22 贖罪の後

「あんたさ、結局、自分が一番大事なだけなんだな」

 上原くんが蔑みを浮かべた目で拓巳を見ていた。

「上原、くん? どうして、ここ……」

 居場所なんか言わなかったのに。わたしが呆然と見つめると、上原くんは「こいつのこと、アパートからつけてきた」とからくりを口にする。
 拓巳がムッとした様子で立ち上がって、わたしと上原くんの間に立つ。

「加奈子、もしかして、こいつか? 好きな奴がいるとか言ってたけど……こんなやつ? 冗談だろ」

 立ち上がると、拓巳のほうが背が高い。
 そして拓巳はブランド物の質の良さそうなダークスーツを着ていて、上原くんはカジュアルなボタンダウンシャツにジーンズ、そしてスニーカー。
 ルックス、それから財産なども含めて、どう考えても拓巳がランクが上だと彼を知らない人はそう思うだろうと思った。少し前のわたしも、きっとそう思っただろう。
 拓巳は口元を歪め、上原くんを舐めるように観察すると、勝ち誇ったようにわたしを見る。 

「なるほどな。加奈子って、押しに弱いからな。こういう恋愛に縁のなさそうな男に必死で・・・言い寄られて、勘違いしたってわけか」

 そして拓巳は上原くんを見て鼻で笑う。

「あんたさ、遊ばれたんだよ。どれだけこいつに貢いだ? 加奈子には俺っていう本命がちゃんといるから、諦めろよ?」

 あまりにも下品で失礼な発言にカッとなったわたしは反論しようとする。だが、それを目で制して上原くんは拓巳を睨み上げる。

「あんた、加奈子さんのこと、ほんとにわかってないんだな」
「はあ? おまえ何様だよ」
「彼女が男と遊ぶわけないって、そんなこともわからない? そんな奴に、彼女を手に入れる資格なんかないと思うけど」

 真っ直ぐな目をした上原くんはきっぱり言い切ると、

「あんたには、彼女は渡さない」

 と宣言した。拓巳は上原くんの視線に怯む。

「渡さないも何も、加奈子は俺のものだって。俺たち婚約してるわけ。わかる?」

 拓巳は指輪を掲げて言うと、わたしの手を掴んで強引にロビーを出ようとする。
 向かうのはエレベーターホールだ。部屋に連れ込むつもりだと気づいたわたしは、手を振り払おうとする。だけど食い込むくらいに強く握られていて逃れられない。

「あんたさ、加奈子さんとほんとに結婚する気? さっきの話聞いてたら、とてもそうは思えないんだけど」

 上原くんが追いすがりながら尋ねると、拓巳は後ろも見ずに肩をすくめた。

「さあな。だけど加奈子はプロポーズを一旦受けたんだ。契約・・を破棄するんなら、それなりに誠意を見せてくれって話。ほら、慰謝料とか、さ?」

 上原くんは心底呆れた様子で問いかけた。

「指輪代? じゃあ、俺がそれ買い取るし」

 だが拓巳は鼻で笑って返す。

「あんたには無理だろ。給料の三ヶ月分って聞いたことない?」
「無理じゃない。定職にはついてないけど、金はある」
フリーター・・・・・が何を粋がってるってわけ? あんた、加奈子を養えるのか?」
「養える。苦労なんか、これっぽっちもさせるつもりない」

 上原くんがきっぱり断言し、拓巳は予想外だったのか口ごもる。しばらく他の攻撃を考えていたみたいだけれど、やがて面倒くさそうに押し黙る。
 エレベーターが音を立て、ちょうど到着する。中に乗っていた人がわらわらと降りては散っていく。

「待てよ」
「うるさいな。部外者は黙ってろよ。――加奈子、部屋に行くぞ」

 拓巳がわたしの腰に手を回し、エレベーターに乗り込もうとする。
 触れらるのが嫌だった。これ以上は我慢できなかった。わたしは反射的に叫んでいた。

「いや。わたし、もう上原くん以外とは、そういうことできない……!」

 拓巳の足が一瞬遅れてエレベーターの手前で止まる。ドアが閉まり、乗りそこねた箱が静かに上階へと登り始めたところで、拓巳は振り返り、「は?」と聞き返した。

「こいつ以外とって――? どういう意味だ?」

 上原くんは驚いた顔で固まっていた。わたしは小さく頷く。

「加奈子、冗談だろ? 本気でこんなやつにやらせたわけ?」

 ああそうか、今のは浮気を告白してしまったのと同じなのかと気がつく。動揺で返答が遅れる。それが答えになってしまったようだった。

「――この尻軽」

 拓巳の目が釣り上がって行く。腕が振り上がる。頬を張られる覚悟で目をつぶった。だが、それはやってこない。目を開けると、拓巳の胸ぐらを上原くんが掴みあげていた。

「黙れ。彼女を侮辱するな。俺が、一方的に、襲っただけだ。嫌がる彼女に無理強いした」

 上原くんが一人でわたしの罪を背負おうとしている。これ以上ないくらいに揺さぶられて、わたしは目を見開く。

「加奈子、ほんとか? ああ、だから、責任感じて別れたいとか言ってるわけ?」

 拓巳はあからさまにホッとしている。わたしが無理強いされた方が良かったような顔に、この人はダメだと改めて思う。彼は、わたしが傷ついたことよりも、自分が馬鹿にされた事のほうが、よっぽど許せない人なのだ。
 それを感じ取ったのか、上原くんの雰囲気が一気に尖った。
 わたしを守ろうとしてくれている上原くんの気持ちは嬉しかった。だけど、わたしは反射的に首を横に振った。

「ちがう」

「加奈子さん、だめだ」

 こうなったのも、わたしが今まで流されて生きてきたせいだ。上原くんに背負わせられない。

「――わたし、自分から望んだの。この人のものになりたいって、生まれて初めて・・・・・・・、心から望んだの」

 口にしたとたん、最初から包み隠さずにそう言えばよかったと思った。
 拓巳がひどいから。彼にも原因の一端があると、どこか責任逃れをしようとしていた。すべてを贖う覚悟がないから、いつまでもこじれる。それじゃあ、今までのわたしと何も変わらない。
 変わりたい。心から願う。

「だから――別れてください。慰謝料だって払う。あなたの家族にも、お友達にも直接謝る。どんなことをしても償うから、だから――」

 わたしはその場にうずくまると頭を下げる。ホテルの人が「お客様、困ります」と駆けつけてくる。構わずわたしは床に頭をつける勢いで謝罪を繰り返した。
 上原くんが、「加奈子さん、やめろ」とわたしを抱き上げる。遠巻きに人垣が出来ているけれど、わたしは構わずに謝罪を繰り返す。
 そして。

「あーあ……おまえ、こんなめんどくさい女だったっけ……」

 注目を浴びるのを嫌った拓巳はそうぼやくと、とうとう、その場から逃げ出した。

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