負け犬が聞いて呆れる

 

 メイサと王太子が消えた後、シェリアは一人残された庭でぐったりと項垂れた。
 下を向くと銀の髪で外界から遮断される。昔家で一人になりたいとき、シェリアはよくそうやった事を思い出す。周りは敵だらけ。誰一人、親でさえシェリアの味方ではなかった。
 ふいに風に乗って良い香りが鼻に流れ込む。しばらくぼうっとしていたシェリアははっとして顔を上げた。
「何を話してたのか知らないけれど……お疲れだね」
 いつの間にか目の前の椅子にはヨルゴスがひどく面白そうな顔をして座り込んでいた。
「なによ、いつからいたの」
「んーと、ついさっきだけれど」
「まさか盗み聞きしたんじゃないでしょうね?」
 疑いの目を向けると、ヨルゴスは心外だとでも言うように眉を上げた。
「まさか。君やルティリクスじゃあるまいし。ほら、冷えてきたからもう部屋に入った方がいい」
「王太子殿下、盗み聞きされてたの!?」
「さぁ。部屋にずっといたから無理だと思うけれど。やりかねないって話だよ」
 ヨルゴスはのらりくらりと言いながら立ち上がり、毛織物でできた肩掛けを差し出した。確かにいつの間にか日は暮れかけて冷え込みはひどくなっていた。指先が氷のように冷えきっているのに気が付いて、シェリアは大人しく肩掛けを羽織る。暖かいがシェリアの体には毛布と思えるほどに大きかった。彼はさほど大柄には見えないけれど、やはり男なのだと実感する。ほっと息を吐き、そして吸うと、何かとても爽やかで甘い良い香りがした。これは高価だと噂に聞くビャクダンかもしれない。
(なんなの? 優しいじゃない)
 穏やかな香りに絆されたのか、ふっと心が緩みかけたところ、ヨルゴスはすかさず言った。
「助手に風邪引かれるとこっちも困るんだ。ようやく仕事が捗ってきたんだからね」
(ああ、なに簡単に絆されてるのよ、私の馬鹿)
 シェリアはヨルゴスに何かを期待してしまった自分に幻滅する。人の善意には裏がないわけがないのに。どうかしている。
「それで、メイサには勝てたのかな?」
 部屋へと一歩足を進めながら、ヨルゴスは結果を知っている顔で尋ねた。癇に障るが、疲れ果てていた彼女はすでに怒る元気もなかった。
「あの女、一体なに。言葉が通じないんだけど。――どうしてあんなのが好きなわけ? 外見なの?」
「話してみても分からなかった?」
「だ、か、ら、言ったでしょ。まるで“話”にならなかったのよ」
 ヨルゴスの問いにシェリアは首を横に振った。本当にどこが好きなのだろう。まず好みとかどうとかより、それ以前の問題だと思える。意思疎通が図れないのだから。
「あのね。彼女『ヨルゴス殿下はシリウス殿下がお好きなの』とか言ってたけれど、どこまで勘違いされてるわけなの? それとも事実なの?」
 ヨルゴスと皇太子、男二人が絡んでいる絵を想像してぞわっと鳥肌が立つ。自然、シェリアの足が後ろへ下がり、彼から遠ざかる。いくら彼らが美しかろうと、その趣味はシェリアには到底容認出来るものではない。
「あれ? 確か否定したつもりだったんだけど…………あ、からかった事は認めたけれど、否定はしてないのか」
 ヨルゴスは頭を掻きながら、顔をしかめている。過去に想いを馳せている様子だった。
「あなた彼女に何を言ったわけ?」
「ん? 例の話を聞いたんじゃないの? シリウス皇子の肖像を見ながら『一度でいいから押し倒したいなあ』って言ったんだけど」
「あなた……もしかして男色の気があるの?」
 それならこれ以上この男に関わるのはごめんだった。嫌悪の表情を浮かべるシェリアに向かって、ヨルゴスは肩をすくめてくすりと笑う。
「あくまで冗談だったんだけどね。確かにあの皇子は美しいから、彼女には度が過ぎたみたいだ」
 冗談という言葉にシェリアはほっとして、強ばった肩の力を抜く。そして少々気まずく思いながら続きを口に出した。
「他にも、あなたが自分に対する愛情を何か勘違いしているんじゃないかって」
「ははぁ、なるほどね。彼女らしいな」
 さすがに気を使ったシェリアだったけれど、ヨルゴスは特に傷ついた様子もない。シェリアにはその態度が不可解過ぎた。
「――ねぇ、それでいいわけ?」
「何が?」
 ヨルゴスはきょとんとして目をしばたたかせ、シェリアはもどかしさに苛立つ。
「勝負があったどころか、まだ始まってもいないじゃない。何もしないうちから諦めるって言うの?」
 ヨルゴスは「またそれか」と溜息をついた。
「君がさ、ルティリクスと彼女の邪魔をしたいのはよくわかるけれど。前にも言った通り、僕が加担する事を期待しないでくれる? そういうのは僕の趣味じゃない。横恋慕なんて野暮な真似、冗談じゃないね。あの二人を見ていて、どうして割って入ろうなんて考えるんだ? 負けるとわかっている勝負なんて挑む方が馬鹿だろう」
 ヨルゴスはシェリアに憐れみの目を向け、彼女の苛立ちを余計に煽った。
「それがあなたの美学ってわけ? は、負け犬が聞いて呆れるわ。あなた、負けることが怖いのね。だから勝負をしようとしない。挑まなければ絶対に勝てないのに」
「物事が全て勝ち負けだと割り切れる君が羨ましいよ」
 シェリアが噛み付いても、ヨルゴスは軽い調子で会話を終わらせようとする。シェリアには彼がはぐらかしているのがすぐにわかる。彼の姿勢が納得いかない。どうしてこんなに苛立つのだろうと不思議になるくらいだった。
「逃げ続けて手に入るものなんて何もないのよ? 欲しいものを欲しいって言う事さえ怖がるなんて、馬鹿みたい。そうやって自分から日陰に逃れて、欲しいものを前に指をくわえて生きてて、本当に満足なわけ」
「君さ、」
 さらに追求しようとしたら、ヨルゴスがふっと口元に笑顔を浮かべた。だが、目がまるで笑っていなかった。彼がこんな顔をするのは何度目だろう。冷たい笑みにシェリアは口をつぐんだ。
「僕に色々言ってるけれど、自分はルティリクスに直接伝えたのかな? 人にとやかく言うくらいだから、自分も言えるんだろう?」
「もちろん何度も言ってるわ」
 何度話を持ちかけたかわからない。数えてみせようとするシェリアだったが、ヨルゴスは首を横に振って否定した。
「僕が言ってるのは、『妃にして欲しい』みたいな直接的な要望じゃなくて、君が僕にさっきから勧めているような『愛の告白』の事だ。もし言えばきっとはっきり断られたはずだし、もうここにはいないはずだから、言っていないと踏んでいるんだけどね」
 シェリアはギクリとするが、動揺を隠すためにわざと吠えた。
「偉そうなことを言うなって言いたいの? 私は単に好機を見極めてるだけよ。時を間違えれば上手くいくものもいかないでしょう? 怯えてるだけのあなたとは違うわ。一緒にしないで」
「ふぅん?」
 彼はやはり口元だけで笑って黙り込んだ。眼差しはいつしか冷めた月の色を映して、見るものを凍えさせる。険悪な雰囲気を春の夜風がさらに冷やす。貸してもらった肩掛けは確かに暖かいはずなのに、シェリアの体は彼女の意志に逆らって身震いした。
「――っくしゅん」
 シェリアがひとつくしゃみをしたところで、彼はようやく彼女を見つめるのを止める。そして無言のままシェリアに背を向け室内に戻った。

 ◆

 へそを曲げたヨルゴスが早々に寝室に引き蘢ったため、勤務時間を余らせたシェリアは、残りの時間で今後の計画を立てることができた。
 もちろん王太子とメイサの仲を妨害する計画だ。しかし、時間があったにもかかわらず計画作成は途中で頓挫した。書きかけの紙を丸めて屑入れに捨てる。いくら考えても、どうにもならない障害があるように思えたのだ。
「まず、王太子が私を避けてるのよね。それが一番問題だわ」
 散々つきまとったせいで相当警戒されている。気は進まないが、どう考えてもメイサと少しでも早く仲良くなるのが一番近道だ。シェリアは、暗くなってしまった外を見て、すぐさま立ち上がった。

 狙いは夕食だった。一緒にとることができればと食堂でメイサを探そうとしたのだ。幸いメイサの立場はまだ女官のままだった。婚約発表がされるまで身分は変わらない。ならば今が親交を深める好機であると考えたのだ。逆にここで近づけないまま婚約発表がされれば、今後彼女に近づくのは難しくなるだろう。引継ぎだって次回で終わってしまうかもしれない。少しでも時間は生かさねば。
 しかし待てども待てども彼女は現れない。空腹に耐えかねたシェリアは女官長を見つけ尋ねる。もしかしたら、早めに食事をとっている可能性もある。
「メイサさんは食事をされないの? ここで皆でとる規則になっていますよね?」
 女官長は尋ねたのがシェリアだと知ると少し複雑そうな顔をする。おそらく妃候補としてやって来た彼女にどう接するかで悩んだのだと思うが、結局当たり障りのない態度で接することにしたようだ。
「え――ええ。ただ、仕事の関係で別行動をとるものもいますから。今日は夜まで予定があるようなので…………部屋でとるかもしれませんね」
「部屋? それは王太子殿下の?」
 シェリアが思わず衝くと、彼女は曖昧に笑って誤摩化した。
 女官長ならば、もう水面下での動きを知っているはず。だがまだ漏らすわけにいかないのだろう。公然の秘密というヤツだ。
 シェリアは表面上丁寧に礼を言うと、仕方なく一人で食事をとる事にした。
 ジョイア生まれのシェリアにとっては珍しい料理も多い。今日は小麦粉を練って焼いた薄いナンに肉と野菜をくるんだ料理が主食だったが、これはジョイアでも似たものがあるので食べやすかった。
 シェリアには好き嫌いはない。いや、しないと――食べられるものは何でも食べると決めている。だが白いご飯が食べられないことだけには少なからず不満があった。
 ジョイアの主食は米だ。炊きたての米に勝るご馳走などない。
 水のないアウストラリスで作るのは難しいだろう。ならば流通させるしかない。シェリアが妃になったあかつきには一番に持ってきたいものの一つだった。
 ナンの最後の欠片を口にし、十分に咀嚼したあと、シェリアは冷めた青茶をすする。いつしか食堂は人がまばらだった。やはりメイサは現れず、空になった皿を片付けながらふと思い出した。
「……そういえば、衣装合わせとか言ってたわね」
『次は母上と衣装の打ち合わせだ』――メイサを迎えにきた王太子は確かそう言っていた。彼の母――王妃が一緒ということは、つまり結婚式の衣装と考えていいだろう。
 ジョイアでは妃の花嫁衣装は代々引き継がれ、スピカも皇后の着た花嫁衣装を直して着たと聞いた。アウストラリスではどのようになっているのかは知らない。しかし、メイサの豊満な体に合わせるのならば、特注になるのだろうなとシェリアはぼんやり思う。
 今の王妃は随分と華奢だ。彼女に合わせて作ってあるとなれば絶対的に肌を覆う布が足りないはず。体型が違いすぎるからお下がりの手直しなどという事は考えられなかった。
「衣装、ね」
 昔作った計画に衣装を使った嫌がらせの方法があった事を思い出す。それは花嫁衣装を盗み出し、スピカが結婚の儀の当日、儀式の場に立てなくする計画だ。だが、ジョイア伝統の衣装の守りは固く、実行はどう考えても不可能で諦めた。実行犯で捕まってはシェリアの未来も危うい。
 だからすぐに他の簡単な案も考えた。スピカの服を駄目にする計画だ。宮で纏うような高価な衣装を駄目にすれば落ち込むに決まっていると思ったのだ。しかし、シェリアの思惑の裏をかいたのか、スピカは皇太子に服をねだった。そして皇太子は願いに応じて最上級の衣装を贈ったのだ。服を駄目にすれば、また新しいものを作るだけだと考えたら腹が立った。しかも金が国庫から出ると考えたらボツにせざるを得なかった。
「計画書にまだ入ってたかしら? 今回使えそう?」
 昔作ったものは、実行に至らなかった子供っぽい構想ばかりだ。ヨルゴスには強がったけれど、手帳に書いてある案は基本的に悪人を懲らしめるためのもの。まだ悪と言えるほどのものを見つけていないメイサには使えないものが多かった。
 見直せば使えないかとぼんやり考える。しかし、考えれば考えるほど無駄な気がしてきた。まず、あんなボロボロの前掛けをして、土いじりなどをするメイサが衣装ごときで傷つくように見えないし、王太子も喜んで新しい衣装を作らせそうに思えた。あれだけの素材を着飾るのは、――認めるのは悔しいが、同性のシェリアでも燃えそうだ。
(あーあ、ボツばっかり)
 他にいい案がなかったかと手提げ袋を漁るが空だった。手帳は? と考えシェリアははっとした。急いでいたので、ヨルゴスの机の上に置いてきたのかもしれない。ヨルゴスはシェリアには興味がないだろうし、侍従も人の私物を覗くとは思えないけれど、一応回収してきた方が良さそうだ。
 シェリアはいそいそと食堂を後にして、ヨルゴスの塔へと向かった。

2013.9.1

 

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