高校三年生

「ねえ、今年のクリスマスだけど、一緒に過ごせるんだよね?」
「……はぁ? 何言ってんの、おまえ。俺、それどころじゃないって」
「約束したでしょ?」
「……そりゃさあ、 しおり は良いよ、もう合格決まってるしさ。でも俺はまだこれからが本番だし。センターまでもう一ヶ月切ってる。切羽詰まってんだよ。K大落ちたら俺、Y大に行くんだからな? 県外だぞ? 遠距離。そこんとこ分かってる?」
「……ちょっとくらいいいでしょ」
「ばーか。今年くらい我慢しろって。その後の四年の方がずっと大事だろ」
「……分かったわよ。……いいもん。じゃあ友達と遊びに行くから」
「おまえなあ、それを俺の前で言うのかよ」
「だって…… さく が悪いんだから!」


* * * 


「……ってわけなんだ」
「ふぅん」

 俺は食堂で昼飯の唐揚げ定食を睨んでいる。そして肉よりも衣の方が厚い唐揚げを箸で摘み、目線を上げると、唐揚げの向こうに軽そうな男が一人。大盛りの焼きそばに大量のマヨネーズをかけ、それを頬張っていた。校則違反ギリギリに軽く染めた髪(本人は染めてないと言い張っている)はその甘めの顔に似合っているけれど、――その唇には青のりがくっついてかなり間抜けだ。
 この男、 雄大 ゆうだい は、弓道部の友人だった。クラスは俺の彼女、栞と一緒の私立文系クラス。たくさんの女子に囲まれて毎日楽しげに過ごす羨ましい奴だ。
 一方、俺はむさい国立理系クラスに在籍中。華も何もない暗い教室で毎日ひたすら数式や化学記号と睨み合っている。俺の生活の唯一の潤いは――栞。俺の彼女だった。
 その大事な彼女と俺は昨日喧嘩した。
 昼飯のついでに、俺も栞も三年間一緒に弓を引いたこの男にその成り行きを訴えてみたところだった。

「……そういうのが原因で別れる奴らって多いんだよな」
 雄大が焼きそばを飲み込むと、不吉なことを言う。
「は?」
 俺はつまみ上げていた唐揚げを思わず落とす。汚い食堂の床にそれは転がり、生ゴミと化す。
「あーあ、もったいねーな。朔、おまえ、それメインディッシュなのに。……受験だよ。どっちも同じ目標が見えてるなら問題ないけどね。栞ちゃんはもう受験から解放されちゃって退屈なんだろ? おまえはそれが鬱陶しい。俺だってまだ一般入試が控えてるからな、決まってる奴のことが鼻につくことがある」
 雄大は歯に挟まった青のりを爪楊枝で堂々と取り除きながら大きな目を細めた。
 的を射た言葉と探るような視線にぎくりとしつつ俺は首を振る。
「鬱陶しいって……そんなことねえよ」
「クリスマスも一緒じゃないんだろ? そりゃ、いくら忙しいって言っても、そう疑われてもしょうがないっしょ」
「は。あいつがそんなに信心深いってのかよ」
「信心って……おまえ、馬鹿か。……女ってのはそういうイベントが大好きなんだよ」
 そう言うと雄大は水をがぶがぶと飲み込んだ。そして洗われた歯を光らせる。
 俺も残りの飯をかき込むと、水で流し込む。
「とにかく、それどころじゃないだろ、今は」
「まあね。朔は特に難関だしな」
 俺が受けるのは県内の国立大。旧帝国大ってやつだ。この辺に住んでる人間は一度は親に言われるだろう。「K大に入ってね」って。俺も中学までは皆そんなもんだろと思って育って来た。
 しかしいざそこを受験しようとすると、俺の頭じゃ並大抵の努力じゃ合格できないことが分かった。もしセンター試験で失敗すれば、俺の行きたい学部は県内にはもう無い。一つランクを落として県外の地方国立大を受けるしか無かった。先生にも親にもそう言われていた。親にはランクを落とさずに浪人しても良いとは言われていたけど、俺としては浪人は避けたい。栞がすでに推薦で合格してるっていうのが無言のプレッシャーだった。俺が予備校で勉強してる間に、栞が離れて行くような気がしてた。
 合格したらいくらでも、それこそ一日中でも栞と一緒にいたい。そのために必死で頑張ってるというのに。


 ――告白は俺からだった。
 あいつは可愛い。いつもはワガママでおしゃべりな奴だけど、弓を引くときは別人かと思うくらい雰囲気が変わる。切りそろえられた黒いまっすぐな髪。それが弓道着に映えて、その黒目がちの瞳が凛とした色で的を睨む。たとえ夏でもそこだけ漂う空気が冷えているような――そんな清廉な雰囲気が堪らなく好きだった。他の女子が弓を引いてもそんな空気は見えなくて、栞は特別なんだと俺はそう思った。だからずっと近くで見ていたかった。手に入れたかった。

* * * 

 数日後、俺は授業が終わったあと、栞を誘いに行った。この間の喧嘩から、随分と気まずい。会話はあるもののぎこちない。雄大の言葉も気になり、このままだと勉強にも支障が出そうだった。
「なあ、久々に道場寄らね?」
 引退後も放課後二人で気分転換に弓道場に通っていた。でもさすがにここ二月くらいは忙しくてそれをやめている。
 久々に栞が弓を引くところが見たかった。弓を引きながらなら他愛のない会話で仲直りも出来そうな気がした。
 栞は廊下へと歩き出しながら不機嫌そうに尋ねる。
「……勉強はいいの?」
「気分転換だよ」
 階段を下りると、吹きさらしの渡り廊下で風が埃をまき散らしている。栞の長い黒髪がそれに混じって舞い上がる。膝丈のプリーツスカートが音を立ててはためいた。
「その時間をクリスマスに使ってくれれば良いのに」
 頬を膨らませ栞は俺を睨んだ。
 しつこく話題をそちらに持って行く彼女にむっとする。
「……クリスマスクリスマスってうるさいな。――おまえさ、俺がK大落ちても良いって思ってる? 遠距離でもいいって?」
「思う訳無いでしょ、何むきになってるの」
 栞はその丸い目をさらに丸くして俺を見上げた。
「むきになってるのはおまえだろ。んだよ、クリスマスがどうしたってんだ、キリスト教徒じゃあるまいし。バカらしい。もっと大事なことがあるだろ、なんで分かんねえんだよ」
「…………もう、いい」

 濡れたような声にはっとすると、栞の目には涙が溜まっていた。
 俺は言葉がすぎたことに気がつき、焦る。
 栞はくるりと後ろを向くと俺への言葉を地面に吐き捨てた。

「しばらく会わないよ。勉強の邪魔になりたくないし!」
「栞」
「朔の馬鹿! 嘘つき!」


 その言葉通り、翌日から栞は俺を避け続けた。俺も、もうそのことで喧嘩するのも嫌だったので、クリスマスが終わるまでそのままでいいと思っていた。こんな喧嘩もいつものことだった。今、誘惑に負けて、後で後悔なんかしたくない。それは栞もきっと分かってくれる、そう思っていた。


* * * 


 そしてクリスマスイブがやって来た。
 その日は終業式で、クラスでは一歩先に合格が決まった奴らがパーティを開くことになっていたようだ。さすがに受験組に配慮しておおっぴらにはなっていなかったが、なによりもクラスを漂う浮き足立った雰囲気がその事を物語っていた。他のクラスでもそういう話を聞くし、栞も友達と遊ぶって言っていたし。彼女もその輪の中に入ってるんだろう、俺は疑いも無くそう思っていた。

 夕方、勉強の合間に、なんだか気になって携帯にメールを入れる。いつもならすぐに返事が返って来るけど、一時間待っても返事が来ない。怒ってんのかな、やっぱり。そう思って、落ち着かなかった。まさかこのままってことも無いとは思うけど。
 様子を聞きたくて雄大にメールしたら、十分後に返事が来た。

『うちのクラスの子がパーティに誘ったらしいんだけどさ、「前から約束してたから、朔と過ごすんだ!」って、他の子の誘いも全部断ってたらしいぜ。それから、追加情報。栞ちゃんの家ってさ。両親飲食店に勤めてて、クリスマスとか行事ごとがあると深夜まで帰ってこないって。一人っ子だから、そういう時いつも寂しい思いをしてるみたい。今もひとりぼっちなんじゃないか?』

 俺は栞の携帯を鳴らすけど、何回かけても出ない。思い切って家の電話にかけてみても留守電だった。
 ふと思いついて、部屋を飛び出す。上着を掴むと階段を駆け下りた。台所からうまそうな匂いが漂って、俺の腹を刺激する。
「ちょっとお兄ちゃん! もうご飯だよ! 今日はご馳走だよ!」
 妹が背中に向かってとがめるけれど、無視して表の自転車に飛び乗った。 

 自転車のライトが心細くアスファルトを照らす。風はひどく冷たく、それに なぶ られて耳が痛い。次第に手もしびれて来た。きっと今頃「今日はこの冬一番の寒さ」って天気予報が言ってることだろう。
 学校の裏門横に自転車を止めると門を乗り越える。砂利道を走り敷地の隅にある弓道場に着くと、小さな窓から微かに光が漏れていた。 つる がはじかれる音と、ザン、と 安土 あづち に矢が刺さる音が静寂を破る。
 ……やっぱり。
 時計を見ると、夜の八時。とうに後輩達も帰宅している時間だった。

「一人で引くなよな。……ったく不用心すぎ」
 靴を脱ぎながらそう言うと、 本座 ほんざ に戻って一礼した栞がびっくりしたようにこちらを振り向いた。
「な、なんで」
「家に居なかったし、携帯にも出ないから」
「あ、……マナーにしてた」

 俺は自分の弓に弦を張る。冷えるせいで、弦が固く今にも切れそうに思えた。
  弓掛け ゆがけ をロッカーから出すと、板張りの床に座り込む。床は氷のように冷たかった。……こいつ、馬鹿か。こんな寒い日にこんな寒いところで。


 栞が横に座ると、右側だけ妙に暖かくなる。彼女は尋ねた。
「勉強は?」
「気分転換」
「……ごめん、分かってた。ワガママだって。でも……ずっと前から楽しみにしたから、諦めきれなかったの。友達にもそう言っちゃって、引っ込みもつかなかったし」
 ささやくように彼女はそう言った。黒髪に隠れてその表情は見えなかった。
 俺はため息と同時に思い切って口に出す。
「ほんと、ワガママだよな。……俺がおまえと離れたくなくて必死なのにさ」
 栞が目を丸くしてこっちを見ている。自分の言った台詞に耳が熱くなるのが分かる。こんなこと言うのは、告白した時以来だった。
「でも……ごめん。約束してたのに破った俺の方が悪い」
 俺は弓掛けをつけると、弓と矢を手に 射位 しゃい に立つ。その目を見てられなかった。照れ隠しだった。
 弓をうち起こして引き分けた。息が上がって、胸が苦しい。足に力が入らず、重心がずれている感じがした。こんなに動揺してたら…… あた るはずは無い。
 予想通り、はじいた矢は乾いた音を立てて安土に突き刺さる。矢は的二つ分くらい上に刺さっていた。俺の実力からするとあり得ない。

「ぷっ」

 栞が後ろで吹き出した。
 そして傍に寄って来ると、俺の頬に吹き晒しの道場で冷えきった手を当てる。

「朔、真っ赤」

 冷たい風が吹き抜け、栞は寒そうにその身を震わせた。道着は薄手だ。この時期は現役でも辛い。
 彼女は寒さでこわばったその頬を緩ませる。

「そろそろ帰ろっか? 風邪引いちゃう」
「ん。でも……その前に」

 俺は頬に当たったままのその手を掴んで、栞を引き寄せた。


* * *


「勉強はかどりそう?」
 無邪気な顔が憎らしいくらいだった。

 ……正直、それどころじゃなくなった。やっぱり合格まで封印しておけば良かった。
 栞を家まで送り、彼女が扉の向こうに消えたのを見て、俺は唇に手を当てる。胸が震えた。中で生まれた熱いものを吐き出すように大きく息をつく。

 ――ムードに流されるのは、女だけじゃない。

「……だからクリスマスにデートなんかしてられないんだ……」
 俺の呟きは白い息とともに、満天の星空に溶けて行った。


 受験生の夜はまだまだ続く。
 でも終わりの無いトンネルではない。あと少し。春が来るまでの辛抱だ。

2009.10.20 改稿
お読みいただきありがとうございました。

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