憎らしい口を塞ぐ方法

 

 午後の会議を半ばうわのそらで過ごしたヨルゴスは、部屋に戻っても手元の一通の手紙を落ち着かなく弄んでいた。
 そこにはシェリアの手荒れがひどい事。そして彼女が隠したがっている事、だから薬を処方して、仕事内容を少し変えてみてくれないかという内容が書かれている。差出人は書かれていないけれど、誰が出したものかはすぐにわかった。筆蹟に覚えがありすぎる。その辺が計算なのかは長く付き合ってきても未だわからないけれど。
 しかし教えて貰わねばずっと気が付かなかったかもしれない。シェリアは平気そうに振る舞っていたからまるでわからなかったのだ。そもそも彼女がヨルゴスと一緒に過ごすのは彼が朝の会議から戻った時と、昼の会議から戻ったときの一瞬だけ。ヨルゴスがメモを渡して実験の用意を頼み、そして彼女が進捗を報告するだけだった。
 たまにお茶でもと誘っても『実験助手の仕事じゃないもの』とすげなく断られた。あまりにもさっぱりした関係。しかしその距離感がヨルゴスには心地よかった。確かにそう思っていた。――シェリアがあんな風に部屋を出て行くまでは。
 いつも必要なものを必要なだけ注文するシェリアが、自分に本当に必要なものは頼まなかった。あれだけひどい手荒れなのに平気そうにして、一体何を隠そうとしたのか。
 ――それとも、ヨルゴスには絶対に頼りたくなかったのか。
 彼は柄にも無く拗ねている自分を知る。
「意地っ張りだなぁ……本当に、誰かさんとそっくりだね」
「本当ですね」
 誰のこととも言っていないのに、近従は主人が何に心囚われているか知っているようだ。視線がヨルゴスに注がれているのを知って彼は少々気を悪くした。
「僕が言ってるのは、ルティリクスにそっくりっていう話なんだけれど」
「はぁ、そうなのですか。確かに、王太子殿下も殿下によく似ていらっしゃる」
 ヴェネディクトの含みのある言葉に、ヨルゴスは眉を跳ね上げた。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ。濁される方が気持ちが悪い」
 ヴェネディクトはヨルゴスの許しを待ち構えていたように、遠慮なく言い直した。
「では。失礼を承知で申し上げます。シェリア様も意地っ張りですが、殿下の方も同じです」
「どこが」
 ヨルゴスは不機嫌さを露にした。
「あんな風にわざわざ"お約束"を持ち出す必要はなかったでしょう」
「ああでも言わなければ、彼女はルティリクスから手を引かないだろう?」
「私には火に油を注がれたように見えましたが」
 ヨルゴスは言われてみればと首を傾げたが、すぐに別の答えを思いつく。
「ちょっとからかっただけだよ。言われっぱなしで悔しいから、仕返ししただけ」
「七歳も年下の女の子にですか?」
 言われて大人げない自分の姿に気が付き、ヨルゴスは瞠目する。
 ヴェネディクトは呆れたように、大きな溜息をついた。
「ご自分では気が付いていらっしゃらないのですね。私には、殿下が気になる子をわざわざ泣かせて喜んでいる悪童わるがきにしか見えませんが」
 あんまりな例えにヨルゴスは絶句した。
「どこでどうねじ曲がってしまわれたのか。……殿下は彼女を追いつめて、彼女が泣いた時に、自分を縋ってくれたらとお思いでしょう? 甘えて欲しいとお思いでしょう。だからああやって苛めるのです。呆れるほどに見事な征服欲だ」
 やれやれとヴェネディクトが肩をすくめるのを見て、ヨルゴスは頭に血が上る。以前彼は確かに『泣かせてやったらどれだけ胸が空くだろう』と思った。子供っぽい感情が周囲に漏れていたのかと動揺する。
 しかし、断じて違う。ヴェネディクトは曲解し過ぎだ。あれは単にいつまでも自分にたてつく忌々しい女に腹を立てただけだ。
 しかし、ちらりとシェリアの目の端に浮かんだ涙の玉を思い出してしまう。あれを見たときにヨルゴスは、僅かな罪悪感と何か大きな期待感に胸を占領された。一体、あのとき何を期待したのだというのだろう?
 ヴェネディクトの言葉に触発されてその可能性が沸き上がった。
(まさか……甘えて欲しかった? ――ちがう――そうじゃない)
 怒鳴って否定したいのをぐっと堪えて、抑えた声を出した。
「妙なことを言うな。何を根拠にそんなこと」
 笑い飛ばそうとしたけれど、なぜか舌がもたついた。それが余計に彼を動揺させる。ヴェネディクトはヨルゴスが混乱すればするほど冷静な声を出す。まるで面白がってるようにも思えた。
「ずっと観察させて頂いたご様子から考えただけです。以前の殿下ならば、あんな風に追いつめたりせず『これ以上君が傷つくのを見たくない』と優しくおっしゃったはずです。そして大抵の女性にはその方が効果的でしょう。なのに殿下はそうなさらない」
 ヨルゴスはあまりの馬鹿馬鹿しさに冷静さを取り戻し、今度こそ鼻で笑った。喜劇のような結果が目に見える。
「そんな台詞、彼女に言ったら笑われるに決まってるだろう」
 ヴェネディクトはおやと眉を上げて、ふんわりとした笑顔を浮かべた。
「否定されないのですね」
「何を?」
 言われていることの意味がわからず、きょとんとしてヨルゴスは近従の顔を凝視した。彼は相変わらず笑顔だった。
「殿下は彼女を王太子殿下から引き離す理由が、変わってしまった事にお気づきではないのですか?」
 ヨルゴスは指摘されて愕然とする。
 そんな彼にヴェネディクトは穏やかな顔で諭す。
「殿下。弱い者が折れるのを待つよりも、強い方が折れてあげた方が丸く収まる事が多いのですよ。弱い者が先に折れてしまっては、傷が大き過ぎて拗れてしまいます。特に相手が意地っ張りな御方ならばなおの事です」
 ヴェネディクトはなぜだか『ヨルゴスがシェリアに特別な想いを抱いている』と決めつけている。だが、彼は納得いかない。そんなわけがない。メイサへの穏やかで温かい想いの形とはまるで違うし、有り得ないと思った。
 ただ、完全には否定できない自分がいた。苛めたい。泣き顔を見たい。その感情は無視できないのだ。
 ヨルゴスはシェリアが彼の手を振り払ったとき、落胆した事を思い出す。あのとき彼は、本当は縋って欲しかった。自分を頼って欲しかったのだと気づかされた。
「……説教はもういい。…………頭を冷やして来る」
 立ち上がると、ふらふらと部屋の出入り口へと向かう。
 彼の近従は「シェリア様は隣の塔に行かれたようですよ。例の浴室だそうですから、決して失礼のないように」とおせっかいにも教えてくれた。


 *

 作戦は日暮れと共に決行した。風呂を利用するのももう十数回で、衛兵はシェリアの行動に注意していなかった。メイサと常に一緒に行動していたのも大きいのだろう。
 兵の油断を衝いて、彼女は風呂のある一階から居住地である塔の上の階に進む。円形の塔に添うように作られた螺旋階段を登ると古びた重厚な扉が現れた。扉の前には衛兵はいない。塔の入り口だけで出入りを管理している事は前もって聞き出してあった。
『誰だ』
 気配を読んだのか、扉の向こうで声が上がった。シェリアは扉を押し開ける。長椅子で寛いでいた赤髪の男は、一瞬殺気立った目をこちらに向けた後、侵入者の正体を知り、訝しげな表情を浮かべた。
「……メイサはまだ戻っていないが」
「知っていますわ。だから参ったのです」
 答えると、王太子はすぐにシェリアの目的に気が付いたようだった。
 しかし、さほど心を動かされた様子もない。感情のこもらない声で彼は答える。
「……あぁ、そうか。そういうことか」
「私を閨に召して頂きたいのでございます」
 王太子は無言で立ち上がる。そしてシェリアの傍まで近寄り、にやりと冷たい笑みを浮かべて嗤う。
「メイサを騙したのか?」
「ええ」
 竦みそうになる自分を叱咤して彼女は彼を睨み返した。
「何か問題でも? 騙し騙されは、あなたも得意でしょう」
「ああ。俺とお前はよく似ている。目的のためには手段を選ばない。誰を傷つけようとも気にしない。――だから、俺はお前が嫌いだ」
 胸を突かれた。ここまではっきり言ってくれる人間は今までいなかった。『苦手だ』『合わない』そんな言葉で誤摩化されたけれど、はっきり言ってもらった方が却って気持ちいいかもしれない。
「そうですか。でも、」
 シェリアはすうと大きく息を吸う。追いつめられた。ならば最後の賭けに出るまでだった。
 ゆっくりと足音が階段を登って来るのが聞こえた。シェリアは自分を奮い立たせるようににんまりと笑った。
 誰かに見て貰った方が都合がいい。証人がいれば、彼女の武器になるだろう。
「お前、何を――」
 シェリアは素早く腰紐を解く。ジョイア式のゆとりのある服は、腰を緩めて肩を出すとすぐに足元に落ちた。
 靴を脱ぐのと同時に足元に絡まった服も完全に彼女の肌から離れた。
 透けるように薄い肌着を脱ぎさると、長い銀の髪だけが彼女の肌を覆った。
 ちょうど階段を上ってきていた足音が止まるのがわかった。扉が開くのを待って、シェリアは硬直する王太子に抱きつく。そして婉然と微笑んだ。
「私は、あなたが好きですわ」
 息を呑む音だけが部屋に響いた。きっとやって来た人物のものなのだろう。衛兵か女官か。誰でもいい、この状況を見て噂にしてくれればいい。
 ――王太子がメイサを裏切って、妃を娶ったと。
 しかし、予想に反して王太子はまったく慌てない。シェリアを押しのける事もなく、もちろん抱きしめる事もなく、黙って扉の方を見つめている。
 入室した人物の方も、一つの声も上げない。かといって慌てて出て行く事もない。
 不自然な沈黙が部屋には広がっていて、さすがにシェリアも誰が来たのか気になった。
(なんなの? もしかして、こういうのが日常茶飯事なの?)
 だとするとメイサが随分お気の毒だと思いつつシェリアが後ろを振り返ると――そこにはそのメイサがいた。
 彼女はきょとんとした顔で、王太子に抱きついているシェリアを見つめていた。
「え、カルダーノに行くって……!」
 驚いたシェリアは王太子から飛び退いて後ろを向く。慌てて服を拾って身につける。だが、焦りも手伝い身に纏った衣装ははなはだ不格好だった。
 着衣を整える間にもメイサの視線を感じた。シェリアはメイサの顔を見ることができなかった。
 どう言い訳しよう――凄まじい焦躁が沸き上がる。
「慌てているな? どうした、さっきまでの威勢の良さは。メイサがいない間に、俺を落とそうとしていたんだろう? 残念だったな。カルダーノは日帰り出来る距離なんだ。帰りを確認しなかったのは致命的な失策だ」
 王太子の冷たい声でシェリアははっとした。
(馬鹿、私、何してるの――)
 そもそも、メイサにこの状況を見せられたら最善のはずだった。王太子とシェリアの仲を誤解して怒ってくれれば、上手くいくはずだったのだ。そう演じるべきだったのに、どこでどう間違ったのか――。
 失敗に気が付くが既に遅かった。シェリアはひどく取り乱し、王太子は微塵の動揺も見せない。浮気心など滲み出ていないのが誰の目にも明らかだった。シェリア一人が道化みたいに踊っていただけで。
「早めに帰って来てくれて助かった。いい布は見つかったみたいだな」
 王太子は打って変わって穏やかな口調でメイサに話しかけた。彼女は王太子の問いかけにもひと言も発しない。気味が悪かったが、やはりシェリアは振り向く事ができなかった。
「だから信用しすぎるなって言っただろう? この女は、お前を騙して妃の座を奪おうとしていた。お前の気持ちを全部踏みにじってな。仲良くしようなんて無駄だ――縁を切れ。ジョイアに帰してやるのが一番だ」
 答える替わりに小さな足音がして、メイサが近づくのがわかった。
 シェリアは身構える。切り出されるのはきっと絶交だろう。とたん、胸が裂かれるような悲鳴を上げて、初めて理解する。シェリアの好きになった相手は王太子ではなく、メイサだった。初めてできた友人と呼べるような存在。今、シェリアは妃の座よりも彼女を失うのが怖かった。
 しかし、後悔しても遅かった。シェリアはメイサの一番大事なものに手を出して、信頼を完全に失ってしまった。
 胸が早鐘のように鳴っていた。全身の血がものすごい速度で流れているのを感じる。目の前の風景がたわむ感覚。目までもが脈打っているような気がする。今すぐに発狂しても、失神してもおかしくないとシェリアは思った。
(誰か、助けて。私、ここから逃げたい)
 子供のように泣き出したくなりながら、シェリアは願った。
 そのとき、
「――ああ、こんなところにいたのか」
 風が吹いて、穏やかな心安らぐ香りが部屋に流れ込んだ。同時に緊迫した雰囲気が崩れ、ほっとしたような息が王太子の口から漏れるのがわかった。
「ごめんね。うちのワンコ、管理が行き届いてなくて」
 つかつかという足音が近づいたかと思うと、後ろからひょいとお姫様のように抱き上げられる。見かけを裏切る腕の強さに、胸の温かさに、どこかに落ちかけていたシェリアは救われた気がした。
「……わ、ワンコって何!? なんで犬扱い!?」
 反論できるくらいの力を得て、シェリアが問うと、ヨルゴスはこちらを見る事なく王太子とメイサに向かってくすりと笑った。
「春も終わろうっていうのに、発情しちゃったのかな」
「はつじょう? ――って、」
 思わず繰り返してしまった後にぎょっと目を剥く。なんて言葉を吐くのかと強く言い返そうとすると、ヨルゴスはなぜかシェリアの唇をその唇で塞ぐ。悲鳴を上げようとしたが、直後、柔らかな笑顔の中に、吹きすさぶ冬の嵐のような瞳を見つけた。刺すように睨まれて声が凍った。
(……怒ってる……!)
 しかも今までに見た事がないくらいに。
 彼は笑顔と同じくらい柔らかい口調でシェリアを諭す。
「そういう事だろう? でも、相手を間違えちゃだめだ。あぁ、二人とも邪魔して悪かったね。また後で詫びに来させるけれど、今日は引き取らせてもらっていいかな。僕がしっかりお仕置き・・・・をしておくから」
 声の穏やかさと話の内容の不穏さとの差異が恐ろし過ぎて、シェリアは顔を引きつらせる。
 ヨルゴスの異様な様子に気付いたのか、気味悪そうに顔を歪める王太子と、ただ呆然とするメイサに向けて清爽な笑みを残すと、ヨルゴスは固まったシェリアを抱えたままに部屋を出た。

2013.9.18

 

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