09

サンダント=タクシスにて

 ずいぶん夜は更けていた。通りで明かりの点いているのは宿場、酒場、それから配達屋サンダント=タクシスだけだった。時折女が誘うような視線を投げてくる。どうやらこの街では違法な商売がはびこっているらしい。

 いかがわしさを増した通りを伯爵家へ向かって歩きながら、レオナルトはルルディアの目を覚まさせる方法を考えつく。

(言っても駄目なら、動かぬ証拠を見せればいいんだろうな。それなら――)

 手荷物を下ろしていくつか道具を出す。だが紙が足りない。一番いかがわしくない店を選んで、レオナルトはサンダント=タクシスに飛び込んだ。

「夜分遅くすまないが、紙を何枚か譲ってくれないか」

 大きな建物の中では、忙しそうな店員が数人くるくると働いている。見ると、仕分けの最中らしい。大きな箱には行き先が書かれている。ラディウスの地名だけでなくイゼアの地名もちらほら見かける。集められた手紙が、ここでおおまかに振り分けられ、各地の集配所にまとめて送られるのだろう。

 興味深く見ていると、一番近くにいた店員が、こちらを見ることもなく答えた。

「譲れるような紙はないよ」

 紙は庶民の間では貴重品。合点したレオナルトが「じゃあ売ってくれ」と金貨を出すと、店員の態度があからさまに変わる。

「あいにく新しい紙は置いてないんだ。裏紙でいいなら」

「十分だ」レオナルトが了承すると、興奮で顔を赤くした店員は指差す。

「そこの大きなゴミ箱の中に入ってるやつなら、全部持って行っていいよ」

 不思議に思いながら中央に据えられている大きなゴミ箱を漁ると、中にあるのは封書だらけだった。商売柄、あって当たり前のものではあるが、ここに入っている意味がわからない。しかも――

「封がされているものがあるけれど?」

 レオナルトの指摘に、手にした金貨に浮かれていた店員はしまったと気まずそうに頭をかく。そして言い訳するように言った。

「あぁ、から頼まれててね。それ、届けちゃいけない手紙なんだよ。宛先見て処分しないといけないから大変なんだが、橋の通行料まけてもらってるから、融通きかせてるのさ。少々心は痛むが、誰もうちで重要書類は送らねえし、私信の一つや二つ失くなっても大したことねえだろ」

「……ふうん」

 嫌な予感がしたレオナルトは、「散らかすなよ!」と店員が止めるのも無視してゴミ箱をひっくり返す。そして底に見覚えのある封書が張り付いているのを見つけて大きく息を吐いた。それはつい先日、レオナルトがラディウスを訪問する前にと、ルルディアに宛てた私信だったからだ。

『会えるのを楽しみにしている』

 ――内容はただそれだけだった。昔を思い出してもらいたくて出したのだが、再会した時のつんけんした態度からは効果が見えず残念に思っていた。

(あーあ、そういうこと。それなら、遠慮なく反撃させてもらうかな)

「協力ありがとう。だが今後サンダント=タクシスは利用しないことにする」

 そう言うと「片付けていけよ!」と騒ぐ店員を金貨で黙らせて、紙の束を手に店を後にする。建物の影に身を潜めると、月の光を頼りに、紙の裏に人員募集の広告を書く。そして宿場の前、酒場の前にばら撒いた。女達が物珍しそうに拾っていくのを見て、ほっとしたレオナルトは、月が陰るのを感じ、空を見上げた――その時だった。

 目に映ったのは月ではなく覆面の男だった。ぎょっとしたレオナルトは飛びのくが、複数の男の腕が彼を捕えようと追ってきた。

「――っ!?」

 だが、男達の手がレオナルトに触れる寸前、左手の親指にはめられた指輪の石が青く輝き出す。かと思うと、彼を覆っていた透明な膜が青白色に光って存在を示した。こうなるとレオナルトが危機を感じなくなるまで、彼には触れられない。イゼアでも限られた人間しか使うことのできない盾の高等魔法である。魔法を跳ね返す鏡の魔法と共に常に発動していて、レオナルトが単独行動出来るのはこれらのおかげだった。

「お得意の魔法か」男の一人が舌打ちする。

「僕が魔法を使うこと、知っているのか? つまり僕が誰だか知っていてやってるみたいだけれど、このことが公になったら後でどうなるかわかっている? 我が国の者は黙っていないよ?」

 すかさずレオナルトが威嚇するように言うと、男達は顔を見合わせて明らかに怯み、マントを翻して散り散りに逃げていく。

(やれやれ、なんてわかりやすい)

 急ぐし放っておこうかと思ったが、ふと、刺客を捉えて問いただせば、ルルディアも目を覚ますかもと思い直す。先ほどの策との合わせ技が狙える。レオナルトは逃げ遅れ、まだ姿が見える一人の後を追う。

(こういう時に攻撃魔法でも込めていればいいんだろうけど)

 ちらとそんな考えが浮かぶが、すぐに振り払う。過ぎた力は破滅を呼ぶ。レオナルトはノイ・エーラに込められる魔法を攻撃性のないものに限定しているのだ。

(捕縛くらいなら、害はないかな。ああ、でも使い方によっては危険が伴うか)

 そんなことを考えながらレオナルトは、刺客を追う。

 男はラディウス側の橋の袂へ潜り込む。レオナルトは追って橋脚の横の階段を駆け下りた。上からはわからなかったが、橋脚はずいぶん太く造られていて、中に人が住めるのではないかと思えるくらいだった。

 一番目の橋脚は水に浸かっていなかったが、二番目の橋脚は水の中に沈んでいた。膝まで水に浸かると、水圧でずいぶん抵抗を受け、急に追跡が難しくなる。

 橋上には人影が見えるが、誰もこちらに気づかない。流れる水は、物音すべてを呑み込んでいる。

 闇色の水に足を取られているうちに、レオナルトはついに男の姿を見失う。右手薬指の指輪を掲げて「リヒト」と囁くと乳白色の石は眩く発光した。手を伸ばし、光を橋にかざして目を凝らすと、男は三番目の橋脚の裏へ回りこむ。追ったレオナルトは、誘うようにぽっかりと開いた穴を見つけて目を見張った。

 鉄の格子戸が付いている。ということは、穴は浸食されたものではないし、造りの頑丈さから言って予め橋の一部として設計されていたかに思えた。

「ここはなんだ? 奴らの隠れ家?」

 流れる水に引き込まれ、よろけて壁に手を突いた途端、後ろから突き飛ばされる。がちゃんと金属音がして背中で扉が閉まった。直後、鍵のかかる音がした。

「なっ――」

 謀られた!? 気づいた時にはもう遅かった。

 腰まで水に浸かったレオナルトは立ち上がると、格子にしがみつく。そして一段高い場所から見下ろす目と見つめ合った。

「あなたを守る魔法は十指の分だけ。さすがに鍵を外す魔法は備えていないのでは?」

 太った月を背に負った男の顔は逆光のため見えない。だが聞き覚えのある声にレオナルトは目を見張る。そんなレオナルトを男は笑った。

「すべてはブリュッケシュタットの未来のため。明日の朝には勝負がつきます。それまでおとなしくここにいてくださいね」