消えた花嫁衣装

 

 足音が塔から去った後、ヴェネディクトがやれやれといった調子で隣の部屋から現れた。
「……追わなくてよろしいのですか?」
「追えるか? お前なら」
 足から力が抜けるのを感じ、ヨルゴスは近くにあった肘掛け椅子に腰を下ろしてぴりぴりと痺れる頬を撫でる。
 打った手が悉くまずかった。最初に拒絶された時に歯車が狂ってしまったことだけはわかったのだが、ずれてしまった道筋をどこでどう修正すればいいのかわからなかった。
「私は"ひと言"足りなかっただけだと思うのですが」
「ひと言?」
 ヨルゴスが顔を上げると、ヴェネディクトがいつの間に淹れたのか、薬草茶を差し出した。爽やかな香りに僅かに心が慰められる。
「肝心なことを殿下はおっしゃいませんでしたから」
「肝心なこと……か」
 ヴェネディクトはそれ以上は教えてくれない。自分で考えろということだろうし、わざわざ言われなくなくてもヨルゴスには答えに心当たりがあった。拒絶が怖くてどうしても言えなかった言葉があった。
「あんな風におっしゃったのは、断られるのが怖かったのですか?」
「それもあるけれどね。……逃げ場を与えておかないと、怖がるんじゃないかって」
 ヨルゴスが近づくと身を引いて怯えてしまうシェリア。彼女の意思を尊重したいから、どうしても距離を詰めてしまえない。追いつめるようなことはできなかった。
「逃げ場を与えたくないのなら、無理せずにおっしゃればよろしいのに。無理をされるから拗れた。撤回などしたくないとひと言おっしゃればよかったのです」
 ヴェネディクトは呆れたように溜息をつくと、カツカツと足音を立てて扉へと向かう。そして動かないヨルゴスに向かって突如挑戦的な目を向けた。
「殿下が追われないのであれば、補欠が名乗りを上げることもありますよ。私が追いますがよろしいですか?」
「な――?」
 思わずぎょっとして身を起こすと、彼の忠実な近従はにやりと笑った。
「補欠……ってお前、」
「彼女を見ていたのはご自分だけだとお考えですか?」
 突然名乗り出た恋敵にヨルゴスははっきりと動揺していた。今の今まで、あのシェリアに心囚われるような男は自分だけだと思い込んでいたけれど、ヨルゴスの傍で逐一シェリアの行動を見ていた彼ならば、あり得ないことではないと思いついてしまった。
 無意識に立ち上がっていたヨルゴスを見て「殿下。お顔が恐いですよ」とヴェネディクトは遠慮なく吹き出す。ようやくヨルゴスはからかわれたのだと気がついた。
 だが、一歩踏み出した足を戻す気にはならなかった。
 誰にも渡したくないのならば、意地を張る余裕などないことに気づいてしまったのだ。
 ヴェネディクトが一歩身を引いてヨルゴスへ道を譲る。
「――あの御方が大人しく尋問室に向かわれるとお思いですか? 犯人探しの手がかりもお持ちになったでしょう?」
 ヨルゴスははっとする。そういえば、未読の調書の写しはシェリアに渡したまま。部屋を見渡しても見つからなかった。
「……確かに犯人を捜して仕返しの一つでも考えるかもな。でも、犯人――か。シェリア以外の誰に動機があるっていうんだ?」
 ヨルゴスが密かに呟いたとたん、ヴェネディクトがなにか思い出したように手を打った。
「――あ、もしかしたら」
 だが、ヴェネディクトは目を泳がせ、口を噤む。
「何? 時間が無い。思いついたことがあるなら遠慮なく言ってくれ」
「ええと……今回の事件ですが、シェリア様に恨みがある者の犯行――と考えれば、別の犯人が見えて来られるのではないでしょうか」
(ん? シェリアに恨みがある者? ルティリクスやメイサではなくて?)
 ヨルゴスはこめかみを揉む。そして鈍った思考力を最大にまで戻そうと目を瞑った。
(ええと、王妃が言ってたか。シェリアを利用して犯人に仕立て上げるとかなんとか……)
「シェリアに濡れ衣を着せる、そして、このまま彼女が罪人として処分される……となると」
 気の毒そうにヴェネディクトが頷き、ヨルゴスは全身にびりりと震えが走るのを感じた。
 どこかに疑いは落ちていたものの、無意識に目を背けていたのだろう。ちらりと蓋を開けて心の屑入れを覗いたとたん、事件の全貌が瞬く間に見えてしまったヨルゴスは、がっくりと項垂れ頭を抱えた。
「このままですと破談になるのは殿下のお話の方ですよね……」
 ヴェネディクトの顔には御愁傷様ですと書いてあった。
「…………あああ、もう」
 腐るヨルゴスにヴェネディクトが控えめに尋ねる。
「出かけられますか?」
「シェリアに頼んでいた例の薬を出してくれ。ああ、それから、念のため剣も」
 主人の命令を不気味そうにしながらも、ヴェネディクトは素直に薬瓶と剣を運ぶ。ヨルゴスの腰に久々に剣のずっしりとした重みが加わる。背筋を伸ばしながら近従に指示を出す。
「二手に分かれる。お前はルティリクスに連絡を。――僕はひとまずシェリアを連れ戻す」

 *

 シェリアは広場に立ったまま痛みに痺れる右手の手のひらをじっと見つめた。そうして、ぐっと握りしめると、拳で涙を拭って歩き出す。向かう先はもちろん尋問室などではない。あんな場所は自分には相応しくないことくらいわかっていた。
(でも、殿下の申し出を蹴ったのだから、すぐにあの部屋に逆戻りかも)
 僅かだが視線を感じて辺りを見回すと、衛兵にじろりと睨まれた。牽制の視線だ。さすがにまだ監視されているのだろう。
 あんなところに戻るものですか――シェリアはぎりと歯がみする。
 手元の調書を覗き込むが、月明かりだけでは心もとない。シェリアはひとまず自分の部屋に戻ることにした。
 部屋の扉を開けると涙に頬を濡らしたマルガリタが粗末な寝台から起き上がろうとする。シェリアは手を挙げて「横になっていて」と制する。老いた侍女の腰の具合は未だ悪いのだ。
「シェリア様……!」
「心配かけて悪かったわね」
「数々の失礼に加えて窃盗など……今度ばかりはもう駄目かと……私がついておきながら……旦那さまと奥さまには死んでお詫びするしかないと思っておりました」
 失礼なことを言いつつ涙に咽せる侍女を放っておいて、シェリアは燭台の下で調書を読み始めたが、冒頭に目を通すなりすぐに眉を顰めた。
(なに? 王都に馬車が着いた時には既に衣装が紛失していた疑いがあるですって?)
 どうやら、荷解きの段階で既に騒ぎになったらしい。しかも今回運ばれた衣装はメイサの衣装とシェリアの衣装の二枚で、メイサの衣装のみが盗まれたと書かれていた。
「ああ、メイサったら……」
 道理でシェリアが疑われるはずだ。
(そんな余裕があったら、護衛を増やせばこんなことにならなかったのに)
 相変わらずのメイサのおせっかいに心が温まると同時に、彼女の幸せにケチがついたことがひどく腹立たしくなった。
(犯人、見つけたらただじゃおかないわ)
 メラメラと闘志を燃やしながら、ふと容疑者の一人にあげられたヨルゴスにも思いを馳せた。
 彼の態度を思い出すと先ほどついたばかりの傷に塩が塗られるような気がした。だがシェリアはヨルゴスにあんな安易な手を打たせた原因が気になった。彼に掛けられた疑いは彼に望まない婚約をさせるほど重いものだったのだろうか?
 例えヨルゴスが未だにメイサを愛していたとしても、花嫁の衣装を盗むなどという卑劣な真似をする人間ではないことは、彼を知っている人間ならばわかるだろう。シェリアにはただの弱腰にしか思えなかったが、一般的には愛した女の幸せを祈ることのできる優しい男に見えるはずだ。王太子もメイサも疑わないに決まっている。
 それに彼は一応王子なのだし、疑う理由が動機だけというのはお粗末過ぎる。しかも調査の指揮を執っているのは王太子でさえ頭の上がらない切れ者の王妃なのだ。何か他に疑われる理由があるに違いない。
(王都以外で盗まれたのなら、ずっと城にいた私には実行不可能だものね。だから城を空けていた彼が疑われたのかしら? ……でも、私が人を雇ったとも考えられるわよね?)
 自分がもし実行するなら、盗賊にでも見せかけて道中の馬車を襲うだろう。そんな人材を揃えられればだが。もちろんシェリアにはそんな余裕はない。しかしヨルゴスには余裕がある。
 疑念を抱えつつ調書を読み進めるが、
(王都から運ばれる途中で襲われたというようなことはなかったのね。じゃあ、荷を積む前が怪しいってこと?)
 だとしたら、荷を積んだ場所を調べられ足がつくはず。これでは花嫁衣装を奪いたかったにしても、婚儀を邪魔しようとしたにしても捕まってしまう。穴だらけもいいところ。
(なんというか……本当に私が作った計画を借りただけっていうか、自分の頭で考えずにやってる感じ。後先考えてないし、成功させる気全くないわよね? これ)
 ずさんな計画にシェリアは呆れる。そしてふと思い出した。
(そういえば、私の手帳はどこから出て来たわけ……?)
 調書を辿ると、記述を見つける。
(馬車の衣装箱に残されていた? 随分あからさまじゃない)
 これでは捕まえてと言っているようなものだ。そんな間抜けに見えたのだろうかとムッとしつつ、手帳を落とした時のことを思い出そうとする。とたんになにかが頭の隅で訴えるが、考えが形を成す前にシェリアの目に飛び込んで来た文字があった。
「……カルダーノ……?」
 文字を追うと、荷を積んだ場所がカルダーノの工房だったのだ。
 記憶を辿ってみる。当時シェリアの頭の中は王太子の元にどうやって押し掛けるかでいっぱいだったが、思い返すとメイサは確かに言っていた。
『今日はこれからカルダーノに行く事になってしまって』
 シェリアの頭の中に一人の人物の顔が浮かび上がり、同時に今までに得た情報が周りを取り巻き出す。かっと頭に血が上り、調書を読む速度が急激に上がる。腹の奥から湧き始める怒りと、足元から昇り始める嫌な予感が彼女を急かす。
 そして、最下部の一行。
『第十王子ヨルゴスが婚儀妨害の主犯。傍付き女官のシェリアを供そ、及び犯人に仕立てる工作。目的は、妃の奪取に伴う王位継承の妨害。王太子及び王家に対する反逆的行為か』
 読んだとたん、シェリアは目を剥いて叫んだ。
「反逆!? なにこれ!」
 聞いていたのとはまったく次元が違う嫌疑だった。女同士の醜い嫌がらせぐらいにしか感じていなかったシェリアは戦慄した。
 確かに、この事件を広い視野で見ればそう見える。ただ、主犯がまったく別の人間であるだけで。
(まさかだけれど、あの人を嵌めようと王妃が企んだんじゃないでしょうね……この事件)
 シェリアには王妃がすでに真犯人を知っていて、わざと間違えている・・・・・・・・・ように思えて仕方ない。ヨルゴスが捕まる方が犯人にとって痛手だからだ。
 思い違いだと願いたいけれども、文面から滲み出る激しさを読み取ると可能性は高い。
 息子の進む道を僅かでも邪魔立てするものは容赦なく潰そうとする王妃の意志が見えて、シェリアは身震いして目を瞑る。
 これは怒らせた相手が悪い。犯人より一枚も二枚も上手だ。返し技が鋭過ぎて避けるどころか、周囲まで巻き込んで倒れてしまう。王太子が頭が上がらないのも頷けるし、ヨルゴスが焦るのも当たり前だった。婚約くらいの手を打たねば王妃の攻撃は躱せない。いや、それでも躱せた気がしない。しかも、衣装が見つかる場所によっては、いくら王太子やメイサが口添えしても罪は見逃されないだろう。
(馬鹿ね。困ってるなら言えばいいのに。人のこと意地っ張りとか言うけれど、自分だって相当じゃない)
 一つ見方が変われば、ヨルゴスのあの言葉も全く別の意味に取れてしまう。
 機嫌があっという間に直ってしまったシェリアは、ぐいと腕まくりをすると呟いた。
「とにかく、さっさと衣装を見つけないと、大変なことになるわ」
 今ならまだ未遂で済む。本当に衣装が儀式までに戻らなければ罪の重さが全く異なってしまう。急ぐ必要があった。
 一つ深呼吸をして自分を落ち着かせると、突如として寝台の上でぽかんとしているマルガリタに向き直る。
「さあて、マルガリタ。あなたにも役に立ってもらうわよ?」
「な、何なりとお申し付けください!」
 マルガリタは驚いた顔で畏まる。彼女に向かってシェリアは極上の笑みを浮かべ、命じた。
「――今すぐ服を貸しなさい」

2013.10.15

 

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