嫁き遅れと末端王子

 

 シェリアは散らかった粗末な狭い部屋で男と対峙していた。祖末と言っても、このアウストラリス王国では上等な部類だろう。ただ、シェリアの美意識には合わないだけで。
 仮にも王族の部屋なのに、壁は切り出された石がむき出しだった。色とりどりの紙や布で覆われた雅なジョイアの皇宮とは大違いだ。筆記机も雑然として、資料が山積みになっている。しかも、所々怪しげな硝子製の瓶が洗わずに置かれていて異臭を放っていた。掃除はいつしたのだろうという体たらく。
 部屋の隅では、故郷から連れてきた老いた侍女のマルガリタが怯えた顔で震えている。
 シェリアは王太子と彼の恋人の仲を引き裂こうとしたところを捕らえられ、あろうことか荷物のように肩に担がれてここまで連行された。
 強引に押し込められた部屋で、受けた仕打ちへの屈辱に震えながら自身を取り巻く事情を熱心に説明した後のこと。目の前の男――彼女を連行した男だ――は穏やかな笑みを浮かべてシェリアに問うた。

「――ふうん。つまり君は、お隣のジョイアで皇太子に振られて、そしてこのアウストラリスで王太子にも振られたってわけなんだね?」

 自分の熱弁があっさりと要約されて、こめかみがぴくりと脈打つのを感じた。しかも振られたなど、そんな事は一言も言っていない。
 シェリア=エリカテナ=パイオン。彼女の生まれは、大陸中央に位置する美しく大きな塩湖ミアー海を袂に抱えた大国ジョイア皇国。その北部にあるケーンという都市だった。領地には北に聳えるクルガン山脈の氷河を源とする大河プラキドゥスが流れている。ミアー海に注ぐ豊かな水を使った稲作が盛んな田舎だ。彼女は領主の一人娘として甘やかされて育った。
 父と母の悲願はシェリアをジョイアの皇太子に嫁がせて、皇帝の外戚になることだった。貴族の娘は政治の道具として使われる。シェリアは皇太子妃、いずれは皇后になるものだと幼い頃から当たり前のように思っていた。
 家族やシェリアの思惑が外れたのがわかったのは、彼女が十七になる頃のことだった。妃候補として皇宮に送られたシェリアが見たのは、スピカと言う名の平民の少女を溺愛する皇太子の姿だった。初心な皇太子をスピカがある種の手練手管を使って籠絡したというのが、宮の女の中での大体の予想だった。そうでないと、蝶よ華よと育てられ、その座を熱望していた女たちは納得がいかなかったのだ。
 もちろんシェリアも納得いかない女の一人。しかも妃候補の第一線に並ぶ娘だったのだから当然だった。
 皇太子は結局我が儘を通してスピカを妃の一人に据えた。どこをどうしたのか、スピカに無理矢理な、ごり押しと言っていいくらいの血筋の後見を持ってきたのだ。
 スピカが隣国アウストラリスの王太子の異父兄妹であるという事を聞いたとき、シェリアは凄まじい怒りに捕われた。
 しかし心のどこかで納得もした。異父兄妹ということは、二人の男の種を腹に宿したということだ。つまり母親もスピカと同類。スピカの男を誑かす性質が、母親から受け継がれているというのは、あまりにしっくり来たのだ。
 そして、そのことは余計に潔癖なシェリアの逆鱗に触れた。
 怒りと焦りに背を押されるようにして、彼女はこのアウストラリス王国へと乗り込んで来た。
 ジョイア西に隣接する大国アウストラリスは南以外を険しい山脈に囲まれた、国土の半分が砂漠というオアシスの国で、王太子にはまだ妃がいなかった。そのため、周辺諸国から妃に相応しい女が集められたのだ。
 アウストラリスでは王位継承にあたり血筋よりも能力を重要視する。王太子ルティリクスは、数いる兄王子を押しのけて王位をつかみ取った若く有能な王子だが、二十二歳になろうというのに、あまたの女と浮き名を流しながらも、王位継承に必要な妃を娶らず、ふらふらと落ち着かずにいた。
 その原因は明らか。彼もまたスピカに誑かされたのだ。
 王太子ルティリクスは昔ジョイアに遊学していたことがあるそうで、その際に、宮仕えをしていたスピカと恋仲になったのではという噂があるのだ。
 つまりスピカはだらしない事に、二股をかけていたということになる。蓋を開けてみれば大国の皇太子と王太子の二人を。魔性の女というのは、まさにああいうのを言うのだろう。
 ジョイア宮の女の本音は分かる。羨ましいのだ。だから彼女を妬んで嫌がらせをするものは多かった。だが、シェリアは違った。本気でスピカという女のだらしなさに、そしてそれに騙された皇太子の不甲斐なさに腹を立てたのだ。

 ジョイアの皇太子は女と見紛うくらいに美しい男だった。たいがいの女は、いやそれどころか男さえも見惚れる美貌。だが、シェリアは騙されなかった。彼女は馬鹿は嫌いなのだ。
 性悪女に騙されるなど、愚帝にしかなりようが無い。国のためにもと必死で矯正を計ったけれども、それは失敗に終わり、シェリアは彼を見切った。そして、それと同時に、復讐を考えた。自分が手に入れるはずだった皇太子妃の座を奪った、スピカと皇子への復讐だ。
 そのためには、スピカが生んだ子供を利用するのが都合が良いと思った。――そう、子供だ。結婚して一年と経たないうちに二人には子供が出来たのだ。だけど、その一年の間にスピカが二股をかけていることは調べがついていた。
 しかもスピカの生んだ子供というのは皇太子に全く似ずに、王太子に似たのだ。その意味は火を見るよりも明らかだった。
 シェリアはそれを確かめにやって来た。復讐を遂げるために。そしてついでに、王太子妃の座も手に入れるつもりだった。
 だが……その計画は、初期の段階で頓挫した。
 王太子はスピカを忘れ去っていた。だが王太子には別の想い人がいたのだ。
 その女は元々目の前にいるこの男の恋人で、結婚も間近だったと聞いている。
「振られたって言わないで。振られてなんかないわ。ジョイアの皇太子殿下は私が見切ったの。悪女に惑わされて国を傾ける男なんて冗談じゃない。それにルティリクス殿下にはまだ振られていない。失礼なことを言わないで。王位を奪われただけじゃなく、恋人までも寝取られた負け犬・・・とは一緒にしないで欲しいわ」
 シェリアは毅然とした態度で言い切った。振られた? 冗談ではない。まだ手は残っている。策はこの男にしても有効なはずなのに、協力しないばかりかどうして邪魔をしようと思えるのだろう。
「シェ、シェリア様! 無礼でございます! どうぞ、ご自重を――」
 後ろでマルガリタの悲鳴が上がる。シェリアがちらりと鋭い視線をやると、彼女は口を閉じ説教を飲み込んだ。
 シェリアは男をじっと睨んだ。研いだ剣のような鋼色の髪は王族に特有の色。といっても、十人もの王子を拵えたという現王のザウラクが、その色の髪を持っているというだけの事らしい。アウストラリスの禁色は赤らしいが、燃えるような赤髪をしたルティリクス以外の王子が彼の髪を受け継いでいるため、まるで鋼色が王の色のように思われているそうだ。
 眉と唇が柔らかなカーブを描いた女のように柔和な表情は、すっきりと端正な顔に華やかさを与えている。砂漠を連想させる砂色の瞳は、思いやりに満ちているようにも見えた。
 男は、子供に言い聞かせるような口調で穏やかに言った。
「負け犬ではなくて、ヨルゴスという名なんだ。シェリア」
「私の名を知っているの?」
「知らないはずもないだろう? 従弟の結婚相手になるかもしれないと聞けば。王太子妃になるんだからね。まあ、それはもうメイサに決まってしまったけれどね」
 軽く言われた言葉に、何よりも聞きたくなかった女の名にシェリアは反発する。
「だから、さっき言ったでしょう。決まってはいないわ。――そうよ、あなた、協力する気はない? 二人を罠にはめて引き裂けば、あなたもあのメイサという女を取り返せる。ほら、あなたが無理矢理にでも押し倒せばいいのよ。そうすれば、傷物の女は王太子妃にはなれないでしょう?」
 彼の心の魔に取り入ろうと笑みを浮かべて囁くと「あいにく、そんな汚い手は僕の美意識には合わないなあ」とヨルゴスはのんびりした口調で、シェリアの自尊心を突き刺した。
「ルティリクスは大事な従弟だし、二人が想いあって結ばれるのなら、それでいいと思っているよ」
 彼の言葉がシェリアには欺瞞に思えた。
「――馬鹿みたい。腰抜けにもほどがあるわ」
「君の口は本当に毒ばかり吐くね。黙っていれば可愛いのにって言われた事ない?」
「うるさいわ! 余計なお世話よ!」
 急所を突かれて、シェリアはカッとなった。後ろでマルガリタがとうとう泡を吹いて倒れたが、いつもの事なので放っておく。
「少しでいいから敬意を払うつもりはない? 僕も一応アウストラリスの王子なんだけれどな」
「存じておりますわ? アウストラリス王太子の従兄にして、第十王子のヨルゴス=フォルティス=アウストラリス殿下」
 シェリアはつんと澄ました。当然調べはついている。王位継承権争いでルティリクスに最後の最後で破れた敗北者。日陰に追いやられ、要職にも就かない穀潰しの一人だ。
「君がジョイアの力をどれだけ過信しているかは知らないけれど、例え末端王子の僕でも、君をどうにかできるくらいの権力はあるんだ。あまり大きな態度は感心しないね」
「あなたに私はどうこうできません。ジョイアから送られた賓客を傷つければ、外交問題になりますもの」
 不敵な笑みを浮かべて言うと、ヨルゴスは跳ね返すようにいたずらっぽい笑顔で返した。
「賢いかもしれないけれど、詰めが甘いかなぁ。――傷っていうのは、別に命を取るばかりではないと思うけれどね」
「え?」
 眉を顰めると、ヨルゴスはふんわりと柔らかい顔でシェリアに語りかけた。
「例えば――、今、僕が君を手込めにするとする」
「は?」
 表情に騙され、一瞬意味がわからずに、口の中で「てごめ?」と繰り返す。
「ジョイアはアウストラリスよりもさらに処女性を尊ぶよね? 傷物になった君は国に帰る事もできなくなるし、ジョイアの方も、アウストラリスとの縁繋ぎを喜ぶだろうね。君は――こうはっきりと言っては何だけれど――国でも煙たがられていただろうから。きっと君のご両親も、嫁に行き遅れた娘の婚姻を喜んでくれるだろう」
「あなた……頭大丈夫?」
 手込めの意味がようやく飲み込めたシェリアは、自分の事を棚に上げたまま呆れて問う。
「至極真面目に言ってるよ。どう? 君さえ良ければ今からでもいいよ。ちょうどそこに寝台もある」
 彼は後ろを指差した。どうやら続きになっている扉の向こうの部屋は寝室のようだ。
「ああ、失恋の衝撃で身代わりの女が欲しいってわけなのね?」
 納得した。この男はクズ。シェリアは胸の内に書き付ける。
「身代わり? 君がメイサの? 無理だろう。胸の大きさが全然違う」
「…………」
 痛いところをぐさりとやられ、機微に欠けるどうしようもない男だと追加する。
「君も失恋中なら丁度いいだろう? 女の子を慰めるのは、多分上手だと思う」
 ヨルゴスは自分で言った通りに、至って真面目な顔をしている。憐れみさえ浮かべた表情に、シェリアは急激に頭に来た。
(同情なんかしないで! 私は別に可哀相じゃないのよ!)
「お断りするわ、冗談じゃない。だれが穀潰しなんか相手にするものですか!」
 あ、本音を言ってしまったわ、と思った時には遅かった。しかし、シェリアは今さらだとささやかな胸を張る。今のは失礼なこの男の方が絶対的に悪いのだ。
「それは残念」
 特に怒った様子も見せず飄々と言うと、ヨルゴスは顎に手をやりながら、椅子に腰掛けた。
「うーん、落とせるんじゃないかって思ったけれど無理だったか。ルティリクスから話には聞いていたけれど、随分変わったお嬢さんだ」
「あなた何考えてるの? 小娘に罠をしかけようなんて、恥ずかしいと思わないの?」
「小娘? ああ、そういえば君はまだ十八歳だっけ。中身はそう感じないくらい老成してるみたいだけれど……いや、ある意味その尖り方は若いか」
「あいにくこの春十九になったわ。――あなたは?」
「ああ、僕はこの春で二十六歳だよ」
 春の日差しのように暖かく美しい笑みは幼い少年がするような表情だ。七歳も年上? シェリアは思わず唸る。外見の幼さに惑わされる人間は多いはず。注意しようと心に決める。
「君とルティリクスは同じ性格かなあと思ってたんだけれど、あいつよりロマンを理解しないみたいだね。それに変に前向きだ。失恋しても自棄になるわけではないのか」
 じゃあ手を変えよう――ヨルゴスはぼそりと言うと、シェリアの方に身を乗り出した。
「やっぱり君が言うように、協定を結ぼうか」
 急に近づいた顔と、手のひらを返したような物言いに、シェリアはあっけにとられた。
「さっきは駄目って言ってたくせに。今度は騙そうっていうわけ?」
「君を簡単に騙せるなんて思わないよ」
「じゃあ、何?」
 ヨルゴスはじっとシェリアを見つめた。砂色の瞳は豹のように獰猛にも、狐のように狡猾にも見えた。
「君は国に帰りたくない。王太子妃になりたい。そしてまだ手はあると言う――それで間違いない?」
 シェリアは妙な迫力に圧されて大人しく頷いた。
「君がもしルティリクスを落とせたなら、僕はメイサを落としてみせるよ。君が言うようなどんな汚い手を使ってもね。それが望みだろう?」
「協定を結ぶ事で私に何か利益でもある?」
「ここにいる間の衣食住くらいは保証するよ。名目は実験助手でどうかな?」
 悠然とした物言いにシェリアは苛立った。実験? 聞き慣れない言葉に思い出す。そういえば、この末端王子は政治に興味を示さない代わりに、医学、薬学に通じ、その上怪しげな錬金術にまで手を出す変人だと。
 シェリアは首を横に振る。
「まず、あなたのやる気が感じられないのよ」
「勝ち目のない勝負はしないことにしてるんだ。君の出した結果次第では全力を尽くすよ」
「やっぱりとんだ腰抜けね。そんなだから、惚れた女を易々と持って行かれるのよ」
 悪態など全く耳に入っていない様子だったヨルゴスの目が一瞬鋭さを増し、シェリアは口を一度閉ざす。
(一体なんなの、この男)
 いくつ顔を持っているのだろう。あまりのつかみ所の無さに調子が狂った。
「もしルティリクスを落とせなかったら。君は大人しく国に帰るんだ。そしてジョイアの男と分相応な結婚をすればいい。――それでいいね?」
 ヨルゴスは、シェリアが絶対に事を成せないと知っている顔をしていた。父や母のように、シェリアには無理だと最初から期待していない、彼女の自信を潰す――そんな顔だった。
「結局、あなたも私の事が邪魔なのね?」
「“も”?」
 にやりと笑われて、シェリアは目を伏せる。弱みを見せまいと笑顔で繕った。
「――それでいいわ。せいぜい楽しみに待っている事ね」

2013.8.23

 

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