嫁き遅れと末端王子

 

 アウストラリスの王子には一人一つずつ塔が与えられている。それぞれの塔は中央の広場で繋がり、城内の北部に放射状に広がっていた。広場からは南に向かって太い回廊があった。その先に王の塔がある。謁見の間をはじめ、会議場などは全てそこに集まっていた。
 朝食後、シェリアは客用の塔を出て、ヨルゴスの塔へと向かっていた。
 だが、途中、シェリアは違和感を感じて立ち止まる。
「人が少ない気がするのだけれど?」
 後ろを振り返って問うたけれど、今日は一人だという事を思い出した。マルガリタが倒れた際に腰を痛めたらしいので、休暇を与えているのだ。
 一割か、二割ほど歩く人影が少ない気がした。特に王太子の塔からは全く出入りがない。
 首を傾げながら広場をぐるりと見回すと、王の塔の方からのんびり歩いて来る二つの影。彼らはシェリアを見つけたとたん、誤摩化すような笑いを浮かべた。
「ちょっとあなた。ルティリクス殿下は?」
 嫌な予感がした。
 首元を締め上げる勢いで近づくと、男は隣の女に向かってへらりと笑った。
「あは、はー。ルイザさん、見つかっちゃいましたよ」
 間の抜けた顔をした男は、確かセバスティアンとかいう名の、王太子の馬鹿な近従だった。その隣ではしかめ面を浮かべた少々きつそうな女――たしか、あのメイサという女の侍女だったと思う――が、彼を睨んでいる。
「ねぇ、殿下はどこへ? あなた達はどうして主人から離れてるのよ!?」
 一度に問うと、セバスティアンは情報を整理出来なかったのか、最初の問いだけに答えた。
「殿下は、今朝からメイサ様とジョイアまで婚前旅行ですよー。羨ましいですよねぇ!」
 直後ベシッと音がした。シェリアが手を出す前に一瞬早くルイザの白い手が、彼の頭を叩いたのだ。男は呻いてその場に沈み込む。
「控えなさい」
 男をぴしゃりと叱りつけたルイザは一歩前に出て頭を下げる。
「シェリア様、申し訳ありません。ご質問でしたら私にどうぞ」
「そうするわ。で?」
 ルイザの対応に、少しだけ胸の空いた気分だったシェリアは、彼女に質問に答えさせる。近従であるくせにセバスティアンはどうも要領を得ない。ただの侍女のはずなのに、ルイザの方が随分話が早そうだった。
「殿下は、先ほどジョイアでの会談に向かわれました。それから、今回、私とこの男は別の任務を与えられましたので、ご一緒しなかったのです」
 男とは違って的確に質問に答えた女に、シェリアは苛立ちを収めた。
「ジョイアでの会談? そんなの予定にあったかしら? 私は聞いてないわ」
「北部での開発を急がれたいとのご意向がありまして。予定を早められたのです。その辺はシェリア様にもご理解いただけるのではと」
「ああ……」
 ちらと窺うように見られて、自分がアウストラリスへ嫁ごうと思った〈表向きの理由〉をシェリアは思い出した。
 ジョイアの北部は農業以外の産業は発展せず、交易が盛んな南部に比べて貧しい。北部の国境であるムフリッドの関所は山を切り開いたような辺鄙な場所にあり、そこには未だ物流は乏しかった。
 シェリアはムフリッドからケーンまでの物流を太くすれば、両国の北部の貧しさが緩和されるのではと思っていた。それはジョイアの最新の政策でもあったけれど、遅々として進んでいない。
 長い間諍いの耐えなかった二つの国には、心を開くきっかけが必要だ。ケーンから妃が嫁げば、その道が一気に広がるのではという想いは常にあった。
 それを理由に政略結婚を進めようという一挙両得の策が、シェリアの当初の狙いだった。王太子に向かってそう最初に訴えたのだ。国のためにも私を娶れと。しかし、彼はそれに乗る事は無かった。だからそもそも開発自体に興味が無いのかと思っていたけれど、そういう訳ではなかったようだ。
 それならば仕方が無い。開発の邪魔する理由は無かった。だが――
「でもどうしてメイサが付いて行っているわけ? 彼女、確かまだヨルゴス殿下の傍付きでしょう?」
 メイサはもともと家同士の政略結婚を狙ってヨルゴス付きの女官となっていたらしい。貧しい実家への援助と引き換えに嫁ごうとしていたようだ。貧しい北部と豊かな南部を繋ぐという意味ではシェリアの目論みと似ている。
「いいえ、その任は解かれて、すぐに王太子殿下の傍付きに任命されたのです。ですから同行はむしろ当たり前の事でございます」
 シェリアは納得いかない。その辞令がまず公私混同に思えてならない。それどころか、会談というのがまるでセバスティアンが漏らした『婚前旅行』に正式な名目を与えるだけにも思えて、腹が立った。急に配置を換えてジョイアまで連れて行くとは、どれだけ執心しているか分かる。
 暗い感情を抱えて静かに憤慨するシェリアに、ルイザが控えめに付け加えた。
「メイサ様は、アウストラリス北部の水源確保のために事業を興そうとされていらっしゃいましたので」
「水源?」
 初めて聞く話に、眉を寄せると、ルイザは頷く。
「アウストラリスは元々雨の少ない国でございますが、特に北部は渇きが厳しいのでございます。結局は王太子殿下が国策として事業を引き継がれることになりましたが、メイサ様も引き続き事業に関わられる事となるでしょう。今回は資金繰りのご相談もあって同行されたのです。あちらの皇太子殿下にメイサ様は懇意にしていただいているので」
 シェリアは眉を上げた。
 それは知らなかった。美しいだけのぼんやりした女だと思っていたのに。彼女の中のメイサという女の印象が僅かに変わる。
「そんなことしてたの?」
「ええ。常に、王太子殿下とアウストラリスの事を考えられておられる方です」
 ルイザは誇らしげに微笑む。
「綺麗なだけじゃないんですよねぇ」
 セバスティアンがほくほくと補足すると、ルイザはまんざらでもないといった様子で頷いた。
 彼らの態度からは形式上の主従関係とは違うものを感じる。居心地の悪さを感じたシェリアは、その場を去った。


 ヨルゴスの塔の内部。暗い廊下にぶつぶつとシェリアの文句が響いた。
「なんなの、皆して、メイサメイサって」
 彼女を取り囲む空気は柔らかい。スピカと違って、メイサという女はこの王宮で受け入れられている。ひょっとしたら愛されていると言っていいかもしれない。それを痛感したシェリアは、これからどう動こうかと考えを巡らせた。
 スピカの時は、目の曇った皇太子がどんな悪評も撥ね付けたため、スピカ自身を攻撃するしか無かったのだ。だから元からあった噂話――例えば、近衛隊の男の部屋に入り浸っているとかいう目撃談や、昔の男とまだ連絡を取り合っているとかそう言った類いのものだ――に軽く火をつけて周囲を煽ってやった。それだけでスピカを後一歩で宮から飛び出すというところまで追いつめることが出来た。
 だが、今回はそうはいかないだろう。周囲に味方が多過ぎる。火種を置いてもすぐに消されるに決まっていた。――となれば、方法はもっと単純な方がいい。
 ありきたりだが、強引に迫って王太子の不貞を誘えば……と考えかけたシェリアはあっという間にその考えを投げた。無駄だとすぐに分かったからだ。
 王太子は元々女遊びが激しい男だった。今は皆暇を出したそうだが、昔いた愛妾の数は両手で足りなかったはず。今さら女遊びをしたからと言って、メイサが受ける痛手は少ないと想像がついた。もともとシェリアは皇太子妃になるように育てられたため、側室や愛妾の存在に寛容であるべきという意識がある。もしシェリアがメイサの立場なら……悔しいけれども、仕方ないと諦めるだろう。そのくらいの事で、追い出せるとは思えなかった。
(それに……)
 シェリアは壁に立てかけられた姿見を見つける。ジョイアでは鏡は高級品だが、このアウストラリスでは違うのか、それとも権力の象徴として使われているのか、大きな鏡をよく見かけた。
 鏡に映った自分を見つめた。優しげな顔立ちを長い銀の髪が彩る。灰色の瞳。薄紅色の唇。抜けるように白い肌。光の当たり具合によっては、全身が銀に輝く華奢で儚げな容姿だった。美しいと言われてきたし、自分でもそこそこだと思っていた。しかし――。
 シェリアは細い体の胸を注視し、溜息をついた。自分の容姿に自信がないわけではなかったけれども、昔から胸だけは別だった。きっとメイサの胸には敵わない。
『胸の大きさが全然違う』――ヨルゴスが言ったように、メイサの胸はシェリアの二、三倍の大きさだった。初めて見た時に、女としてはっきりとした敗北感を感じた。スピカも美しかったけれども彼女は華奢だった。だから、張り合えると思っていたのだが。
 つまりシェリアの心配は一つ。『王太子が誘いに全く乗らない可能性』だ。競う相手が悪すぎる。
 その時の衝撃はきっとヨルゴスに――あくまで遠回しにだが――「胸がない」と言われた時と、比較できないくらいのものだと思えた。
  き遅れかけているシェリアにとって、妃の座を得られるのは今回が最後の機会だろう。最大の武器を手に攻撃をして無下に断られれば、おそらく山よりも高い自尊心を傷つけられて立ち直れないだろうと予想できた。
 そこまで考えて、シェリアは慌てて首を振った。負の感情を振り払う。こんな弱気で欲しいものが手に入るなんて思えない。
(――じゃあ、どうする?)
 とりあえず、身を投げ出すのは最後の手段にしようとシェリアは頭を切り替えた。
 すると答えはすぐに出た。狙いは王太子の嫉妬心だ。彼の方にメイサの不貞を知らせてやればいい。
 男というのは意外に嫉妬深い。自分の浮気は許してもらえると思っているくせに、女の浮気を許す事はほとんど無い。そういう勝手な生き物だ。
 彼女は長い間ヨルゴスの元にいたのだ。関係を疑っていてもおかしくない。過去に疑いを抱かせ、しかもまだ続いていると更なる疑惑の種を蒔いてやるのだ。地道に、疑いがいつ染み込んだ事を気が付かせないくらいに慎重にやるのがきっと効果的だ。本当は噂話が効果的なのだけれど、メイサの人望を考えると使えないだろう。
(――明らかな不貞の証拠があればいいのだけれど)
 シェリアは頭を悩ませた。ここでヨルゴスが使えれば一発なのに。しかし、彼を使えるのはシェリアが事を成し遂げてからで、今は力を借りられない。しかもシェリアはよそ者。使える人材はマルガリタくらいしかいなかった。
(やっぱり地道にやるしかないわよね)
 シェリアは悩んだ末にメイサの過去を探る事から始めようと決めた。
「とにかく、材料が決定的に足りないわ。彼女を知らな過ぎるし、じっくり調べないと。どんな人間でも、弱みの一つや二つ、あるはずだし」
 ジョイアから帰ってきたら直接近づけばいいのだけれど、それまでは周りから探るしかない。とりあえずはヨルゴスに話を聞こうとシェリアは思った。
(でもあの王子はなかなか口を割りそうにないわよね。きっと王太子の出立も知ってたはずよ。なのに教えなかったってどういうこと。協力する気、さらさらないんじゃない?)
 ヨルゴスのやる気の無さを再認識して、ぶつぶつ文句を言いながらシェリアは再び足を進めた。

 長い回廊の隅に辿り着く。王子によって塔の使い方は様々らしいが、ヨルゴスは一階を主に使用しているようだ。
 衛兵はシェリアの事を聞いていたのだろう。あっさりと通される。しかし、部屋には誰もいなかった。
 机の上には未だ汚れた硝子の器がいくつも並んでいる。掃除をする人間がいないとは思えないのに、どうしてこれはこのままになっているのだろうと不思議に思った。
「これ、いつからこうなってるのかしら」
 近づいて机の上を見ると、柔らかそうな布の上に女性を象った像があり、目を見張った。金だ。かなりの値打ちもののはずなのに、こんな風にぞんざいに置かれているが、大丈夫なのだろうか。
 像はまばゆい光を放っていた。美しさに釣られて手に取り、じっと像と見つめあう。
(あれ?)
 何か既視感を感じて、首を傾げたときだった。後ろの扉が音を立てて開いた。
「やあ、早いね」
 ヨルゴスだった。とっさに何もなかったかのように像を置こうとして慌てたら、像がバランスを崩し床に落ちていく。
(きゃぁああ!)
 とっさにシェリアは手を伸ばしたけれど、彼女の手を掠めてそれは床に転がった。
 ガツン、と痛々しい音が響き、シェリアは悲鳴を飲み込んだ。真っ青になり、しゃがみ込んで、像を拾い上げようとする。
「――触らないでくれる?」
 冷たい声がすっと背筋を冷やし、シェリアは手を止めた。恐る恐る上をあおぐと、逆光の中で微笑む顔があった。顔には影が差しているけれど、確かに笑顔だった。
(え、今のこの男が言ったの?)
 表情との差異に驚く。聞き間違いだろうか?
 シェリアが目を丸くして固まっていると、ヨルゴスは素早く像を拾い上げ、手の中でぐるりと一周させて傷がないか確かめた。
「だ、大丈夫? 壊れてしまった?」
 弁償できるだろうか。実家の財政状況を思って、シェリアはさらに青くなった。いや、無理だ。こんな高価そうなものは。
「…………無事だ、と思うよ。意外に固いから良かった」
 しかし、金の像ならば金属にしては柔らかいはず。落ちた箇所の床は絨毯も敷いていない。確かに変形は見られないけれども、傷くらいついている可能性がある。嘘だろうと思って、手を伸ばしかけると、ヨルゴスは顔をしかめて像を背に庇った。
 急に真顔にになったヨルゴスにシェリアは慌てた。怒っていると察したのだ。
「な、なに――別に盗もうとか考えてないからっ、ちょっと見ようとしただけで――!」
「言い訳より先に言うことがあるんじゃないのかな?」
 呆れた冷たい声。シェリアははっとして口を開く。ここで非を認めないのは子供みたいで格好悪い。
「ごめんなさい」
 素直な謝罪にヨルゴスは意外そうに眉を上げた。しかし直後ぷいと顔を背けると、布で像を包みだした。そして、筆記机の引き出しを開けると奥にしまう。本当にそこでいいのかと問いたくなるようなごちゃごちゃの箱の中に。
「今回は許す。忠告していなかった僕が悪かったから。だけど以降、勝手に僕のものを触らない事を約束してくれるかな」
「じゃあ、私は何をすれば?」
 こういったところの片付けはしなくてもいいのか。汚れた器をちらりと見て、言外に問うと「――こっちにおいで」とヨルゴスはシェリアを促した。

2013.8.23

 

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