弱音を聞かせて

ツイッター診断メーカーのお題です。終章ちょっと手前のお話。


 誘拐事件が一段落し、メイサがカルダーノから王宮に戻ってきたのは午後の事だった。誘拐され、終いにはオアシスに落ちたメイサは、ルティの指示で医師に診察を受けた。そうして午後いっぱい休暇を貰ったはずだったのだが、夜になって急に呼び出しがかかった。ルティが倒れたと知らせられたのだ。
 近従のセバスティアンが、主人の急病にもなぜか目を三日月のようにして迎えにきて、メイサは慌てて用意を済ませて飛び出した。
 塔の階段を上り切ると、扉は開け放たれていて、寝台の上では不機嫌そうな赤い髪の男がこちらを睨んでいた。
「なぜさっさと来ない」
 うんざりとそう言う彼は、起き上がるのも億劫なのか、寝台に埋もれたまま。
 叱られて、メイサはとっさに言い返す。
「まだ寝ていなかったの? 病気なんだから、ゆっくり休まなきゃ駄目でしょう」
「お前が来ないのに寝るわけないだろう」
「え、何か話があった?」
 メイサが問うのと同時に、後ろでセバスティアンが「失礼いたします」と裏返った声で叫んで部屋を出て行った。
 ルティはそれを見届けると、「こっちに来い」とメイサを呼び寄せ、彼女の手を引っぱる。メイサはバランスを崩して、彼の上に倒れ込んだ。
(あ――――)
 胸と胸がふれあい、力強い腕がメイサを抱きしめる。足はその膝ですぐに割られて、メイサはルティの上に股がる形になった。
 乱れた裾を気にしてメイサが起き上がろうとすると、彼の手が足を這って遠慮なく裾をまくり上げた。
「ちょ、」
 ルティは瞬く間に、体の位置を入れ替える。反転させられたメイサは寝台に押し付けられる。すぐさま首筋に唇を当てられ、それは胸へと下る。ドレスは既に胸の上まで押し上げられていた。露にされた胸に口づけが落ちる。あまりの性急さに戸惑って「やめて」と思わず頭を押して抵抗すると、とたん彼は怯えたように口づけを止めた。
「いやか?」
「いやっていうか――病人は大人しくしてなさい。ほら――」
 メイサは彼の赤い髪を払い、おでこに自分のそれをくっつけると「熱がかなりあるじゃない」と叱った。
 ルティは苦しげに息を吐くと尋ねた。
「風邪が移るから駄目なのか? キスをしなければ移らない」
「そういう問題じゃないわよ」
 妥協点を探ろうとする彼に呆れてメイサはため息をつく。
「今日は――いえ、体調が戻るまで駄目よ。仕事も忙しいのでしょう?」
 メイサは机の上に積み上げられた書類に目をやった。
「仕事はちゃんとやってる。だから」
「明日に響くから駄目。昨日もろくに寝てないのよ? 治るものも治らなくなっちゃうじゃない」
 昨日、夜からの情事は結局明け方まで続いたのだ。まだ半日経ってないのに、どうしてそこまで飢えているのかがメイサには分からない。
 彼女は医師に体調を問われて、体の節々の痛みを訴えた。医師は熱のせいかと薬を出したが、それはよくよく考えると昨日のそれが原因だった。問診の途中で気が付いたメイサは異常な気まずさに襲われたが、結局誤解を解くことも出来ずに薬を受け取った。そんな的外れな薬が効くはずも無いし、体の痛みが治まるまではじっとしていたいというのがメイサの本音だった。
 だが、
「あんなのじゃ足りない」
 ルティは不満そうに言うと、再びメイサの胸に顔を埋めようとする。
(あれで!? あれで足りないの!? うそ)
 身の危険を感じたメイサは彼の頭を押しやると、寝台から身を起こして衣服を整えた。メイサの頑な拒絶にルティは傷ついたような顔になる。さすがに心が痛んだが、メイサはここで流されては彼のためにならないと、彼の恨めしそうな目から目を逸らして寝台から降りた。
 未練がましくこちらを見つめ続けるルティに、メイサは実際はかなり揺れた。だが、結局は、
「駄目。体が治るまでは、お預けよ」
 自分にも言い聞かせるようにそう言うと退出する。そして対策に頭をひねりながら、自室へと帰った。

 *

 次の日まだ寝込んでいたルティは、昨日とは全く逆の文句を言って看病に訪れたメイサを追い出した。
「まだ治ってないから、来るな」と。
 顔くらい見たいとメイサは訴えて来たけれど、ルティは頑に拒んだ。
(あんな風に生殺しにされるのは堪らない)
 昨晩、ルティは眠るのにひどく苦労した。下手に触れてしまったがために、自分の首を絞めてしまったのだ。
 ルティはメイサが傍に居るだけで昂って仕方が無いというのに、彼女は違う。その差異が切ない。焼けるような熱情を堪えるのが苦し過ぎて、顔を見るのも辛いと思った。
 穏やかな気持ちで居られるようになるためには相当の年月が必要なのではないかと、ルティは先を思いやってため息をつく。
 そのとき、困り果てた様子のセバスティアンが、顔を出した。
「どうした」
「メイサ様がどうしてもお話があるそうで」
 ふと彼の後ろを見やると、既に赤い髪の女が心配そうにこちらの様子を窺っている。
(ああ、どうして)
 ルティは近従を睨む。
 この男は主人と女官、どっちの命令が大事だと思っているのだろうかと、ルティはうんざりしてため息をついた。
 ルティと目が合ったメイサは、おどおどと目を伏せた。その頬が艶やかに赤く染まっているのを見て、セバスティアンの失態も許さざるを得ないと思った。この顔で頼み事をされて断れる男などどこにも居ないだろうと思えたからだ。
 しかし、ルティはメイサの匂うような顔を見てにわかに期待した。
(もしかして……気が変わったか?)
 彼女を抱きしめて眠れれば、深く深く眠れると断言出来そうだった。もちろん、その前に色々と体力は使うだろうが。何事も量よりも質だとルティは思う。浅く長い眠りよりも、短くとも深い眠り。そのためにはメイサが必要だ。彼女はその事に気が付いてくれたのかもしれない。
 だが、メイサはルティが想像もしない事を口にした。
「あの、あのね……」
 その申し出は、まるで少女のように純情可憐な表情をした彼女の口から出るにはあまりにも似合わない申し出だった。
 聞いた直後、ルティは彼女の経験値を生々しく感じとってしまい、煮えそうな頭を抱えて無言で彼女に背を向けた。
 
 *

「あ、あの……とにかく、風邪が移られても大変ですし、暫くはご面会は遠慮していただいた方が……」
 翌日もメイサはめげずに看病にやって来た。セバスティアンは必死で入室を拒む。昨日部屋に入れた事で、凄まじく怒られたからだ。あれは、半分以上は八つ当たりだと彼は思っているが。
「でも……出来れば顔を見たいのよ。弱ってるときくらい、傍に居てあげたいの。今日は怒らせたりしないから」
 俯いて頬を染めるメイサはいたいけだった。セバスティアンはしばし呆然と見とれていたが、なんだか悪寒を感じたため、慌てて辺りを見回した。扉は閉まっている。なのに扉の後ろから刺すような視線を感じるのだ。
(殿下がご覧になっている――!)
 命の危険を感じて、セバスティアンはメイサから目を逸らした。そしてしみじみと思う。
(この人が傍に居るのに、手を出せないのは確かに拷問だよな……)
 彼女の想い人でないセバスティアンでもそう感じるのだ。どれだけ美味かを知っていて、手を出せないのはどれほどの事かと男として同情する。
 もちろんメイサに悪気が無いのもよく分かる。殿下を思いやっての事というのはよく分かるが、どうもいろいろと裏目裏目に出ている気がしてならない。昨日のあれにしてもそうだ。自覚の無い美女は、主人の心の柔らかい部分に見事に切り込みを入れ、その上塩を塗り付けて行ったかに思えた。
「ねえ、お願い。少しでいいの。顔を見たら帰るから」
 主人と同じ色の瞳が潤んでいる。じっと見つめられ、セバスティアンの体温が急上昇した。
「で、ですから、」
 それは拷問ですって――とセバスティアンがくらりとした次の瞬間、美女は隙を見逃さずに扉を突破した。
「お、お待ちください――」
 メイサを追ってセバスティアンは部屋を覗き込む。とたん主人の顔が目に入ったが、セバスティアンは思わず顔がにやけるのを抑えられなかった。
 嬉しい、だけど、苦しい。そんなごちゃ混ぜの感情が隠しようもなく顔に表れていて、まるで十代の少年のように見えてしまったのだ。
(だ、だめだ――か、カワイイ)
 まさか、あのルティリクス殿下を可愛いと思える日が来ようとは、一体誰が予想出来ただろうか。

 翌日もその翌日もセバスティアンがメイサを部屋に通してしまったのは、メイサの懇願に負けたのが主な理由。だが、主人のあの顔が再び見たいから。――そんな欲求が混じっていたことも否定は出来ない。

 〈了〉


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2011.12.15
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