憎らしい口を塞ぐ方法

 

 ルティリクスの塔を出ると同時に、ヨルゴスは抱えていたシェリアを地面に降ろす。そして黙ったまま彼女の手を引くと、自分の塔に連れて行く。
 三日月は既に西に沈みかけている。月明かりを失った塔は既にしんと静まり返っていた。
 夜勤の衛兵が目を丸くしながら彼らを見つめるが、ヨルゴスがちらと睨むと、何も問わずに塔の内部へと案内する。
 誰もいない自室にシェリアだけを連れ込むと、ようやく彼は口を開いた。
「君は馬鹿だ――底なしの」
「言われなくてもわかってるわよ」
 シェリアは悔しそうに唸るが、静かに自分の愚行を認めた。
 ヨルゴスは言い足りずにイライラと口を開く。
「さっさと国に帰すべきだったな。大体、君はジョイアに帰れば、何不自由無く暮らせるはずだろう? 僕にはわからない。メイサの好意も全部無駄にして、彼女を――それから自分も傷つけて。王太子妃というのは、君にとってそこまで価値があるものなのか!?」
「あるに決まってるわ。じゃないとあそこまでするわけがない」
「どんな価値? メイサという友人を失ってまで手に入れるほどのもの?」
 友人と強調すると強気だったシェリアの顔に悲壮感が滲む。今のが弱点だったのだろうか、泣き出しそうな顔でシェリアはヨルゴスを睨む。
「裕福な家に生まれた王子様のあなたに何がわかるの? 何もかもに恵まれてるくせに、一歩足を踏み出せば何もかも手に入れられるくせに、その一歩さえ怖がってる臆病者のあなたに」
「なんだと?」
 反撃にヨルゴスが気色ばむと、シェリアは馬鹿にするようにふんと鼻で笑った。
「苦労知らずの王子様に世の中の厳しさを教えてあげるわ。――元々実家のパイオン家はそんなに裕福じゃないの。この国の北部と変わらない状況よ。必死で見栄を張ってるけれど、ここ数年稲の不作が続いていて家計は火の車。借金まみれよ。だから家を立て直すためも必死で皇太子妃の座を狙ってた。私を妃にしようとして母は収賄で捕まって文官の職を失って、その後、父は何をとち狂ったのか、亡き皇后の墓荒らしの首謀で捕まったわ。皇太子の出生を探って脅迫しようとしたらしいけれど、妻の墓を荒らされたジョイア帝はたいそうお怒りになってね、投獄中よ。二度と出て来れないんじゃないかしら? ――つまりジョイアではもうパイオンは駄目なの。でも、放り出すわけにはいかないでしょ? 父も母もそれまで私に何も期待してなかったくせに、手のひらをひっくり返したように『お前だけが頼りだ』なんて言って来るし、そもそも家が潰れたら混乱で領地が荒れるのは目に見えてるし。だから今度ここで妃になれなかったら。ジョイア北部に富の流れを作れなかったら――領主の地位を狙っている金貸しのハゲオヤジの五番目の後妻として嫁ぐしか、お家存続の危機を逃れる方法がないのよね」
 立て板に水を流すように話すシェリアに、一人の娘が背負うには壮絶な内容にヨルゴスが絶句すると、彼女は愉快そうに笑った。
「その男ね、すでに十人も子がいるの。そして私と同じ歳の息子もいるくせに、そっちは皇女の婿を狙っていて私には回したくないんですって。だから父親の方ってわけ。失礼極まりないでしょ。そうそう――そいつね、蛙みたいな顔してるの。実験小屋においてある剥製にそっくり! 借金のためにあんな男の子供を産むなんて、死んだ方がマシよ!」
 シェリアは吐き捨てるように言うと、突然高笑いをし、ヨルゴスに鋭い視線を向けた。
「――私にだって幸せになる権利はあると思うわ。最後まで足掻いちゃいけないの? 運命だからって諦めなきゃいけないの? 同じ政略結婚なら、条件のいい男を選んで何が悪いの? ねえ? 私、何か間違ってる?」
 彼女は口元に辛辣な笑みを浮かべ、瞳を火のように燃やしていた。だけど、握りしめられた拳はぶるぶると震えていた。
 ヨルゴスは上着を脱ぐと、彼女の肩に被せる。そして上着の上からそっと彼女を抱きしめた。
「悪かった」
 彼女は逆らわずにヨルゴスの胸に顔を伏せる。顔が見えなくなったとたん、胸の辺りに染み込む熱い雫を感じる。上ずった声で彼女は続けた。
「欲しいなら、欲しいって言えばいいのよ。ちゃんと欲しがって、手を伸ばさなきゃ駄目なのよ。幸せなんてすぐ逃げちゃうんだから。こっちから捕まえに行かなきゃ、手に入らないの。絶対に」
「もう、何も言うな。君の言う事は正しいよ」
 衣を濡らす涙と共に、彼女の言葉が胸にまで染み込んで行く気がした。
「私は、ちゃんと言ったわよ。あなたが前言ったみたいに。王太子に『好きだ』って。だからあなたもメイサに――」
「わかったから。もうそれ以上言うなよ」
 報告に思わずムッとした。反射のように強く言って遮ると、シェリアが顔を上げた。腕の中からじっと見上げる顔は涙でぐちゃぐちゃだったけれど――涙で洗われて熱を冷まされた灰の瞳がすごく綺麗だった。
 ヨルゴスはシェリアに魅入った。ようやくしっかり目にすることができた泣き顔から目が離せなくて、ヴェネディクトの言っていた事は当たっていたかもしれないと思った。じっと見つめていると彼女の方が気まずそうに目を逸らす。
「と、とにかく、あなたもちゃんとメイサに伝えなさいよ。これ以上私に臆病者って言われたくないでしょ」
「うるさいな」
 ヨルゴスは既にこの憎らしい口を塞ぐ方法を知ってしまっていた。
 さっきは単純に言葉を奪いたかっただけ。けれど、今度は他のものを奪いたくて口づけた。シェリアはもがいたけれど、ヨルゴスは自分の気が済むまで離さないつもりだった。
 けれど、絡めた舌に噛み付かれそうになって、渋々彼女を離す。
 肩で息をした真っ赤な顔のシェリアは、口をぐいぐいとすり切れるほどに腕で拭うと、あろう事かハンカチに向かって唾棄した。
「何してるんだ……!?」
 お姫様にあるまじき行動にヨルゴスがぎょっとすると、シェリアは叫んだ。
「何してるは私の台詞! 気持ち悪いことしないでよ! ――あ、そうだ。さっきのあれ大丈夫だったの!? メイサはきっと誤解したに決まってるわ!」
(気持ちわる……い………………!?)
 さすがのヨルゴスも傷ついた。これでは今のがキスだとはとても認められない。
 だが前途多難だと思いつつも、諦める気にはならなかった。彼女にこれ以上負けたくはない。
「うるさい口を塞いだだけだよ。ひとまず落ち着いて僕の話を聞けよ。――君は確かに頑張った。だから僕ももう逃げないことにする」
「なに? ようやくその気になったって言うの? 今さら?」
「ああ。――逃がすのはなんだか勿体ない気がしてきたから、ね」
 シェリアは目を丸くして、直後急に焦りだした。
「あ、あの、あんな風に言っておいて悪いけれど……もう手遅れじゃない?」
 その手遅れの状態で頑張っていたのはどこの誰なんだと、ヨルゴスは吹き出しそうになった。
「いや、そうでもないと思うよ。君ができたのなら、僕にだってできるはずだし。……まぁ、苦労はしそうだけれどね」
「え、でもメイサに手を出したら、あなた王太子に殺されるわよ? それでもいいの?」
 シェリアは妙に慌てている。自分がした無茶でどれだけの人間が肝を冷やしたかも知らずに、人が同じ事をしようとすると心配するらしい。
(変な子だよ、本当に。どれだけ捻くれてるんだ)
「ねえ、あの、伝えるのはいいけれど、それ以上は止めた方がいいかも! 見込みないから! 王太子には絶対勝てないわよ! 色んな意味で! 命かけても無駄だったら浮かばれないでしょ!」
「…………」
 急に態度を変えて説得をしようとするシェリアを無視して、足をテラスに向ける。中庭に出ると、月の沈んだ後の空に星達が燦然と輝いていた。
(さて、どうやって攻略するべきかな。ルティリクスに比べて随分評価が低いみたいだしな。とりあえずは負け犬返上から始めるべきか?)
「ねぇ、ちょっと! 聞いてるの!?」
 シェリアはさらにヨルゴスをこき下ろしているが、彼は鼻歌を歌って聞き流す事にした。
 爽やかな初夏の夜風が、彼の背中を押してくれているような気がして、頬が緩んだ。

2013.9.21

 

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