恋文

5/23日は恋文の日だそうです。


 セバスティアンはぜいぜいと息を上げて、今日何度目かわからない伝達に走っていた。
(五往復? 六だっけ――ああ、もうどうでもいい! まず、どうしてこんな高いところに住もうと思われるんですかねえええ。どうしてこんなところで寝込まれるんですかねえええ)
 セバスティアンの主人、王太子ルティリクス殿下は与えられた塔の最上階を好んで利用している。
 そして塔の二階には王太子妃のメイサが住んでいる――はずなのだが、諸事情で別棟に引っ越している。それは王妃の住む塔の二階なのだが、ルティリクスの住む塔から結構な距離があった。
 そして、諸事情というのは――
 セバスティアンはたどり着くなり入り口にいた女性に問う。
「生まれましたか?」
「まだよ」
 表にいた女官のルイザがそっけなく答えた。彼女はセバスティアンの恋人であるが、今日は殺気立っているので、万が一空気を読まずにとぼけたことを言おうものならば、あっさりと別れを切り出されそうだ。ルイザは主人のメイサが命よりも大事で、セバスティアンは二の次であった。仕事熱心なところが好きなのだから、文句は言えないが、恋のライバルにするにはメイサは手ごわすぎる。セバスティアンの屈託の一つである。
「殿下は? まだ・・貧血で寝込んでらっしゃるの?」
 じっとりと上目遣いで見上げられ、セバスティアンは頭を掻いた。
「あー……その冷たい目はやめてあげてくださいよお。殿下なりに一所懸命なんですからー」
「いくらなんでもできる方でもね、やっぱり男性であられるし今回は出る幕ではないの。最初から女に任せておいてくだされば余計な仕事が増えなかったのよ、私も、あなたもね」
 ほら、出しなさい。とルイザがセバスティアンに手を差し出した。
 セバスティアンは懐に入れていた巻紙の筒を手渡す。一枚の長い紙に、ルティリクスとメイサが交互に文を書き綴っているのだ。
 不意に部屋の中から悲鳴に似た声が上がり、セバスティアンは飛び上がった。ひどく苦しそうで、恐ろしいのだ。そして何よりきついのが、何もできないこと。これほど無力感を感じることもないだろう。主人が気分が悪くなる気持ちが痛いほどわかる。
「メイサ様、これ、読む余裕あるんですか?」
「私も未経験だからよくは知らないけど……陣痛って平気なときは本当に平気らしいのよね。痛みに苦しまれてるかと思ったら、次の瞬間にはケロッとされてる。ご自分で読まれてるわよ。勇気づけられてる……かどうかはちょっとわからないけれど」
 ルイザがわずかに興味深そうに手紙を見下ろす。それを見てセバスティアンは便乗したくなった。
「俺、殿下が手紙を書くところとか見たことないんで――」
「読んだら殺されると思うわよ」
 ルイザが遮った。それもそうだとセバスティアンは震えると、部屋に入っていくルイザの背中を見つめた。

「じゃあ、これお願いね」
 しばらくして、返信が書き込まれた紙を再びルイザから受け取ると、セバスティアンはルティリクスの塔へと向かった。そしてとぼとぼとそびえ立つ階段を登り始める。
「あー……なんで上まで登っちゃったんですかー、下で倒れられてたら届けるのも楽だったのに……」
 主人は出産に立ち会おうとしたものの、迷惑にも途中で体調を崩したのだ。そして邪魔だと女達に部屋まで押しやられた。気丈にも自力で部屋まで戻ったものの、とたん力尽きたのだった。
 ぶつぶつと何度目かわからない愚痴をこぼしながら、セバスティアンはため息をつく。
 と、限界を訴えた足が上がりきらずに、よろける。階段の角ですねを強打する。
「うああああやってられない!」
 思わず叫んだセバスティアンは、懐から手紙がこぼれ、階段を転げ落ちるのを見てぎょっとした。
「あああああ! 待って!」
 泣きたくなりながら追いかけるが、手紙は階段を転がり落ち続けた。
 そして――セバスティアンが追いついた時には、綺麗に巻いてあった紙が解けて広がってしまっていた。
 慌てて拾うが、見慣れた主人の筆跡に目が釘付けになった。
 主人の筆跡は、少しだけ癖があるが、大きく、のびのびとしている。だから余計に目に入りやすいのだ。
 読んだのは一行だけだった。
 だけど、セバスティアンはひどい罪悪感と共に頬が緩むのが止められない。
 辺りを見回すとすごい勢いで巻き直す。

(死ぬな。お前がいない世界など、生きていてもしょうがない――か)

 メイサはどのように返したのだろうと気になったが、それを知ってしまえば、おそらく顔が緩むのを止められないだろう。つまり首が飛ぶ。

 セバスティアンは必死で好奇心を押さえつけながら、階段を登る。
 主人の分までメイサの無事を祈りながら。

 《終》


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2014.05.23