後日談 まるで普段の夕食に

「あなたが、例の・・お嬢さんやね」

 玄関で挨拶を交わした後、瑞生のお母さんは、そう言ってニッコリ笑った。
 例の? と思うけれど、緊張もあって、質問は口から出せなかった。曖昧に首をかしげる。

「あんまり変わっとらんねえ。高校生のときのまんま」
「わたしのこと、ご、ご存知なんですか……?」
「卒業アルバムでねぇ」

 わたしが首を傾げていると、少し不機嫌そうな瑞生が「その話はいいから」と遮った。
 お母さんは楽しげに笑うと、「とにかくあがりんしゃい」とわたしを促す。

 瑞生は先にわたしのうちに挨拶に来たがったけれど、どうしてもわたしの両親の都合がつかなかった。わたしの父の仕事のシフトは独特で、休日が必ず休みとは限らないのだ。結局前々から予定していた休日しか都合がつかなかった。もどかしく思うわたしの心を読んだかのように、先にあちらに行っておいでと声をかけてくれたのがわたしの母だった。

 築五十年は経っていると思われる、瑞生の実家は、ものすごく大きな家だった。玄関を上がってすぐ右に座敷が二つ。奥は仏間だ。だだっ広いその空間には家具が一つも置いていない。
 そして左側に納戸があって、その隣が応接間。さらに奥に居間とキッチンがあるようだった。
 階段もあるから二階もあるのだろう。
 間取りが完全に昔の家だが、すごく広い。

「なんか……豪邸だよね」

 わたしがこっそり瑞生に言うと、彼は肩をすくめる。

「昔の家って、みんなこんなもんだろ。田舎で土地が安いだけだし……古いから、あちこちガタが来てる。建て替えも考えたけど、親父が頑として譲らなくってさ」
「お父さんが?」

 問うと、瑞生は少しはにかんだ。

「……孫たくさん連れて帰ってきたときに、泊まる部屋があったほうがいいだろって」
「…………ま、ご」

 想像して赤くなっていると、

「そんなとこで立ち話はせんで、こっちおいで」

 聞こえていたのだろうか。前を行くお母さんが苦笑いをしている。
 少々焦って、わたしは孫というフレーズを頭のなかから消すと、瑞生の一歩後ろをついていった。
 造りがしっかりしているのだろうか、手入れが行き届いているのか。古いはずの飴色の廊下はまったくきしまない。敷居などがないので、リフォーム済みなのだろう。
 瑞生の背中が少し猫背になっているのは天井が低いせいなのかもしれない、そんなふうに思う。
 彼の身長は見た目よりも高く、177センチらしい。聞いた時、嘘、と目を丸くしたわたしに、瑞生は「そんなに見えないかな、皆そう言うんだけど」と苦笑いをした。
 そういえば弟の良平さんはいい体格をしていたなあと思い出していたところで、居間らしき部屋の引き戸が開けられる。今時障子だというのだから、やっぱりお家は随分と年代物だ。けれど、味があって素敵だと思う。
 目の前の壮年男性を見て、わたしは頭にはびこっていた瑞生の身長について疑いを消した。その男性――瑞生のお父さんは、すごくがっしりとした大きな男の人だったからだ。
 天井に梁の見える居間は板張りにリフォーム済み。中央に大きな掘りごたつが置かれていて、その上には大量の料理が並べられている。
 筑前煮、フキの煮付け、ポテトサラダに、高菜の炒め物。
 すべて気取らない田舎の家庭料理だが、中央に置かれていたヒラメの刺し身に、嬉しすぎてなんだか泣きたくなる。
 中央にどっしりと腰掛けたお父さんは、額にくっきりとした皺が有り、いかつい顔をしていた。だが、思わず怯むわたしをみると、「ようきんさった」と目尻に皺を寄せてにっかり笑う。
 そして「とにかく飲まんね、待っとったんよ」とビールの瓶を差し出した。

「ありがとうございます」
「ほらほら、固くならんと」

 お母さんがにこにこと手渡してくれたグラスを差し出す。
 挨拶をしなければとか、気に入られなければとか、頭の中がパンパンだったわたしだったけれど、そんなことはもう、今のやり取りですべてが了承されてしまった感じがした。
 そういう敷居の低さみたいなのが、わたしの父とよく似ていて、あぁ、九州の男の人だなあ……と思う。



「思ってたよりすごい部屋」
「そう?」
「パソコンがたくさん」
「まー、研究で使うから。研究室にはもっとスペックいいやつがある」

 お母さんが片付けをしている間(手伝うと言ったけれど、まだ・・お客さんやけんと意味ありげに言われて退散したのだ)、少しだけ瑞生の部屋にお邪魔していた。
 彼の部屋は二階にあった。古民家風の部屋の窓側が造り付けの長いデスクになっていて、そこの上には大きなディスプレイが二台。下にシルバーのパソコン本体が五台ズラッと並んでいる。そしてさらに足を入れる場所以外は本が所狭しと積んである。
 なんというか、新旧のギャップのせいで異世界っぽいと思う。
 部屋の両脇に据えられた大きな本棚にも、びっしりと専門書が並んでいた。
 ふわぁ、計算科学に量子力学……難しそう。
 目を白黒させていると、

「どうぞ。疲れただろ」

 瑞生が椅子――くるくる回るオフィスにおいてあったりするやつだ――を勧めてくれる。そして自分はベッドの上に腰掛けた。

「ちょっとだけ」

 わたしは頷くと先程の会食を思い出す。
 ほんとうに普通の夕食に混ぜてもらった感じだった。堅苦しくなく、アットホームで、親戚の家に遊びに来たような。実際、美砂ちゃんと良平さんが結婚したから、遠い親戚ではあるのだけれど。

 まだ頭がぼんやりする。
 家族の一員みたいに普通に食べて、普通に飲んで。テレビを見ながら他愛のない話をした。
 そして、きれいになった食卓で、自分で持ってきたおみやげのケーキを食べ、甘さに頬が緩んだときだった。

「加奈子さん」

 不意打ちのようにお父さんが言ったのだ。

「こいつ、ついこん間まで根無し草みたいやったんが、急にしっかり地面に足をつけとる。加奈子さんのお陰やけん。ありがとう」
「これからも瑞生を、頼むね」

 お母さんも頭を下げた。
 もうこのまま終わりだと思っていたところだったから、驚いたし、だけど、きちんとけじめを付けてくれるところが、思いの外嬉しかった。
 わたしははい、としか言えなかったけれど、ふたりともすごく満足そうに笑っていた。だから、すごくすごくホッとした。
 ここに馴染んでいる自分を、ごく自然に想像できたのだった。


「――うまくやっていけそう?」
「うん。すごく」

 夢想から我に返り、頷くと瑞生が手を差し伸べる。わたしは少しだけ部屋の外を気にしながらも、彼の隣に座ろうとして――膝の上に座らされた。
 後ろからぎゅっと抱きしめられて、心臓が跳ねた。

「ちょっ、と、瑞生!」

 小声でたしなめる。下にはご両親がいるっていうのに!
 まだ正式に婚約もしていないし、はしたないと思われたくないです!

「うん。でも嬉しかったからちょっとだけ」

 そう言うと彼はメガネを外して、有無を言わせず唇を塞いだ。
 甘い感覚に思考力が奪われる。彼が唇を離したときには、わたしはベッドに押し付けられて、文句まで吸い尽くされていた。

「あー……やばい、帰したくない」

 だが、その時。割りいるように階段を登る音がして、二人で焦って飛び起きた。ふすまがノックされ、お母さんが顔を出してニヤッと笑った。
 そしておそらく真っ赤であろうわたしの顔を見ると「愚息で・・・ごめんねえ」と謝り、瑞生を睨んで言った。

「瑞生、遅くならんうちに加奈子さん送ってやり」

 放たれた言葉はそれだけだけれど、含まれた言葉は別にある気がした。瑞生が「わかっとるって」と顔をひきつらせて背筋を伸ばしている。あー、頭が上がらないんだと急に笑いたくなる。わたしの父も祖母に対してそうだった。
 九州のオカンは(わたしの母を含め)なんだかんだで強いのだ。


 車での帰り道、瑞生はハンドルを操りながらボソッと呟いた。

「このままとんずらしたいけど、だめだな。全部分かってて言ってるからなあれ」

 今度はあんたの番なんやけ、細心の注意はらわんといかんよ? ――まさか、だらしない真似をして、未婚のお嬢さんの評判に傷つけるようなことはせんよね?

 確かにお母さんの顔からは、そんな心の声が聞こえるようだった。
 ふたりとももう大人だ。そういう関係が有ることは十分承知で、しっかりと釘を差したお母さん。わたしと瑞生の将来を考えてのアドバイスだ。
 お見通しなことに苦笑いをしながらも、表向きの・・・・わたし達の関係を守ってくれたお母さんが素敵だと思った。心遣いが嬉しくて、心がほかほかだった。
 その日、わたしは頬が緩んだまま、帰路についたのだった。


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