年上妻の憂鬱

共通の後日談からのこぼれ話。シェリアの悩みごとを聞くメイサの心中。


 中庭で女性の悲鳴が上がったのは、一昨日のことだった。

 同日、シェリアがヨルゴスの寝室に突撃した。簡単に言うと、いつまでも手を出してくれない婚約者に業を煮やしたと言ったところだろうか。とても彼女らしい行動にメイサも喜んで協力したし、ルティはルティである種の企み――例によって政治がらみだ――からメイサの行動を容認した。
 だが寝室に入るなり形勢は逆転したらしく、階下から聞こえて来る悲鳴に似た声にメイサは驚いて駆けつけようとした。だが、ルティに、お前もにたような声を出している、邪魔するなと止められたのだ。
 だとしても、『やめて』という声が何度も聞こえるのは尋常ではないと思ったのだが……個人ヨルゴスの嗜好の問題だと切って捨てられた。
 今夜も聞こえるようならばルティがなんと言おうと様子を見に行こうと決めていたのだが、その必要はなかった。今日になってシェリアの方からやって来たのだ。
 服の破れ目を握りつぶして、今にも泣きそうな顔で。

 とりあえず風呂を借りたいという彼女の気持ちは分かったので、すぐに案内させた。その間、服を直させ、少しでも気持ちが落ち着くようにと食事を用意させた。彼女の好物である米を使った料理だ。
 それらを口にすると真っ白だった顔に少し色が差し、メイサはほっとする。だが、シェリアの白い首筋に薄くではあるが噛み痕に似た痣を見つけ、ぎょっとした。
「……殿下ってお優しい方だと思っていたのだけれど」
 思わずこぼすとシェリアは眉を下げる。いつもの強気な表情が翳っている。彼女がこうなるまで、ヨルゴスは一体何をしたというのだろうか。メイサの知っている穏やかな彼との差異に酷く驚く。そして当事者であるシェリアはもっと驚いたのだろう。
 叱られて尻尾を垂れた子犬にも見えて、メイサはシェリアを抱きしめたくなる。
「王太子殿下は……お優しいのよね?」
 深刻な顔をして答えを待つシェリアに、メイサもさすがに気の毒になった。
 シェリアはメイサのような特殊な教育を受けていない。知っていても戸惑う事が多かったのだ。知識がなければより不安だろうと思った。
「…………あの人はね、体力の続く限りって感じだから」
 いつもはそういった話は控えている。王宮では壁に耳があるのだ。どこで誰が聞いているか分からない。声を僅かにひそめて言うと、
「そ、そうなの?」
 シェリアは目を丸くする。メイサだって驚いたものだ。一晩に一回が普通だと思っていたのに、寝る間も惜しんで挑んで来るなど誰が想像するだろうか。
「今は新婚だから。どこの夫婦もそんなものだと思って諦めてるわ。でも、そのうち落ち着くと思う。さすがに飽きると思うし、いつまでも若いわけじゃないし」
 そうであって欲しいと願うものの、身近に特殊な例がいた事を思い出す。
「スピカと皇子様を見てるとちょっと不安になったりするけれどね」
 相変わらず盛っている様子の皇子を思い浮かべると苦笑いが出る。だが、彼らの場合は、間に妊娠期間が二年近くもあったから話は別のはずだと自分に言い聞かせる。
(あの夫婦みたいに、私が妊娠すれば、さすがのルティも我慢すると思うんだけれど……こればっかりはねぇ)
 なぜか未だに律儀に避妊をしている夫を思い出して溜息が出た。子供が欲しくないのだろうか。メイサは早いうちに欲しいと思っているのだけれど。
 なんといっても年上の妻である。早々に王子を産めなければ、歳を理由に若い側室をと国民に望まれてもおかしくない。
 アウストラリスでは王の子が王位を継ぐと決まってはいない。
 だが、現在いる王家の血を引く王位継承権を持つ王子は、ほとんどが失脚したアステリオンの子で、しかも妾腹の子だ。そのため、次代の事を案じた王妃シャウラが口うるさくなるのはメイサにも分からないでもない。王は幼い頃から相応しい教育を受けるべきだとアステリオンを含めた他の王子とルティを見比べて思うからだ。
 もちろんそれだけではなく、野心の強いシャウラはルティの子を王位に就けたがっている。シトゥラのさらなる繁栄を望んでいる。
 だからこそ――これはシェリアには言えないが――優れた王子であるヨルゴスの結婚が気になって仕方がないのだ。
 このところ、シャウラは顔を見ればさっさと子供を作りなさいとルティに言い聞かせているが、彼は優秀な人間が継げばいいと世襲に興味がない。まるで無視だ。
 となると矛先がメイサに向くのも当然で。――既に『なんとかしなさい。方法は任せるから』と命を受けているのだ。
 一応シャウラとメイサの利害は一致しているから、メイサも説得を試みてはいるのだが……頑固者の夫は行為には積極的なくせに肝心の子づくりには非協力的だ。隙がない。
(あの時は、子供が欲しいみたいな事言ってたくせに……ほんと勝手なんだから)
 ふとメイサはある一夜を思い出す。隙のない夫が隙だらけになる瞬間を実はよく知っている気がしたのだ。
(ああ、もしも口で説得出来なかったら、その手を使うしかないかしら?)
 酒を利用して――と考えついたとたん、メイサは別の事にも思い当たり、シェリアに対して急に申し訳ない気持ちになった。
(……もしかしたら、私のした助言のせいかもしれないわ)
 初夜の前、シェリアがヨルゴスに追い出されないためにはどうすればいいかと問うので、酒を飲ませて押し倒す方法を伝授したのだ。
 メイサが昔ルティに使った手だった。といっても、彼が泥酔している時を狙っただけで、わざわざ飲ませたわけではないのだが。
 ヨルゴスも酔ったために加減が出来なかっただけなのかもしれない。だとしたら、シェリアが悩んでいるのはメイサのせいだ。
(ああ、これだからルティに馬鹿とか言われちゃうのよね)
 余計な事をしてしまった――そう思い当たったメイサは、にわかに慌てた。もし彼らの関係がメイサの助言のせいで悪くなったら、申し訳ないどころではない。彼らの結婚には国の政策がかかっているのだ。
 と、そのとき、入室してきた女官がヨルゴスがシェリアを探していると申し出た。外を見るともう日が暮れている。会議が終わる時刻だった。
 夜の闇に怯むシェリアだったが、メイサは励ます。
「まずは二人で話し合って。――もし駄目だったらまた相談して」
 祈るような気持ちだった。

 

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2012.10.30
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