9 王女様の婚約

「あの男、なにか、隠してるわよね、ぜったい。そうだわ。どさくさで聞きそびれたけれど、あのフォイアシュタインって一体なに?」

 ひそひそとエリアスに向かって文句を繰り返す。不満顔のビアンカだったが、食えないのはシリルもビアンカと同じ。おそらくは似た者同士だ。話す気になるのを待つか、話させる材料を手に入れる必要がある。つまりは弱みを握る。それにはあの石が最適だとビアンカの勘が訴える。

「ビ――、じゃなくって、アン、顔怖い。また悪巧みしてるだろ」

 エリアスがそんな彼女の横顔を見てため息を吐いた。

「人聞きの悪い事言わないで。策略を練ってるのよ」
「同じだよ」

 エリアスは呆れる。

「あの、脳が筋肉で出来てそうな人に聞いてもしょうがないでしょうしね」

 扉付近でぼんやりしているオスカーをちらりと目をやるが、

「お褒めに預かり光栄です」

 オスカーはにっこりと笑うだけ。本物の馬鹿なのか食えない男なのか。シリルをはじめ、グラオザムの男はどうも扱い辛い。ビアンカはうんざりしながら、エリアスとの会話に戻る。

「ジルの行きそうな場所――」

 エリアスがぽつりと呟いた。ビアンカは頷く。

「……他にも別宅はあるけれど、あの子薔薇屋敷以外にはあまり行かなかったから、考えられないのよね。とりあえず、あの辺りで昔から住んでいそうな人を捜そうと思う。できればあの頃のことをしっかり覚えていそうな人。当時既に大人だった人がいいわ。もうろくしてても困るし、齢は五十以下が最適よ。けれど、大分人が入れ替わってそうだし、見つけるのは難しそう。それでも、やるしかないけど」

 ビアンカが一方的に言うと、エリアスが顔をしかめて小声で愚痴る。

「それは姫のすることじゃない」

 それでも、ビアンカが「お願い」とじっと見つめると、やがて参ったとでも言うようにぷいと顔を逸らした。

「止めても無駄なのは知ってる。今から?」

 ちらりと窓の外を見たビアンカは、空に浮かぶ月を見て、首を横に振った。

「いえ、もう今日は遅いから、明日の早朝探しましょう」
「早朝?」

 訝しげにするエリアスと、

「早起きは苦手なんですがー」

 と渋るオスカーに向かって、ビアンカは国に伝わることわざを披露した。

「『早起きの鳥は虫をつかまえる』って言うでしょう?」



 そして、翌朝。探し人は案外簡単に見つかった。
 アーマイゼは周囲の光周四国から人々が入り込む人種のるつぼではあるけれども、長い歴史の中でも“あるもの”だけは変わらなかった。だから、きっと今も変わっていないはずだと踏んだのだ。無理に変えようとすれば、こんなに街並が穏やかであるとは考え難かった。


 尖塔の屋根に置かれた鐘が、朝日に煌めいた。
 太陽に光神ルキアルを重ねて祈るアーマイゼでは、早朝に礼拝が行われる。それを狙って訪れた教会には、ビアンカたちの目的である老人たちが続々と集まっていたのだ。

「やっぱりルキアル信仰は捨てさせなかったのね。無茶な改宗は暴動の元だもの」

 幼女に似合わない言葉が気になったのか、オスカーは「おや」と眉を上げる。

「お嬢さんは幼いのに賢いですねえ。こりゃあ私も負けてられないな。えっへん。元々五神はディアマントが遣わしたものとされていますからね。大本は創造神ディアマント信仰には変わりがないから、改宗させる必要は何も無い……っていうか、まあ、そこまですると反発が大きいですからねー。皇帝陛下は治めにくいって思われたみたいですよー」

 年上の威厳を見せようとしたのか、真面目に話しはじめたオスカーは、途中で気力が絶えたかのようにいつものふぬけた調子に戻る。そして、

「ややっ、丁度あちらでご夫人たちが歓談中じゃないですか!」

 と飛び出して行こうとしたので、

「余計なことしないでよ!」

 ビアンカは、彼のマントを引っ張った。そして朝日に鮮やかになった彼の姿にぎょっとする。手の中のマントは艶やかな絹で出来ていて、雲の模様の刺繍が入っている。そしてマントに隠れていた服も同色の鮮やかな空色だ。

「な、なんなのその恰好。わたし、目立ちたく無いって言わなかった!? 言ったわよね!?」

 ビアンカの苦情をオスカーは誉め言葉と受け取ったのか、彼は胸を張る。

「特注なんですよぉ! 昨日は赤。今日は青、明日は緑です! 黄金のマントなんかも持ってるんですけど、それは特別な日用でして!」

 頭痛を感じたビアンカは彼とエリアスを置いて、老女たちの井戸端会議に割り込んだ。

 美青年を連れて行った方が喜ぶかもと頭の隅をかすめたが、エリアスは美形だが表情のせいで威圧感があるし、オスカーがいるときっと会話が続かないだろう。

(ここは孫世代の強みを生かすわ)



 ビアンカの読み通り、幼い闖入者に、話し好きな老女たちは我も我もと語りはじめた。

「帝国が出来た頃のこと? ああ、よく覚えてるよ」
「王女様がお屋敷でお茶会を開いてたねえ」
「いいや、ちがうよ。街を凱旋パレードしたんだよ。その途中にお屋敷で休憩なさって」
「パレード?」
「盛大だったねえ。なんたって、王女様のご婚約のお祝いだったんだから」

 そこまで聞いたビアンカはぎょっと目を見開いた。

「はぁ!? なんですって?」

 ビアンカは一度老婆の群から離れて、遠巻きにしていたエリアスのいる木陰へ移動した。

「ねえ、わたし縁談って全部断ってたはずよね!? あのおばあさんたち、わたしが婚約したとか言ってるの……まったく身に覚えが無いんだけど……いつ、一体誰と」

 ああもはっきりと聞いてしまうと、自分の曖昧な記憶が恐ろしい。眠った時のことがおぼろげで思い出せないのがもどかしかった。エリアスを見上げ、助けを求めるように縋るが、

「どうして僕に聞く? 僕だって眠っていたんだから、知っているわけがない。君の相手なら、光周四国の王子の誰かだろ」

 ビアンカの動揺とは裏腹に、エリアスは冷えきった双眸でビアンカを見下ろした。まるで『僕には関係ない』と言われた気がした。

(昔と同じ。全然気にならないみたい。人ごとみたい……でも当然か)

 エリアスの徹底した無関心に、ビアンカは少なからず落ち込む。昨日の優しさが地味に効いていたらしい。もしかしたら少しくらい妬いてくれるかも、そんな期待は見事に打ち砕かれた。
 とぼとぼと井戸端に戻ると、老婆たちは、いつの間にか勝手に乱入していたオスカーに群がって黄色い声を上げていた。オスカーもまんざらではないのか、ニコニコと相手をしている。いっそ邪魔が入らず丁度いいと、ビアンカは婚約と言っていた老婆を捕まえて、子供のような好奇心を無理矢理顔に貼付けた。
 今はとにかく、ジルを見つける事に全力を注ぐ。そしてそのためには少しでも情報を集めなければ。
 気持ちを切り替えたビアンカは顔を上げて尋ねる。

「あぁ、おばあちゃん。あのね、さっきのお話の続き、王女様のお相手ってどんな方だったの?」

 昔話をねだる孫のようなビアンカに、まだ話し足りなそうにしている老婆の顔がぱっと輝く。

「名前はなんとかいったかねえ」

 えーとえーとと記憶を探る老婆を、ビアンカは耐えきれずに急かした。

「おばあちゃん。じゃあ、名前はいいから、それ、光周四国のどこの国の王子様?」

 老婆はきょとんとしたあと、笑顔を浮かべた。

「何を言ってんだい? 聞くまでもないだろ、火国グラオザムのだよ」



 老婆の話によると、王女とグラオザムの王子の縁談は、その後、破談となったそうだ。なんらかの理由で王子が王女の怒りに触れたらしい。それでもしつこく求愛するグラオザムの王子に辟易して、王女が城を棘で囲み、眠りについてしまったと言った。それが元に『くさびの森の眠り姫』というおとぎ話になっているような有名な話らしい。
 お可哀相に、よっぽど嫌だったんだねえと老婆たちは王女に同情していたが、まさかその本人が目の前にいるとは思いもしないようだった。
 そして彼女たちは城が眠りについた理由も疑わず、グラオザムの侵略にも甘んじている。――といっても相変わらず自治を許されているため、さほど生活が変わらないし、むしろお金も物もよく回り、以前より過ごし易くなったのが大きな理由らしいが。

(つまり、おとぎ話を使って、民の感情をうまく操作しているのね)

 徹底したグラオザムの策略に、ビアンカは密やかに歯噛みする。



「でも、おかしいわよね」

 ぽつりと呟いた言葉をオスカーが拾う。

「何がです?」

 ビアンカは顔をしかめた。

「気が散るから口挟まないで」

 ひどい、と涙を浮かべるオスカーを無視して、癖でエリアスに話かけようとしたが、先ほどの拒絶もあってさすがに勇気が出なかった。結局ビアンカは独り言ちる。

「二十五年前と言えば、グラオザムは積極的にヴェシャイランに攻めたがっていた。それなら、アーマイゼは絶対にグラオザムとの婚姻を呑むとは思えない。実際わたし、一度きっぱり断わったし」

 均衡バランスを重視するディアマントの教え通りに、むしろヴェシャイランとの縁談を進めて、水国の防衛強化を図ったはず。なのに、ビアンカはグラオザムの王子と婚約して、破棄をしている。まず婚約した理由が分からない。

「ねえ、オスカー。昔、アーマイゼの姫に求愛したグラオザムの王子って知ってる?」

 言いながら、なにか引っかかった気がした。けれど思い出せない。記憶がおぼろげでもどかしい。
 オスカーは「さっき口挟まないでって言ったくせにー」と拗ねる。だが、「挽回のチャンスでしょ」となだめると、破顔して答えた。まるで犬のようだ。

「そんな昔の話は正直、知らないんですが、きっと陛下ですよ」

 適当に答えられて、がっかりするが、一応話は聞いてみようとビアンカは身を乗り出した。

「陛下?」
「今のグラオザムの皇帝、マティアス陛下です。そして、怒りに触れたっておっしゃるなら、陛下の女性問題に決まってます。あの方、昔から節操ないですしー。非公式の妃の数は両手で足りないんです……あ、これ、私が言ったって言わないで下さいね!」

 ビアンカはオスカーの発言に目を剥いた。

「非公式って、一夫一妻制は無視なの? グラオザムは改宗でもしたの!? ディアマントの怒りに触れるわよ!?」
「表向き亡くなった正妃を想って次の妻を娶られずにいらっしゃいますけれど、実のところ、周辺の女官や下女はほとんどお手つきとか、一人に絞ると束縛が面倒だとか……あ、お子様に話すような内容ではなかったですねえ」

 エリアスにぎろりと睨まれて、オスカーは慌てて口を噤むが、ビアンカの興奮は収まらなかった。

「嘘。ああ、もう、もどかしいわ。そんな話を聞いても全然思い出せないとか! 夢とか、いっそ人違いでしたって言われた方がよっぽど納得できるわよ! ……あ」

 突如ビアンカは青ざめ、呆然と固まった。

(……人違い?)

 一つの可能性が頭を支配する。老婆たちはなんと言った? 誰と誰・・・の婚約だと?

『ビアンカ! ビアンカ、どうした!?』

 小さく本当の名前を呼ばれる。肩をつかまれ、熱い息が耳たぶを撫でたとたん、ビアンカは我に返る。
 その様子をじっと見つめていたオスカーがにやにやとエリアスに語りかける。

「もしかしてもしかして。あなたはシリル殿下のライバルなんですかねえ」
「勘ぐるなよ。僕は彼女とは、身分が全く釣り合わない」
「つまりは禁断の恋ってヤツですか。うわあ、切ないですねえ」

 面白がるオスカーに、エリアスはムッとした。

「違うって言ってるだろう。主人が主人だと、臣下も同じだな。どっちも下衆で悪趣味で不愉快極まりない」
「あ、ひょっとして、あなたのご主人が短気で無礼だっておっしゃいたいんですかねえ」

 皮肉で返されて、エリアスの目がすわった。

「なんだと」

 無言で睨み合う二人に、ビアンカが割り込む。この話題はビアンカの心も抉る。エリアスがむきになって否定すればするほど、ビアンカは居たたまれなくなる。さっさと終わらせたかった。

「そろそろ宿に戻りましょう。なんだか人も増えて来たわ。そうだ、シリルにも話を聞かないと。オスカーが言うようにグラオザム王――いえ、現皇帝がアーマイゼ王女に求婚したというならば、王子の彼が何か知っていてもおかしくない。この際、洗いざらい吐いてもらうわ。オスカー、あなたシリルの居場所を知ってるわね? すぐに呼び出してちょうだい」

 ビアンカが間髪入れずに命じると、

「え、お姫様、無視? 今のやり取り、まるっと無視!? 酷い! 幼女なのに悪女!」

 オスカーは驚愕した後、エリアスに憐れみの目をむける。
 だがエリアスはいつも通りの無表情のまま。

「いつものことだ。ビアンカの相手は、僕じゃない」

 ビアンカはそっとエリアスから目を逸らした。まるで平気そうな彼を見ていると心が悲鳴を上げそうだった。