母が母なら、娘も娘

「お父様」

 到着したメイサと交代するようにして部屋を出ようとしたルティリクスは、エマに呼び止められる。
 振り返ると、立ち上がろうとしたエマがよろけたところだった。

「寝ていろ。何だ?」
「お渡ししたいものがあるの」

 エマが筆記机に置いていた紙を指差すと、メイサがルティリクスに手渡した。

「お父様、あの、それ、ヨルゴス閣下と検討してみてくださる?」

 束ねられた紙をめくると、そこには学院の運営についての意見書がまとめられている。武術大会の訓練の合間に外出しているのは知っていたが、どうやら生徒と個別に面談をしていたらしい。各々の生の声がそのまま書き取られていて、その数は百を超えていた。
 エマは青い顔でルティリクスを見つめてくる。先ほどの取り乱した幼い顔が嘘のよう。娘の本気の眼差しにわずかに気圧されつつ頷くと、ルティリクスは部屋の外へ出る。共に退出したルイザに押し殺した声で尋ねた。

「エマの口にした食物、飲料は調べたか?」
「はい……それが、ごく少量ではありますが、ディスコリアが入っていた疑いがあります」
「ディスコリア?」
「風邪薬です。……けれど、用量や体調によっては副作用で幻覚や幻聴を引き起こします。同じ症状を訴える者がまかないを食べた者にいました」
、か」
「はい。王都でも簡単に手に入る類のものです。毒味は行っているのですが、遅効性で作用もさほど強くないので、防ぎきれず……もしかしてエマ殿下のお怪我を狙ったのでしょうか?」

 ルティリクスはぎりと小さく奥歯を噛みしめる。武術大会が近づいた今、小さな怪我でも命取りになりかねない。

「無駄だとは思うが出処を調べろ。それから、念のため食器は全て銀器を使うように伝えてくれ。あと毒味の精度をあげられるか?」

 ルティリクスが密かに出した密命に、ルイザは神妙な顔で頷いた。体術の師だと言って呼び寄せたけれど、実はこちらの用件が本命だ。ルティリクスの周りには、多くの説明なしに動いてくれる信頼できる人間というのは実は少ないのだった。
 いつもならばヨルゴスに警備の強化もろもろの手配を頼むところだけれど、今回は同じ継承者であるアリスのことがある。しかも手段がと来た。ヨルゴスを信用していないわけではないが、頼りすぎるのは危険だ。なんといっても彼の母親は王位に多大な野心を持っているのだ。

 昔から娘への手助けはおおっぴらには行えない。それどころか甘やかすことも出来ない。王が娘を贔屓しているというのは、エマにとって枷となってしまうからだ。だが、命の危機があるとなれば、ルティリクスも父親として黙ってはいられない。子を崖から突き落とす、獅子のような子育てだと揶揄されることも多いけれど……愛するメイサとの大事な一人娘が可愛くないわけがない。

(命にかかわることだ。文句は言わせない)

 ルティリクスは自身の王位継承でのゴタゴタを思い出す。寸前まで気が抜けなかったことは記憶に新しい。正々堂々と勝ち抜いても油断できないというのがこの国なのだ。
 その状況を少しでも改善しようと新生させた王位継承の儀だが、まだ法整備が完璧にはされていない。法の抜け穴をくぐって他の継承者を潰そうと暗躍するものが確実に出てくるはずだ。

(薬とは考えたな……)

 正規で売られている薬であれば、今の法では裁けない。新たに潰す穴を脳内に書きつける。ヨルゴスと相談して、緊急で法案に書き加える必要があるが……成立するのはおそらくは儀式の後。間に合わないだろう。もう物理的に守るしか、方法はない。
 エマが王になりたいと言い出した時からずっと周囲に目を光らせてきた。危ない芽は密やかに摘んできた。だが、これから半月は激化するに決まっている。慎重になりすぎるくらいでいいのだとルティリクスは思う。

「ところで、アリスは?」

 こういう危険を前もってさり気なく排除するのが、今までは彼の役目だった。意識して守っているのかと思っていたが、この一番危険な時期に姿が見えないのは……

「確か、カルダーノに行かれているとか」

 ルイザが答える。カルダーノは父親ヨルゴスの郷。この大事な時期に一体何をしているのだろう。

(振られたか? だから、距離をおいた?)

 ルティリクスは眉間にしわを寄せる。
 だとすると意外だった。あれだけ始終べったりだったのだ。そうだと意識していないだけで、彼らの間にあるものは誰が見てもわかるほどにわかりやすい感情だった。均衡が崩れれば、すぐにでもまとまるのではと思っていたけれど、どうやらエマを軽んじ過ぎていたらしい。

 ルティリクスの周囲にいた女たちは、恋に生き、愛する男に守られたいと望むものばかりだった。だが例外もいたと思いだし、苦笑いが湧いてくる。ルティリクスの周りに最後に残ったのは男に守られるよりも守りたい女ばかりだったからだ。メイサを始め、母のシャウラ、妹のスピカ、ルイザも含めると、結構な割合だ。これはもうシトゥラ家出身という血筋のせいだろう。

(母が母なら娘も娘。それなら、しょうがないか)

 母親のメイサが、恋を犠牲にして自分を支えてくれようとしたのと同じく、エマにも恋よりも大事なものがあるのだ。恋を犠牲にしても、王位が欲しいのだ。だとすると、それは最早単なる子供のわがままではない。恋よりも大事な《おもちゃ》があの年齢の少女にあるわけがないのだから。
 ルティリクスは手元の書類に目を落とす。エマがやろうとしているのはまだまだ小さな改革だ。だが、この熱意はどうだ。

「だとしたら、俺よりもいい王になるに決まってる」

 自嘲する。かつて彼が王になりたいと望んだのは、たったひとりの女を幸せにしたいと願ったから。エマが王になりたい理由、『父が作った国を廃れさせたくない』というのは――たとえそれが父親に振り向いてほしいからという理由が発端だったとしても――すでに本物になったのだ。だとしたらルティリクスの動機よりも純粋で尊いものだと思う。だからこそ、応援しようと思うのだ。
 そして、自分の力で勝ち取ったときには、今まで厳しくした分まで、褒めてやろう。ルティリクスはわずかに口元を緩める。そして誰かに見られなかったかと、辺りを見回した。

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