王女エマナスティ

 

 アウストラリス王国のエマナスティ王女は、父王であるルティリクス陛下を敬愛している。
 仲の良い親子で羨ましい――など美談として語られるが、実際はそんな微笑ましいものではない。
 アリスは自分の服の裾で涙を拭う少女――エマの波打つ赤髪を見つめながらため息を吐いた。

(もうこれは、偏愛というか狂愛と言ってもいいんじゃないのかな)

 幼い頃から彼女は異常に父親に執着していたと思うけれども、十六歳になった今でも幼少期と同じく父親べったり。恋をしているような熱視線を向けたかと思うと、母親である王妃とまで張りあう始末。そして王に叱られてアリスの元へと泣きに来るのだ。

 アリスに与えられた塔とエマに与えられた塔は中庭を挟んで隣同士だ。直接行き来はできない作りになっているのだが、エマは型破りな方法でアリスに会いに来る。自室へ伸びる樹の枝を伝って中庭へと降りてくるのだ。そしてアリスの部屋の窓を叩く。それが真夜中であれお構いなく。

(知られたら僕の命が危ないんだけどな)

 そう思いながらも、アリスはエマを拒むことはできずに部屋を抜け出す。彼は昔から彼女の泣き顔に弱いのだ。
 二人の密会の場所はいつでも中庭だった。さすがに二人共もう子供ではないから、簡単に部屋に入れるわけにはいかない。
 人目を避けるために大きな木の影に隠れ、幹に寄りかかる。五十年も前に植えられたという樫の木は、父や王が幼少の頃木登りをして遊んだと聞くが、年頃の娘が倣うとは誰も思うまい。
 濃厚な土の香りに混じって、様々な草の香りが漂っている。それは庭に植えている薬草のものだった。薬学医学に通じていた父の影響で、アリスは薬を自分で作るのだ。

「で、今度は何で怒られたの」

 アリスが赤い髪を撫でながら問う。手巾を差し出すと、エマは遠慮なく鼻をかむ。そして湿った声で答えた。

「お父様とお母様の間で寝ようとしただけ」

「……またそれなの。もう子供じゃないんだし、一人で寝るべきだと思うよ」

「たまにならいいじゃない」

「週に一回以上なら、もうたまにじゃないと思うけどね」

 ちょうど一週間前に同じことで怒られたエマを思い出し、アリスは国王夫妻を気の毒に思う。エマがどういうつもりなのかは怖すぎて聞けないが、どう考えても親と並んで寝るような年ではない。アリスなど物心つく前には父親に両親の寝室を追い出されている。それが普通だと思う。

「私とお母様のどっちかを選ばなければいけない時、お父様はお母様をとるのよ。ひどいでしょ」

「酷くないよ。君は十分大事にされていると思うよ」

 優しく慰めても、エマの肥沃な大地の色をした瞳は涙に溺れたままだった。

「大事にされてても、お母様には勝てないもの。もし崖で私とお母様がぶら下がっていたら、お父様は絶対にお母様を助けるわ」

 いやに古典的な話を持ってくるなと、アリスは苦笑いをする。

「陛下なら二人とも難なく助けられるんじゃない? あの方の運動神経は人間離れしてるし」

 アリスが言うと、エマは目を釣り上げた。

「もう、アリスはすぐそういうことを言う! 頭が硬いんだから。喩え話ってわかってるでしょ」

「僕はその喩え話は嫌いだな。二択しかないなんておかしいだろう? 両方助ける道を考えてこその名君だ。王様になりたいのなら、そういう喩えだと捉えるのが正解だと思うよ」

「だから、えっと――――もう、いい! ほんっと理屈っぽいんだから!」

 言いくるめられたエマは拗ねて膝を抱え込む。土に指で文字を書きだしたかと思うと『アリスの馬鹿』と書いている。

「じゃあ、君なら一人でよじ登りそうだしって言えばいいの。だって君の母上、どう見ても非力だよね。あっという間に落ちちゃうけど、それでいいの」

「……」

 付き合いきれず、冷たく諭すとエマはとうとう黙りこむ。アリスはため息をつくと、話の筋を元に戻し、可愛らしい幼馴染を宥めた。

「しょうがないよ。正真正銘君は陛下の『娘』なんだから。恋愛対象外なのは当たり前だろう」

「もしかしたら、違うってことがあるかもしれないじゃない。お、お母様が浮気したとか」

 秘密の話をするかのように、エマは言う。人に聞かれたらまずいという意識はあるらしい。アリスは呆れた。

「一体誰とするんだよ」

「父様の侍従のセバスティアンとか、あなたのお父様――宰相閣下とか!」

 父親に似て穏やかな人格だと言われるアリスも、さすがに聞き捨てならなかった。

「ありえないから。僕の父上はまだしも、セバスティアンは絶対ないよね。だって陛下とくらべてみなよ。見劣りしまくるだろう」

 セバスティアンは、あの有能な王がどうして側付きにしているのだろうと思うような――と口に出しては言えないが、ちょっと抜けた侍従である。

「……っ……アリス、そんなかわいそうなこと言っちゃだめ」

 自分で言ったくせに笑いのツボにはまったのか、頬を引き攣らせつつ苦情を言うエマを無視するとアリスは続ける。

「あと、それ、僕の両親の前では絶対言わないでね。母上が気にするし。あの人を怒らせると怖いって知ってるだろう?」

 静かに穏やかに、でもしっかりと釘を刺すと、エマは「アリス、目が笑ってない。怖いわ」としゅんと俯いた。

「だいたいね。君は母親に外見を受け継いだけれど、中身は陛下にそっくりだ。自分でもよく知ってるはずだろう?」

「そっくり?」

「君に剣で勝てる人間なんて、アウストラリス中を探しても陛下くらいだろう。その資質はどう考えても陛下譲りだ」

 誇らしげにエマは顔を輝かす。だがやっぱり夢を見たいのか、「でも」と反論しようとする。アリスはここで反論を許すと堂々巡りだとエマを遮った。

「それに、君の発想はすごいよ?」

「発想? どこが?」

「ほら、この間王位継承の儀について何か言ってたろ。それから、ほら、西部の灌漑と二期作だっけ?」

 エマはああ、と頷くもののすぐに顔をしかめた。

「でも誰も相手にしてくれないもの。先生たちはみんな私の事、馬鹿にしてる。常識はずれとか陰で色々言われてるの、ちゃんと知ってるんだから」

「でも僕はすごいと思ってるよ。誰も考えつかないことを思いつくのは頭が柔らかい証拠だよ」

 ぶうと口をとがらせるエマは、「陛下も君の凄さをちゃんと知っていらっしゃる」と付け加えると瞬く間に破顔した。

(あーあ)

 あまりの態度の違いに気を落としながらも、彼女の笑顔がようやく見られてアリスはほっとする。

「ほら、口を開けて」

 ポケットから紙袋を出すと、アリスは金色に輝く一粒の飴をエマの口に放り込む。泣き止んだご褒美に飴をあげる。それはエマがアリスを兄代わりにし始めた時からの決まり事。最初は作ってもらっていた飴も、父に作り方を教えてもらってからは自分で作っている。

「もう、子供じゃないのよ? このくらいで機嫌直さないからね……って、あ、あまずっぱい! これなに?」

 言ったそばから目を丸くするエマに、アリスは苦笑した。

「取り寄せた果物の果汁を混ぜてみた。檸檬味だよ。美味しいだろう? 自信作なんだ」

 アリス特製の飴玉は、文句を言うエマの口を閉じさせ、頬を緩ませる。
 幼いころの父の助言「女の子の扱いがうまくなりたいなら、飴と鞭を使い分けないといけないよ」の飴の方しかアリスは習得していない。父に習得したと報告したら意味ありげにニヤニヤと笑われたから、違うのだろうが……深く考えないことにしている。

(そういえば鞭はどうやって使うんだろうな……)

 アリスはふと父の新しい助言を思い出し、首を傾げた。

(「憎らしい口はね、塞いでしまえばいいんだ」というのは、これで正しいのかな)

 考えこんでいるうちに飴を袋ごと奪われたが、それもいつものこと。

(今日作るのは何味にしようかな)

 アリスは毎日飴を作っている。つまり、毎日のようにエマの愚痴を聞いているのだった。

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