瞼に乗る赤い光にまどろみは去る。
うたた寝をしていたメイサは、寝ぼけ眼をこすりながらムクリと起き上がる。
心配そうに覗きこむ少年の髪は、やはり染められて赤く輝いていた。
(ああ、そうか、ルティが来てたんだった)
彼女の従弟はこのムフリッドで過ごすことが多い。王妃の里帰りについてくることもあるし、まるで厄介払いをするかのように一人で預けられることもある。
そんな大人の事情はおいておいてもメイサにとっては同じ年頃の子どもと遊べる機会だ。沸き上がる幸福感に頬を緩ませた直後、寝台に手をついて真っ青になる。
なぜか布団がひんやりと湿っている。原因を思いつくまでは一瞬だった。
(こ、これ、おばあさまに怒られちゃうんじゃ……!? ご、ごまかさなきゃ!)
厳しい祖母の顔が浮かんでゾッとした直後、メイサはすぐに行動に移していた。
水差しの貴重な飲み水。寒暖の厳しいこの土地では、昼間の暑さが嘘のように夕方以降急激に冷え込む。ガラスの器を通して感じる冷たさにブルリと震えると、えいやっと頭からかぶった。
飛沫がルティにもかかり、彼は目を見開いた。
「お、おま、いきなり何してんだ!?」
ぼたぼたと髪から水を滴らせながら、メイサはニッコリと笑った。
「大丈夫よ、これならおばあさまにも、シャウラ様にも怒られないから――」
「はぁ? お前何言ってんだ」
「安心して。八歳になってまで
どんと胸を叩くと、ずぶ濡れのメイサは部屋を飛び出す。ルティは彼女の姿を見送りながら、これ以上開けないというくらいまで目を見開いて叫んだ。
「馬鹿か、ち、違うって! これは――――、おい、待て! 話聞けって!」
事の発端は、ルティが持ちだした氷室の氷だった。
アウストラリスの夏の暑さは厳しい。昼間は特にだ。
メイサは籠の鳥。外で遊ぶことなど許されず、ルティのように思うがままに水浴びもできず――もちろん、王都と違い、ここでそんなことをすればカーラの大目玉を食うのだが――黙って室内のムッとした暑さに耐えている。いや耐えているということにさえ気づかないのだ。
二人で汗びっしょりになって遊んだあと、暑さを和らげようとルティはふと思いついた。即断した彼は、家の地下にある氷室に忍び込み、氷を盗んできたのだ。
水にも増して貴重な氷だ。王子であるルティでも熱が出たときくらいにしか使わせてもらえない。もしカーラに見つかれば大目玉だとはわかっていた。だけど「きれい、冷たい!」と珍しい氷に目を輝かすメイサの笑顔には替えられなかった。
そしてメイサと二人で氷で遊んだあと、涼に呼び出された睡魔のため、氷を放置したまま昼寝をしてしまったのだった。
氷というものは当然溶ける。
眠る前は固体だったからだろうが、水がどこからやってきたのかをメイサはしっかり誤解してしまったようだった。
(あいつ、俺をガキ扱いしやがって)
まだまだ子供だが、おねしょをするほどの子供だと思われているのが屈辱だった。しかもかばって水をかぶるなど――――
「……馬鹿か」
つぶやいて呆れ果てるルティは、追っていった先で階下からの声を拾った。
「ごめんなさい。大事な水なのに、こぼしてしまったの」
「どうやったら頭からかぶるっていうの?」
「私、どじなの」
「いいえ。運動はできないけれど、あなたは賢いから、派手な失敗はしないように気をつけているでしょう」
「……」
見下ろすと、メイサは母に捕まっている。
ルティにはとことん冷たいが、メイサは可愛いのだろうか、態度が多少やわらかい。カーラに見つからなかったのは幸運だったとルティはほっとする。
母は侍従を呼び寄せてメイサの着替えを持ってくるように命じている。メイサは遠慮がちに言い出す。
「あの、私のだけでなくて、ルティも水をかぶってしまったので、着替えを……、ええと、あとシーツにも掛かってしまったので、それも」
「シーツ?」
メイサが気まずげにうつむく。何か必死でごまかしている顔をしていて、ルティは嫌な予感に眉を寄せた。
「ルティも、服が濡れたの。ふうん」
「あ、あの」
そこで母はにやり、と珍しく妙に嬉しそうな顔をした。
母の笑顔などほとんど見たことがなく、ルティは思わずぼうっとする。
「メイサ。かばうとルティのためにならないわよ」
「え、あの、違うんです! 本当に、ルティはおねしょとかしてなくて!」
「わかってるわよ。……なあんだ、生意気なあの子にも、子供らしい所あるんじゃないの」
母は確実に誤解している顔をしている。そして息子の弱みを握ったというような気味の悪い笑みを浮かべていた。
(ああ、最悪な展開じゃないか、もしかして)
これじゃあ叱られたほうがマシだ。ルティは頭を抱え込みたくなったが、母の前で必死でごまかし笑顔を浮かべている思い込みの強い従姉を見ていると、文句は飲み込まざるをえない。ここで真実を語れば、彼女の行為が無駄になってしまう。
「……ああ、もうしかたないな……」
翌日、熱を出したメイサのために、ルティは再び氷室に忍び込んだ。彼女は額に乗せられた氷に気持よさそうにしていたが、熱に溶けて水になる氷にも、真相には気づかないままで、彼を落胆させることとなる。
そして、この時の誤解は十年以上継続してしまい、事あるごとに持ち出されるのだが、その時の彼には知る由もない。
《了》