの言い分を認めるということではないだろうか。

 アルフォンスが政略結婚を狙っているなどとレオナルトは言っていたが、何の事はない。彼自身がそうだったのだ。思い当たったルルディアはひどく不快になった。

(私には王女としての価値しかない。そんなこと、わかってたけど! でもはっきり知りたくないことだってあるのよっ! だいたい否定くらいしなさいよっ。これだからお世辞の一つも言えない男は嫌いなの!)

 駒でしかない自分を感じるたび、情けなくて泣き叫びたくなる。ぐっと涙を飲み込むと、ルルディアは宣言する。

「私、アルフォンスと結婚するわ。自分がラディウスの駒であることはわかってる。だけどやっぱりちゃんと愛のある結婚がしたいの。アルフォンスなら、私を愛してくれるに決まってるもの」

「もちろんだよ。一生大事にする」

 アルフォンスは顔を輝かせる。

「じゃあ、早速王城へ行こう。こればかりはお許しがないままに事を運ぶわけには行かないからね。事情を説明すればきっと王もわかってくださる」

 ルルディアを奪い返すと、アルフォンスは彼女を背にかばいながらレオナルトを睨んだ。

「王子殿下も、姫のお気持ちを汲んでいただくべきでしょう。あなたは跡継ぎの王子です。教会は重婚を認めていない。世継ぎが必要なあなたは、この姿の姫とは結婚できません」

 ここまで言えば諦めるだろうとルルディアは思う。だが、納得が行かないのかレオナルトは渋面を作って食い下がる。

「いや、だから、僕のキスでルルディアの呪いが解ければいいんだろう? それでそのまま僕と結婚すれば万事うまく行く」

「姫の気持ちを思いやることができない。その程度の愛情しかお持ちでないあなたのキスで、果たして呪いが解けるでしょうか?」

 そんな風に愛情を疑われればレオナルトは口をつぐむしかなかったようだ。そして「もしかしたら、僕じゃなくて、ルルディアを変身させるのが本意か?」と意味のわからないことを呟いた。