17 ディアマントの真の願い

「――相変わらず甘っちょろいんだから」

 聞き覚えのある声に、ビアンカたちは言い争いを止め、顔を上げた。
 追っ手がなぜか扉を出たところで動きを止めている。目を凝らすと虹色の壁がビアンカたちの周囲を取り囲んでいる。
 そして、泡の中央には、一人の初老の女性が立っていた。

(え、どこから現れたわけ?)

 長い廊下には出入りできるような扉は無い。前後は兵に塞がれている。湧き出たと言った様子に目を見張り、思いも寄らぬ姿に目を擦る。

(え……!?)

 それは、未だに夢に現れる女性だった。心の中に常にいて、片時も忘れた事は無い。ビアンカの覚悟は彼女に植え付けられた。彼女のためにもビアンカは使命を果たさねばならないと自分に言い聞かせてきた。

「おかあ、さま……?」

 掠れた小さな声が出た。おそらく年齢は六十くらい。髪は真っ白で、目尻には深いしわがあった。だけど、背筋をぴんと伸ばした様子には、若々しささえ感じる。母が生きていたのならば、このように美しく年を重ねるだろうと思えた。ビアンカは思わず一歩足を進めた。
 女性は淡い光に包まれている。透明感のある姿には現実感がなく、夢でも見ている気になった。

(もしかしたら、あの悪夢こそが夢なのかも。お母さまは今も生きていて、わたしもジルも未だに仲良しで、皆平和に過ごしていて――)

「おかあさま!!」

 縋るような気持ちで飛びつこうとしたが、触れたと思ったとたのに、彼女は先ほどと変わらない距離を保っていた。

(え?)

 やはり夢だろうかと頬をつねったところで、気づく。母の目の色は紫。だが女性の目はビアンカと同じ藍色だった。
 ということは、この女性は――まさか

「ジ」

 我に返ったビアンカが名を口にしようとするより先に、シリルが不可解そうに口を開いた。

「リーザ。どうしてここに? どこからどうやってここに?」
「し、シリル、この方をご存知なの?」

 驚いたビアンカが尋ねると、「母上が亡くなってから、随分世話をしてもらったんだ」とシリルは頷き、続けて問う。

「でも病で臥せっていただろう? 起き上がっても大丈夫なのか?」
「ええ。シリル殿下。もうすっかり良くなりましたわ。わたしの言う事を信じて、アーマイゼまで出向いて下さったのね、ありがとうございます」
「あなたが昔の事を教えてくれたおかげで父が見つかった。ビアンカ、この人が、俺に当時の状況とアーマイゼの事を教えてくれた人。昔、アーマイゼにいたことがあるそうだ。彼女の話を聞いて、アーマイゼに向かおうって思ったんだ」

 子供のように報告するシリルは、そこで、「あれ、リーザはなんで俺がアーマイゼに行って来た事知ってるんだ? 寝込んでたから、黙って行ったのに」と首を傾げた。
 リーザと呼ばれた女官は黙って微笑む。その笑みが母そっくりで、ビアンカはとても反応出来ない。代わりに、眩しそうに目を細めたベンジャミンが尋ねた。

「もしかして……あなたは、ジル姫ではないですか? でもそのお姿は……一体」

 女性はふんわりと笑い、シリルとベンジャミンを交互に見た。

「お久しぶりでございます。ベンジャミン殿下。……ああ、よかった……生きておられた。戻って来られた。これでツェツィーリエ様が、迷われる事無くディアマントの楽園に向かうことができる」
「ジル、って、え、リーザが? 嘘だろう……」

 灯台下暗しの事実にシリルが言葉を失い、

「本当に……、ジルなの?」

 もしジルだとすると、実年齢は四十二のはず。だけど、目前の女性はどう見てもそれよりも老けていて、事実だとは受け入れられない。変わり果てた姿をじっと見つめたあと、ビアンカが恐る恐る問うと、すぐに答えが返って来た。

「久しぶりね、姉さん・・・。大陸がすべて統合してからゆっくり会うはずだったのに、予定外だったわ」
「大陸が統合してから?」

 意味がわからずに問い返すが、ジルは小さく首を振って質問を返した。

「どうしたの、その姿は。随分と縮まって」

 くすくすと笑われ、ビアンカの戸惑いは憤りに塗り替えられる。

「どうして人ごとのように言うの? あなたの仕業でしょう?」
「わたしの?」
「城を眠らせたのも、全部あなたの仕業なのでしょう」

 強く訴えると、ジルは一瞬首を傾げたが、ややして認めた。

「……確かに、あとから考えると、どうかしてたと後悔してる。ほら見て。魔法の代償で、随分歳を取ってしまったわ。あなたと並んだら、まるで母娘、いえ、祖母と孫ね」

 そう言って彼女は頬の皺を気にした。
 聞きたいことがありすぎて、何から問えばわからなかった。だが、ビアンカは一番の謎を口にした。

「どうして、あんなことをしたの」

 ジルはからかうように笑った。

「知っているくせに」

 ビアンカは小さく首を振る。これだけは彼女の口からはっきりと訊きたかったのだ。弁明して、謝って欲しかった。
 真剣なまなざしにジルは応えた。

「わたしたちは顔も、色も、好きなものも、欲しいものも全部同じだった。でもディアマントは残酷ね。服も宝石も何でも同じように与えてくれたのに、騎士だけは二人に一つしか与えないなんて。こればかりは決して替えたり、共有したりできないものなのにね」

 ジルは寂しげに微笑んでエリアスを見た。

「お母さまはビアンカを後継者に選び、エリアスもビアンカのものになった。だからわたしは何も手に入れられないし、一生ビアンカの影でいなければならない。同じように生まれたのに、同じだけの努力をしたのになぜ? 考えたら嫉妬で狂いそうだったわ。それならいっそ奪えばいいって、悪魔マティアスに囁かれた。君の方が裁定者に相応しいって。一緒に大陸を纏めようって。……そして、わたしは、その囁きを聞いてしまった。馬鹿だったわ。あんな事をしても、わたしはビアンカにはなれなかったし、いろんなものを壊すだけ壊して、何も得られなかった」

 シリルが耐えきれないというように割り込んだ。

「どうして今になってそんなことを言うんだ。嘘だよな? ――あなたはずっと俺を母の代わりに育ててくれたじゃないか」

 ジルはシリルに向き合って表情を翳らせる。彼に責められるのだけは辛い、そんな顔をしていた。

「シリル殿下。あなたからお母さまを奪ったのはわたしなの。慕ってくれたのに騙すような事をして……本当にごめんなさい。でも言えなかった。母を失ったとき、わたしはビアンカを恨んだ。身勝手だとはわかっていたけれど、あなたに――わたしの唯一の心の安らぎだったあなたに、あんな風に恨まれたくなかったのよ」

 シリルは黙っていた。言葉は理解は出来ても感情がついていかないようだった。
 じっとシリルの言葉を待っていたジルは、「許してくれるはずはないわよね」とやがて諦めたように小さく息を吐いた。そして、感傷を振り切るようにして、ビアンカに話を振った。

「ねえ、ビアンカ。エリアスを渡す気にはならない? わたしの方が、彼を有効利用・・・・できる。マティアスとわたしのせいで傾いた大陸の均衡を整えるために使うの。火と水は既に纏まった。あとは土と風を纏めれば、大陸は一つになる。エリアスの力を使えば、きっとあっという間よ?」

 利用という言葉にビアンカの眉が跳ね上がる。

「そうはさせないわ。わたしは彼を守る」
「守る? まだそんなこと言っているの? あなたは自分が裁定者だとわかっているの? 裁定者を守るための騎士なのに、彼の為に命を投げ出すなんて本末転倒よ。いい加減、命の重さを自覚しなさい」

 まるで母のように叱りつけるジルだったが、ビアンカは小さく首を横に振った。

「ジルの考えには一理ある。でもやっぱり根本が間違ってるわ」
「何がどう間違っているの」

 ジルはどこか試すように尋ね、腹の底にくすぶっていた怒りに火を着けられて、ビアンカは絞り出すように言った。

「命に重い軽いなんてないの。ディアマントが騎士の力に命の代償を求めた意味を考えて。他の人間は殺したって命は縮まないの。だけどエリアスは縮むのよ。つまりエリアスが奪う民の命の一つ一つはエリアスの命と繋がってる。そして光の姫は、その命を、きっと自分の一番大切な物として身近に感じるの。いえ、裁定者は、騎士の命を通して、民の命を常に身近に感じていなきゃいけないのよ。わたしは――彼が戦わない事、戦わせない事が、ディアマントの真の願い――大陸の真の平和に繋がるって信じてる」

 幼い頃のビアンカの行動をジルは間違っていると言った。だが母は正しい選択をしたと言ってくれた。ビアンカはあれから裁定者とはなんだろうとずっと考え続けた。幼い頃は言葉にできなかったけれど、ようやく形に出来たと思った。
 ジルはしばらくじっとビアンカを見つめたあと、自嘲気味に笑った。

「……あのとき・・・・とちっとも変わらないのね。わたしも本当はわかっていた。命の重みをどちらが本当に理解してるかって。だからお母さまはあなたを選んだって」
「だから僕はビアンカの騎士でいる。たとえ一生下僕だったとしてもね」

 エリアスが続けて言うと、ジルは苦笑した。

「エリアスは本当に、昔からビアンカビアンカって、臆面もなく……さすがに双子の片割れとしては傷つくわ。――ねえ、どうやらまだ下僕のままみたいだけれど、心変わりはしないの? わたし、あなたが欲しいものは全部あげるって言ったでしょう?」

 そう言うと、ジルはエリアスの近くに寄って、彼の首に両腕を回そうとする。
 初老の女性とは思えない色香を漂わせるジルに、ビアンカは目を剥き、エリアスもぎょっとして彼女から飛び退いた。
 その時、ビアンカの脳裏にぱっとよみがえる光景があった。
 ジルが、エリアスを寝台に押し倒しているという衝撃的な場面だ。あまりの像の鮮やかさにビアンカは顔を引きつらせた。
 そうだった。二人は恋仲だった。
 なかったことになりかけていた現実をつきつけられ、目の前が真っ暗になりかけたビアンカに、エリアスが珍しく必死の形相で「なに想像してるか知らないけど、誤解だから!」と叫んだ。
 二人の様子を見ていたジルが楽しげに、そしてどこか寂しげにクスクスと笑う。

「ほんと。何度も誘惑したのに、決して誘いにのらなかったわよね。最後の手段でビアンカのふりをして誘ったのに、すぐにバレちゃうし。……どうして全く同じものなのにわたしじゃなくってビアンカを選ぶのかしら。手に入らないからこそ、余計に欲しいのかしらね」
「わたしのふり? エリアスの欲しいもの?」

 ビアンカは真意を問うためにエリアスを見る。
 彼が気まずそうに俯くと、ジルはやれやれとため息を吐く。だが、ふとその息に暖かみを感じない事に気がついた。存在感が薄いのだ。ビアンカは急に落ち着かなくなった。

「ジル? どうしたの?」

 ジルはふ、と笑うと「フォイアシュタインの魔力を借りても、そろそろ、限界かも」と胸を押さえた。

「フォイアシュタイン?」

 まさかジルの口から聞くと思わなかった。ビアンカが怪訝に思うと、ジルは「ちょっと力を使いすぎたから、拝借してるのよ。これ以上老けたくないもの」と手の中に握りしめていた赤い魔石をこっそり見せた。それは王冠の中央にはまっていた石と同じ形をしていた。だが燃え盛る炎のような輝きを見れば違いは明らか。こちらが本物だ。

「一刻だけあげる。だからそれだけで逃げ切って。そして、今度はあなたがシリルを助けてあげて。母親を亡くした子の気持ちなら、あなたも良く知ってるはず」
「リーザ……」

 シリルが苦しげにジルの仮の名を呼んだ。
 だんだん彼女の顔色が白い壁と変わらないくらいにに白くなっていた。病的というよりは、無機質なものに変わろうとしている。内に灯るはずの生命の火を感じられなくなっていて不安が募った。それに今の言葉は、まるで死地に旅立つような言葉に聞こえなくもない。

「でもジルはどうするの」

 縋るように問うと、ジルはにやりと笑って胸を張った。

「わたしはアーマイゼを一人で二十五年も眠らせた偉大な魔女よ? 魔法ならあなたには負けないわ。このくらい平気。引き止めてみせる」
「でも、どうやって」
「相変わらず人の事ばっかり心配して! いいから、早く! すぐに追いつくから」
「ジル、あなたもアーマイゼに戻ってくるのね!?」
「ええ。必ず。だから、早く!」

 ジルはもう一度発破をかけると、その手を追ってくる兵に向けた。ビアンカたちを包み込んでいた透明な膜がぱちんと割れる音がして、兵が動き始める。
 子守唄のような優しい調べがジルの口から流れ出す。精霊詩だ。彼女はさらに魔法を使おうとしている。ほわんと指先がまろやかな光に包まれはじめる。色の違う空気がまるでシャボンのように膨らみ大きくなって行く。
 しかも、これは。この魔法は――
 昔ジルと一緒にエリアスにいたずらをした事が思い出された。

「エリアス、巻き込まれたら、また眠ることになるわよ!」

 慌てて走り出すビアンカの背中に、ジルの声が被さった。

「ビアンカ!」

 ビアンカが走りながら振り向くと、ジルの手から何かが離れた。煌めきを追って掴むと、それは朝焼け色の石。運命の石シックザールだった。
 驚いて顔を上げると、ジルはまだ二人が仲が良かったころと同じような笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

「返しておくわ。それから、まだ気づいてないみたいだから教えてあげる。大陸が纏まれば、大陸に真の平和が訪れれば、あなたが他の国から婿を迎える必要などどこにも無いのよ?」

「え?」

 ビアンカがその意味に思いを馳せた直後、グラオザム城は虹色の光に包まれた。