負け犬が聞いて呆れる

 

「じゃあ、お茶を飲みながらさっさと引継ぎをやってしまいましょうね」
 メイサは美しい笑みを浮かべて硝子の碗に茶を注いだ。変わった香りにシェリアは器を覗き込む。アウストラリスでは発酵させた青茶せいちゃが好まれるが、これは色が違った。淡い赤色のようだ。
「これ、なんですの?」
 シェリアが尋ねると、彼女は手を止めて答えた。
「ああ、残っていたから飲み切ってしまおうかと思って。湿気ちゃうし勿体ないでしょう。お付き合い頂ける? 赤茶せきちゃなのよ、ほら、この白い花――ルベルの葉から手作りしてるの。このお茶は去年のものになるけれど、今年はまた作り直さないとね」
(勿体ない? ……手作り?)
 目の前の豪奢な女の口から聞くと違和感がある。でも勿体ないという庶民的意見自体には違和感がなかったので、シェリアは有り難く茶を頂く事にする。
「変わった匂い」
「でも体にいいの。特に女の敵、冷えにはてきめんなのよ」
 色気を周囲にまき散らしている割に、意外に気さくな女だった。シェリアはニコニコしながら茶をすする女に毒味を任せ、安全を確認した後、茶を口にする。ぴりりと辛くて不思議な味だったが、それほどまずくはない。
 シェリアは碗をテーブルに置き、顔を上げ、目を見張った。メイサが一転して神妙な顔をしていたのだ。
「一度ね、あなたとちゃんとお話ししておいた方がいいって思っていたの」
「え?」
「――ごめんなさい。王太子殿下のためにジョイアからわざわざ来て下さったのに、こんな事になってしまって。不満、たくさんあると思うのよ。遠慮なく言って欲しいの。彼の事、諦められないのよね? でも、こればっかりは、どうしても譲るわけにはいかないの」
 シェリアは面食らった。その話題はきっと避けるだろうと思っていた。妙に明るく張り切っているのは、シェリアに話題を出させないための布石なのかと。
 だからこちらから話を振って、後ろめたさを感じさせた後に許して優位に立とうとしていたのに、こう真っ向勝負に来られるとは予想しなかった。なぜなら、メイサはもう既に大差で勝利を手にしようとしているのだから。シェリアなど放っておいて、逃げ切ればいいのだから。だからこそシェリアは裏をかこうとしているのに。
 計画がぐらりと歪むのを感じてシェリアは焦る。
「い、いえ。違うの。私、殿下にはあなたがすごくお似合いだと――」
(ちがう! こんな事が言いたいわけじゃないのに!)
 思ってもいなかった言葉が口から飛び出し、シェリアは屈辱で顔を赤くする。
「そ、それに、ヨルゴス殿下にお仕えできるようになって、それで、ええと……殿下がとてもお優しいので、あ、あの」
 用意していた言葉を言おうとするけれど、口がいつもの滑舌の良さを取り戻せない。
(もう、しっかりして! 私らしくないわ!)
 シェリアは自分に激を入れて、体勢を立て直す。今が好機。――計画を実行するのだ!
「私、どうやら、ヨルゴス殿下に心を奪われてしまったようなのです」
 シェリアは胸を張り、堂々と滑らかな嘘をついた。
 頬の赤さも滑舌の悪さも演出のうち。きっとそう見えるに違いないと思い、シェリアはようやく落ち着きを取り戻せた。
 目の前の女の衝撃は大きかったようだ。
「え、でもあなた、殿下と喧嘩されてたわよね? だから仲は険悪だと思っていたのだけれど……」
 確かに王太子とメイサの仲を妨害しようとして連行された時、シェリアは随分激高していた。邪魔立てしたヨルゴスに吐いた暴言も聞かれたのだろう。
 しかしそのくらいは計算のうち。シェリアは、不利に傾いた状況の挽回を計った。
「いえ、あのあと親身になって頂いて。随分と慰めて頂いて、気が変わったのですわ」
 苦しい言い訳だろうか? と思ったけれど、本人も言っていたように、メイサにも、ヨルゴスが傷心の娘を上手く慰めるように見えるだろう。
「殿下が?」
 だがメイサの瞳の中の疑いは晴れない。
「ええ。ですから、あなたに、ヨルゴス殿下の攻略方法を教えて頂こうと思ったのです」
 にっこり笑ってシェリアは言い切った。
「ヨルゴス殿下の、攻略方法…………? え、攻略?」
 半ば呆然とした様子でメイサは繰り返した。
「ええ、つまり、どうやってあの殿下を落とされたのかを」
 メイサはぱちくりと大きな目を瞬かせた。そして言葉を探った後、遠慮がちに問うた。
「あの……あなた、外見と中身が違うって、言われた事がないかしら?」
「よく言われますわ」
 シェリアは別に本性を隠しているわけではない。勝手に皆が外見から勘違いするだけだ。多少ムッとしていると、メイサはびっくりするような事を言った。
「あなた、なんて言うか、スピカみたいね」
(なんですって!?)
 さすがに聞き捨てならなかった。それはシェリアにとって侮辱でしかない。
「あんな女と一緒にしないで!」
 言った直後、スピカとメイサが親戚――どちらも北部のシトゥラ家出身だという事を思い出す。しかし、そうだとしても、許せない発言だった。身内びいきだとしても、限度がある。
 発狂しかけたシェリアに、メイサは一瞬怯んだけれど、やがておやおやと眉を上げた。
「ああ、あの子も誤解されやすいのよね、そういえば」
「誤解!? 誤解なんかじゃないでしょう。皇太子を誘惑して、その上王太子殿下も誘惑して! あなたもスピカに王太子を寝取られた被害者だったはずでしょう!?」
 メイサは困惑した顔をする。
「誘惑? あの子がそんな事する訳が無いでしょ。あんなに皇子様一筋で、不器用な子にどうしてそんなことができるって言うの。あれは彼の一方的な横恋慕だったの」
「横恋慕!? でも王太子殿下があんな子に、しかもあなたを差し置いて迫るなんて信じられない」
 シェリアが強い調子でそう言うと、メイサは可哀相な子を見るような目でシェリアを見た。
「ええと、あなたスピカを見た事あるのよね? すごく綺麗な金髪で、翡翠みたいな緑色の瞳をしてる、ものすごく綺麗な子よ? 絶世の美少女って、ああいう子を言うのだと思うのだけれど」
 まるでお前の目は節穴か、そんなことを言外に言われているような気分になった。
 鏡を見たことがあるのかと返してやりたい。シェリアはそう思う。
「世の中にはもっと美しい人もいるではないの? ほら、身近に」
 謙遜もたいがいにしろ。あなたみたいな美女に誰も美しいなどとは言われたくない。多少の皮肉を混めて反論すると、メイサはああと納得する。
「そうね、確かにいくらスピカでもシリウス殿下には敵わないわよね」
(――どうしてそうなるの!?)
 シェリアは頭を抱えかけた。
 確かにあのジョイアの皇太子は美しい。自分が男だったら押し倒しているかもと思った事もある。しかし所詮はではないか!! 男の価値を決めるのに美しいという項目は要らない。ましてや、今は女の価値の話をしているのではなかったか。男を引っ張ってきてどうする!
 シェリアは強烈な目眩を感じた。
 なんだろう、この会話の噛み合なさは。
 確か馬鹿ではなかったはず。ルイザの話では、北部の開発にも関わったと言っていたし、ヨルゴスの実験助手も見事に勤め上げていたと言うし。
(じゃあ、これは一体なに!?)
 へこたれそうになるけれども、ぐっと堪えて息を吐く。
「とにかく! 皇太子殿下の事はもういいですから、今はヨルゴス殿下の事です。どうやったら、気を引くことができるのか、教えていただきたいの」
 メイサは首を傾げた。
「って言われても……私にもさっぱり分からないの。未だに、殿下の勘違いだったとしか思えなくて」
 直後、シェリアの頭の血管がぶちっと音を立てる。
「――そんな訳無いでしょう! それはあまりに殿下に失礼ではなくて!? 殿下がどれだけあなたの事を想ってるかなんて、私から見ても分かるのに! あなただって、自分の想いをそんな風に無かった事にされたら嫌でしょう!?」
 とうとうシェリアが噴火すると、剣幕に圧されたメイサは目を丸くした。
「……そうね、そう言われてみればそうだわ。ごめんなさい、私、馬鹿なのよ。さっきのは取り消させて」
 しゅんとしてしまったメイサは、どうやら本当にヨルゴスの気持ちが分かっていなかったようだ。
 謙遜でない事が分かって、多少は鬱憤が晴れたが、今度は周囲の人間に対して腹が立ってきた。どうして、この女をこのままにしておくのだ。どうして、分かるまではっきり言ってやらないのだ。甘やかす王太子もだが、ヨルゴスもヨルゴスだ! 全く伝わっていないままにしておいて、それで諦めていいのか!
 シェリアがそんな風にぴりぴりしていると、メイサがふっと笑顔になる。
「――驚いてしまったわ」
「え?」
「あなたが、本当に殿下の事を真剣に考えているなんて」
「……ああ」
 そういえば、そういう設定だったと、怒りに振り回されていたシェリアはやっと思い出す。メイサはどうやら、シェリアがヨルゴスを想うあまりに、カッとなったと勘違いしたらしい。
「さっきまでは、完全には信じられなかったの。だって、あの時のあなたの顔ったら――」
 例の場面を思い出したのか、メイサは急に笑い出した。
「その上、殿下に向かって『うるさい』とか『負け犬と一緒にしないで』だもの。もう、私、ハラハラしちゃって」
 そんなことを言ったのかと忘れ去っている自分に驚きながら、
「とにかく、それは忘れて。人生の汚点だわ。……反省してるの」
 シェリアはうそぶく。もちろん反省などしているわけは無いけれど。しかし、メイサにあの出来事を忘れてもらわないと、きっと今後の計画に支障が出る。
 シェリアの偽りの反省を見て、メイサはほっとした様子を見せる。そして、声をひそめて、ヨルゴスの居る部屋の方をちらりと見た。
「そうね、反省は大事よ。首が飛んではいけないもの。殿下は気に入った人間には寛大だけれど、逆に気に入らない人間にはびっくりするくらい冷たかったりするのよ。もう二度と言わない方がいいわ」
「冷たい?」
 彼女はその顔を知っているという事なのだろうか? 僅かに興味を持つシェリアに向かって、メイサは神妙な顔で頷くが、急に姉のような顔をして諭し始める。
「それに、あれって可愛らしいあなたには似合わない言葉だったもの」
「あのねぇ。それ、嫌みに聞こえるからやめて」
「どうして?」
 シェリアはもう説明する気にもならなかった。多分、本当に悪気が無いのだろう。シェリアの呆れの理由に気づかず、メイサはきょとんとしている。
 噛み合ないやり取りに疲れてきたシェリアが、茶のおかわりを催促しようとしたとき、機を計ったように部屋の扉が開く音がした。ヴェネディクトではなく、王太子が顔を見せ「そろそろ時間だ。次は母上と衣装の打ち合わせだ」と茶会の終わりを鋭い視線と共に訴えた。
 メイサは逆らわず、やれやれと肩をすくめる。
「ごめんなさい。全然引き継ぎが進まなかったわね。また次回でいいかしら」
「ええ……」
 そんな名目があったことも忘れかけていた。しかも肝心の目的は殆ど果たせていない。メイサの事を探ったけれど、分かったのは、どうやらシェリアは彼女がすこぶる苦手だという事だけだった。痛手を与えるはずが、与えられてしまった。
 シェリアがぐったりと頷くと、メイサは立ち上がりながら、あっと手を叩く。
「――あ、そういえば。殿下のお好みってさっき言ってたわよね?」
 正確には『攻略方法』だが、もう、細かい事はどうでもいい気分だった。元々メイサの事を探る口実なのだ。ヨルゴスの趣味になど興味が無いし、聞かなくとも目の前の女を見れば分かる。
 対策になるか分からないけれど、私が知ってて有効な情報はこのくらいかも。そう付け加えてメイサが言った言葉で、しかし、シェリアは混乱と疲労の海に投げ出された。

『ヨルゴス殿下は、シリウス殿下がお好きなのよ』

 だから、どうしてそこでそうなる。

「あ゛ーーーーーー!!!!」

 メイサと王太子が消えた後。シェリアは一人残された庭で、銀の髪をかきむしった。

2013.8.29

 

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