番外編 早く本題に入りたい

「あ――」

 新宿駅が大きく見え出した頃、上原くんが突如足を止める。

「っていうか、」
「なに?」
「加奈子さん、そんなに急いで結婚したい?」
「え」

 何をいまさらと目を見開くと、上原くんが少し慌てたように首を振る。

「いや、先走った気がしないでもないなって。付き合ってもないのにプロポーズしたから。順番が色々おかしい。花婿だけ入れ替えたようなもんだし、嫌だったらまずいなって」

 そういえばそうだとわたしは苦笑いをした。
 改めて言われて、自分で驚いた。まったく違和感なくそうなるものだと思い込んでいたのだ。
 上原くんとなら、結婚は、今すぐにでもしたいと思っていた。
 浅はかすぎる? いいや、そんなことは絶対ないと思う。

「全部飛ばしちゃった気がしないでもないけど……歳も歳だし、前提でお付き合いする方が安心するかも」

 わたしがそう言うと、上原くんは「よかった」と安堵の息を漏らす。
 いつも余裕の上原くんにしては《らしくない》なと思って、そう言うと、彼は参ったと空を仰ぐ。

「カッコつけてただけ。実際は余裕なんかなかったけどな」
「うそ」
「ほんと。少しでも気を抜くと、狂いそうだった」

 だから、花火の日は、臨界点超えたっていうか。彼がそうつぶやき、わたしは記憶を触られて赤くなる。

「あれは、上原くんの方が卑怯だよ。そもそも花火に誘うのが悪いんだよ」

 一瞬で身体に火が燃え移ってしまったのだから。

「どうかな」

 彼は握っていた手を一度離すと、もう一度繋ぎ直す。指と指を絡められて、頭より先に身体が彼を思い出す。
 喉の渇きを感じると同時に、手に汗が滲んだ。
 暑いのではなく熱い。そう思う。

「俺、今、まともに選べそうにないかも。指輪」
「……」

 それはわたしもだと思う。質の悪い焦燥感が湧き上がり、気がどうしても急いてしまう。前置きはさっさと済ませて、早く本題に入りたいような、そんな気分だった。
 婚約も結婚も、いわば儀式だ。だけど本質は違う。本質は――つまり……心と体が結ばれること。
 だけどそれを口にするのはあまりにもはしたない。
 だって、まだ、昼間だよ?
 何も言えずにいると、上原くんは焦れたように手に力を込めた。
 繋いだ手からすでに気持ちが伝わっている気がした。

 互いに無言のまま新宿駅へと向かう。駅前にはいくつものビルが立ち並び、どこに飛び込んでも指輪の一つくらいは買えそうだと思った。
 だけどわたしの頭のなかは指輪以外のことでいっぱいだ。
 歩く度に頬が染まる。手の汗はタオルで拭いたいくらい。恥ずかしくてたまらないけれど、上原くんは離そうとしなかった。

 しびれを切らしたのは上原くんが先だった。
 彼は大きく息を吐くと、ごめん、と断ってわたしの手を強くひいた。デパートは目の前なのに、彼が足を運んだのは駅前の一軒のホテルだ。
 高級ではないけれど、清潔感のあふれる綺麗なホテル。だけど、

「だめだよ」

 わたしは思わず上原くんを止める。

「あ、ごめん――俺、」

 あからさまに怯む彼を見て慌てたわたしは、すぐに誤解を解くことにする。腕時計を指差す。時刻は正午を過ぎたばかりだった。

「まだ、チェックインできる時間じゃない、から……」

 ええと、とわたしは続けて言葉を探す。タイミングが問題であって、嫌がってないことが伝わったらいいと思った。けれど――それが彼に余計に火をつけてしまったらしい。

「それ、チェックインできるところなら、いいっていう意味?」

 専用の施設を想像し、それでもいいかもと頭の片隅で思ったわたしの前で、彼はスマホを取り出すと《アーリーチェックイン》、《新宿》と検索窓に入力する。
 僅かに目を見張ると、上原くんは真面目な顔で頷く。

「大事にしたいから」

 飢えを訴えるように見つめられて、わたしは生唾を呑み込んだ。
 うん、と頷くべきか。迷ったのは一瞬だ。
 わたしの身体が勝手に頷いてしまったのだ。




 カーテンを閉めた人工の夜の部屋には、ひっそりと夕日が忍び込んでいた。オレンジ色のシーツの中で、わたしはひどく満たされた気分だった。

「加奈子さんの身体、加奈子さんと違って正直者」

 ぼそっと上原くんが言ってわたしは顔を夕焼けのように染めさせる。だけど、

「素直で、可愛くて、美味しい」

 続けて言われた言葉には全身が染まる勢いだった。
 彼はそんなわたしに満足したのか一つ笑って起き上がり、窓を見つめた。

「遅くなっちゃったな。指輪、買えるかな」
「今日じゃなくてもいいよ。高い買い物だし」
「いや、出来れば、今日がいい」

 きっぱり言われてわたしは彼を見上げた。すると上原くんは少し切なげにわたしを見下ろした。

「なんかさ、このまま離れたら、夢になりそうで、怖い。だから、証拠がほしい、んだと思う」

 前回、何も言わずに去ったことを思い出し、

「もう、黙っていなくなったりしないから」

 約束すると、彼は再びわたしを腕の中に閉じ込める。

「加奈子」
「うえ、は、」
瑞生・・
「みず、き――」

 さきほど腕の中で何度も矯正させられた。けれど熱が冷めた状態で口にするのはどうしてこれほど気恥ずかしのだろう。
 呼び名というのは親密度を上げるアイテムだと思う。あまりにも関係が一気に深まりすぎて、バランスが取れない。急ブレーキをかけたら壊れそう。そんなことを考えて怖いと思う。
 だけど、

「あいしてます」

 照れながらも、まっすぐに上原くんが言ってくれるから。
 恐怖が、薄れる。
 魔法の言葉のようだと思いながら、わたしも言った。

「あいしてます」

 額をくっつけて、深く息を吐く。そして、互いに見つめ合うと、笑顔で息を吸い込む。幸せで胸を満たすために。


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