3 ことわりの“抜け穴”

 城中の部屋を片っ端から探してみたものの、ジルはなかなか見つからない。訝しみ、焦燥に焼かれるビアンカの前には、やがてもう一人の探し人が現れた。

「ビアンカ!」

 暗闇で大声が上がり、巨体が侍従もつけずに廊下の奥から転げるようにやって来た。

「お父様?」

 一応問うてみるものの、あのような身体を持つ人間をビアンカは他に知らなかった。

「どこかに食べ物は無いか! なぜだか食料庫が空らしいぞ!」

 父はアーマイゼが始まって以来の一大事だと大騒ぎする。

「二十五年ぶりに顔を合わせて言う事がそれなの。それよりもっと気づくべきことがあるのではないの?」

 捜索の途中、ぶかぶかで哀しいし、男二人が目のやり場に困るという理由もあり、ビアンカは昔のドレスを探しだして着用していた。ビアンカが十二のときに着ていた空色のエプロンドレスだ。膝が隠れるくらいの丈のスカートを履いて、見事に子どもの姿に戻っている。そんなビアンカをすぐに娘と認識するところはさすが親だと思うけれど、全く気づかないというのにはあきれ果てる。父ははて? と首を傾げたあと、尋ねた。

「今、二十五年って言わなかったか?」
「やっぱり何も気づいていらっしゃらないのね」

 この分ではジルの行方など聞くだけ無駄だろう。
 おおらかなのは美点である。けれど為政者としては適正が無さすぎるような気がしないでもない。
 代々アーマイゼの最高権力者は裁定者の地位を持つ女王であり、王は他国からの婿だ。彼の興味の半分は食べる事なのだから、仕方が無いと言えば仕方が無いのだが、政の代行者なのだからもっとしっかりしてもらわなければ、ビアンカの心労が絶えない。なにより鞠のような体型は不健康極まりない。身内をぽっくり亡くすのは二度と嫌だ。
 憎々しげに丸い腹を睨むと、近づいた鞠はその目を同じく丸くした。

「び、ビアンカ! お、お前、なんだか縮んでいないか!?」
「気づくのが遅いわよ!」

 思わず上品なよそ行きの顔が剥がれかける。やはり父はおおざっぱ過ぎる。思わず鋭く衝いたところで、シリルが仲裁を兼ねて会話に割入る。

「ラザファム王でございますか?」

 父王は闖入者に一瞬顔を強ばらせたが、エリアスが光を纏っていないのを目ざとく察し、ほっとしたように肩の力を抜く。

「こちらは?」

 王はビアンカに尋ねた。

「グラオザム王国第二王子シリル殿下だそうですわ。そんな方の名前、知りませんから、今のところ、自称ですけど」
「グラオザム帝国・・第二皇子のシリルです」

 苦笑いを舌シリルは僅かに訂正を加えて自己紹介をする。
 聞き慣れない名称に王は首を傾げる。ビアンカはため息を吐くと、先ほどシリルから聞いた話を簡単に説明した。



 食堂中に鳴り響く腹の虫に気が散りながら説明を終えると、半信半疑の王は、それでもビアンカの様子を見て納得したようだ。よくできた娘への父の信頼は厚い。心配そうに髭を撫でてシリルに尋ねた。

「もしもそういう事であれば、アーマイゼはどうなっている? 国として残っているのか? 王族の立場は?」

 シリルは皇子らしく品の良い笑顔を浮かべた。

「現在この土地は帝国領アーマイゼ自治州となっています。グラオザムは水の国――ヴェシャイランさえ統合できればよいので、王には今まで通りにまつりごとをお任せいたしますよ」

 言外に『こんな蟻のような土地には価値は無い』と込められたような気がする。ビアンカはぴくりと眉を上げるに止めたが、

「創造神ディアマントと光神ルキアルの怒りに触れるぞ」

 元《土の民》らしく平和と安寧を好む王は、聞き捨てならないと静かに怒りを示した。シリルを睨みつけるが、彼は余裕の笑顔で言い返す。

「既に占領下でこちらの敵意はありません。そしてこれからも敵意は持ちません。お分かりでしょう。元々この蟻のような領土は“くさび”としての価値しか無い」

 シリルは、狙いは水国ヴェシャイランでアーマイゼには用は無いとはっきり言い切る。

「うぬぬ……となると既に光の騎士は使えぬのか」

 父はそう言って悔しげにエリアスを見た。ビアンカは頷く。

 そうなのだ。光の騎士が力を発動するのは、あくまで防戦の時・・・・。――光の姫が攻撃されたときのみなのだ。強大な力ゆえに、悪用を防ぐため、創造神ディアマントがそう定めてしまったと伝え聞く。まるで秤にかけるよう。決して尖る場所が無いようにと力の均衡を重視する神だった。
 だから昔から、火の国も水の国も、時には風も土も、均衡を破るために、そして保つために光の姫との結婚を望み続けた。ビアンカの母は四人の求婚者のうち、土の国の王子――母が言うには一番美男だったらしいが、今は見る影もない――父を選んだ。

 そんな風にアーマイゼは《裁定者》として、大陸の四国――皆それを光周四国と呼ぶ――の力が偏らないよう、主に政略結婚によって均等に保つ役割を担って来た。ビアンカも幼い頃から自覚と覚悟を持っている。シリルは賢いと言うが、賢くなければ大陸の力はディアマントの教え通りに歪に傾き、やがてまとめて地界に落ち、自滅するのだ。

「つまりは、ディアマントの定めたことわりの“抜け穴”を突かれたのよね」

 ビアンカがシリルに向かって言うと、すぐにはついて行けない父とエリアスが首を傾げた。唯一話の分かるシリルは感心したように頷いた。

「どうやらここの人間ではあなたが一番賢いようだ。さすが裁定者の姫。そう、二国の戦のためにはアーマイゼが邪魔だ。だけど、光の姫には手が出せない。だから、この城ごと眠りにつかせた人物がいるんだ」

 ぎくりとした。心に浮かんだ面影を祓おうと、ビアンカは問う。

「それはグラオザム――つまり、あなたたちではないの」
「少なくともおれは違うな。俺は二十四歳で、二十五年前には、まだ生まれていない」

 シリルは蒼い瞳を細めて唇の片端を持ち上げ、応戦する。両者がにらみ合い火花が散る。
 だが、そのとき。

 ぐぎゅうぅぐぅるるるる

 父の腹が地響きのような凄まじい音と共に限界を訴えた。ビアンカはシリルを睨み据えたままだったが、研がれた刃物のような眼光は鈍るのを避けられない。

「……父様、役に立てとは言わないわ。せめて邪魔をしないで」

 げっそりしたビアンカが父を睨んで冷たく言い放つと、彼は腹を押さえ、情けなく眉を下げた。

「ま、まあ、二人とも、立ち話も何だし、込み入った話は食事の後にしないかね。二十五年食べてないとなると、頭が働くはずもない。晩餐の準備を、すぐに!」

 言っている傍から、父の腹が今日一番の悲しげな音をたてた。