1.再会と頭痛の種 02
 メイサは眠る事が出来ず、ひっそりと星を眺めに中庭に面したテラスに出ようとしていた。そして客室の前を通るときに、なぜ眠れなかったのかはっきりと自覚する。この部屋に居るのは誰かなど、分かり切っていたのに。どうしてここを通ってしまったのだろう。――それは……
 昼間の事を思い出して、大きくため息をつく。
 五年前、最後に見た時は同じくらいの背丈だった少年は、見上げるほどの背丈に成長していた。筋肉質ではあったけれど細かった体は、服の上からでもその力強さを訴えて来る。日に焼けた頬に昔のような柔らかさは見当たらず、眼差しは鋭い。それなのに口元に浮かべた笑みだけは酷く甘かった。彼女の覚えている少年の面影は一つも見当たらない。同じなのは髪の赤さと、瞳の色だけ。別人のような気さえした。
 メイサはそれでも彼から目を離す事が出来なかった。彼は――あまりにも美しく、魅惑的だった。思わず謝られる前に許してしまいそうなほどに。
 それなのに、彼はメイサを見なかった。体を固くして構えたメイサの前を素通りして、案内を買って出た侍女たちに魅惑的な笑顔を向けると、それぞれの耳元で何かを囁いた。彼女たちは瞬く間に赤くなる。そして、各々と何か言葉を交わしたあと、そのまま彼は当主の部屋へと消えて行った。
 彼はメイサの事を居ないもののように振る舞った。彼との対面を、怯えながらも待ち構えていた彼女が馬鹿みたいだった。彼は〈あのこと〉どころか、メイサ自体を忘れ去っていたかに見えた。
 メイサは自嘲気味に笑う。あれでどれだけの衝撃を受けたか覚えていたはずだったのに。また同じ失敗を犯そうとしている自分は、やっぱり馬鹿なのかもしれない。
 小さな溜息とともに踵を返そうとした時、
「――あぁ、っ……で、んか、」
 突如扉の向こうで女の嬌声上がった。
 メイサは一気に現実に引き戻される。息を呑む。何かの聞き間違えかと思った。けれど、今呼ばれたのは。この屋敷で今、その肩書きを持つ人間をメイサは一人しか知らなかった。
(殿下って……ルティ?)
 ――ルティリクス。それはメイサの幼馴染にして従弟でもある、王子のことだった。


「メイサ様」
 侍女が呼びかける声で目が覚めた。
「なあに? ルイザ……もうそんな時間かしら?」
「カーラ様がお呼びです」
 メイサは億劫に思いながらベッドから抜け出す。昨晩は全く眠る事が出来なくて、睡魔が訪れたのは明け方近くになってから。体がだるくて仕方が無かった。視界の端で光が散らつく。首筋が強ばり、目の奥が重い。頭痛の前兆だった。
「本日はどのお召し物にされますか?」
 そう言うルイザの声が妙に耳に残る。なぜだろうとメイサは考えようとするけれど、頭がぼんやりして駄目だった。彼女はもともと朝に弱いのだ。
 このルイザはメイサが15のとき、シトゥラ分家からやって来た娘だった。メイサより三つ年上の彼女は、早々に〈役立たず〉に分類されてしまった哀れな娘。そういった娘はこうして侍女として仕える事もあった。シトゥラはもともと滅多に外部から人を雇わない。その体質は昔ほどではないけれど、家の守るべき秘密を考えると当然でもあった。
 シトゥラが何によって力を保っているか――それを知るのは、一族と国の中枢に居る人間だけ。外部の人間はこの家が未だに北部の〈鉱山〉で力を保っていると思っているはずだった。もう何十年も前に枯れてしまった鉱山だというのに。
「メイサ様?」
 再び問われてメイサははっとした。
「……何でもいいわ。適当に見繕ってちょうだい」
 ルイザは鼻歌を歌いながら衣装を選んで行く。鼻歌が耳障りだ。寝起きの悪さも手伝ってうんざりする。絹の光沢など、光の下に行かねば分からない。綿を着ていようと麻を着ていようと何も変わらない気がした。まず、自分の不健康な青白い肌には何を着ても似合わないし、万が一似合ってもそれを褒めてくれる人間がいなければ空しいだけだった。
「お祖母さまが何の話?」
「さぁ……でもルティリクス殿下と昨夜遅くまで話されていたそうなので……その件かもしれません」
 その名を聞いて、ひどく心が重くなるのを感じた。昨晩、聞き間違えだと自分に何度も言い聞かせたそのことが一気に蘇るけれど、頭を振ってそれを追い払う。――そう、あれは聞き間違えに決まっている。
(それにしても……)
 そんな話は知らなかった。知っていれば、盗み聞きをしたのに。
(私はいつものけ者だわ)
 昔からそうだった。この家では娘は知る事を禁じられる。ただ、使命だけを言い渡され、それを信じて疑わないように。でもメイサは無知は恐ろしい事だとよく知っていた。それは皮肉にも昔その〈ルティ〉に言われていたからで。だからこそ、情報を得る手段を探した。そうして手を尽くした結果、メイサの部屋はカーラの部屋の真上だった。
 昔に心を飛ばしかけたけれど、ルイザが目の前にドレスを置き、気が逸れる。ルイザは妙に嬉しそうな顔をしていた。
「ルイザ、あなた何かいい事があったの?」
 ルイザはその言葉に少し体を強ばらせて、顔を引き締める。
「いいえ?」
「そう」
 不思議に思いながら、こめかみを揉む。どうも頭痛が酷くなってきているようだった。
「ルイザ、薬をちょうだい、いつものヤツ」


 当主の部屋は屋敷の一番奥まった場所にあった。メイサはこの場所が嫌いだった。窓も無く光が全く射さない、その部屋の闇の濃さは恐怖でしかない。
 落ち着かなくて、壁にかけてある王の肖像を見る。一色で描き上げられたその肖像は昨夜から夢に現れ続けている男と同じ顔をしているように見えた。
「――おぬし、王宮にて女官になるつもりは無いか」
 カーラは沈黙を破るなり、突如そう言った。
(女官)
 その言葉に体が強ばるのを止められない。それはつまり――
「私はもうこの家には必要ないという事ですか」
 声が震える。
「そうは言っておらぬ。ただ、おぬしもルイザのようになるのは嫌であろう?」
「――――」
「ルイザのように本物の〈役立たず〉にはなりたくなかろう」
 カーラは敢えてはっきり言い直した。
「私は――」
 全くの役立たずではない、役に立たせてくれないのはおばあ様で――そう否定しようとした時、カーラはにやりと笑う。
「〈スピカ〉が手に入りそうだと、ルティリクスが言ってきたのだよ」
「――え?」
 久々に聞く恐ろしい名だった。体だけでなく、頭まで一気に強ばり、思考が停止する。
「かの国の后妃が怪しげな動きをしているとな。あの女、前后妃を殺しただけでは飽き足らず、あの〈闇の皇子〉までもを殺そうとしているらしい。まだ毒薬を隠し持っているはずだしの、万が一を考え、ルティには解毒薬を渡しておいた」
「で、でも――」
「万が一の場合は、それを利用する。いっそこちらから煽っても良いかもしれぬ。彼の皇子は宮に囲われて手が出せぬからな。まずは〈スピカ〉と出会わせねばなるまい? そうして二人纏めて攫って、お前たちのようにしても良いが……やはり未だ皇子なのが面倒でな。ジョイア帝の彼の皇子への執着は有名な話だ。それを考えると、そう簡単に行くまい。もう王位継承の試しまで半年ほどしか無いしのう、〈スピカ〉だけ攫えば良いとわしは言ったが……このまま時期を待つ方が得策だとあれが強く言うものでな」
「ルティが?」
「〈スピカ〉の〈儀式〉を嫌がっている節があった。確かにあれをやると壊れる娘も多いしの。既に情が移っておるのかもしれぬな」
「……」
 メイサは知らずぎりと歯を噛み締める。
「まあ、あれの読みが外れた事はない。〈最善〉が得られるのならばその方が良い。どうせ責任を取るのもあやつだしの。任せる事にした」
「それで、……いつ」
 ようやく掠れた声が出る。すでに喉がからからだった。
 そして返ってきた言葉に、メイサの口は完全に閉ざされた。
「そうよの。時間を考えれば早い方が良いに決まっておる。半年のうちに結果は出るだろう。すでに宮中の侍女を籠絡済み・・・・と言っておったしの。相変わらず手回しの良い事だ」

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2010.04.10
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