終章 金の大地 焔色の星

 メイサの誘拐騒ぎが一段落して、数日が経った朝のこと。ルティとメイサは二人連れ添って報告のためにシャウラの部屋を訪ねていた。
「母上、具合はどうだ」
 シャウラは肘掛け椅子に深く腰掛けて二人を迎えた。寝間着の上にショールを羽織っただけの恰好。いつもきちんとしている彼女には似合わない。
 朝ではあったけれど、昨晩伺いを立て、約束はすんでいたのに珍しい事だった。先日まで寝込んでいたのだ、まだ調子が悪いのかもしれないと心配になってメイサは問う。
「シャウラさま、もう起きられても大丈夫なのでしょうか?」
 大きな体の後ろからひょっこり現れたメイサを見て、シャウラは目を丸くした。
「……二人一緒って、どういう風の吹き回し?」
「今日は報告することがたくさんある。母上の体調が戻り次第と考えていたが、少しバタバタすることになってな」
「バタバタって?」
「それは最後に話す。──まず、メイサが攫われた事は聞いたな?」
「ああ、その話ね」
 シャウラは一瞬おや?という顔をした後、神妙な顔になる。
「それで、アルゴルは? 亡くなったって聞いたけれど、どういうこと? あなたが斬ったの?」
 ルティは固い表情で、首を横に振った。
「メイサと一緒にオアシスで溺れたんだ。俺は一人助けるのが精一杯だった。アルゴルは息を吹き返さなかった」
 淡々と説明するルティの隣で、メイサも隣で真面目な顔をして頷いた。ルティはメイサの様子をちらりと見ると、反応を確認して微かに頷いた。
「そう……」
 シャウラは冷たい顔をして頷く。「哀れな末路ね。それにしてもそんな野心があったなんて全く気が付かなかったわ」
「西部の貧困は北部と同じだ。だから、いろいろ思うところがあったんだろう。油断していた俺たちも悪かった。脇が甘いと気づかせてくれた事には感謝したい」
「へえ。政敵相手に、妙に寛大じゃないの。まあ、死んだのなら断罪のしようもないけれど」
 シャウラが眉を上げるのを見て、メイサは肝を冷やす。彼女に隠し事など、心臓に悪い事はもう二度としたくないと願う。けれど、彼らの幸せを考え、そして遺恨を残さない為には最善の策だとメイサはルティと話し合って、そして納得したのだ。
 ルティはさすがにシャウラとのやり取りには慣れているのだろう。それ以上話を深める事無く、シャウラの言葉をさらりと流して次の話題に移る。
「それから、ムフリッドの開発にセバスティアンを派遣するが、ルイザも一緒に行かせることにした。それで、こいつの侍女がいなくなるから、いいのが居たら譲って欲しい。──できれば、王宮の事に詳しい人間がいい。なんとか世間知らずを治したい」
 ルティは横目でちらりとメイサを見る。
「お手数ですが、お願いいたします」
 メイサは頭を下げる。
 シャウラは一瞬目を白黒させたあと、順を追って尋ねた。
「ええと、ええと……セバスティアン──って、あの駄目な近従?」
「ああ」
「やっぱり、とうとう左遷ってこと?」
「まあ、そうでもあるが」
 シャウラは納得したように溜息をついたあと、さらに問うた。
「でも、ルイザもってどういうことなの?」
「彼女が開発の主任だ」
「え?」
「言い方が悪かったか。セバスティアンはあくまで補佐。ルイザについて仕事の仕方を覚えてもらう」
 なんだか情けない話に、メイサは肩を落とす。
 しかし、ルティの出した辞令はよくよく考えると見事なものだった。まず男の現場の主任に女性を抜擢するというのは前代未聞だ。しかし、ルイザが優秀なのはメイサもよく知っているし、何と言ってもムフリッドで生まれ育ったため北部に詳しい。優秀な女性を部下にし続けて来たルティだから出来る策だった。
 そして、そこでセバスティアンがなぜ出て来るのかと最初は謎だったけれど、どうやら、ルティは彼の事をなんだかんだ言いながらも信頼しているのだと気が付いた。
 確かにメイサも彼を見ているとホッとする。裏表の無い分かりやすい性格は、王宮ではなかなか得難い。だからこそ、解雇ではなく、将来を期待しての左遷・・。今後の仕事で力をつけて帰って来て欲しい、そう望んでいるのではないかとメイサはひそかに思っていた。
「それで、ええと、最後の件ね。メイサに新しい侍女をつけるのは構わないけれど、王宮に詳しいって…………まさか」
 シャウラはそこまで尋ねて、二人を交互に見つめて──突然目を見開く。
 しかし、ルティははぐらかしているようにしか思えないような口ぶりで、話を勝手に進める。
「急ぎで悪いが……今からジョイアに発つんだ」
 さすがのシャウラも話について行けていなかった。
「ジョイア?」
「今回開発する製品の流通の調査と、それから井戸の開発への支援を要請して来る」
「それは分かるけれど、なんでそんなに急に?」
 メイサは、どうもルティが照れているのではと思えて来た。肝心な・・・ことを言わないのは、もしかしたら。
 そう思って口を挟む。
ついでに・・・・、甥っ子と姪っ子の顔を見に行こうと思っているのです」
  そう言うと、メイサは早馬がもたらした知らせを取り出した。
「スピカが元気な双子の女の子を産んだそうです。兄、義姉・・として、お祝いに行って参りますわ」
 いたずらっぽく笑うと、メイサは少しだけ先走って言った。
「あね!? あねって──メイサ、あなた達……つまり!」
 シャウラはまるで隣国の皇太子の子のことなど聞こえなかったかのように、その言葉に食いついた。
 まじまじと穴があくほどに見つめられて、メイサははにかみ、ルティはそっぽを向く。
(あ、やっぱり照れてるわけね)
 メイサが思わずくすくすと笑うと、彼はちらりとメイサを睨んで来た。
「そういうわけだから、俺たちがいない間、式の準備だけ進めておいてもらいたいんだ。シトゥラには別途使いは出すが、出来るだけ早い方がいいから。母上の体調だけが不安だが、大丈夫か? 任せても」
「──ま、任せなさいよ! いくらでも!!」
 シャウラは目に涙をたたえ、慌てたようにそれを拭う。
「良かった……あなたがあまりにも不甲斐ないから、もう駄目だと思ってたのに……!」
 その言葉にルティは顔をしかめたが、シャウラはまったく気にせずに、うきうきとその場に立ち上がる。華やいだ雰囲気がまるで少女のようで、妙齢の女性に向かって言うのは何だけれど、とても可愛らしかった。
「じゃあ、ドレスの採寸とか、周辺国への招待とか……それから──あ、そうだわ。ルティ、あなた妃候補はどうする気なの?」
「心配要らない。彼女達は王宮に残る」
「なんですって? ──あなた、まさか、さっそく側室を持つつもり!?」
 一気に顔色を変えたシャウラは、ルティに向かって怒鳴った。メイサはあまりの信用のなさに苦笑いし、ルティはかなり不満そうにため息をつく。
「そんなわけないだろう」
「じゃあ、メイサが側室なの!? それは許さないから!」
「馬鹿か。──側室は要らない」
「じゃあどうする気なの」
 ルティはやれやれと言った調子で、まずシャウラに座れと促した。彼女が水を飲んで落ち着くのを待って、彼は再び口を開く。
「……まず、エリダヌスという娘は──王宮の案内役を買って出た近衛兵といい仲になったから、帰らないそうだ」
「は? 何それ」
 こちらに意見を求めようとするシャウラにメイサは苦笑いする。確かにあまりに意外な話で驚いたけれど、ルティが完全に放置していた間に、寂しさからそういうことになったらしい。詫びに行ったルティは、エリダヌスと近衛兵に床に頭をつけて詫びられてしまったらしく、呆れかえっていた。メイサはそれを聞いて、思わずほっとしてしまった。強固に側室の座でも求められたら、きついと思っていた。ただでさえもう一人の候補がアレだから。
「しょうがないから相手の近衛兵は適当に昇格させて領地を与えておいた。身分の釣り合いが取れれば向こうも文句を言えないだろうから。まあ、不貞を働いたのはあちらだし、文句を言われる筋合いも無いが、こちらも放っておいたという落ち度があるし、……探られて痛い腹は持ってるから、穏便に進める事にした。──それから、シェリアという娘は……ヨルゴスが引き取って、助手として雇ってる。こちらもジョイアに戻らないと言い張るから、任せた」
 シェリアの事を話すとき、ルティは微かに苛立った様子を見せる。何があったのか知らないが、どうも苦手なタイプらしい。確かに追い出しに失敗したところからも、手強い相手なのは想像がつく。

 アルゴルとテオドラが亡くなり、スピカが王宮にいたと証言する人間がいなくなった今、それを強請りの材料にしようとしたらしいシェリアの野望は潰えた。国に帰してもとりあえずは問題ないかと思えたから、そう提案したのだが……絶対に帰らないとシェリアは言い張った。あのとき叫んでいた通り、王太子妃の座を簡単には諦めるつもりはないらしい。そんな彼女をヨルゴスがどうしてか引き取ってくれたのだ。助手がいなくなって困ってるんだと、微笑んで。
 気を使ってくれてるのかと問うたけれど、そういう訳ではないから気にしないでと言われた。
 確かに……彼女は頭は良さそうだけれど、いや、頭が良さそうだから大丈夫だろうかとメイサは密かに心配している。まあ、ルティでも頭が上がらないヨルゴスだから大丈夫だとは思うけれども。
「何よ、それは。……王太子妃が駄目だからって王子妃を狙ってるの?」
 事情をよく知らないシャウラは、不可解そうだ。メイサはその組み合わせを想像して、肩に担がれて発狂していたシェリアを思い出し、有り得ないと心の中で首を振った。不敬が行き過ぎて首が飛ばなければいいと変な心配さえしてしまう。
 しかし意外にもルティは否定せずに流す。
「そうかもな。まあ、どうでもいい。──ヨルゴスに任せておけばとりあえずは安心だ」
「そんなに信用していいの? だって……メイサと彼の縁談も破談なのでしょう? シトゥラにいい思いはしていないはずだけど」
 シャウラはメイサを見て眉をひそめた。
「そうなのですが……」
 ヨルゴスへの罪悪感でメイサが弱ると、
「なんだかヨルゴスはメイサに大きな借りがあるそうだ」
 ムッとしたような顔でルティはメイサを見下ろした。メイサは冷や汗をかきながらも口をつぐみ続ける。
 正式に縁談を白紙に戻しに行った際、偽金問題を口にしなかったことを、ヨルゴスは感謝しているとこっそり告げた。図らずも、メイサはその事で彼に大きな貸しを作っていたらしい。いや、実のところは言う機会がなかっただけなのだけれど、もう引っ込みがつかないので黙っている。
 ルティはそんなメイサが気に食わないらしく、貸しとはなんだと追求してくるけれど、メイサはその秘密はお墓まで持って行くつもりでいた。その貸しのおかげで、ヨルゴスがルティの味方をしてくれれば万々歳だし、何より、それがヨルゴスに対する償いになればいい、そう思っていたのだ。
 ちなみに、隠し事をする気かと憤るルティに向かって、メイサはやり返した。『じゃあ、あなたも隠し事は無しに、今までの事全部打ち明けるつもりなのね?』と。
 すると、やはりやましい事がいっぱいなのだろうか、彼はそれっきり黙ってしまった。……それはそれで、気になると言えば気になるけれど、聞いたら落ち込みそうだから自分の為にも追求は止めておく事にしている。
「へえ、じゃあ、メイサの恋の駆け引きは一応成功したわけね。それは色々詳しい話を聞きたいところだわ」
 シャウラはふっふっふと酷く楽しげに目を細めた。からかいの眼差しにルティはとうとう完全にふて腐れ、なぜか突然のように話題を変えた。
「──そういえば、父上はどこに居られる? どこを探しても見つからない」
「さ、さあ」
 シャウラの頬が微かに赤くなり、メイサははて?と首を傾げた。
「そ、そういえば、急ぐって言ってたわよね! ほら、後の事は任せていいから、婚前旅行・・・・を十分楽しんでいらっしゃい。あ、シリウス様にも、スピカにもよろしくね」
 そのままメイサはルティと共に部屋から追い出される。
 なぜそんなに慌てているのだろうと不可解な気持ちでいると、ルティが歩き出しながら、メイサに手を差し伸ばす。隣に並ぶと、彼の手が腰に回り、メイサは周囲の目を気にして、赤くなった。
(なんか、すごく照れくさいんだけど、これ! ああ、さっきもシャウラ様、婚前旅行とかって──)
 そんな彼女の隣で、彼は涼しい顔をして「やっぱりな」と呟く。
「……何が?」
 赤い顔のまま見上げると、ルティはにやりと笑った。
「父上は隣の部屋にいらっしゃったんだろう。だから、母上にしては珍しく寝坊だったんだ」
「え……!」
 隣の部屋は確か寝室となっている。意味を察して、先ほどのシャウラの顔、それから妙な雰囲気の華やぎの理由を理解した。
「噂によれば、父上は、母上が倒れてからよく見舞いに行かれているそうだ。続けて二回目だから不安だったんだろうな」
「そう、……それは本当によかった」
 妙に嬉しそうなルティを見て、メイサも微笑む。
「母上は苦労ばかりだったから……報われて欲しい。親が仲が良いのは……、子としては嬉しいものだから」
 メイサは頷く。二人にとって、それは本当に得難い幸せだった。メイサの母はもういないけれど、母代わりにメイサを気遣ってくれたシャウラが幸せそうなのは心底嬉しい事だった。

 二人が各々旅装を整え、馬車の用意された城門前の広場に辿り着くと、そこでは荷造りが終わり、馭者が主の乗り込むのを待ち受けていた。
 内装にも凝った上等な馬車。普段馬に乗り馴れたルティは、この旅にはメイサを気遣ってか、馬車を用意した。
 そして馬車の前には、四つの人影がある。
 セバスティアンとルイザは、まず黙ってメイサ達に向かって敬礼をした。
 そして、その人物・・・・は、ルティに気が付くと、敬礼して、こちらへと足を進めた。
「出立前にご挨拶に参りました」
 女の声とも聞き取れるような柔らかい声。軍服に身を包んでいるものの、よく見ると体の線は柔らかい。
 ルティは西部の開発主任にも女性を抜擢したのだ。
ディーナ・・・・か」
「このたびは、大変な任務を預かりました。精一杯西部の開発にいそしみたいと思います」
「しっかりやってくれ。西部の繁栄──それからアウストラリスの繁栄は、お前達にかかっている」
 そう言って、ルティは隣にいたすらりとした青年にも微笑みかけた。
「補佐官のファティスだったか。お前にも頼んだ。ディーナを支えて励んでくれ。それから、以前から頼まれていた西部の治水については、ジョイアに技術者の応援を要請して来る。少し待ってくれるか」
「感謝いたします。──どうぞ、お願いいたします」
 彼が頭を下げると、深く被った帽子の端から刈り上げた髪が僅かに覗く。それはよくよく見れば鋼色に見えない事も無い。彼は青い目に穏やかな光をたたえ、ルティを見つめていた。
 そんな中、ルイザがはきはきと口を開く。
「ジョイアへの旅を存分に楽しんでいらして下さいませ。ですが、どうぞ市場調査もお忘れなきよう、よろしくお願いいたします」
 ルイザは僅かに不機嫌そうにも見えるけれど、それは距離を開いてもすぐに詰めて来る、隣にいる男のせいだそうだ。彼女は任務自体には不満は無いけれど、一緒に任務にあたる男の事についてはものすごく文句があるらしく、メイサにひっそりと愚痴っていた。
「分かってる。それがな目的だ。忘れるわけがない」
 ルティはにやりと笑う。
「できれば、ジョイアでどのような意匠が好まれるかなども、あわせてお願いいたします。それを元に設計しますから」
「気が早いな」
 張り切るルイザにルティは笑う。
「まずは単純なものでいい。普通の民でも使えるくらいのものを多く作ればいい。アウストラリスとジョイアの家に全てガラスの窓・・・・・が入ることを目標とするんだ。ステンドグラスや、鏡などの高級品は技術力が追いつくまで後回しだ。今回は従来とは別の市場を開拓したいんだからな」
「そうですよー、ルイザさんがっかりしないで下さいよぉ。材料の〈砂〉は捨てるほどあるんですから。焦らず、末永く、頑張りましょうよ!」
「うるさいわね! 早くメイサ様の元に戻りたいの、私は!」
 思わず激したルイザは、目を丸くしたメイサと軽く吹き出したルティに向かって「あ──あぁ、失礼しました」と頭を下げる。
「こいつの世話は大変かもしれないが、頼んだ。ムフリッドの工房と共に育ててやってくれ」
「は、はい」
 ルイザが目を潤ませて赤くなるのを見て、メイサは苦笑いをする。
(ああ、いいな。私もあんな風に働いてみたかったのに)
 思わずそう考えた直後、ルティがすかさず言う。
「メイサ、お前の仕事はもっと大変なんだからな? これからどんどん忙しくなるから覚悟しておけよ」
「……はい」
「お前の事は、ちゃんと頼りにしてる。だから、今度こそ・・・・勝手に無茶をするなよ!」
 なんだか色々行動を読まれているようで、メイサがたじろぐと、その場にいたルティを除く全員が一度に吹き出した。

 ルティの取り組んで来た政策を聞いて、メイサはヨルゴスがメイサに語ってくれた政策を聞いた時と同じくらいに驚いた。よくは知らなかったけれども、ジョイアから来た人間がまず驚くのが、アウストラリスにあるガラス製品だそうだ。特に鏡は非常に貴重なもので、ジョイアの皇宮に一つあるかどうかというくらいのものらしい。
 かの国では基本的に資源が採掘されない。もちろんガラスの生成に必要な水晶もだ。アウストラリスでもこれまでは一部の鉱山で採れる水晶を使ってガラス製品を作って来た。
 今回彼が行った土壌調査で、北部を覆う砂を調べたところ、その中に水晶と同じ成分が多く含まれていると分かった。
 つまり、それは北部の砂を、ガラスに変えられると言う事だ。
 アウストラリスの庶民の家に窓が無いのと同じく、ジョイアの家屋には──皇宮でさえ──一部でしかガラス窓が無い。あちらでは全て紙や木で窓を塞いでいるそうだ。まずはそれらを全部ガラスにする。つまり、アウストラリスとジョイアの民全員が客になるのだ。
 夢のような話かとルティはメイサに問うたけれど、彼女はそれは実現可能な夢であるとしか思えなかった。

 二人が馬車に乗り込むと、どこに隠れていたのか、わらわらと人が集まって来る。シャウラもラサラス王も、それからヨルゴスも、すごい形相のシェリアまで。
「いってらっしゃいませ!」
 セバスティアンが酷く嬉しそうな顔で、そう叫ぶと、皆馬車に向かって手を振った。

 馬車では二人きりだった。丁度良いと、メイサは少し馬車が進んだところで切り出す。「……あのね、スピカと子供達へのお祝いなんだけれど」
「ああ、またステンドグラスってのも、芸が無いか。ルキアの祝いとは違ったものがいいな」
 考え込むルティに、メイサはとっておきの提案をする。
「物を贈るのもいいんだけどね、誤解を解いてあげるのが一番だと思うわ」
「……」
「スピカと……いえ、スピカに言いにくかったら、皇子様にだけはちゃんと教えてあげて」
「…………」
 ルティは渋い顔をして黙り込んでいる。メイサはそれを見て苛立った。
「どうして、素直に言えないの? 皇子様、可哀相でしょう? 未だに根に持ってると思うのよ。この際、仲良くしてあげてよ。家族なんだから」
「仲良くだと? ……嫌だ」
「だからどうして?」
 メイサが追求すると、ルティは渋々のように口を割る。
「あいつは……お前を抱いただろう?」
 そして口に出したとたん、苦いものを口に入れたような顔をした。
「は?」
「お前もお前だ。いくらクレイルが欲しいからって、あんなヤツにやらせるな。それに、ヨルゴスとも……何回寝たんだ?」
「な、何言ってるの? 皇子様と? そんなわけないじゃない。しかもヨルゴス殿下となんて──」
「寝てないのか? 馬鹿な、ヨルゴスとはひと月以上一緒にいたのに……」
 ルティは目を丸くした。
「そうよ」
 ちらとヨルゴスとのキスが浮かび上がったけれど、メイサは辛うじて顔が引きつるのは我慢した。
「……なんだ、俺は、てっきり……」
 彼はなんだか呆然と天井を仰いで、大きく息を吐いた。どこをどう誤解したのか、本気でそんな風に思いこんでいたらしい。
 メイサはその様子を見て、ふと思い当たる。
「ええと、それで嫌がらせしてたとか……言わないでよね?」
「…………」
(ま、まさか図星なの?)
 メイサは慌てる。スピカと皇子の苦しみの一端を自分が握っていたなんて、そして巡り巡って自分を悩ませていたなんて……思いたくない。
(だって、あんまりにくだらない……ああ)
 メイサは頭を抱えるけれど、ルティはそれとは別の事を考え続けているらしかった。
「じゃあ……お前……今まで何人と寝た?」
 驚くような事を問われて、メイサは彼が完全に自分のことを棚に上げているのに呆れた。腹立たしいというより、妙におかしくなる。
(ねえ、これは嫉妬なの? ──男って、ほんっと、勝手よね)
「…………あなたよりは随分少ないわよ。ええとね」
 十人と言っても罰は当たらないと思いつつも、一人、と言おうとしたけれど、遮られる。
「言わなくていい」
「え、でも」
「ああ、くそっ──」
 彼はメイサを突然馬車の椅子に押し倒す。馬車は起きてる分には狭くは無いけれど、横になれば話は別だ。しかもルティの体が大きいせいで、メイサの視界はあっという間に彼でいっぱいになった。
 椅子には厚手の布で作られた敷布が敷いてある。背が椅子に沈み込んだのを感じて、その下にある、綿がたくさん詰められたクッションの存在を知る。
「ちょ、ちょっと……」
 メイサはこの状態になって、どうして馬での移動でなかったかとか、妙に内装が凝っていた事とか一度に理解出来る。彼は初めからそのつもり・・・・・だったのだ。
(……しょ、しょうがないんだけど……でも)
 実は、あの夜の翌日から、ルティは疲れがどっと出てしまったのか、熱を出して数日寝込んでしまったのだ。聞けば、相当無理をしていたらしい。ムフリッドから四日で王都まで戻って来て、その足でヘヴェリウスまでという強行軍。その上オアシスに飛び込んで、立ち回った。いくら彼が丈夫でも倒れるのはおかしくなかった。
 しかも王子の一人が死んだことを偽造・・しなければならなかったため、妙に忙しく、ゆっくり休む暇がなかった。だからメイサは自分との時間どころではないと判断した。「一段落するまで、夜くらいはゆっくり休むこと」と、メイサが拒んだので、あれ以来何も無い。そしてその数日間、彼はあからさまに拗ねていた。
(だからといって、馬車の中でってのは……しかも今はまだ朝だし!)
 ルティはメイサを押し倒したまま、唐突に言う。
「お前は、乗り物酔いしやすいんだろう?」
「え? ええ」
 メイサが話題の変化について行けずに目を泳がせると、ルティはにやりと笑った。
「特効薬をやるから、目を閉じろ」
 不審に思いながら目を閉じ、特効薬を待って口を僅かに開ける。しかし、彼が薬の代わりにくれたのはキスだった。
「な、ん──」
「長い旅だが、こうしてればすぐに終わる」
 くつくつ笑いながら、ルティは、メイサの旅装を解いて行く。被っていた砂よけのマントを脱ぐと、黒地に金の小さな花を散らしたドレスが現れる。体の線が強調される服を着るのは久しぶりのこと。これは、ルティが贈ってくれた、メイサにとてもよく似合う服だった。
「ちょ、ちょっと、せっかくの服が! あ、髪まで──」
 せっかく結い上げていた髪は瞬く間に解かれて、椅子の上から流れ落ちる。
「ジョイアから戻ったら忙しい。せっかくのんびり出来る旅行なんだ。存分に楽しまないとな」
 彼の指がメイサの背に回り、紐をするすると引くと、胸を締め付けていた布地があっという間に緩む。メイサは慌てて服を上から押さえ付けるけれど、ルティはメイサの両手首を彼女の頭の上に縫い止めてしまう。
「ば、馬鹿! そうよ、はぐらかさないで──乗り物酔いの薬って何よっ」
 彼は露になったメイサの胸にキスを落とすと、いたずらっ子みたいに笑った。
「──俺に夢中になってれば、酔わないってことだ」

 *
 
 おかげで馬車がカルダーノを通り過ぎる頃にもメイサは乗り物酔いに悩まされる事が無かったが、代わりに始終気怠さと酷い眠気に襲われることになる。
(ああ、帰った頃には子が出来てるかもしれないわ……花嫁衣装、着れるかしら)
 またもや、子づくりを拒めなかったメイサはそんな事をぼうっと考えながら、彼の腕の中で眠りにつく。

 夕方になってようやく国境が近づき、ジョイアの西端、水の都オルバースとの関所が山の麓に見え始めた。山を越えれば湖が見えるそうだ。オルバースからは船旅だと聞いていて、メイサはとても楽しみにしていた。
 しかし、馬車はオルバースに入る前に一度止まった。「見せたいものがある」とルティがメイサを促し、馬車を一度降りることになった。
 馬車の扉を開けると、湿度の高い、しかしよく冷えた爽やかな風に赤い髪が舞い上がる。
 手を引かれて小高い丘に登る。そこでは、南にジョイア、北にアウストラリスが一望出来ると言うのだ。
 丘を登り切り、頂上に立つ。丘の影から現れた日の光の眩しさに目を閉じていたメイサは、開眼と共に前に広がる光景に、目を見開いた。
 日光に照らされたミアー湖の水面は風に波立ち、銀を散りばめたかのように輝いている。港には小舟が多く並び、活気づいた声がここまで届くかのよう。そして、山間を駆け抜けた銀色の小川が、雑然と建てられた木造の建物の隙間を縫うように走っている。それはまるで銀糸で織られた織物のようだった。水の都そのもののオルバースにうっとりと目を細めるメイサに、ルティが声をかけて促した。
「そっちも美しいが、──後ろを見てみろ」
 振り返ると、そこには今度は金色の大地が広がっていた。一面に広がる砂の大地は、黄金の色に輝いている。そして、王都エラセドまでの都市が、各々のオアシスの水を反射し、各々星のように輝く。それらは色は違うけれど、まるで満天の星空のように思えた。
 生まれてはじめて見る自国の新たな一面に、メイサは涙を流す。
「綺麗」
「ああ。俺たちの国は、ジョイアに負けず劣らず、美しい」
 日に輝く金の大地に、ルティの髪が彼の胸の内の炎を表すかのように、赤く靡く。
 自信をみなぎらせた、若く強く美しい王。
 メイサには、彼がこれから作る国が金色に輝くのが見える気がした。

 〈了〉


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2011.6.17