勝敗を分けるもの

 武術大会は弓術、馬術、体術、剣術の順で競技が行われる。それぞれ一位から三位までに五点、三点、一点と得点が与えられ、その合計点で優勝を競う。
 ルキアに弓術で勝つことは難しい。そう考えたエマは馬術体術に力を入れる作戦を取ることにした。
 ルキアが弓で一位となって五点、エマが剣で一位で五点をとると仮定して、勝敗を決するのはおそらく残りの二競技だからだ。
 毎日愛馬のウィクトルを走らせ、本番と同じ道筋コースに慣れさせる。それが終われば新しくつけてもらった師に、体術の技を仕込んでもらう。小柄で非力な者でも勝てる技をなんとか身につけたかったのだ。


 武術大会まであと半月。とにかく毎日が目が回りそうに忙しかった。
 そんな中、ルキア、アリス、二人の求婚は確実にエマに痛手を与えている。
 ルキアに関しては、あの尋常でない色気にグラグラと揺れることはあれども、勝負に勝つのみだと思っている……のだけれど、如何せん、弓以外の能力が見えなすぎて怖い。
 アリスのことは……おそらくエマが彼に対して抱いている感情も恋なのだと思う。思い出すだけで、エマは高揚感で顔を赤らめ、その後ベッドに突っ伏してゴロゴロしそうになる。……のだけれど、お花畑からはすぐに連れ戻されてしまう。じゃあ、王位じゃなくて恋を選ぶのかともうひとりの自分が叱咤するのだ。
 芽生えたばかりの恋情は、エマが今までに胸の内で培ってきた野望に比べるとまだまだ淡すぎるのだった。
 翻弄され、悩みに悩んだけれども、結論としてはエマは己の野望を諦めるつもりはなかった。
 それでも、気を抜くと、エマの頭のなかには二人の男がにょきにょきと姿を現し、エマに求婚を繰り返す。
 打ち消すようにエマは、目の前の練習相手、セバスティアンを投げ飛ばす。ルキアと当たることを想定しての技のおさらいだ。体格の差を考えると組んだら確実に不利。だから、組み合う直前で、腕を取って体のバネを活かして投げるのだ。

「そうです、そう。そこでもっと懐に入り込むのを素早く」

 体術の師、ルイザは鋭く指摘した。エマは言われたとおり、懐に飛び込むと、相手の勢いも利用して背中に背負う。
 ドシン、と派手な音がして、セバスティアンが嘆いた。

「うわああ、手加減してくださいよぅ! 腰、腰が使い物にならなくなったらルイザさんも困るじゃないですかぁ」

 ルイザは冷たい一瞥をセバスティアンに投げると、訴えを無視してエマに言った。

「殿下、人形だと思って遠慮なく投げてください。丈夫さがとりえです。少々のことでは壊れません。壊れても困りません」
「…………」

(この二人が夫婦なんて、誰が信じるかしら)

 男が相手のほうがいいとエマが言ったせいなのだが、セバスティアンは夫だからという理由でルイザにいいようにこき使われている。夫婦の関係が透けて見える。
 苦笑いをしつつもエマはルイザに向かって尋ねる。

「今のは、どうだった?」

 赤茶色の髪を項で一本に結わえている、きりりとした印象を持ついかにも仕事のできそうな妙齢の女性。ルイザはエマの乳母である。
 母の家の分家筋の女性で、昔は母の侍女だった。侍女であると同時に武術に長けているのは、アウストラリスの王位簒奪の歴史のせいである。いざというときに主人を守る必要があるからであった。
 ルイザは、乳母の役目を終えた後は、北部の硝子工場の監督を任されているのだけれど、エマの体術の師を頼まれて、一時的に王都にやってきているのだ。

「そうですね。あと一工夫しましょうか。襟を取りに行く手を足より早く出す感じで。但し前のめりになっては駄目です。重心がずれますから」
「わかったわ。じゃあ、もう一本」

「ええええ、休憩しましょうよう」と嘆くセバスティアンに、エマは「お願い」と頼んだ。

「行きなさい。こういう時にお役に立たないで生きている価値がどこにあるの」

 ルイザに命じられたセバスティアンがうああああ、と声を上げてエマに掴みかかってくる。

(また右の襟を取ろうとしてるわ)

 攻撃に幅がないため、どうしても単調に感じて、エマの注意力が散漫になる。
 その隙を突いたように、頭のなかに湧き上がった幻想は低く甘い声で囁いた。

「――おれが欲しいのはおまえだ。エマ」

 眼裏に浮き上がったのはルキアだった。壮絶な色気を湛えた眼差しがエマを貫く。どうしてもこの目は苦手だ。なにも考えられなくなってしまう。我に返った時には、何もかも終わっていそうな気がしてしょうがないのだ。

「君が、好きだよ、エマ」

 アリスも負けじと言う。柔らかく甘い眼差しに、エマは胸が踊る。その手をとってしまいたい――そう思うけれど、彼はライバルだ、王位を諦めるのかとなけなしの理性が叫ぶ。

「おまえはどちらを選ぶんだ?」
「君はどっちを選ぶ?」

 二人の声が重なり、二つの大きな手が差し出される。エマはいつの間にか一人の男に手をとっていた。だけど見上げた男の顔は、エマには何故か判別できない。自分で選んだはずだった面影は瞬きとともに風化して、今は誰ともわからない特徴のない顔になってしまっている。
 手を握り返した《彼》の口元が、笑みでほころぶ。

「じゃあ、王位は諦めて妃になってくれるんだな」

 強引に決められそうになってエマは首を横に振る。

「それは、いや」
「相変わらず、わがままだな」

 《彼》は呆れたようにため息をつくと、そのきれいな口元を歪めた。

「じゃあ、力づくで、手に入れないと」

 《彼》がエマの左襟を握った次の瞬間、背中にどすんと酷い衝撃をうける。一瞬息が止まってむせている間に、手首を頭上にまとめられる。前にのしかかられた時も動きが取れなかったけれど、今は更にだった。
 熱い息が首筋にかかり、背筋に鳥肌が立つ。だというのに指の先も動かせず、エマは混乱の局地にいた。

「落ち着いて。こんなの、だめ。最低でも武術大会で私に勝ってからにして」

 抵抗して腕を何とか取り返す。胸を押すと、鍛えぬかれた固い感触に動悸が激しくなる。こんなのは男ばかり相手に武術をやっていれば日常茶飯事だ。だが、この状況では異性として意識しすぎて目が回りそうだと思った。
 そんなエマに、

「落ち着いてるよ? だって君は負けたじゃないか」

 顔のない《彼》は笑う。

「負けた? うそ」

 いつの間に武術大会が終わったというのだ。じゃあ今までのエマの努力は。これからのエマの野望は。

「弓術でも、馬術でも、体術でも、それから――剣術でも。君は弱い。だから、ほら、押さえつけられて動けない」
「そんな、わけないわ。わたしが負けるわけ――」
「口だけだったんだって、皆笑ってた。これじゃあ、誰もおまえを王にしたいと思わない」
「口だけなんてこと、そんなこと無いわ!」

 いじわるを口にする《彼》はくつくつとさらに楽しげだ。

「そうかな。おれを選んだほうがこの国のためになる。だから民のためにもさっさと諦めたほうがいいと思うけど」

 これはルキア?

「僕がどれだけの賢王になるかなんて、君ならすぐに予想できるだろう? だから僕を選んで、そして傍で僕を支えて。君が必要なんだ」

 これはアリス?

 顔のない男はルキアとアリスの人格が混じっているかのうよう。これはどっちなのだ。自分はどちらを選んだのだとエマは動揺する。
 やがて、体の上の《彼》はものすごい力でエマの両肩を掴むと、顔に頬を寄せる。キスまでもを受け入れてしまえば、負けが決まってしまう気がしてエマは必死に顔を背ける。

(いやよ、いや、いや――、たとえ好きでも、絶対負けたくない……! わたしは、王になりたいの!)

 拒絶反応からぎゅうっと目をつぶったときだった。肩を強く揺すぶられ、エマははっと顔を上げた。
 視界に白い天井、それから赤い髪、それから大地の色の瞳が見えて、エマは思わず飛び退きそうになった。

「うそ。――うそうそうそ、わたし、じゃあ、ルキアを選んだってこと……!? た、確かに彼は魅力的だけど、強引で俺様だし、ほら、私の事絶対好きじゃないし、っていうか、どうして手をとっちゃったのよ――ってことは、わたし、王位より男を選んだってこと!? 所詮その程度の願いだったってこと!??」

 あああああ信じられないいいと髪を振り乱し、錯乱状態のエマの頬が、軽く叩かれる。

「……エマ。しっかりしろ。夢だそれは」

 胸にまで響く暖かく重みのある声に、エマは目を何度も瞬かせる。そして顔が見慣れた大好きなものだと確認した直後、うえええん、とわめき声をあげて目の前の男性にしがみついていた。

「お父様……っ、お父様! こ、こわかった……っ」

 飛びつかれた父王ルティリクスは「何歳だ、おまえは」と苦笑いをしながらも、エマの背を優しくなでてくれる。まるで幼子だと自分で思いながらも、あまりに衝撃が行き過ぎて、我慢することが出来なかった。アリスが敵に回った今(と言うとなんとなく違和感があるけれど)、エマが、心から甘えられる人は、もう父と母しかいないのだ。

「倒れたって言うから、さすがに様子を見に来た。メイサもすぐ来る」
「倒れ、た?」

 エマは驚いて周囲を見回した。見慣れた光景。どうやら、自分の部屋のようだが、そういえば、エマは確かさっきまで武道場で体術の訓練中だったはず。セバスティアンを投げようとしたところから記憶が飛んでいる。

「で、どうした」

 父は後ろを振り向いて尋ねた。そこにいたのはルイザだった。

「夫に技をかけられて受け身をうまく取られなかったようで、背中を強打されて……申し訳ありません。ここのところ練習が密でしたし、きちんと休憩をお薦めすればよかったのですが……」

 沈痛な面持ちのルイザは父に向かって謝る。

「いや、自己管理できずにぼうっとしてるほうが悪いが、……どうかしたか。練習でも油断するなどおまえらしくない」

 あのね、と口にしそうになったエマだったが、すんでのところで口ごもった。二人の男に求婚されて悩んでいるなど、どんなふうに打ち明けていいかわからなかかったのだ。エマの結婚は政治に大きく絡むのだから、言うべき話だろうけれど、正式な申し込みでもないから悩んでしまう。それに、求婚が原因で練習に身が入らないなど、父には恥ずかしくてとても言えないと思う。きっと呆れられる。

「あと半月だと思うと、焦ってしまって。あと、夢見が悪くて眠れてないの」

 エマは結局当たり障りない返答をした。夢見が悪いのは本当だ。あれから先ほどのような夢を度々見るようになってしまった。妙に現実味のある夢には、『どちらも選ばない』という選択肢が用意されていない。時には大会で負けて押し切られたり、時には恋情に流されたり。理由は様々だけれど必ずどちらかの求婚者を選んでは、王位はどうしたと、己の不甲斐なさや浅はかさに身悶えている。そんな日常では、練習に身が入らないのも当然である。しかも、エマがしなければならないのは武術大会への準備だけではない。
 半分くらいはお見通しなのだろう。父はどこか挑発的に笑う。

「人が増えて枠が減ったからな。予選通過するのも一苦労だ。――理由をつけてルキアを出さないようにするか? なんといっても俺は王だから、やろうと思えばどうにでもできる。ジョイアに追い返してしまってもいいしな」
「それは、駄目……」

 エマはすぐに拒む。
 卑怯な手を父に使わせたくはないし、なによりエマが、戦う前に負けたみたいで嫌だ。それに、倒してから求婚を押しのけなければ、ルキアはきっと納得しないだろう。
 やはり父は泣いているエマにハンカチを渡してはくれないらしい。心を奮い立たせてエマは笑ってみせる。

「絶対勝ってみせるもの。大丈夫よ、弓では敵わなくても、剣術では絶対に負けない。だから馬術と体術の底上げを頑張ってる」
「…………まぁ、そうだな」

 僅かな間がある。父はどこか遠くを見る目をしていたけれど、エマに視線を下ろして言った。

「あとでちょっとだけ手合わせしてやる」

 思いもよらない提案にエマは顔を輝かせたが、直後、先ほどの間が急激に気になった。不安がこみ上げ眉を寄せると、父は肩をすくめた。

「ルキアの剣術を教えているのは、レグルスだ。ま、だとしてもさほど気にすることはないと思うが、あまり油断してもまずいから一応教えておく」
「は……?」

 聞き覚えのある名前だった。それは一体誰だっただろうかと記憶を覗きこんで、エマはやがて目を見開いた。

「レグルスって……あの」

 師がいいと伸びる。そんな言葉が頭に浮かんだ。――そう豪語していたのは他でもないエマだ。

「俺がジョイアにいた時の剣の師だな」

 父はわけあってジョイアで少年時代を過ごしている(王位継承に関わる重大な任務のためだとしかエマは聞いていない)。そして父がこれほどの腕前になったのはジョイアでの修練の賜物。その時父が師事してもらったのが、エマも名を何度か聞いたことのあるジョイアのレグルス将軍だ。
 父はなんでもないように言ったけれど、よくよく考えると、父とルキアの母とは兄妹。父と同じ血がルキアにも流れている。その上に師が父と同じとなると……

(進退窮まった……かも)

 めまいを感じたエマは、天井を仰いで目をつぶった。

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