好きだなんて言ってあげない

コバルト文庫賞受賞御礼SS。応援ありがとうございました!


 

 淡い午後の光の中で、まあるい頬を白い指先でそっと撫でる。
 薔薇色の頬は弾力があり、つやつやと滑らかだ。
 髪は僅かに青みがかっていて、王家の色だと言われる銀髪だ。理知的で優しげな眉と併せて、父親によく似ている。
「アリス」
 うっとりと子の愛称を呼ぶ。
 息子のアリスティティスの名は、アウストラリス王家の中でも珍しい、平和と学問を愛した王から頂いた。立派な王になるようにと、ヨルゴスとシェリアだけでなく、義母レサトの積年の願いも込められているのだ。
「食べてしまいたいくらい、可愛い。他にはなんにも要らないくらい」
 幸せに浸り、息子の寝顔を見つめていると、ふと背後に気配を感じた。
「あぁ、ヨルゴス。もうお昼の鐘が鳴った? 気づかなかった」
 夫は仕事の合間を縫って、塔の最上階に与えられているシェリアとアリスの部屋を訪ねてくる。上り下りが不便だろうと一階に移る事を勧められたけれど、日当りの良いこの部屋を、シェリアが望んだのだ。
「見て。よく眠ってる」
 本当に可愛らしいわよね? とシェリアはいつものように微笑み、それを受けて、ヨルゴスも日溜まりのような笑みを浮かべた。
「うん。アリスはよく眠るようになったし、手もかからなくなったよね」
 どことなく棘がある口調に首を傾げながら見上げると、ヨルゴスの目だけが笑っていない。
 どうしたのだろう。
 可愛らしい息子を見ても妙に不機嫌な夫を、シェリアは不思議に思った。
「君は何か忘れてないかな」
「何か?」
「強要したいわけじゃないけれど、ちょっと長く忘れられすぎてる気がしてね。僕も医者の端くれだから、産後の女性の変化に理解が無いわけじゃないけれど、だからと言って、不安にならないわけじゃない」
「どういう意味?」
 回りくどい言い回しにシェリアが眉をひそめると、ヨルゴスは言い直した。
「君はアリスの母であると同時に、僕の妻なんだよ」
 シェリアは動揺する。
 子育てで精一杯で、夜、彼が訪ねてくる頃には待ちきれずに寝てしまっていたり、起きていてもどこか億劫で起き上がれなかったり。そんな事が続いていることは一応意識していた。けれど理解ある夫から、はっきりと怠慢を突きつけられるとは思っていなかったのだ。
「わ、わかってるわよ」
 後ろめたさにシェリアが僅かに目を逸らしたのを、ヨルゴスは見逃さなかったようだ。シェリアに近づくと、屈んで顔を覗き込む。
「君は、アリスさえ居ればいいんだ?」
「はぁ?」
「さっき、言ってた。『他にはなんにも要らない』ってね」
 夫が怒った原因を理解して、シェリアは驚く。今まで、そぶりの一つも見せなかったのに。
「まさか、ヤキモチ焼いてるの!? 自分の息子に!?」
「僕だってアリスは可愛いよ。だけど、君の一番だけは譲れないな」
 そう言うと、彼はシェリアを抱き上げてベッドに運び、天蓋につけられていた薄布を引いた。
 薄暗く狭い空間が出来上がり、シェリアは何が始まるのかを察して焦る。
「ちょ、ちょっと! 子供の教育上悪いでしょ。それに、今は昼間だし!」
「よく眠ってるって君が言ったんだよ。君が声さえ上げなければ起きないし、今日は午後の予定が何も入ってないんだ」
 困惑したシェリアは、降参する。
「――アリスばかりに夢中になってて悪かったわ」
 だが、彼は彼女の謝罪は受け入れない。
「そういう時は、別の言葉で言った方がいいと思うけれど?」
 僕は謝って欲しいわけじゃないんだよ? と優しく睨まれるが、シェリアの口は固まったままだった。
 しばし“別の言葉”を待った彼だが、シェリアが黙りを決め込むと、子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「君はいろいろ“反省”するべきだよ」
 シェリアは青くなる。彼がこういう魅力的な顔をする時は、ろくな事がなかった。彼の次の行動は簡単に予想が出来る。
 つまり、シェリアが声を上げられない状況を作って、その上で、声を上げずにはいられないように仕向ける。
 メイサ達の部屋に様々な物音が聞こえているらしい、とひょんな事で知ったシェリアは、その後しばらく抵抗したのだ。だが全部無駄だった事を思い出す。
 焦ったシェリアは、頭を働かせようと必死になる。
(って、反省って、いろいろ? 他に何を――)
 ふと頭の中をよぎるものがあった。シェリアは目を見開いた。
「あ……! わかった! あなた乳母の事言ってるのね!? それを根に持ってるわけね!?」
「よく出来ました」
 正解を出したシェリアに、ヨルゴスはにこりと笑って、そのまま首筋に唇を寄せる。
 温かい息が触れ、動悸が酷くなる。
 乳母については、アリスが生まれる前から勧められていたことだった。だが、どうしても受け入れられずに今に至る。
「だって、あんなに可愛い子をどこの誰ともわからない他人に預けるなんて」
 いつもの口実で逃げようとするけれど、ヨルゴスは遮る。
「母が厳選してるから心配要らないよ。優秀な乳母が来たら、君の負担も減る。そして、君と僕の時間も増える」
「レサト様が? でも」
 確かに目にいれても痛くないほどの孫を預けるのならば、義母は血眼になって“良い娘”を捜し出すだろう。
 だが、シェリアが乳母の受け入れを必死で拒む本当の理由はそこにある。
(だって、万が一あなたがその子を好きになったら困るんだもの)
 彼は王子なのだ。あわよくば、と側妃の座を狙う娘が居てもおかしくない。乳母というのは、生活に大きく関わってくる。懐に飛び込み易い位置にいる。家庭的な美しい娘に、自分の縄張りに居座られては敵わない。
 不安を口にすれば、彼はきっとこの非道な行為を止めてくれるような気がした。
 でも、そんな恥ずかしい台詞は、自尊心が邪魔をして、口が裂けても言えないと思った。
 ぎゅっと目を閉じて、“お仕置き”を受ける覚悟を決めると、ヨルゴスはやれやれとため息を吐いた。
 我慢比べが始まるのがわかり、シェリアは生唾を飲み込み——、はたと気が付いた。
(なんだか……むしろ私、この状況を望んでるんじゃないの!?)
 いやいやいや、そんなわけは無い。夫の特殊な性癖に染まっているなどとは、認めたくない。そう言聞かせながらも、不安が競り上がったところで、ヨルゴスが残念そうに呟いた。
「本当に、抵抗しないの?」
 思わず目を見開く。
 夫のがっかりした顔を見て、自分はまだまだ普通の範疇だと妙な安心をするシェリアだった。

《おわり》


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2014.6.5(見なおして再録)

 

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