6 呪いを解く鍵

  気が付くとビアンカは一人で暗い部屋にいた。
 昔から暗いのは嫌いだった。血の気が引いていき、手足の感覚がなくなってくる。すがる思いでビアンカはエリアスを探す。
 エリアス――声を上げようとするけれど、どうしても声が出てこない。どうして、と泣きそうになるビアンカの耳に、ひとつの声が響いた。

『お姫様のこと、好きなんだろう?』

 人の存在に安心したのもつかの間だった。
 この声はシリル。エリアスに問いかけている。ビアンカが絶対に聞きたくないことを。

(だめ。そんなことを聞いたら)

 ビアンカは止めたくなる。

(やめて! そんな話、私の前でしないで!)

 必死で叫ぼうとするけれど、いくら頑張っても声は発することができず、二人ともこちらを見てくれない。
 あがくビアンカの前で、エリアスは静かに、本当にいつもどおりの無表情できっぱりと答えた。

『いいや』

 その先は聞いてはいけない。ビアンカは耳をふさぐ。だけど耳は驚くほどはっきりと言葉を拾ってしまう。

『たまに、壊したいくらいに、憎いよ』





 谷から突き落とされる心地でぎゅっと目をつぶったビアンカは、ぶわり、と明るくなる視界に覚醒した。

(ゆ、め――……?)

 目を開けると低い天井があり、馬車の中だと思い出す。
 どうやらビアンカは、いつの間にか居眠りをしていたらしい。覚えていないけれど、ひどく嫌な夢をみてしまったらしく、妙に心が重くて泣き出しそうだった。そして、夢であったことにひどく安堵していた。
 むくりと枕から頭を起こすと、目をこする。手の甲には涙が線を引き、ぎょっとしたせいで、出そうになっていたあくびは引っ込んでしまった。

「長旅だからねえ……でもできれば俺を枕にしてくれたら嬉しかったんだけどな。婚約者なんだからさ」

 シリルが口を尖らせて言い、ビアンカは何気なく隣を見る。するとなんと、枕だったのはエリアスの膝だった。

(わ、わわわわ)

 慌てるビアンカに、エリアスは「よだれ」という指摘とともにハンカチを差し出した。

(居眠り!? 人前で、寝顔を晒したってこと!???)

 年頃の娘としてはあり得ない醜態だった。子どもで体力がないからだろうか。いつ眠りに落ちたのかも覚えていない。

(しかもよだれって――――!? エリアスの前で!?)

 どれだけ間抜け面を晒したのだろう。恥ずかしさのあまり声にならない悲鳴を上げつつ、真っ赤になったビアンカはゴシゴシと口元と、ついでに涙を拭った。
 ちらりとエリアスを見上げると、彼は気にした様子もなく外の景色を見つめていて、ビアンカは胸を撫で下ろす。

「……ここ、どこ? どこまで来たの」

 シリルが苦笑いをしながら「もうすぐグラオザムの国境あたり」と答える。
 景色は急激に色を変えていた。馬車の車窓から見える街並に感傷が吹き飛んだビアンカは目を見開いた。

「なに、これ。どこか別の街に見えるわ」

 何度も訪れたはずの街だ。なのに目に入る景色はどこもかしこも異国風に見えた。あちこちにいる物々しいグラオザムの軍服――漆黒の生地に金ボタンの詰め襟、鳥の羽根がついた赤い帽子だ――を纏った兵の姿のせいもある。また、民の纏っている服も違った。一枚布を平たく縫い合わせた貫頭衣は、元々アーマイゼではあまり着られないものだ。それに赤や緑などの原色使いも染料になる鉱石が国内で取れないため、とても珍しい。それどころか、その鉱石は確かヴェシャイランの北部の鉱山でしか取れなかったはず。

(原色の貫頭衣……なんて奇天烈な)

 ビアンカが城で着ていた服と同じような、装飾の多い裾の膨らんだ衣は誰も着ていない。皆が皆、原色の丈の短い衣を身に付け、生成りのズボンをはいて颯爽と歩いているのだ。娘たちは色とりどりの帽子や、腰に巻いたベルトでお洒落を楽しんでいる。そんな新鮮な形を目にすると、自分の姿が時代遅れに思えて仕方なかった。

「この間作ったばかりの服が、流行遅れ?」

 ふんだんにレースをあしらった流行最先端だったはずのドレスは、どうやら袖を通す事さえできなさそうだ。
 もったいない……むうっと顔をしかめるビアンカに、シリルが楽しげに言った。

「すぐに作ってあげるよ。姫は愛らしいから何を着てもきっと似合う。作りがいがありそうだな」
「子供服をか?」

 そっぽを向いたまま口を挟んだエリアスは、直後、

「――あれ?」

 と小さく声をあげ、ビアンカは彼の視線の先に目を向けた。買い物をしている人物の手を注視して、はっとした。手の中に赤い石で作られた、特徴的な硬貨があったのだ。

「アーマイゼでグラオザム硬貨なんか見た事無いのに」
「帝国内ではグラオザム通貨に統一されたんだ。物価が安定しなくて、しばらく混乱して大変だった」

 シリルの言葉にビアンカは口を噤む。どこか疑いを抱いていたけれども、もうシリルの言う事は間違い無い気がして来ていた。嘘にしては作った舞台が大掛かり過ぎる。

「これで信じてくれた?」
「眠ってる間に別の町に来たとかじゃないわよね?」

 ビアンカは念の為にエリアスに尋ねる。エリアスは「僕がずっと起きて案内してたけど、道は間違ってない」とどこか不本意そうに答える。
 シリルは、まだ疑いは晴れないか……とぼやいた後、ふと首をかしげた。

「眠るといえば……、眠りの魔法が解けたのはなんでだろうなあ」
「なんでって……あんたのキスが“鍵”だったんだろう?」

 エリアスが険のある口調で問い、ビアンカは未だ横たわる誤解に気づき慌てた。ここで弁明しておかないと二度と誤解をとくことは出来なそうだと思った。

「し、してないわよ! 直前で阻んだわよ! ねえ!」

 必死で同意を求めたが、変態王子はにやっと笑った。

「実は姫が目覚める前に、あんなことやこんなことを」
「ちょっと、あなた死にたいの!?」

 ビアンカは頭に血を上らせ、エリアスの反応を気にした。だが、シリルも先ほどのエリアスの威嚇に恐れをなしていたのか、「わー、うそですうそです、未遂です」とあっさり負けを認めた。
 ビアンカは思わずエリアスの様子を窺うが、彼は興味無さげにぷいと顔を背けた。

(一応、今ので、誤解は解けたわよね?)

 エリアスが気にしないことはもうわかっている。だけどたとえ気にしないとしても、妙な誤解はない方がいいに決まっている。ビアンカは脱線した思考を元に戻すことにした。

(ええと……そうだ。なにかおかしいのよね)

 呪いの解除には魔法をかけた人間の用意した“鍵”が必要だ。術者が言葉にするか、行動で示すことで発動する。
 シリルのキスが未遂だというのに眠りの魔法が解除されたという事は、“鍵”が別にあって、気づかぬうちに解いてしまったか……それか、もう一つの・・・・・解除方法が発動されたという事に他ならない。
 ずきりと胸が痛み、あえてその可能性を振り切ろうとする。

(それなら、私にかかっている呪いも一緒に解けるはず。きっとちがうわ。――でも……じゃあ、鍵は一体なに? くちづけじゃないなら……)

 そこまで考えたビアンカは、ふとシリルの顔が迫る直前の事を思い出す。
 確かビアンカは酷く独りよがりな夢を見ていた。あれは触れたのだろうか、触れていないのだろうか。夢の中での感触を思い出そうとすると、急に動悸がした。頬が染まるのを感じ、動揺する。

「どうした? 顔が赤い」

 シリルが問い、ビアンカは悟られないようにと目深に帽子を被った。そして顔を冷やそうと窓を開ける。

「なんでもないわ。ちょっと暑いだけ」
「なんでもないって顔じゃないけど」

 と彼が額に手を伸ばす。
 そのとき、『わー、幽霊屋敷に人が入って行くよ!』という無邪気な子供の声が窓から流れこみ、シリルの手を遮った。
 馬車が止まり、エリアスが半ば呆然とした声を上げた。

「ビアンカ、……着いたみたいだよ」

 目線を上げて、ビアンカはとうとう『実はすべてシリルのついた大掛かりな嘘で、二十五年の年月は流れていないのかも』という疑いをすべて捨て去った。
 静かに隣のシリルを見上げると、彼は「やっと信じてもらえたか」とほっとしたような笑みを浮かべた。
 幼い頃からよく遊びに来たその邸は、一月前に茶会で使用したばかりのはず。だというのに、今は数十年放置されたかのように荒れ果てていたのだった。