08

呪いを解く資格者

 夜も更けていたため、結局王城に戻るのは明朝になった。急遽歓迎の宴が開かれる。と言っても、ルルディアの変身は伏せておくべきだということで、食事はルルディアの客室に密やかに用意された。

 食卓を囲むのはルルディアとレオナルト、それからアルフォンスの一匹と二人のみ。急ごしらえの晩餐のはずだが、ルルディアの前に置かれた金の皿、そして金のカップはまるで今のカエルの姿に合わせて作られたようだった。小さな椅子の上に優雅に腰掛ける彼女は、プレゼントされたレース編みのドレスを着ている。これもまるで測ったようにぴったりだ。自分がカエルであることを忘れてごきげんなルルディアに、レオナルトはため息が出る。

「ずいぶん用意周到だね、ザフィア卿。まるでこうなることを予想していたかのようだ」

 レオナルトの皮肉にも、アルフォンスは心外だとでも言うように悲しげに眉を寄せるだけ。手応えがまるで無い。

「そろそろ妙な疑いは晴らしたいものです。これは昔妹が使っていた子供用のおもちゃがちょうどよかっただけですよ」

 そうしてアルフォンスは胸元から絹で出来た白い手袋を出すと、丁寧に手を覆う。そして上質なつややかさを纏った白い手で、金の皿にスープを注ぎ、肉を切り分け、フルーツを取り分ける。そして、重いフォークに苦戦するルルディアを見ると「お手伝いしましょう」と小さく切り分けた肉を彼女の口に運ぶ。

 ルルディアとアルフォンスは二人だけの世界を作り上げ、あからさまにレオナルトを邪魔者扱いしている。

(ルルディア、目を覚ませ。そいつは君が思っているような男じゃない)

 眉の間に溜め込んだ不満と怒りが、醜い言葉となって今にも漏れだしそうだった。堪えきれずに、レオナルトは客室を後にした。


 ***


 ラディウスの空気はイゼアのものと違って甘く、水を含んで重たい。大河シュプルングの上を踊りながらやってくる風には、翠珠海の潮の匂いが混じっていた。

 手入れされた庭には水路が引かれ、美しい幾何学模様が描かれている。中央にある人工池に注ぐ流水はクリーム色に輝きひどく美しい。見上げると東の空には丸く太った月。夜空を淡く染めながら、天に昇ろうとしていた。

「今日は満月か」

 散歩で少しだけ頭が冷えたレオナルトは、どこかで悲鳴が上がった気がして、足を止めた。どうやら発生源は裏門のようだ。近づいて植え込みの木陰に身を潜めると、門番に阻まれた女が騒いでいる。

「主人に取り次いでちょうだい。彼、私がいなきゃ絶対駄目なんだから」

「ずいぶんと思い上がっているな、コルネリア。いっときの憐れみをかけてもらっただけで感謝するべきだろ。わきまえろ」

 門番は軽くあしらうが女は毅然と言い返す。

「あなたこそわきまえなさい。私はあの人の妻よ!」

「はっ、側女ごときが何を偉そうに」

 さすがにレオナルトは耳を疑った。

(主人? 側女? ……つまり屋敷に女を囲っていたというわけか? 教会も、ルルディアも裏切って?)

 そう思いついた途端、抑え込んでいた怒りが再び込み上がる。レオナルトは、踵を返してルルディアの元へと向かう。

 鳥の翼を模した屋敷の左翼にレオナルトの部屋は用意されていた。アルフォンスの言う〝横槍〟とやらを警戒していたのだろう。ご丁寧に右翼にあるルルディアの客室から一番遠い部屋であった。

 大股で廊下を歩く。すぐにでも彼女の目を覚まさせねばと、レオナルトは冷静さを欠いていた。

 部屋の前にはご丁寧に護衛の兵が立ちふさがっている。まるでルルディアを逃さないための見張りに見えた。少し迷ったが、レオナルトはそのまま進む。そして兵と目が合うのと同時に、レオナルトは右手中指に嵌めていた指輪の黒石をこすり、拳ごと兵に向かって突き出し、呪文を呟いた。

「――アペルピスィア!」

 途端、兵の目がうつろになり、その場に嘆きつつ俯せた。

「いやだあああ、マリアぁああ、出て行くなんて言わないでくれええ!!」

 ついには大泣きしだす兵に、レオナルトは怯む。

(ちょっとした悪夢を見せるもののはずなんだけど……、まだまだ調整が必要なのかな)

 力を解放し熱くなった指輪の黒石を擦る。

「すまない。それ、すぐに醒めるから」

 もはや職務どころではなくなった兵の肩をポンと叩くと、レオナルトはルルディアの部屋に入った。

「――ルルディア?」

 不愉快な晩餐は既に終わったらしく、部屋はひっそりとしていた。音に敏感になっているのか、ルルディアは跳ねるように顔を上げた。ベッド代わりのクッションに埋もれそうになっている。姿を確認すると、レオナルトは素早く扉を閉める。

「レオナルト?」

 訝しげに目を細めるカエルの姫にレオナルトは言った。

「今すぐここを出よう。ザフィア卿を信用するな」

 ルルディアはげんなりとため息を吐いた。

「いきなり何を言っているの」

「後悔するよ。あいつは……、君以外に好きな人がいるみたいだ。だから、君を元の姿に戻す資格が無いんだ」

 陰口など普段は口にしない。自分の品性を貶めるからだ。それでも今回ばかりは言わずにいられなかった。

 呪いの解除が彼女を愛し愛される者のキスならば、彼にその資格があるのか?

(そんなの、ないに決まってる)

 だが、ルルディアはレオナルトの言葉に耳を貸そうとしない。ギラギラと黄金の目に怒りを灯して、レオナルトを睨んだ。

「私が愛が欲しいって言ったから、ヤキモチの演技をしてるの? あなたにしてはずいぶんと上手だけれど、誤魔化されないわ。私は私をちゃんと見て、愛してくれる人と結婚するの。あなたみたいに王女の殻だけに執着する人とはまっぴらごめんよ」

「何を馬鹿なことを言っているんだ」

 相変わらず横たわる誤解にレオナルトは弁明すべきかと言葉を探す。だが、元々色恋沙汰に疎く、口下手な彼は彼女を納得させるだけの語彙を持ち合わせていない。関係がこじれてしまった今、どう言えば彼の気持ちが伝わるのかなどわからない。

 悩んでいるうちに、ルルディアは彼の言葉の断片に反応して、ひどく頑なに言い張った。

「馬鹿で結構よ。馬鹿な姫のことなんてさっさと見限ればいいのよ」

「嫌だ。何を言ってるんだ。落ち着けよ」

「どうして。馬鹿な娘でもあなたの好きなラディウスの王女だから? そんなにラディウス王家と近づきたいんなら、ほら、この間言っていたみたいに、お兄様と結婚したらいいじゃない! ご自慢のノイ・エーラで女に変身して!」

 ここまで頑なだとさすがのレオナルトも嫌気が差す。意固地なルルディアをまっすぐに睨むと、湧き上がる苛立ちを直にぶつけた。

(一度痛い目に遭わないとわからないんだ。この夢見る頑固者は)

「もういい。どうやら僕の好きな『ルル』はもういないみたいだ。――ザフィア卿と末永くお幸せに」

 屋敷を飛び出したレオナルトは、ラディウスとイゼアに架けられた石橋をずんずん進む。アーチ型の橋は削り出した石を緻密に組み合わせてある。大陸一の強度を誇る、ラディウスの建造技術の結晶だった。

 通行料は橋の中央で支払うこととなっていて、設えられた国境の門が、夜間に国境を越えようとする商隊の足を止めている。

 列に並び、緩む歩みに伴い、レオナルトの頭も冷やされた。

 カツン、カツンという音が時折大きく反響する。

(あれ、ここに空洞がある?)

 レオナルトは、気になって足を止めたが、足元の小さな水たまりを見て、顔をしかめた。水たまりは月を呑み込んで黄金に輝いていた。まるで蛙の目。嫌でもルルディアを思い出させるものだった。

 怒りに任せてここまで来たが、いくら腹がたっても諦められそうになかった。何しろ、ルルディアとの結婚は、五年越しの悲願なのだから。

(冷静になれよ。今までの苦労は一体何のためだよ)

 自分に言い聞かせると、レオナルトは大きく息を吐く。そしてぐっと腹に力を入れると踵を返した。