初めての贈り物
ルティ九歳、ヨルゴス十四歳の頃のお話です。
(本編序盤のメイサの回想と少し絡みます)
アウストラリス王宮の高い城壁の内側には、王子が生まれる度に建てられた尖塔が聳え立っている。その数は全部で十一だった。南の王の塔から円を描くように順に建てられたため、北に行くに連れて年若い王子が住まうことになっていた。
十四歳の第十王子ヨルゴスと九歳の第十一王子ルティリクスが北の奥の塔を与えられていた。二つの塔の間には小さな中庭があり、比較的歳の近い王子たちが共に遊ぶ場所となっている。
今日も庭では二人の王子が共に――というと確実に語弊があるような気がするが――その場所で遊んでいた。
今年二十となるヴェネディクトは、王子ヨルゴスの側近を勤めている。
ヨルゴスは銀髪に褐色の瞳を持つ、麗しい少年だ。大人しい外見を裏切らず手がかからない王子なのだが、その分活発ではなく、剣を振るうよりも部屋で書物を読むのを好んだ。必要最低限の稽古しかせず、保身術を身につけるに止まっている。
剣の師としても役目を与えられている身としては物足りなさがあった。
だが、その代わりに、余った時間を使ってなぜかもう一人の赤髪の王子――ルティリクスの相手を務めていたりする。筋が良く、向上心がある彼の相手は楽しいため、時間を忘れて稽古を付ける事も多かった。
「もう一本!」
そう言ってがむしゃらにつっかかってくる王子の剣をあしらうと、ヴェネディクトはヨルゴスをちらりと見る。すると、ヨルゴスが意味ありげな視線をこちらに向けた。穏やかな顔をしているが、目が笑っていない。『おまえは誰の側近だったかな?』とでも言いそうで――つまり不機嫌である。熱中し過ぎた事を悔やんだヴェネディクトは赤い髪にぽんと手を乗せると言った。
「そろそろ休憩しましょう。お茶を淹れてきます」
部屋の隅でお茶を淹れる。茶葉が開くのを待ちきれず、二人の王子は椅子に腰掛けて歓談しはじめていた。
「なあ、ヨルゴス」
「なんだい、ルティ」
赤髪の王子は僅かに躊躇ったあと、「女って、どんな物を貰ったら喜ぶのか知ってるか?」と尋ねた。
ヴェネディクトは思わず耳をそばだてる。あの、剣の稽古ばかりに熱心なルティリクス王子の口から『女』という言葉が出るのがとても新鮮だったのだ。
「好きな女の子でも出来たのかい? だれ?」
ヨルゴスも興味深そうな顔で年下の王子の顔を覗き込んでいる。
「そんなんじゃない。ただ……そいつ、いつも閉じこもってて、どこにも行けないから、今度何か土産を持って行ってやりたいって思っててさ」
「ふうん」
ヨルゴスは猫のような目を細める。それを見ていたヴェネディクトは微かな寒気を感じる。この賢い主人は、何か企んでいるときにはこういった顔をするのだ。
小さな王子はその様子にも気づかずに「何がいいか、わかるか? おまえなら知ってるだろ?」と尋ねている。
「どこの土産?」
尋ねられると、ルティリクス王子は困惑を顔に出した。
「あー……ええと、誰にも言うなよ?」
「もちろん言わないよ?」
にこやかに主人は笑った。鵜呑みにしてはいけません――とヴェネディクトは思ったが、こちらに目をやったヨルゴスの顔が『黙っていてね?』と言っている。とても口を挟める雰囲気ではない。
ルティリクス王子はヴェネディクトの心中も知らずに答えた。
「ジョイアの土産。今度こっそり行こうかなって思っててさ。ほら、ムフリッドからだと案外近い」
壁に貼ってある古い地図をルティリクス王子は指差した。
「何しにいくんだ?」
「んー? 観光」
嘘が下手だなとヴェネディクトは思うが、何となく事情は噂話で聞いている。心を煩っている現王の想い人の件なのだろうか。主人も、思いついた事はヴェネディクトと同じなのだろう。それ以上の詮索はせずに贈り物について助言を述べた。
「僕だったら、そうだな。向こうにしか居ない生き物が嬉しいな」
「ジョイアにしか居ない生き物?」
ルティリクス王子は顔を輝かせて主人に詳細をねだった。主人は立ち上がると、壁の本棚から辞典を取り出した。
ヴェネディクトが主人の珍しい親切に驚いた次の瞬間、
「たとえば――蛙とか。うん、もしそんな物貰えたら、すごく嬉しいよ」
彼の主人は天使のような笑みを浮かべてそう言った。
(か、蛙!?)
ヴェネディクトの瞼の裏にはその姿が一気に蘇る。古い標本が、引き出しに無造作につっこんであったのを見たことがあったのだ。
ヴェネディクトにはわかった。
(殿下。先ほどの仕返しなら、もっと害のない方法を取られた方がよろしいかと思いますけれど!)
これは、つまり、自分の臣下を占領した年下王子に嫌がらせだ。まだ幼いというのに――そのやり口はたいへんえげつない。
主人の将来を憂うヴェネディクトの前で、ルティリクス王子は「そうか、かえるか」と頷いている。
「あ、あの」
女の子への贈り物に蛙はどうかと――とヴェネディクトは声をかけようとしたが、主人がにこやかにさえぎった。口元が柔らかい曲線を描いた完璧な笑みのに、その目だけはやはり、笑っていない。
「ああ、ヴェネディクト。随分ゆっくりだね。――お茶はまだ?」
別の王子にかまけて主人が誰かを忘れた罪。――ヴェネディクトは主人の怒りの矛先が、今度は自分に向くのを感じて息を呑む。
* * *
「…………っ……こ、こんなところにあったの……」
悲鳴を呑み込んだメイサは、箱の中から干涸びた物体を取り出した。いや、手に入れてからもう十年以上の月日が経ち、原形を全くとどめていないから元が何かは誰にもわからないだろう。
「なんだそれは」
後ろから覗き込んだルティも顔をしかめて「ゴミを取っておくつもりか?」と怪訝そうな顔をしている。
(もっとちゃんとした保存方法がわかっていればね。さすがにこれだけ時間が経つともう復元は無理……いえ、でも……復元はしない方がいいかもしれないわね)
そう思いながら、
「ゴミじゃないのよ、これは宝物」
怪訝そうなルティに、メイサはくすりと笑う。
最初に彼にこれを貰ったときは、思わず突き返した。だけど、せっかくの贈り物。捨てるには忍びなく、きちんと箱に閉まっていたのだ。
たとえ苦手でも、これはルティから初めて貰った贈り物。その価値はおそらくメイサにしかわからないだろう。
(でも、それでいいの)
メイサは黒ずんだ塊を白い布に包むと、再び木箱に仕舞う。
そして衣装棚の一番上――思い出の品を置く場所だ――に、他の贈り物と共にそっと並べた。
《終》
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2014.05.05