めあさまから頂いたイラストから生まれた、二年後の後日談のラストシーンより少し前のお話です。イラストを元にしましたが、結局いろいろずれました(汗)
人称や視点がごちゃまぜです。ご注意ください。
『だめ』
『だめじゃない』
『絶対、だめだから!』
中庭の上空から喧嘩の声が降って来て、ヨルゴスは隣塔の上階を見つめた。
「珍しいな。あいつがメイサの嫌がる事をするのは」
首を傾げると、隣で怪訝そうに上を見つめていたシェリアも同じような事を考えたようだ。
「変ね。あんなにメイサが頑固になるなんて。王太子殿下には甘過ぎるくらいなのに」
「一体何事だろうね。……メイサもあんまり興奮すると体に障るけど」
「本当。まだちょっと早いわ。あんなに待ち望んでたんだから、大事にしないと」
心配そうに眉をしかめる妻にヨルゴスは口付ける。
こうして妻同士が仲が良いのは、国にとって本当に望ましい事だ。皆が神経質になっている時期は特に。
メイサの懐の深さのおかげでもあるのだろうが、妻もよく努力をしていると思う。努力の仕方は回りくどくわかり難いが、それが相変わらずとても愛らしい。
「……僕たちも、そろそろもう一人くらいいいんじゃないかなって思うけど」
愛おしさに誘われ、そう問うと、シェリアはあからさまに顔をしかめた。
「日々、
「いや、授からないのは、もしかしたらまだ僕の愛が足りないのかもと思って」
「…………」
そろそろと後ずさりするのを捕まえると、シェリアは飛び跳ねる。
「アリスがみてる! 教育上よくないでしょ」
シェリアは庭の端で遊んでいる幼子を言い訳にする。だがヨルゴスは極上の笑みを浮かべて言い放つ。
「両親が仲が良いのが、子供にとって一番幸せな事だよ」
そんなやり取りの頭上では、相変わらずの喧嘩が続いている。当の本人たちは、まさか自分たちが喧嘩の原因の一端だとは夢にも思わなかった。
*
そのころ、アウストラリスから遠くはなれたジョイアの皇宮では、大掛かりな荷造りが行われていた。
木箱に大量の衣類、それから色とりどりのおもちゃが詰められている。きっと、これは例のアレだろう。
いち、に、さん……木箱を数えて、僕は大きくため息を吐いた。
「さすがに荷造りはまだ早いんじゃないの。知らせが来てからで十分間に合うと思うけど。あんまり早いとチビも沢山だし、迷惑だよ」
僕は張り切る妻、スピカに遠慮がちに声をかける。だが、スピカは振り返ると金色の髪を揺らして小さく横に首を振った。
「シリウス、違うの。これ、旅行の荷造りじゃないの。アウストラリスからの頼まれごと」
「メイサから?」
「いいえ、兄から」
頼まれごと――っていうより、命令だったわと肩をすくめるスピカに驚く。
「え、でも……それをルティに届けるわけ?」
荷物の中身を改めて確認して、半笑いの顔になる。
「だって『ジョイアの珍しいおもちゃ』と『ジョイアの最上級の産着』を送れって」
「産着はわかるけど、……気が早いよね」
ジョイアの上質な木材で作られた木馬を撫でると、小さくため息を吐いた。
一年後でもいいくらいじゃないか、これ。
でも、身に覚えが無い事でもない。
ルキアの時は、スピカの妊娠を隠していた事もあって、おもちゃどころではなかった。けれど、双子の娘の誕生については、彼は純粋に誕生を待ちわびて、ほんとに待ちきれないくらいで、様々な品を準備したものだった。
あー、あいつも、父親だもんなあ。
色々あった事を思い返すととにかく感慨深かった。これからあいつにも
僕だってルキアが生まれてみてはじめて自分が父親だと自覚し、その気持ちは子が育つと共に大きくなった。
母親と違って、父親は、子が生まれてからはじめて父親になれるのだ。
その最初の日に彼がどう変貌するのか。それは僕だけでなくスピカも、それどころか彼を知るほとんどの人間が興味を持っている事だろう。
そう思うと、自然と笑みがこぼれる。
僕が笑っているのを見て、スピカも仕方なさそうに、苦笑いをした。
*
「だから、何度言えばいいの。産屋には男の人は入れないの」
「ヨルゴスだって立ち会ったろう」
「それは、殿下がお医者さまだから」
「ヤブ医者だし、出産は専門外だろう。ああ、常々思ってるが、お前、あいつが変態だと忘れてないか?」
「あんな素晴らしい方に失礼なことを言わないの。心配しなくても殿下の興味はシェリアにしか向いていないわ」
最初の印象こそ酷かったが、ヨルゴスは理知的で温和な好青年だ。
メイサはたしなめるが、ルティは「お前はわかってない」と頑として譲らなかった。
ああ言えばこう言うとはこういう事だろう。メイサは聞き分けの無い夫に次第に腹を立てていた。
「苦しんでるところは見られたくないのよ」
「お前一人、苦しませるのは嫌だ」
「でも、居てもらっても、あなた、何も出来ないのよ?」
「……役立たず扱いする気か」
「この件に関してはあなたは役立たずよ」
きっぱり言い切ると、ルティはくるりとメイサに背を向け、寝台の上にどかりと胡座をかく。表情が見えないが、その後ろ姿に哀愁が漂い、メイサは僅かに憐れむ。
彼にそっと近づくと、大きな背中に頬をくっつける。
もう抱きつくとお腹が窮屈だったから、横座りをして身を寄せた。
「……もし、何かあったら、どうする。俺――」
彼はそこで言葉を飲み込んだ。恐れが声に滲み出ている。出産で命を落とすことは珍しくない。その事を言おうとしたのだろうけれど、怖くて言えなかったのだろう。
なだめるようにして、背を撫でる。
「大丈夫よ。私、あなたが思っているよりずっと強いんだから」
すると、ルティはくるりと体の向きを変え、逆にメイサを腕の中に囲った。そして、メイサの赤髪に顔を埋めて呻いた。
「お前に何かあったら……俺は、生きていけない」
縋るように言われて、メイサはやれやれと笑う。どんな敵も恐れない。獅子のような王太子の弱点であることを自覚すると、嬉しいけれど、怖くなる。強くならなければと思う。
「大丈夫。絶対あなたを置いて行ったりしない。だから悲観的にならないで」
体に回された腕を撫でると、メイサは大きな手のひらを自分の膨らんだ腹に導いた。
「ほら、お父さんに大丈夫だって言ってあげて」
腹の子に話しかけると、丁度良く子が蹴り返す。驚いたルティが目を丸くして、そっと、そして愛おしそうにさすった。
彼の気持ちが落ち着いたのを感じて、メイサはある事をひらめく。
「あ、そうだわ。あなたにお仕事をあげる」
こういう風に余計な事を考える時は、忙しくしてあげればいいのだ。
「なんだ」
「この子の名前を考えて」
ルティは鼻で笑った。
「もう考えてある」
「そうなの? 気が早いわね」
「産着からおもちゃまで、全部手配済みだ。安心しろ――だから、する事も無いし、立ち会わせろ」
話が振り出しに戻り、メイサはげんなりと項垂れる。これではまるで駄々っ子だ。彼のために言っているというのに、どうしてもわかってもらえないらしい。
「…………本当に止めた方がいいと思うんだけど」
あれは見慣れててもきついからね――ヨルゴスの言葉が頭に蘇るが、結局根負けしたメイサは、その申し出を呑む。
だが――――
当日、産屋で貧血を起こして追い出されたルティを、「これだから素人は」と呆れ返ったヨルゴスが介抱することになったのは、また別の話。
【完】