消えた花嫁衣装

 

 塔の入り口にいた衛兵は、第十王子の夜中の訪問に興味が隠せない様子だった。それもそうだろう。他の王子たちと違い、ヨルゴスがわざわざ女官を訪ねて逢い引きすることなどこれまでに一度もなかったのだから。
 前回訪れた時はシェリアにつく傷を慮り、医師のなりをして姿も身分も偽った。だが今回はそんな時間さえももどかしく、ただ「女官のシェリアはいるか?」と尋ね、姿も偽らず王子として塔に入った。
 これでもし彼女が傷つくのなら、傷ごと包み込むつもりだった。
 夜半を過ぎ、塔はしんと寝静まっている。闇に染上げられた石造りの廊下にヨルゴスの足音だけが響いた。女官に与えられた部屋はどれも同じ造りとなっているはずだが、階段を上がり二階の十五個目の扉だけは特別な色をしているように思えた。
 部屋の前で立ち止まり、軽く扉を叩くと扉の向こうで空気が張りつめた。
「シェリア、入るよ」
 名を呼んで扉を開く。手に持った燭台を掲げる。粗末な寝台の上に布を被った固まりがあった。よく見ると布は毛布で、随分暑くるしい。ムッとした室内の空気が余計に重く感じられ、彼は溜息をついた。
 アウストラリスの夏の夜には似つかわしくない寝姿だ。さほど暑がりではないヨルゴスでも、この時期は薄い寝具しか使わない。毛布など見たくもない。決して目に入らない場所に仕舞ってあるくらいだ。
「その恰好……暑いだろう」
「…………」
 ヨルゴスの呟きにも人の形をした固まりは沈黙している。
(もしかして寝ている? あれだけ興奮していたのに?)
 いつもの彼女――しかも先ほどの立腹した彼女ならば、そろそろ物を投げつけられて追い出されてもおかしくないくらいだった。あの喧嘩の直後にこんな風に大人しいのは、熱でもあるのかもとヨルゴスは少々心配になる。ならば、この時期の毛布にも理由が付けられる。
(尋問がきつかっただろうしなぁ。もともと気が強いだけで、細くて体力はないのだし)
 確かめようと一歩近づくとシェリアはぶるりと震えた。眠っているところを起こせばまた喧嘩になりそうだったから、ヨルゴスは多少ほっとしながら尋ねた。
「起きているんだろう? ふて寝なんて君らしくもない」
 気位の高い彼女が、真夜中に男をここまで近づけさせていること自体が驚異的ではあった。今の今まで暴言の一つも飛び出さないというのが不思議でしょうがない。
 もしかしたら、彼女なりに仲直りをしようと思ってくれているのだろうか。ふいにそんな都合の良い考えが浮かび上がりそうになり、ヨルゴスは慌てて押さえ付ける。それは彼の胸の底の凶暴な部分に火をつけかねない。夜に二人きりでいると意識するとなおさらだった。
 いつもは理性でしっかり鍵をかけているが、時折扉を突き破って表に出てくる素のままの自分。全てさらけ出したことは、メイサにさえもない。だが、シェリアになら不格好な自分を見せてもいいような気がする。
(既にさんざん、見せてしまってるからな……)
 シェリアの前で飛び出してしまう己の子供っぽさを自嘲しながら、ヨルゴスはさらに足を進め、寝台の脇まで――手が届く距離にまで近づいた。
 ぐらつく胸の扉に理性の鍵をかけ直しながら、ヨルゴスは言った。
「さっきは、すまなかった。君の言う通りだ。断りの一つも入れずに、あんな風に勝手に婚約などという話を出すべきじゃなかったし、簡単に撤回などと口にすべきじゃなかった。怒るのも当然だと思う」
 謝罪の言葉にも返答はない。心なしか戸惑ったような雰囲気が寝台の上の固まりから発せられているような気がする。さすがにヨルゴスは次の言葉を口にしていいものかと躊躇った。
 だが、先ほどのヴェネディクトの言葉が彼を後押しする。今は迷っている時間もない。どさくさで言うのは気が引けたけれども、誤解を解かずにはいられない。
「婚約を君はお情けだって言ったけれど、僕はそんなにお人好しじゃない。破棄してもいいと言ったけれど、結婚を軽く考えてるわけでもないよ。僕がこれまで結婚しなかったのは、好きな子がいなかったからで……ええと、つまり――」
 ヨルゴスは一つ大きく息を吸うと、足りなかった言葉を口にする。
「僕は、君が好きだ。だから、婚約を撤回したくはない。君が破棄を望んだとしても、本当はそうしたくないんだ」
 シェリアは黙りこくっている。しかし息をひそめているのは気配でわかる。
「顔を見せてくれないかな。振られるにしても、きっぱりと駄目だと聞きたい。変に期待させないで欲しい。――君もそっちの方が性に合っているだろう?」
 沈黙し続ける背中に焦れたヨルゴスは、被っている布に手をかけ、取り払った。とたん、シェリアは激しく震えた。
「…………も、」
 ようやく発せられた声は妙に掠れていた。嗄れていると言った方がしっくり来るくらいの声に、ヨルゴスは眉間に皺を寄せる。
(も?)
「も、もうしわけありません――、決して口を開くなと言われておりましたが……シェリア様……! 私には無理でございます!」
 燭台を手に取ると、寝台の上に膝を折って身を伏せた女を照らす。確かに見覚えのある灰色の衣装。だが、包まれる体は華奢というよりは貧相と言った方がいいくらいにやせこけている。寝台にしがみついている手には深い皺。肌に瑞々しさは全くなく、なによりも特徴的な長い銀髪が見当たらない。女の髪は腰までの長さ。銀ではなく、白髪しらがだ。
「…………お前は、だれだ?」
「ま、マルガリタと申します」
 シェリアの若々しい服を着て踞る老女をしばし目を見開いて観察したあと、ヨルゴスは目を手で覆って天井を仰ぐ。
(ああ、この女は――あの時、ぶっ倒れた)
 彼女を見たのはシェリアを雇うことに決めた日だっただろうか。以降腰が悪いとは聞いていたが、見かけなかったので、すっかり存在を忘れていたのだ。
 どうやら、ヨルゴスの一世一代の告白は泡となった。
「悪気はなかったのでございますっ……! ど、どうか、お許しを――」
 どうやらこの侍女は、自分の犯した失態で手打ちになってもおかしくないと思っているようだが、ヨルゴスは怒るどころか脱力感で身動きが取れない。
(今はこの女のように倒れたいかも――)
 魂が抜けそうになりながらも、嫌な予感に圧されてヨルゴスは持ちこたえた。
(ここにいないってことは――どこへ?)
 確か、衛兵にシェリアはいるかと問うたら、部屋に戻ったあとは出かけていないと言っていた。ならば、どこにいる?
「シェリアは?」
「そ、それが……私の服をお召しになって、どこかへ出かけられたのです」
「どこか?」
「あ、あの、何かを熱心に読まれていらして、突然何かを思いつかれたようでした。間違いなく無茶をされていらっしゃると思います……私が不甲斐ないばかりに……ああ、旦那さま、奥さま。このマルガリタ、死んでもお詫びできそうにございません……!」
 物騒なことを言いつつも決して死にそうにないマルガリタを放置して、ヨルゴスは部屋を飛び出すと塔の入り口まで駆けた。そして息の切れたまま衛兵に尋ねた。
「老婆が、出かけなかったか?」
 ヨルゴスの剣幕に眠たげにしていた衛兵は畏まり背筋を伸ばす。
「ああ……そういえば、女官付きの侍女が一人」
「どこへ向かった?」
「城門の方へと。主人が熱を出したとかで、城下町に買い物があるとか申していましたが」
「――――城下町だと! いつだ!?」
「一刻ほど前のことだと思いますが」
 そこまで聞くとヨルゴスは城門に向かって走り出す。
(シェリア)
 彼女の行き先は渡してしまった調書に書いてある。聡い彼女ならば読めば簡単にわかるだろう。この事件の根がどこに潜んでいるのか。
 知った彼女が大人しくしているわけがなかった。やられたら倍返し――そのくらいは平気でやりそうだった。だが、今回は相手が悪い。感情で動く人間を理詰めでやり込めようとすれば逆上する。恐ろしさをヨルゴスはよく知っている。
 城門に向かって駆けている途中、深刻そうなヴェネディクトがヨルゴスの塔の前で待っていた。
「ヴェネディクト、ルティリクスは?」
「半刻前ほどにカルダーノへ向かわれたそうです」
(答えに辿り着いたか)
 ルティリクスはヨルゴスが事件に絡んでいないかどうかを確かめに来ただけなのだから、あの時点で犯人については目星がついていたはずだ。乗り込んだということは既に証拠でも掴んだのかもしれない。
「――今すぐ馬を用意しろ!」
 ヴェネディクトは頷きつつも怪訝そうにヨルゴスの周囲を探った。迎えに行ったはずの人物が気になったのだろう。
「シェリア様は?」
「道中話す。彼女はきっとカルダーノに向かっている!」

2013.10.16

 

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