嫁き遅れと末端王子

 

 部屋の南側には硝子の窓が三つほどあった。そのうちの一つは扉になっているらしく、外側に押すと開いた。
 外に出て、東側に回ると小さな畑がいくつかあった。何という花なのだろうか、葉の細い植物が植えられて、いくつか白い花の蕾がついている。しかし、周囲で雑草が伸び放題になっている。しばらく手が入れられていないようだった。
 隣の塔との狭間には大きな木があり、葉の傘の下にボロボロの小屋があった。
 日干しレンガで作られた、アウストラリスの庶民が住むような小屋だ。
 彼はみずぼらしい扉を開けると、どうぞ、とシェリアを中に誘う。
「君の仕事場だ」
「し、仕事って……」
 ひんやりした室内に窓は一つだけあった。はめ込まれた硝子は磨かれておらず、曇っている。しかも上の木に光を遮られて薄暗い。饐えた匂いが鼻を突く。おどろおどろしい雰囲気だった。呑まれそうになっているところ、ヨルゴスが灯りをつけて闇を振り払った。とたん、壁で蛙がにやりと笑った。
(う、うそ)
 悲鳴は辛うじて飲み込んだ。怯んだシェリアを見て、ヨルゴスが意外そうに蛙に手を伸ばす。
「ジョイアから取り寄せたんだ」
 蛙の剥製だった。シェリアも故郷の田でよく跳ねているのを見かけた。昔は釣り上げて遊んだりもした。それを片手にヨルゴスは笑う。
「なに? ジョイア出身でも苦手? こういうの。見慣れてないの?」
「に、苦手なんかじゃないわ」
 いや、実は苦手だ。かなり。幼い頃は平気だったけれど――あれ・・以来、震えるほどに駄目なのだ。しかし弱みを見せたくなくて、シェリアは強がった。
「前任者は苦手でね。見るのも嫌だったみたいで――ほら、こんなに埃が溜まってる」
 ヨルゴスが指ですっと棚をなぞると、指先が白くなった。瓶が置いてあった周辺だけ埃の積もり方が違った。局所的に掃除がされていないのが一目瞭然だ。
「計算とか調合は得意だったんだけれど、掃除はいまいちだったかな。虫が嫌いみたいでさ、ここ蜘蛛とか色々出るし、叩いてると落ちてくるから」
 ぞわぞわと鳥肌が立つのがわかる。しかし、それより気になることがあった。
「…………あの」
「ん?」
「仕事って」
 前任者って? と問うところを、なぜか言い換えていた。何かを懐かしむ顔。名前をあまり口にしない理由、口にした時に顔を僅かに歪める理由をシェリアは多分知っている。
「ああ、僕が実験しやすいように手伝ってもらうつもりなんだ。最初からは難しいと思うから、まずは片付けを主に。早速で悪いけれど、今日は掃除をお願いしようかな。ここしばらく助手がいなかったから、洗いものも溜まってるし……散らかってやりにくい」
 ヨルゴスは机の上の硝子の容器を手に取って、ふうと息を吹きかけて埃を払う。中には何かよくわからないどろどろとしたものがこびりついている。
 脇に据えられた洗い場を見ると、洗いものは山となっていた。誰かが。――助手が洗ってくれるのを待っていたのだろうか。
(助手ってメイサでしょう? 王太子に奪われて、いなくなっちゃったんでしょう? じゃあ、なんでそんな穏やかな顔してるの!?)
 いつもの調子ですっぱりと問いたいけれど、顔を見るとやはり口が固まった。笑顔が、泣き顔に見えたからかもしれない。
 ヨルゴスはシェリアの戸惑いに気づかず、机の端にあった本を取り出す。
「君は計算とかできる方?」
 話題が変わった事にほっとしてシェリアは口を開いた。
「教養として一通りは身に付けてるわ」
 好きかどうかと問われれば嫌いと答えるだろうけれど、家で帳簿をつけていた事もあるから、簡単なものならば何とかなりそうだった。
 そう言うと「帳簿?」と目を丸くされる。
 ヨルゴスは微かにつり上がった猫のような目でシェリアを見つめた。目の中には、興味と疑い。
「普通、人を雇わない? 君が任されてたの?」
「――任されていたといっても、家計簿みたいなものね。母親が宮仕えをしていたから、色々……人手が足りなかったのよ」
 確かに貴族の娘と帳簿など結びつかないだろう。口が滑ったとシェリアは気まずく思う。
 特に問題はないと思うけれど、これ以上家の事情を言う必要はないと、口をつぐんだ。
「ふうん」
 ヨルゴスも追求を止めて、短く息を吐いた。
「じゃあなんとかなるかなぁ。それにしても……ふうん、帳簿ねぇ」
「――掃除道具はどこなの?」
 シェリアは話を打ち切ろうと尋ねる。ヨルゴスは部屋の隅の扉を指差す。近づいて箒を出すと、柄でヨルゴスを威嚇した。
「邪魔よ、終わるまで出ておいて」

 ◆

「ジョイアのお姫様なんだよね、確か。……妙に手際いいのはなんでかなぁ」
 それに、帳簿か。ヨルゴスは、箒を武器にボロ小屋と格闘している一人の娘を横目で見ながら小さくひとりごちる。すると隣の小部屋から現れた男が朗らかに笑った。
「お気に召しましたか」
 低い声で問うたのは近従のヴェネディクトだ。茶色の髪に茶色の瞳の凡庸な顔立ちの下には、凡庸さを覆すような見事な体があった。見上げるほどの長身は当然目立つはずなのに、気配を消すのが上手く、たまにいる事を忘れる事もあった。
 ヨルゴスは自分の頭脳には自信があったが、腕には覚えがなかったから、戦闘能力を買ってこの男を使っている。王宮で一二を争う剣の腕を持つヴェネディクトだが、ルティリクスには敵わない。天はどれだけの資質をあの従弟に与えたのだろうと感慨深くもあった。
 ヴェネディクトはいつの間にか運んできた茶を机に置いた。ヨルゴスが基本的に一人を好むので、彼はいつも少し離れたところで待機している。しかし時折こんな風にひっそりと視界に現れる。大抵、彼が人恋しく思ったときに。彼の読みは外れる事は無く、確かに、ヨルゴスは今誰かと話したい気分だった。
「お名前はシェリア様、でしたか。例の試しにはあっさり合格されていましたね」
「うん。使えるからびっくりした。なんだか嫌われてるけれど、女官がいると便利だし、ひとまずはこちらも助かるね」
 彼は基本的に傍付きの女官を置かない。そのため女嫌いだとか理想が高いとか、様々な憶測が飛び交う。どんな条件を満たせばいいのかと探られるが、合格条件は実は一つだった。ヨルゴスの心を望まない事。ヨルゴスは恋愛に興味がないから――いや、なかったから。
 原因は彼の母親のレサトが『跡継ぎを!』と次々と女を送り込んで来るからだった。子供に興味もなかったし、それだけのために女と寝るのは面倒だった。寝たら心まで手に入れたつもりになる女達にも腹が立った。だから彼を一切望まない女と、表面上宜しくやっていると見せかけて黙らせておきたかったのだ。
 送りつけられる女たちをのらりくらりと躱しつつ、出逢ったのが前任者のメイサだった。彼女は政略結婚という名目でヨルゴスの元へとやって来た。だがルティリクスの幼馴染である彼女は昔からずっとルティリクスを愛していた。ヨルゴスとの結婚さえもルティリクスの政を支えるためにしようとしていたのだ。だから、ヨルゴスの心を最初から最後まで――たとえ彼が望もうとも――求めはしなかった。
 そして、今回の女はヨルゴスを嫌っていて今の彼には都合が良かった。レサトにこれ以上口を出させるつもりもなかったけれど、適齢期を過ぎかけた王子にはあれこれと世話を焼く輩が多い。失恋の傷など彼らが慮るわけが無く、逆に好機と捉えて攻め込むに決まっている。うるさい周囲を黙らせておくには誰でもいいから傍に一人いるくらいが丁度いい。
 ルティリクスの妃を熱望する彼女なら最適だ。ヨルゴスの心の傷に付け込んで、王子妃を狙おうなどとは思わないだろうから。
 ふと庭を見ると、シェリアが箒を地面に突き立ててこちらを睨んでいた。どうやら掃き掃除は終わったらしい。
「洗い物をお願いしておいて」
 ヴェネディクトに伝言を頼むと、ヨルゴスは再び考えに沈んだ。
 とにかくシェリアは"虫除け"として、全ての条件を揃えていた。虫がいなくなったころには、ルティリクスに振られて――ヨルゴスはこれを少しも疑っていないのだが――国に帰っているだろうし、とても都合がいい。
(あれ以上二人を邪魔しないように監視するつもりで手元に置こうと思ったけれど、意外な使い道があったもんだな)
 シェリアとの攻防に心底参った様子の従弟を思い出し、ふっと笑うと、庭から戻ってきたヴェネディクトがにこやかに口を開く。
「可愛らしい方じゃないですか」
「うーん……まあ、可愛いところも、あったかな」
 否定はしない。外見だけならば間違いなく可愛らしいと言っていい。生意気な子猫――いや、それよりは怯えて吠え立てる子犬か。
「差し出がましいかもしれませんが。私は、あの方とは全く違う女性で安心しました」
 どうやら忠実なしもべは主人の失恋を心配していたらしい。同情は腹立たしいが、このくらいの控えめな心配ならば受け取ってもいいと思う。確かに、メイサと似た女をすぐに引き入れるようだとさすがに病んでいるし、自分でも心配だっただろう。とにかく、ルティリクスに心配されるような真似は死んでもしたくない。
「まあね。外見も中身も随分違うね。全く正反対で、同じ女性かと呆れるくらいだ。一方は弱そうなのに強い。もう一方は強そうなのに、弱い。弱くて柔らかい部分を必死で隠そうとしてる。誰かによく似てるよね」
「王太子殿下ですか?」
 あっさりと答えを出すところが、付き合いの長さだろう。ヨルゴスは頷く。
「ルティリクスは自分に似すぎてて嫌悪感がひどいらしいけれどね。だからメイサとなら合うんじゃないかな、あの子」
「無理ではないでしょうか、さすがに。陥れようとされていらっしゃるのですから」
 ヴェネディクトは困ったように顔をしかめる。
「うーん。ルティリクスが裏切らない限りはメイサが傷つく事はそうそうないよ。小娘の考える小賢しい方法じゃあ、太刀打ちできないと思うんだよね。なんたって彼女、鈍過ぎるから」
「ああ、確かに。殿下のお心もなかなか気づいて頂けなかった」
「うん。じれったかったなぁ」
 くすくす笑う。そうして自分の心が落ちて行ってしまわないようにしているのだ。
 簡単に忘れられるわけがない。二十六年生きてきて、はじめての恋だった。そして、最後の恋になるかもしれない。
「ルティリクスと纏まってくれて、ほっとした。あの悲しそうな顔を見なくて済むなら、僕はそれで良かったのかもしれない」
 聞き分けの良いことを言うと、ヴェネディクトは苦笑いをした。
「殿下のような男を当て馬というのですよ、世間では」
「きついなあ」
 冗談のような口調に救われた。こういうのは深刻になればなるほど辛い事は知っていた。
 だから、彼は笑い続ける。傷口を広げることになったとしても、今の彼はそうするしかなかった。

 *

 その晩、マルガリタは真っ赤に腫れたシェリアの手を見て悲鳴を上げた。
「どうしてここまでひどい事に。水仕事はかぶれるので駄目だとご存知でしょう……雑用は私に申し付けて下されば」
「腰を傷めたのにどう役に立つつもり? 大体お前がやれば、私は要らないという話になるでしょう。このくらい平気よ。事前に保護するのを忘れただけ。明日は軟膏を塗って行くから大丈夫」
 項垂れるマルガリタに薬の取り寄せを命じると下がらせる。掃除と洗い物で疲れ果てていたけれど、筆記机に向かって手帳を開いた。メイサが帰ってきてからの計画を練ろうと思ったのだ。
「さてと。王太子の帰郷はおよそ半月後ってことだし、あの偏屈王子は口を割りそうにない。とりあえずはする事もない、か。……それにしても、随分こき使ってくれたわね」
 最初に箒で天井を撫でて、クモの巣を取り払った。床を掃いた後は、机から棚までの雑巾掛け。終わると流しの怪しげな瓶類をひたすら磨き上げた。手荒れの痛みを訴える間もなく、次から次へと作業を命じられたのだ。おかげで、彼の"実験"とやらが、進められるくらいには片付いたのだけれど。
(そういえば、肝心の実験については訊くの忘れたわ。まあ、そんな暇なかったけれど)
 シェリアはヨルゴスの様子を思い出す。メイサに似せた・・・・・・・金の像、散らかったままの部屋を見れば、彼がどれほどに本気だったのかはすぐにわかった。失恋の傷にも自棄にならず理性的なところは好ましいと思う。妃の一挙一動に振り回され続けるジョイアの皇太子にぜひとも見習わせたい。
「いっそ彼が王位を継げば良かったのに――」
 ふと呟いてみるけれど「ああ、やっぱり駄目」とすぐに取り消した。
 理性的である事は美点だ。しかし裏を返せば臆病にも見える。なにより彼の致命的な欠点は、あの野心の無さだろう。強引にでも前に進もうとするルティリクス王太子と比べて精彩を欠く。一歩引いて後手に回るから、ああして奪われる。王位も女も、きっと押しの弱さが理由で逃してしまったのだ。
 愛した女を思いやってあっさり身を引くのは、鮮やかだったとも言えるかもしれない。それが彼の言う美意識だろうか。
(くだらないわ。美しくても、負けては意味がないのに)
 シェリアは呆れて溜息をついた。自分だったら例え泥まみれになろうとも、勝利を選ぶ。もっと貪欲になればいいのにと人ごとながら残念に思う。
(でも、彼に貪欲さがあれば、王太子は彼だったかもしれないって事よね)
 野心はなくとも頭は随分良さそうだったし、王太子を嵌める罠くらいいくつも考えつきそうだ。貪欲さがあれば、彼はきっと女も手に入れた。まるで女を手に入れた者が、王位を継ぐみたい――考えかけて、沸き上がった不快さにシェリアは考察を止める。
(それほどの女? あれが?)
 ヨルゴスの苦しそうな笑顔。加えて、女官達の誇らしげな顔が浮かび、余計に胸が悪くなる。
 気分を変えようと、シェリアは再び手帳に目を落とした。
「ええと、まずはメイサに近づかないと話にならない。でも、私が王太子を狙ってる事はわかってるだろうから、当然警戒はされるわよね」
 ぶつぶつと現状の問題点を書き連ねる。
「じゃあ、警戒を解くには、狙いを変えたって思わせた方がいいってことよね」
 ふっと笑みが浮かぶ。それがいい。幸い、今の立場ならば疑われる事もないだろう。ヨルゴスは一見いい男なのだから。小娘がのぼせ上がっても不思議ではないくらいには。
 ひと言、囁いてやればいい。そして「協力して欲しい」とでも願い出れば、あの面倒見の良さそうな女はきっとシェリアを受け入れるだろう。

2013.8.28

 

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