第一章
1.再会と頭痛の種 01

 灰色の痩せた大地に、赤い髪を靡かせて飄々と立つその姿に、私はいつも目を奪われた。
 ちょっと意地悪だけど、優しい少年だった――少なくとも五年前のあの日までは。

* * *

 外では砂埃が舞っていた。窓を開けると、風が柔らかく吹き込む。赤く長い髪がひらららと廊下を舞い視界を遮る。風が止み、しかし、視界には一点の赤が残った。その赤は、日の光を受け、まるで ほむら のように鮮やかに揺らめいている。
 赤――それはこのアウストラリスを象徴する高貴な色。その色を身に持って産まれた彼の人は生まれながらに王者の風格を持っているのではと、彼女は昔から思っていた。
(なんて綺麗な色)
 彼女の髪はあの赤と同じ色のはずだった。しかし今見ているあの赤は、全く別物のように鮮やかだ。しばしその赤にみとれ、彼女は後ろからの足音に気が付くのが遅れた。
「またこんなところでぼうっとして。部屋にお入り。誰かに見られたらどうするつもりだ」
「…………少し風に当たっていただけでしょう。それにこんな田舎なんだから、誰にも見られやしないわ」
 女は年老いた老婆に向き直る。
「生意気を言うようになったものだ。とんと役に立たないくせに、口だけは達者に育って」
 女はその聞き慣れた皮肉をさらりとかわすと、老婆の隣を横切り自室へと向かった。
 そうして老婆の足音が部屋の前を通り過ぎたのを確認し、部屋の扉をそっと開く。階段の端に身を寄せて階下を覗き込むと、老婆が侍従の頭に言葉を投げかけているところだった。

『あれはまだか』
『はっ。先駆けの馬が先ほど到着いたしまして、昨日ジョイアとの国境を越えられ、ムフリッドにはすでにはいられておられるとのこと。あと半刻ほど後に本家にご到着です』
『もてなしの準備はすんでいるのだろうな』
『抜かりありませぬ。……ただ、女を揃えておけとのことで』
『は、そうか。そうだったの。歳を取ると忘れっぽくてならぬな。分家に連絡して明日までに揃えよと』
『御意』

 女は盗み聞いた台詞に目を見開く。
(女? ……おんな、って、どういう意味?)

『――メイサはどこに?』
 浮かび上がる疑問を必死で押さえていた彼女は、突然自分の名を呼ばれてびくりと肩を震わせる。老婆に話しかける声の主はどうやら〈叔父〉だ。
『自室で休んでおる。また勝手に部屋を出て外を見ていたぞ。あれが久々に アウストラリス に戻るというのは知っておろうに、その事で人目が多いのも思いつかぬらしいの』
『申し訳ありません』
『あまり勝手をさせるな。大体〈クレイル〉は当主一人で良いのだ。――〈スピカ〉が手に入れば……』
『母上!』
『母と呼ぶな』
『カーラ様』
 カーラはうんざりとため息をついた。
『――分かっておる。その時は宮廷に女官としてでも仕えさせれば良い。それか、分家のもののように……』
『それは――あんまりだ。母上!』
『何度も言わせるな。母と呼ぶな。お前もよく知っているだろう、シトゥラは逼迫しておる。生きていきたいのであれば、食い扶持くらいは自分で稼いでもらわねばな』
 言葉を詰まらせる叔父を老いた声がさらに追いつめていた。

 メイサ。メイサ=シトゥラ。それが女の名だった。
 本来ならば、五年前――十六の歳に〈クレイル〉の名を継いで、メイサ=クレイル=シトゥラとなるはずだった。
(だけど……)
 クレイルの意味は、〈光を継ぐもの〉。メイサは、シトゥラ本家直系の娘。これ以上無いくらいの血筋を持ち、その〈光〉である〈力〉を持つシトゥラの後継者として、産まれた時からシトゥラの隠し姫として大事にされてきた。
 それが崩れはじめたのは――十年前のこと。あの時から、輝かしかったはずのメイサの未来に影が差し、そしてその光は〈スピカ〉に向けられはじめた。

* * *

 部屋に戻り、壁に手を当ててひっそりと目を瞑ると、鮮やかな映像が瞼の裏に浮かび上がる。その記憶は、十年経っても色褪せる事が無かった。

 薄暗く光を遮られた部屋には二つの影がある。時折カーテンの隙間から差し込む光が二人の髪の毛に丸い光の輪を作った。
「ほら。土産だ」
 あどけない顔立ちをした少年は、小さく笑うと箱を取り出した。
「なぁに?」
 少女はおどおどと手を差し伸ばし、箱を受け取った。そして箱のふたを開けて、思わず悲鳴を上げる。
「きゃあっ」
「メイサ、お前見た事無いだろ? これ。ジョイアには、うじょうじょいたんだぜ」
「サ、サイアクっ!」
 メイサと呼ばれた少女は箱ごと少年に向かって投げつけた。そこに入っていたものは――。
「ほら、〈蛙〉っていうらしいぜ――あ、……死んでる」
 しかも少し干涸びていた。
 少年は心底がっかりした様子で、箱から〈蛙〉の死骸を取り出すと、足を掴んでプラプラと振ってみせる。
「ぎゃああ! や、やめなさあいい!」
 メイサは初めて見るそのぐにょぐにょした物体にただ驚き戸惑う。
「ちえ、アウストラリスでは滅多に見ない水辺の生き物なんだぜ? ぴょんぴょん跳ねて、妙な声で鳴くんだ。退屈だろうから持ってきてやったのにさ」
「も、もっとましなもの……っ」
 目の前で揺れるその物体を見ながら、メイサはあわあわと口を動かした。つい最近十一の誕生日を迎えたばかりの彼女は、昔からこういう物体が苦手で、未だそれを克服するどころか、余計に嫌いになっていた。
(だ、だめ、わたし、そういう柔らかい生き物は!)
 彼は言葉を失う少女のその様子を見てがっかりしている。彼にとっては、本気で宝物だったらしい。その行動は……あまりに〈男の子〉だった。メイサよりもさらに一つ幼い少年に、それ以上の事を求めるのが酷というものなのかもしれない。
 メイサは少年が箱に蛙を仕舞うのを見てようやく大きく息を吸う。
(悪気は無いのよ、この子も)
 そう自分に言い聞かせて、心を落ち着かせた。そしてようやくさっき彼が言った言葉を気にかけた。
「……ジョイアって?」
「そう。ジョイアだ。ジョイアに行ってきた」
「なんで?」
「ああ、ちょっとね」
「ちょっとって距離じゃないでしょ? 隣の国よ? 誰と行ったの? 何かの公務?」
 末ではあるけれども、 一応 ・・ この国――アウストラリスの王子である彼ならば、有り得ない話でもない。そして彼がそういう役目に就くという事はシトゥラにとっては良い話のはず。
「――まさか」
 しかし彼はあっさりと否定すると、にやりと笑った。
「俺が公務って柄かよ。一人で母上の恋敵を見に行ったんだ」
「……な、んでまた」
 メイサは絶句しかけた。一人? そんな無謀な――
「気になってたんだよ。あの母上にそっくりなんだろ? その〈ラナ〉って女は。その上、父上を狂わせたマショウのオンナだってみんな言ってる」
 茶化して言う割に、彼の瞳には影があった。それを見て、メイサには彼の行動の理由が痛いほど分かる。――ひょっとしたら、父王のために? ひいては母のために?
 幼いくせに、彼は物事の本質を良く見抜いているところがあった。そしてすぐに行動に移す実行力がまた、彼の将来を否応無しに期待させる。二人の祖母であり、当主であるカーラも彼のこの天賦のものには期待をかけていた。本来ならばそれらはメイサが背負うはずのもの。彼女が使えない分、余計にだった。彼は幼い背中にシトゥラ家を背負っていた。彼が歳の割に大人びた思考をするのはきっとそのせいだ。
 観察するメイサの前で少年は目を輝かせる。
「聞けよ。ラナはもう死んでてさ、見つからなかったんだ。だけどさ、〈蛙〉以外にもすごいものを見つけてさ。――ババアに言ったら、目の色変えてた」
「ババアはやめなさいよ。 お祖母 カーラ さまに怒られるわよ? で、なにを見つけたの?」
「五歳くらいかな――ガキ二人」
 ガキって、私たちもでしょうとメイサは少し可笑しくなったけれど、黙って続きを待つ。
「ラナの娘と、闇の家の子供だ」
「ラナ……の?」
「お前、これで外に出られるかもしれないぞ?」
 彼はやけに嬉しそうにそういったけれど、メイサはその言葉に打ちのめされるような気がした。
(つまり……それは)
 ラナ――それは、カーラの跡を継ぐはずだった娘の名。未だにカーラが惜しがる〈クレイル〉となるはずだった娘の名だった。彼女はシトゥラを捨て、〈クレイル〉を命がけで拒み、その身を一人の男に投じたと聞く。――そのラナの娘となると、もしかしたら。
「お前、クレイルじゃなくなれば、ババアから解放されて、もっと自由に外で遊んだりできるんだろ? そのチビを連れてきて、全部押し付けちまえばいいんだよ。俺が攫ってきてやるからさ」
 いたずらを提案するような軽い調子で少年はメイサに言った。まるで蛙を捕まえてきてやるって言うくらいの気軽さで。
(ちがう、ちがうの。私が隠されてるのは……)
 彼は勘違いしているようだった。確かに本来ならばそういった理由でクレイルは正体を隠されるのかもしれない。しかし、メイサが隠され始めたのは、クレイルを継ぐからではない。クレイルを継げないかもしれないからなのだ。
(もし、新しく継ぐものが現れれば――)
「ねえ、その子のこと……おばあさまは何か言っていた?」
「ああ? ラナの力を継いでいるかもしれぬとかなんとか……」
 少年は重い雰囲気を感じ取ったのか、途中で口をつぐむ。
「……そう」
 メイサが、見た事も無いその少女の存在を脅威に感じ始めたのは、まさにこの時のことだった。

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2010.04.04