14 普段の二人なら

「さあて。――駅までって言ってたけど」

 花火の熱がまだ焼き付いたままのような、熱っぽい目で見つめられて、わたしは怯んだ。
 眼差しに触発されて、むくむくと不安が膨れる。だって、花火大会のあとなんて、お持ち帰りにはこれ以上無いシチュエーションだ。
 ただでさえ真夏の空気には開放感がある。雰囲気もあるし、多少お酒も入っている。浮気心が動く気持ちも分からないではない。
 だけど少しホッとする。今日は、きっとホテルは満室だ。連れ込もうとしてもできるわけがない。そもそも駅までの道のりにはビジネスホテルさえもないのだ。天神や中洲あたりで降りずに家まで直行すれば、なんの危険もない。
 計算しつつ身構えるわたしに、上原くんはニッと笑った。

「俺、車なんだよな。荷物多かったから」

 そう言うと彼は足元のクーラーボックスを指差した。そう言われてみればそうだ。あれだけたくさんの飲み物、男の人でも一人では運べない。
 わたしは焦る。車にはまた別の危険が潜んでいる。

「ちょうどいいから――」

 さすがに車に乗るのはまずい。危なすぎる――わたしはとっさに断りの言葉で遮った。

「行きません!」「長浜でラーメンでも食べて帰るか?」

 だが、上原くんの言葉が被さり、わたしは唖然とする。

「ら、らーめん?」
「豚骨ラーメン。本場のやつはしばらく食べてないだろ?」

 拍子抜けした直後、自意識過剰に気づいて自分をげんこつで殴りたくなった。雰囲気に呑まれているのは、わたし一人。頬に朱が走るのがわかる。わたしったら――なに考えてるの!?

「何をどんなふうに、誤解したんだろうな」

 あわあわと口をおさえるわたしに上原くんが吹き出す。
 羞恥の中に安堵。そして落胆がわずかにだけど混じっている。交じり合った複雑な心境までも全部読まれている気がして仕方がない。愉快そうな上原くんを見ていると、あえて溜めを作って勘違いさせたんじゃないかと思えた。そして反応を楽しんでいるのではないかと。
 考えると久々の豚骨ラーメンの誘惑にもなびけないくらいに腹が立ってくる。

「行かないよ。電車で帰ります!」
「あっそ。じゃあしょうがない」

 相変わらず引き止めもしない上原くん。わたしは馬鹿にされている気になってきた。もう我慢の限界だ――そう思ったとたん、疑念と不満が口から吹き出す。

「なんで? こうして花火大会で一緒になること、企んできたんだよね? 美砂ちゃんまで巻き込んで。なのに、どうしてそこで引いちゃうの?」
「べつに企んでないし」
「うそ」
「じゃあ、あんたのお望み通り、ホテルにでも連れ込めば満足?」
「望んでないし! ……やっぱりそういう下心あったんだ?」

 睨むと上原くんはため息を吐く。

「……。単に、あんたが喜ぶ顔を見たかった――っていう下心でも許されない?」

 傷ついたような顔にわたしは目を見開いた。

「美砂ちゃんを使ったのは悪かった。だけど花火、見たかったんだろ。楽しくなかったか?」

 問われて気がつく。今日、わたしは楽しかった。でも上原くんに直接誘われれば、絶対に行かなかった。諦めていた。だから上原くんは、あえて直接誘わずに、わたしが出かけやすいように美砂ちゃん経由で誘ってくれた・・・・・・のだ。

 わたし、勝手に警戒して――なんて自意識過剰。なんて恩知らず。最低だ。
 自己嫌悪で打ちのめされ、地面に埋まりたくなる。謝罪の言葉を探していると、上原くんは自嘲気味に笑う。

「あんたが気に病むことじゃない。俺にだって多少はあんたが言うような下心、あったし、さ」
「でも――」

 実行はしなかったし、彼はきっとこれからも以前宣言したとおりに、友人のラインを守ってくれると思った。思い返してみても、彼はわたしの本当に嫌がることは決してしなかった。そして、これからもわたしを尊重してくれる。
 知ってしまったら最後な気がして――必死で目をそらしていたけれど、彼がそういう人だとわかっていたはずだった。
 なのに、わたしはこんなふうに一方的に彼を詰った。何様だ。そう思う。恥ずかしくて、死んでしまいたい。
 彼が作ってくれていた、同窓生という居心地の良い関係ががらがらと崩れていくのがわかって、わたしはさきほどの暴言を叩き潰したくなった。

「真面目なあんたには、いろいろハードル高すぎたみたいだな。すまなかった。――いいよ。じゃあ、ここでバイバイで」

 上原くんはそう言うと、わたしに背を向けて駅の階段を降り始める。

 まって。
 待って! 

 わたしはすさまじい焦燥感に駆られる。だって、ここでさよならしたら、もう次はない。二度と会えない。それがわかってしまったのだ。

「待って!」

 わたしは一歩階段を降りようとする。だが、それは上手く行かなかった。慣れない下駄を上手く操れずに足を踏み外したのだ。
 小さな悲鳴に上原くんが振り返ると、慌てて階段を駆け上がる。

「加奈子!」

 彼が叫んだのと同時だった。わたしは上原くんの胸の中にしっかりと抱きとめられていた。




 数分後。借りてきた猫のようになって上原くんの車の助手席にいた。足をくじいてしまって、自力で帰れなくなってしまったせいだった。
 どれだけ馬鹿なのと自分を罵っていると、荷物を積み終えた上原くんが運転席へと乗り込んだ。
 気まずい沈黙をFMラジオが破る。
 だが雰囲気の良いバラードはこの車内にはふさわしくない。落ち着かない気持ちで外を見る。だがビルの谷間の何の変哲もないパーキングには見るべきところがない。花火大会のために停めていた車は、もうまばらになっていて、空きが目立った。
 手に汗をかいている理由は知っていた。一瞬抱き合っただけ。それだけなのに、体にはすさまじい変化が訪れている。化学変化ってこんなだろうかと思えるくらいに。
 背中は彼の腕の強さを覚えてしまったし、頬には彼の胸の硬さが残っている。
 胸の音が早い。のどが渇いてしかたがないのは一体何なのだろう。
 花火の熱が体のそこかしこでくすぶっている。そんな感じだった。
 飲み過ぎたのかも?
 そんな風にごまかしてみるけれど、限界だった。あの時。上原くんを追いかけてしまったせいで、もう、自分の心から目を逸らせなかった。喉を密かに鳴らすと、上原くんは耳ざとく聞きつけて言った。

「後ろ、まだビールとかジュースとか残ってるけど」

 わたしはふと重大なことに気がつく。

「あ、上原くん! ビール飲んでたよね!?」

 ということは飲酒運転だ! 幸いエンジンはかかっていないけれど、法律違反寸前だ。わたしは叱る。

「運転、だめだよ!」
「いや、俺、ノンアルコールビールしか飲んでないし」
「え、あれそうなの? そうだった?」
「ん」

 会話はそこで途切れ、彼はどこか上の空でエンジンを掛ける。
 だが出発はしない。沈黙は今までにないくらいに重い。上原くんは小さくため息を吐く。わたしが視線を追う間に、彼は助手席側のシートベルトに手を伸ばす。意外に大きな体だと先ほど知った。それがわたしの体の上に覆いかぶさる。
 上原くんにはきっと他意はないのだろう。シートベルトをしてくれているだけ。
 だけど、普段の上原くんなら、前みたいに「シートベルト」と促したと思った。
 わたしだって、普段なら、自分ですると言えたはずだった。
 どうかしてる。そう思うのに、わたしの喉からは拒絶の言葉は出ない。代わりに縋るように近づく彼を見つめてしまう。
 だから、目が合うのは必然だった。
 直後、どちらからともなく唇が近づき、触れ合う。
 柔らかい感触が自分に移ると――
 干上がった喉がもっとと叫んだ。
 

back / top / next