負け犬が聞いて呆れる

 

(面倒な女が来たなぁ)
 ヨルゴスはぐったりとソファに沈み込む。薔薇水の香りが、口で息をしているというのに鼻に染み付いた。おかげで食事の味は全くわからなかった。
(今日はとことん女運が悪いのかもしれない)
 うるさい小型犬が去ったかと思うと、今度は大型犬が出て来たのだ。そして何の約束もしていないのに図々しく部屋に上がり込んでいる。どれだけついてない日だろうか。
 薬剤で無理矢理脱色して金色になった髪は傷んでいる。編み込むようにごてごてと飾り付けている金や銀が重そうだった。しかし大げさな頭を支えるだけの巨体も持ち合わせているから、宝飾品にも迫力を増す効果だけはあるようだ。
 大型犬から目を逸らすと、隣の塔が目に映る。その主に想いを馳せ、当然隣にいるであろう女の事を考える。もう何にも遠慮する事もないだろうし、既に仲良くやってる最中かもしれない。
 どろどろとした思考に自らが腐っていくのを感じる。こういう醜い感情がヨルゴスは嫌いだ。だからできるだけ巻き込まれないように、面倒ごとを上手く回避してきたつもりだった。
 そこを鋭く衝かれた。――あんな小娘にだ。
『負け犬が聞いて呆れるわ』
 一瞬口を塞ぎたくなった。力で押さえ付けて、泣かせてやったらどれだけ胸が空くだろうと思った。
 あまりに子供っぽい情動。枯れている自分にもまだそういった熱量があったのかと驚いた。同時に子供の頃の喧嘩と同じだと気が付いて、懐かしい気分にもなった。
「あなた話を聞いているの」
 大型犬――母レサトは立腹している。彼女はいつもそうだった。未だに怒りで人を制御できると考えている。脅しが利くと思っているのだ。いつまでもヨルゴスの事を子供だと思っている証拠だった。
「はいはい、聞いていますよ」
「私の"金貨"はどこなの。錬金術で作ってと言っておいたでしょう」
 彼女は部屋の中を漁っている。筆記机、引き出し、本棚、それから屑入れまで荒らされた形跡があった。相変わらず子供のものならば許可無く触っていいと思っているようだ。この部屋には重要なものは置いていないから、特に問題はない。あとでヴェネディクトに片付けさせればいいだけの話。しかし彼女の態度が不愉快なことには変わりない。
「金貨?」
 まだそんなことを言っているのか。あれからどれだけ経ったのかと月日を数えて、酷く滑稽になる。
「何の事かわからないな」
(ずっと探しているのか。――ご苦労なことだ)
 金貨――彼女はそう言っているが、それは正確には金で鍍金めっきされた銅貨のことだった。
 ひと月ほど前、彼女はヨルゴスに貨幣の偽造を命じた。銅貨を鍍金で金貨に変えようとした愚かな所行。その企みは寸で暴かれて事なきを得たが、彼女がそのためにヨルゴスの研究を喜んで支持していたということを聞いて馬鹿馬鹿しくて泣けそうだった。
 銅は銅。表面を飾ろうとも、鍍金が剥げればすぐに偽物だと露呈するといくら説明しても聞く耳を持たない。話す度に愚かしさに泣けてきそうだった。
(あんたの濃い化粧と同じなんだけどな)
 どうしてそれが分からない。そもそも外見ばかりをごてごて飾り付け、中身を磨こうとしないから、妃の座を逃したようなもの。それは今の王妃を見れば明らかではないか。
 現王妃を思い浮かべ、目の前の母親と比べて胸が悪くなった。
 シャウラ王妃――ルティリクスの母は未だ二十代のような若々しい外見を保ち、その上凄まじく聡明だった。王宮で一番敵に回したくない人かもしれない。心を壊し、政治を放棄した王が治める国が荒れなかったのは、影に徹して決して目立たなかったが、あの人の支えがあったからに他ならなかった。
 彼女と自分を比べる事もしないのだ。一方的に粗探しをして、不平を言うだけ。自らを顧みらず、王の母という不相応な身分への野望を抱き続ける母。
 ヨルゴスは心底辟易していた。彼女の子供である事に。
「ねぇ、言った通りに作ってちょうだい。――わかっているはずよ。あなたの錬金術にどれだけお金がかかったと思っているの。元を取らないと家が潰れることになるのよ!」
 ヨルゴスは冷めた眼差しでレサトの手元を見る。真新しいあかがねの美しい器が、多数の指輪に彩られた手の中に収まっていた。
(銅貨は全て溶かして、銅器になったよ。あんたが持ってるその碗もそうだ)
 心の中で嗤いながらヨルゴスはさらりと答えた。
「そんなもの作れないよ」
「嘘おっしゃい」
 子供の癇癪に付き合っているようで埒があかない。ヨルゴスはヴェネディクトをちらりと見る。
(そろそろ追い出せ)
 目で訴えると、彼は首を横に振る。無理ですと困惑した表情が語っていた。
(あぁ面倒だな……誰でもいいから、こいつを追い出してくれないか)
 さもないと朝までこのままか。鼻は麻痺してきたし、明日は頭痛に悩まされそうだとヨルゴスはこめかみを揉んだ。
 そのとき小さく扉が叩かれた。彼は一瞬まるで天の助けのようだと思ったが、天はそれほど彼に優しくはなかった。
「私、忘れ物を――――あら?」
 ヨルゴスは目を見開いたあと、見なかった事にしたくて瞑目する。
(……どうして、よりによって今やって来るんだ……)
 扉から現れたのは、先ほど追い払った小型犬シェリアだった。

「あら、どなたかしら? 新しい女官?」
 レサトはシェリアを見たとたん、一度むき出しの牙を仕舞った。
 シェリアは一見するだけならば裕福な貴族の令嬢。ヨルゴスは母親の嫌らしい計算に嘆息する。
 レサトは爛々と目を輝かせてシェリアの腹のあたりを見つめている。目には孫という幻が見えているのかもしれない。彼女はいつも新しい女官を送りつけるときにそれを熱望しているのだ。――うんざりだった。
「いや、ただの実験助手だよ」
 ヨルゴスが吐き気を堪えながら否定すると、レサトはあからさまに肩を落とし、彼は少しだけ胸が空いた。
 ふと視線をシェリアに戻す。ぶしつけな視線にさぞや怒っているだろうと思ったが、彼女はなぜか柔らかく笑った。
 ヨルゴスは思わず目を見張る。彼女らしくない、邪気のない綺麗すぎる笑みだったからだ。
「シェリア=エカテリナ=パイオンと申しますわ。――レサト様」
 シェリアは紹介もしていないのにあっさりレサトの正体を見抜く。ヨルゴスはまったく母親に似ていないはずだが、どうしてわかったのだろうか。不審に思いながらも見つめると、彼女はまだらしくない微笑みを浮かべたままだった。
 黙って微笑んでいると、彼女はひどく上品な姫君でヨルゴスは戸惑う。本性を知っているから余計にだった。
(気味が悪いな)
 槍でも降るのではと外の様子を伺うヨルゴスの隣で、レサトが突如甲高い声を上げた。
「パイオン……え、もしかして……あのケーン領主のパイオン卿のご息女ですか?」
 レサトは姿勢を正し、瞬く間に猫を被った。ヨルゴスは失笑する。この女は長いものに巻かれるのがどれだけ好きなのだろう。いつも本当に長いのかも確かめずに、失敗するくせに。
 少し前、傍付きになったメイサに対して、レサトは見下した態度を徹底した。ヨルゴスの子を産む"道具"としか見なさなかった。なぜなら彼女の家が貧しいから。
 メイサは自身の婚約と引き換えにヨルゴスに北部開発の資金の援助を申し出ていた。ヨルゴスは喜んで受けようとしていた。レサトはそれが気に入らなかったのだ。
 この金の亡者は、ほんの少しの金でも、他の人間のために使うのが嫌いなのだ。たとえ、息子のヨルゴスのためであっても。
 レサトの目にシェリアがどう映っているのかがわかり、ヨルゴスはひっそりと黒い笑いを浮かべた。裕福なジョイアの貴族の娘。すなわち"金づる"にしか見えていないだろう。となれば、これからの彼女の態度が目に見えるようだった。
(あぁ、せいぜい騙されてくれよ)
 シェリアを妃になどと言いだせば、しめたものだ。ヨルゴスは彼女を隠れ蓑に独身生活を謳歌できるだろう。
 穏やかな笑みを浮かべながら、腹の中で計算するヨルゴスの前で、しかしレサトは急に表情を固めて尋ねた。
「失礼ですが、息子とはどういうご関係ですの? あの……確か、王太子殿下の妃のお話でこちらにいらっしゃったとお聞きしたのですけれど」
 レサトの発言の言外に『シェリアと王太子との関係』が含まれているのに、賢しいシェリアが気付かないわけがない。さすがのシェリアも眉をぴくりと上げた。
(どうしてそこまで失礼な質問ができるんだろうな、この人)
 ヨルゴスは、シェリアが憤慨すると予想して残念に思う。自分相手の罵倒は無視が可能だから構わないのだが、相手がレサトだと見るに耐えない絵になるだろう。ひとときの安寧が吹き飛ぶさまを想像して惜しいと思うが、基本的に事なかれ主義のヨルゴスは、わざわざ火の中に飛び込む事もないと様子を見ることにする。
 しかし、予想外にシェリアの被った猫は剥がれず持ちこたえた。笑顔はまるで身の内から溢れるかのように見事に輝いているし、声色も穏やかで柔らかい。
「残念ながら、王太子殿下とはご縁がなかったのですわ。でもせっかく違う文化に触れられたのですもの。すぐに帰るのも勿体なくて見聞を広めさせて頂いているのです」
 当たり障りのない答えも彼女らしくない。まさかレサトに気に入られようとしているのかと考えるが、理由がわからない。一体何を企んでいるのだろうと、ヨルゴスは眉を寄せた。
 レサトは少し考えたあと、にこりとこれまた似合わない笑みを浮かべた。そしてヨルゴスの耳に口を寄せ囁いた。
「助手などと言わず、さっさと妃にしてしまえばいいのに」
 どうやら猫をかぶったシェリアを気に入ったらしい。早速縁談を持ちかけた母に、ヨルゴスは無言を貫く。
「無理矢理にでも手込めにしてしまえば、嫁ぐしかないでしょう。誰かに先を越される前にさっさと動きなさい」
「…………」
 最近自分も同じような事を言ったなと、ヨルゴスは思い出す。
(あぁ、そういえば、シェリアも僕を虫けらを見るような目で見ていたな)
 自分も今同じような目でレサトを見ているだろうと気付いて、さすがに少々反省した。母の口から聞いたからだろうが、改めて聞いてみると不快だった。
(この人の場合はこれが本気だから手に負えない)
 眼差しがどんどん冷え込むヨルゴスの前で、レサトは続けた。
「あのメイサとかいう女は子供を産ませるには便利だったのに、あなたがぼさっとしてるから、肝心の子を生ませる前にまんまと持って行かれて。まぁ、金の無心なんてされたらまっぴらだから破局は喜ばしいけれど。今度はそんな事なさそうだし、しっかりしなさいよ? ああ、でもあの細い体じゃあ、子供を期待しては駄目なのかしら……?」
 どこまでも妄想を突き進ませる母からうんざりと目を逸らすと、ヨルゴスはそっと嘆息した。



 時は真夜中になろうとしていた。
 既に隣の塔の灯りは落ちてしまい、窓は闇に染まっていた。燭台の油が少なくなったのか、徐々に薄暗くなった部屋の中にはヨルゴスとシェリアだけがいた。ヨルゴスが「彼女と二人で話をしたい」と言ったら、妙にうきうきした様子でレサトは退出したのだ。――わざわざヴェネディクトに「遠慮しなさいね」と釘を刺して。
「どういうつもり?」
 ヨルゴスの問いに、シェリアは首を傾げる。
「何が?」
「いや」
 先ほど見た奇妙な光景をなんと表現すればいいのかと一瞬頭を悩ませ「なんだか普通のお姫様だった」とヨルゴスが言うと、シェリアはふんと鼻を鳴らした。
(あ、いつもに戻った)
 令嬢らしくない仕草は普段の彼女のもの。猫が剥がれる様を見て、ヨルゴスは目を丸くする。
「得体の知れない相手には本性を出しても損する事が多いのよ。害がないか見極めてから小出しにするのが得策。普通の処世術でしょ。いつでも噛み付いてるとでも思ったの?」
「思っていたよ。僕に対しては、最初から本性丸出しだっただろう」
 初対面の女性に『負け犬』などと言われた事は一度もない。きっと生涯で一度の経験になると思う。
「あれは邪魔をしたあなたが悪いのよ。――とにかく、母親に嫌われたら、ここでやりにくくなるのは明らかでしょ。わざわざ険悪になる必要を感じないわ」
 意外に大人な一面に驚きつつ、ヨルゴスは礼を言った。
「一応感謝するよ。"あれ"を追い出したかったから、丁度良かった」
 シェリアはにやりと彼女らしい笑顔を浮かべ、ヨルゴスは妙にほっとする。
「これで貸し一つね。お礼に、メイサをものにする気にならないかしら?」
「それとこれとは話は別だ」
「そう、残念」
 シェリアは本気で言ったわけではないらしく、くすりと笑った。
 穏やかな空気が流れ、ヨルゴスは不思議だった。暫く顔を見たくないと思った今日の昼間を考えると余計に。
 じっと音を立ててどこかの燭台の火が消えた。もう就寝の時間をとうに過ぎていると思い出して、そういえば――と彼は気になっていた事を問うた。
「ところで、何をしに戻ってきたんだ? 夜も更けてるのに」
 相手がシェリアでなければできない質問だった。彼女が少しでも彼に気があれば、穿った意味で取られそうだから。
「ああ、そうそう。忘れ物」
 彼女は肩をすくめて、ヨルゴスの筆記机へと向かう。ヨルゴスは続けて問う。
「それから、どうして"あれ"が母だと知ってた?」
「あら、あなたたちすごく似てるわよ?」
 凄まじく失礼な返事を返しながら、シェリアは机の上の物を物色している。
「――どこが!?」
 ヨルゴスは思わず目を剥いた。しかし、シェリアは彼を無視して首を傾げた。
「……あら? ここじゃなかったかしら?」
「あぁ、勝手にものを触るなと言っていただろう」
 ちょうど金像が入れてある引き出しを念入りに探り始めるシェリアにヨルゴスは慌てた。決して高価な物ではないが、あれは特別な品だった。メイサを模して作ったもの。渡せなかった彼女への贈り物。未練がましいとは思うけれども、なかなか手放せずにいた曰く付きの品で、つまり、彼の心の傷を象徴した代物だった。
「――触るな」
 再び触れられるのを嫌がって咎める。しかし、シェリアは首を横に振った。
「探してるのは私物よ。ここに置いていたはずなんだけれど」
 白い顔に影が差していた。ヨルゴスは不穏な気分になる。今日は彼女らしくない表情をいくつ見ただろうと心の中でそっと数えた。
「何を探してる? そこには何もなかったと思うけれど。あぁ、そういえばさっき母が部屋をひっくり返してたな――ヴェネディクトに探させようか」
「いいわ。ここじゃないのなら、途中で落としたのだと思うし」
 シェリアはごまかし笑いを浮かべて追求を遮った。


2013.9.3

 

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