花婿候補の一覧表(リスト)

 

 ヨルゴスがあんな風にシェリアを連れ去ったおかげで、場は一応収まったことになっていた。
 シェリアは発情した犬のように扱われたまま。それは相当に不本意な事だったのだが、おかげで王太子の部屋に忍び込んだ事に対する咎は未だない。
 だがシェリアは王太子の寛大さを讃える気にはならない。王太子は寛大なわけではなく、彼にとってもあの事件はなかった事にするのが一番傷が少ないからだ。万が一シェリアと王太子の仲が広まれば、寝取られたメイサは笑われ者にされ傷つくだろうし、国としてはこれまでのようにシェリアを無視できなくなり、相応しい立場を用意せざるを得ない。国力まで含めて釣り合いを考えれば正妃が妥当だ。それはメイサを決定的に追いつめるだろう。
 事件を公にして僅かにでも得をするのは、メイサに懸想しているヨルゴスだけだが、メイサを愛し、思いやる彼は当然沈黙を保っている。他に事件を知っている人間もいないため、あのときあの場にいた四人が揃って口を閉ざせば、表立って変わるものは何もない。
 しかし当人達の想いだけは複雑に絡まったままだ。メイサはもうシェリアの元に現れなかったし、確執が消える機会も無く日々は流れていた。

 鐘が高らかに鳴って午後を告げた。だがシェリアを呼ぶ明るい声が流れ込む事はない。
『シェリア――お昼ご飯を食べに行きましょう?』
 そんな幻聴さえ聞こえそうで、シェリアは憂鬱さを隠せないでいた。
(こうなるのは、当然よね)
 完全に嫌われてしまったとシェリアは落ち込むけれど、友人などいなかった彼女にはどうやってメイサの心を取り戻せばいいのか見当もつかない。
 小さく溜息をつくと、後ろから笑いを含んだ声が上がった。
「寂しそうだね。メイサが来ないと随分退屈だろう」
「……別に」
 実験小屋の入り口の扉を見やって、入室してきた人物を確認する。だが挨拶もせずに、シェリアはふいと目を逸らした。あれから、どうも彼と真っ直ぐ目を合わせることができないでいる。目が合うと凄まじく気まずいのだ。
「謝ったらいいんだよ。メイサならきっと許してくれるから。そういう人だって良く知ってるはずだろう」
 ヨルゴスはすぐにシェリアの悩みごとを察して助言をくれる。今回ばかりは自分でも顔に出ているとは思う。だが、彼女は余計なお世話とばかりに眉間に皺を寄せた。自分がした事を思い返すと、そんなに簡単に修復できるとは思えないし、それに――
「それは惚気なの? だから見込みないってば。人ごとだと思って暢気なものね」
 彼がメイサを誉める度になんだかムッとするのはなぜだろう。王太子がメイサとべたべたと戯れている時でもこんな気分になった事はないのに。
(どういうつもり? あんな風に、く、口づけなどしておいて)
 心の中で文句を言ったとたん、頭に血が上って慌てて頭を振った。
(違うわ、違う。あれはキスじゃない)
 彼に言わせるとそうらしいのだ。口を塞いだだけだとはっきり言われた。
 だがシェリアには、ヨルゴスの行動が到底理解できない。
 確かに最初に口づけられた時、彼は両腕が塞がっていて。でも二回目は違ったはずで、手で塞ぐことができたはずなのだ。
 思い出してシェリアは手のひらに汗をかく。背を何かが駆け回るようなむずがゆい気分が沸き上がった。
 思わず気持ち悪いと言ってしまったけれど、本当にそうだったわけではない。
 行為自体は耳学問で知っていたけれど、口づけは単に唇を合わせるだけだと思っていた。だが違った。だから驚いてしまったのだ。
(だ、だって! なんであんな事!)
 まさかあんなことが口の中で行われているなど、聞いていないし、夢にも思わない。
 感覚を思い出すだけで頭が噴火しそうになる。あれ以来彼に対して威勢を欠くのは、またあんな風に口を塞がれては敵わないと思うからで、その意味では口封じと言って間違いはないのかもしれない。
 悩まなければいけない事は別にあるのに、シェリアの頭半分はヨルゴスに支配されていた。追い出したくても、強烈な体験が居座って出て行ってくれないのだ。
 シェリアはひとまず目の前にあった硝子の実験器具を手に取り、磨きながら無心を心がけた。そして一つ大きな息を吐いて、問わねばと思っていた事を口に出すことにした。
「ええと……あの、私ってまだここにいていいの?」
 切り出されるのを待っていたのだが、なぜかヨルゴスはその話を口にしなかった。
 シェリアが漏らした家の事情を聞いて同情しているのかもしれない。何だかんだで優しいヨルゴスならば有り得るが、いつまでも厚意に甘えるわけにはいかない。衣食住には金がかかる。
 しかしヨルゴスは肩をすくめて意外な答えをよこした。
「実験助手ができるような女官ってなかなか見つからないんだよ。常時募集しているんだけれどね、なかなか合格者が出ないんだ。だからあんな風に言ったけれど、実のところは突然辞められたら困るかな」
「あ、そうなの」
 シェリアは拍子抜けする。帰れと言われずにひとまずほっとするものの、相変わらず臨時職なのかと不安定さにげんなりした。
 生きていく地盤が固まらないというのは結構辛いのだ。雇って貰えることは嬉しいが、いつまでも結論を先延ばしにはできない。
 シェリアは王太子に振られた時点である程度の覚悟をしていた。つまり国の金貸しとの結婚をだ。だからこそ泣いてしまったわけで、今さら甘言で揺れて、また泣くのは嫌だった。しかし、ヨルゴスは、シェリアの憂いを払うように続けた。
「つまりね、君がいたいだけいたらいいよ」
「え?」
 耳を疑うシェリアにヨルゴスは一つ咳払いをすると、はっきりとした口調で言い直した。
「優秀な助手ってのはなかなか見つからなくってね。君さえ良ければ、ずっといてくれても構わない。その間に身の振り方をゆっくり考えればいい」
「え、でも」
 反論しつつも、期限がつかないのならば――と肩の力が抜けるのがわかった。
「幸いアウストラリスには王子が多い。ルティリクス以外にも良い縁談はあるかもしれない。ジョイアでは駄目でも、アウストラリスなら、金貸しの中年好色男よりはマシな男がいると思うけれど」
 ヨルゴスがシェリアの思考を促す。確かに猶予が貰えるのならば、こちらでもう少し良い相手――王太子はもう無理だとは思うけれど、他にも王子はいるのだ――を探せるかもしれない。
 手っ取り早く金貸しからの借金を肩代わりしてくれる男が最善だが、そんな都合の良い男はいただろうか。
 ひっそり花婿候補に思いを馳せるシェリアの前で、ヨルゴスはぎこちない笑顔で何か窺うようにシェリアを見つめている。
(そういえば)
 シェリアは目の前の男も王子だったと思い出した。
 頭脳明晰で容姿端麗、しかもそこそこにお金持ち――母方の家の力を思えば王太子よりも裕福だろう――なのだ。臆病者だけれど、優しいと言い換えられるかもしれない。
 とりあえずシェリアがどうしても譲れない条件――『賢く』て『若く』て『金持ち』である――は満たしている。
 しかしシェリアはすぐに駄目だと思った。
 彼には致命的な欠陥がある。彼の目にはメイサしか映っていない事を、シェリアは傍で観察してきて誰よりもよく知っているつもりだ。
(……彼はメイサとのこと、前向きに考えだしたばっかりだものね……)
 しかもシェリアの言葉が彼に火をつけたのだ。そのせいで彼は一生独身ということになりかねない。もちろん、メイサが王太子と別れることなど考えられないし、彼は確実に振られるとシェリアは信じているが、傷心の彼に付け込むのは何となく良心が咎めた。彼女は恩人に対して礼を欠くほど落ちるつもりはないのだ。何より、そんな卑怯な真似はきっと彼の美意識に反するだろう。
 大体、彼に向かって散々悪態を吐いたシェリアなのだ。厚意を好意とは思えないし、そう取るのはさすがに厚かましいと思う。これ以上嫌われたくはないし、今の位置で彼が立ち直るのをそっと支えてあげるべきだ。その方が喜ばれるに決まっていた。
 惜しく思いながらも、頭の中の花婿候補の名簿からヨルゴスの名をそっと削除すると、彼から目を逸らした。
 そのとき鐘が響くのが聞こえてはっとした。話し込んでいるうちに昼の休憩時間が過ぎようとしていた。となれば長居は無用。食欲はないけれど、食事に行かなければ。これ以上痩せては華奢で済まない。貧弱と言われてしまう。
「ええと、ちょっと考えてみるわ。とにかく、続けて雇ってくれてありがとう」
 心を込めて礼を言うと、シェリアはあっさりと席を立とうとする。それを見て、ヨルゴスは笑顔を真顔に戻した。
「別に約束がないなら、僕と食事をとってもいいんじゃないかな?」
「一緒に?」
「そうだよ。一人じゃ退屈だろう?」
 どういう風の吹き回しだろうとシェリアは彼の顔を見つめながら考えたが、ひょっとしたら退屈なのは彼の方かもしれないと思い当たる。
 ならば話題を提供してやればいい。一石二鳥だと手を打った。
「そうだわ。じゃあ、あなたのお兄様のどなたかを紹介してくれないかしら」

 *

 昼食を食べ終わるとシェリアはすぐに実験小屋へと引っ込んだ。
 ヨルゴスも午後の会議があるので、すぐさま身支度をし始めたけれど、あまりのあっさりした会食の終了に小さな溜息が出る。
 すると微かな咳払い。後ろを見るとヴェネディクトが笑いを必死で堪える顔をしていた。
「笑うな」
「辛うじて堪えておりますが」
 ヨルゴスは今度は遠慮なく大きな溜息をついた。ヴェネディクトはとうとう吹き出した。
「眼中にないって事だよなぁ」
 ヨルゴスは呟くと、食事中に一生懸命メモを取るシェリアの姿を思い出した。
 しつこく尋ねるシェリアに、ヨルゴスは渋々兄について教えてやったのだ。
 最初にヨルゴスとルティリクス以外は既に正妃どころか多くの側妃を持つと前置きしたが、彼女は特に狙いを変えないようだった。しつこく兄の事を尋ねるシェリアに、渋々ヨルゴスは先日亡くなったアルゴルと、失脚して里に隠居した——というのは彼女に紹介しない真の理由ではなく、それは彼の節操のなさが兄弟の中でも飛び抜けているからなのだが——アステリオン以外の兄について教えてやった。
 コスタス、ダレイオス、イオシフ。彼らは年齢も郷も同じだが三つ子ではない。皆腹違いで、母親が姉妹なのだと言うとシェリアはさすがに顔をしかめ、言いたくなかったとヨルゴスは思った。シェリアの眉が潔癖そうに顰められると、ザウラクの子である事が罪のような気さえして来るのだ。
 しかし、彼女はすぐに気を取りなおした。三人だけじゃないでしょ?と餌のおかわりを待つ子犬のような表情で続きを求めるシェリアは、どうやらルティリクス以外は全て父の子だと勘違いしていたようだった。他は叔母の子だと言うと、そちらについても詳らかに聞き出した。新たにヤニ、キモン、レヴァン、ソテリオスの名が加わり、その分ヨルゴスの眉間には皺が増えた。
 彼女はヨルゴスのあげた手帳にヨルゴスのあげたペンで、花婿候補計七名の 一覧表(リスト)を作り上げて満足げにしていたが、そこには最後までヨルゴスの名が書かれることはなかった。
「まったく脈無しとは思えませんが。ただ、少々回りくどかっただけではございませんか」
 ヴェネディクトが慰めを入れるがヨルゴスはムッとして撥ね付けた。
「慰めはいらないよ。彼女はメイサと違って鈍くはない。ああ言って食いつかないなら脈がないってことだ」
 ヴェネディクトは首を傾げながらもヨルゴスに問う。
「では、諦められるのですか?」
「そんなことをすれば今度こそ負け犬だ」
 ヨルゴスの頭にある事がひらめいた。
(つまりは、まずは負け犬じゃないってことを見せる必要があるって事か)
 不完全燃焼だった前の恋。もう恋の炎は穏やかな熱を残して消えかけていて、放置していてもいずれ消えるだろう。だが、シェリアはそんな終わり方には納得しない。彼女は完全燃焼して、さらに自分で水をかけて恋を終わらせた。
「負け犬返上の参考にさせてもらうかな」
 何しろヨルゴスの周りには模範になる男がいないのだ。恋をしている男がまず少ないし、一番参考になりそうなルティリクスも結局のところとことん受け身の恋をしている。メイサのために命をかけるくらいに愛していながら、彼女の愛情が確かめられねば、恋に飛び込まなかった臆病者だ。ヨルゴスも人の事は言えないが。
(そろそろ仲直りもさせておいた方がいいし)
 ヨルゴスはそっと窓際に寄ると隣の塔を見上げる。白い尖塔の高い位置にある窓を見ても、もう心が痛まなくなっていた。そしてこれからも痛むことはないだろう。小さく息を吸うとヨルゴスはヴェネディクトに命じた。
「近く茶会を開く。隣のお二人を招待したいから、予定を聞いてきてくれるかな」

2013.9.25

 

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