2 裁定者の姫君

 自称・・グラオザム帝国皇子、シリルが語ったのは、次のような事だった。
 元々火の神フォイアの子孫であるグラオザムの民と、水の神ヴァッサの子孫であるヴェシャイランは相性が悪い。
 創造神であるディアマントは二人の神が争わぬよう、西と東に分けると、間に《裁定者》光神ルキアルを挟んだのだ。そして北に気まぐれで他者に興味の無い風の神ヴィントと、南に臆病だが懐の深い土の神エアデを置き、火と水、両者が争えぬように隔離した。
 それでも野蛮な火の民は度々水の国ヴェシャイランを狙ったが、中心にある交通の要所アーマイゼを通らねば、土の国トレラントを侵略するか風の国キントリヒを侵略するか、もしくは荒れ狂う大陸外海を通るしか無い。四分割された海域の侵攻となると、土と風も黙っていない。三国を敵に回すのはさすがに嫌がり、光を攻めたが、この小国は阻むだけの軍事力は持たないが、代わりに光神ルキアルの強力な加護で守られていたのだった。
 そして、二十五年前、突如そのアーマイゼが茨に覆われ、城を中心とした土地が丸ごと眠りに入ってしまったという。

「つまり、その帝国なんていう惨状は、光の加護を受ける“私”が眠りについたせいなわけね」

 あまりに多くの謎が目の前にあると発狂しそうだった。とにかく、一つ一つ解決しよう。そう決めたビアンカが幼い外見に似合わない厳しい表情で話を遮ると、面倒くさそうに説明していたシリルは蒼い目を輝かせて頷いた。

「子供のくせに飲み込みが早いな。さすがは“裁定者の姫”」

 二つ名に頬をびくりと強ばらせると、ビアンカは動揺を誤摩化すように尊大に彼を睨む。

「からかわないで。中身は十七だって言ったでしょう」

 シリルは頷き、話を元に戻した。

「ま、つまり――炎のグラオザムは、好機を逃さず悲願を達成した」
「勝手にうちを通って、水国ヴェシャイランを侵略したのね。なんて欲深くて愚かなの」
「隣の芝は青いんだろうね。知っての通り、大陸の淵は徐々に外海の闇の果てに落ちて国土は減るばかりだし。だから国土を保ち、国を富ますには、この方法しか残っていない」

 シリルはどこか人事のように言う。

 闇の海と呼ばれる大陸の外海には底がなく、地底神シュバンツの治める地界に繋がっていると言われていた。そして大陸の淵はシリルが言うように年々削れて海に落ちていた。国土が減る脅威にさらされる、外海に接する光以外の四国にとっては死活問題なのだ。だが、それで諍いが起きるとなれば光国としても人ごとには出来なかった。

「だから野蛮人は嫌いなのよ。淵が落ちるのは、世界の力の均衡が崩れているから。ディアマントの教えに背いているからってなんでわからないの」

 憤るビアンカがシリルを睨んだところで、エリアスがビアンカとは温度の異なる、冷ややかな口調で口を挟んだ。

「ビアンカ。君、二十五年の眠りとか帝国とか……そんな世迷い言――こいつの言う事を信じるのか? 君は現実主義者リアリストだと思ってたけど」
「これだから頭の固い人は困るのよ。少なくともアーマイゼが眠っていたってのは嘘じゃないわ。見て」

 ビアンカが指差すと、エリアスはそちらを見る。朽ちた花びらの上には、埃が積もっている。古い蜘蛛の巣にも埃が降り積もり、壁は剥げ落ちている。何より銀で出来た燭台は黒く酸化して、劣化は過ぎ去った年月を如実に表していた。それが何年かはわからないが、少なくとも一晩で、ここまで劣化するなどという事はあり得ない。自分の身が朽ちていないのが不思議なほどだった。

 それに、起床時に男が自室にいるというのがまずおかしい。彼は“あの時”を境にビアンカとの関係に主従という線を引いたから、決して部屋で二人きりになどならないのだ。しかも、ビアンカの服は詰め襟の絹製の昼衣で、就寝時には似つかわしくない恰好だ。

「お嬢さんは賢いな。まあ四十超えてれば当然か」
「失礼な男。何度も言うけれど、眠りについた時は十七歳よ」
「縮んで、萎んでるけどね?」
「その言い方は止めて」

 シリルの言葉で自らの姿を思い出し、見下ろした。かつての豊かな胸を覆っていたドレスは胸の辺りだけ妙に布があまっている。ちょうど胸の谷間に収まっていたはずの首飾りの石が座りが悪そうに揺れていた。
 機嫌を損ねながら、ビアンカは己の幼い手を見て、エリアスを見やった。

 濡れたような艶のあるさらさらの黒髪に、そろいの黒い瞳。濃く凛々しい眉と涼しげなまなざしが印象的な端正な顔立ち。誰もが認める美青年で、彼の甘い笑顔には凄まじい破壊力があることをビアンカはよく知っていた。――だが、そんなもの、随分長い事お目にかかっていない。不機嫌そうな表情が張り付いてしまって、天からの頂き物を罰当たりだと思えるくらいに台無しにしている。頬の辺りにあどけなさが残るものの、それは元から。高い背丈と広い肩幅を見る限り、ビアンカのように縮んではいないようだ。

(一緒に眠っていたはずよね? じゃあなんで私だけ?)

 これはあまりにも不公平だ。

「エリアスはどうしてそのままなの。相変わらず顔は幼いけれど、背を見る限り十八歳のままよね? わたしだけ若返るなんておかしいじゃない」

 エリアスはビアンカの放った小さな棘に反応し、顔をしかめた。

「顔が幼いは余計だよ」

 気安いやり取りに、輪から外されたシリルが目を細める。エリアスをじっと見つめると眉をしかめた。

「さっきは質問を無視されたけど、この男は姫のなんなんだ? ただの護衛にしては態度がでかい。どこかの王子様ってわけでもなさそうだし、姫君の結婚の話も聞いてないし……あ、一緒に寝てたってことは――、もしかして愛人?」
「愛――!?」

 エリアスがむせる。

「なんてこと言うのよっ! 一緒に寝てなんかないわよ!」

 ビアンカは、裏返った声で否定した。しばらくごほごほと咳が止まらない様子だったエリアスだが、やがて咳を治めて静かに言った。

「……僕は彼女の専属騎士だ」

 見ればわかるだろう? と、エリアスが鬱陶しげに腰の重そうな剣を鞘ごと持ち上げると、意外そうにシリルが目を見張った。エリアスが説明終わりとばかりに剣を降ろしたとたん、シリルは言った。

「専属騎士? こんな若くてひょろひょろなののがたった一人? アーマイゼってそんなに人が足りてないの?」
「どこまでも失礼な男だな」

 にらみ合う男二人に呆れ、ビアンカは割って入った。

「一人で十分なのよ。“光の騎士”だもの。見た目とは違うの」
「え……これが? 一人で一部隊壊滅させるっていう……大陸最強の騎士?」

 シリルは明らかに訝しんでいた。
 エリアスの体はしなやかで均整は取れているが、騎士と聞いて想像するような屈強の男ではない。しかも童顔のせいで余計にか弱く見える。だが、彼は紛れもなく大陸で最強で最凶の騎士なのだ。

「そうよ。私を護るために光神ルキアルの加護を受けてるの。だから臣下でも特別なのよ。態度が大きくても大目に見てあげて」
「こんなのが、部隊一個に匹敵するって言われても全く信じられないんだけど」

 シリルに疑いの眼を向けられ、エリアスは静かに剣の柄を握った。

「信じられないなら、見せてやろうか?」
「エリアス、お願い。落ち着いて。挑発に乗らないで。わかるでしょ。この人、あなたを試してるだけ」
「僕には君がすさまじくのんきに見えるんだけど? 城に不審人物が入り込んでるこの状況で、どうしてそんなに落ち着いていられる?」

 闖入者の存在のせいだろうか。エリアスはいつになく気が立っている。縄張りを荒らされた肉食獣みたいに。ビアンカの制止を聞かず、剣を抜き、苛立たしげに片目を細める。彼の視線がどんどん尖っていくのを見ていると、ぴりりと空気が痛いくらいに張り詰めていく。胸の底の記憶を刺激され、ビアンカの中の焦燥が大きくなった。
 とにかく、ビアンカは、騎士エリアスに人を傷つけさせてはいけない。昔、そう誓ったのだ。半ば必死に言い聞かせる。

見れば・・・わかるもの。わたしの身に危険は無いわ。この人には害意が無い。エリアス、あなたが光を纏っていない事が、それを証明してるじゃない」

 エリアスは姿見で己の姿が黒髪と黒眼である事を確認すると、面白くなさそうに剣を鞘に収めた。だが、まだ柄からは手を離していない。シリルは、警戒を解かないエリアスをじっと見つめる。

「『アーマイゼの姫は光の姫。光の騎士を従え、大陸に平穏をもたらす』――大陸に伝わる伝承は、単なるお伽話かと思ってたんだけど……」
「あんたが剣を抜いたら、証明できると思うけど?」

 エリアスはさらに挑発する。二人は互いの力を確かめるように睨み合うが、シリルはやがて肩をすくめて言った。

「やめとくよ。危ない橋は渡らないことにしてる」

 エリアスがつまらなそうに剣から手を離す。やっと触れたら弾けそうな緊迫が薄れる。ホッとしたとたん、ビアンカは頭が働き出した気がした。

「伝承は真実よ。最強の騎士を従えた光の姫わたしがいるから、大陸は均衡を保てていた。その姫を手に入れるか消すしか、アーマイゼを自由に通る方法はない。だけど、姫のことは最強の騎士である光の騎士が守っている」

「グラオザムは政略結婚を申し込んだが、応じない姫に苛立った」

 シリルが続けて、ビアンカは頷く。眠る前のことだからおぼろげだけれども、ビアンカは縁談には乗り気でなかった。ふさわしい伴侶を選べと言われても、どうしてもできなかった。

「だからグラオザムは、邪魔な姫を城ごと眠らせることにした……ってこと?」

 だとすると、それは侵略だ。大陸法で裁かれるべき。だが、シリルは肩をすくめてあっさりと否定した。

「いいや。グラオザムはたまたま眠ったアーマイゼを通り抜けただけだ」
「たまたま?」
「城ごと眠らせるなんて、どうやって? そんなこと、力を持たない火の国の人間にはできっこないし」

 言われてみれば。魔力を持つのはルキアルの子孫である、アーマイゼ王家の直系の女子だけ。とたんに大きな疑惑がくっきりと浮かび上がった。

(おかしいわ。じゃあ、一体誰が私を眠らせることが出来るっていうの? まさか――)

 思い当たった答えはたちまちビアンカを青ざめさせる。慌てるビアンカは寝台から降りる。すぐに確認せねば。

「とにかく。お父様と……ジルはどこ? ――探さないと」

 顔を見ることが憂鬱でしかたない。大事で、大好きな妹。だけど――最後に見た時にはエリアスと抱き合っていた厭わしい妹。

 感情の嵐に翻弄されて泣きそうになり、ビアンカは、こんな一大事に恋――しかもとっくに破れてしまった恋に引きずられている自分に嫌気が差した。

(今の私で、母様に顔向け出来る? 裁定者として胸を張れるの?)

 己の重責を思い出し、母の顔を思うと急に気持ちがしゃんとした。
 息を吐ききると、胸の痛みから逃げずにエリアスの目をまっすぐに見る。そして毅然とした態度で問いただした。

恋人・・なんだから、どこに居るか知っているでしょう? すぐにジルを連れてきて」

 試すように言うとエリアスは一瞬言葉に詰まったあとに「誤解だ」と否定した。珍しく動揺する彼の様子を見ていると、彼がビアンカと同じことを思い出しているのがありありとわかって、しゃんとしたはずの気持ちがドロドロと嫉妬に溶けていく気がした。めまいがする。立っているのがやっとだった。

「いいの。隠すことないわ。あなたもジルももう大人だもの。気にしないし、口出ししようなんて全然思っていない。――とにかく今すぐにジルを探して。手分けしましょう。私はお父様を探すわ」

 なんとか寛大さを保ったと思ったが、エリアスは無表情、無言で踵を返した。だが、扉までたどり着くと、立ち止まり、一度大きなため息をつく。そして振り向いてビアンカとシリルを交互に鋭く睨んだ。

「僕は君の騎士だ。こんな不審で不埒な男――眠っている女性に口づけをするような最低な変態男――がいるのに別行動は出来ないよ。探すなら一緒に連れて行く」

 そう言って彼はビアンカに近づき軽々と横抱きにする。ぐっと近づいた顔は相変わらずひどく整っていて、ビアンカの胸は勝手にはねた。

「だから、それこそ誤解だし――」
「かばうんだ?」
「違うわ、そうじゃなくって」

 エリアスはビアンカを腕から離すと、小さく舌打ちした。

「言い訳しなくていい。別に君が何をしようと、気にしない。そもそも僕には口を挟む権利なんかないし、関係ないよ」

 ビアンカは刺々しい反撃に絶句する。

「うわぁ、エリアス君、意地悪だなあ。あ、心配ご無用、大丈夫だよ。俺、紳士だから、彼女のこと任せてくれても」

 シリルの言葉が助け舟にも思えて、ビアンカはそのまま彼の出した話題にすがりついた。

「……あなたが紳士かどうかは置いておくけれど、さすがにこんな幼女に手は出さないでしょ」
「本物の幼女だと問題だろうけど、多少貧弱な十七歳だと思えば問題ないかな」
「守備範囲が広いのね」

 話を混ぜ返すシリルに、ビアンカは疲れを感じる。だが、砕けた会話で落ちかけていた心が何とか持ち直した気がして、胸をなでおろした。

「そういうことなら、余計に彼女に近づけるわけにいかない」

 嫌悪感に顔をしかめるエリアスに、

「冗談のわからない男はもてないよ」

 シリルは取り合わず、くっくっと笑うとさっさと歩き始め、部屋のドアを開ける。

 差し込んだ眩しい光にビアンカとエリアスは目を細める。明るさに慣れた目に飛び込んだのは、掃除道具を手に走り回る侍女や侍従たちだ。

「この茨はどうするんだい」
「中庭で薪代わりに使うってよ。どんどん切り倒して持って行ってくれ!」
「ほら、そっちの埃を払うよ、どいたどいた!」
「水を撒くよ、気を付けて!」
「コックはどこだい、腹ごしらえしなきゃどうにもならねえ」
「村に食材を探しに行ってるよ」
「ああ、待ちきれねえ! 俺たちも行くぞ!」

「……すごい」

 しばし呆然としていたビアンカが呟いて、時が動き始める。

「ルキアル生誕祭の前の、大掃除みたい」

 いつに無い活気に、目を見開くビアンカとエリアスにシリルが言った。

「光の姫の目覚めで、城に春が来たんだ」